第七十五話
荒れ狂う暴風と広がる黒雲。
そして鳴り響く地獄のような雷光。
一瞬にして最果ての空を覆い尽くし、さらにはこの星全ての空へと伸びる破滅の風。
それは先人達が残したシステムが、この空に生きる人類を自分達と同じ危険存在だと認識したことによる、最後の審判だった。
「前にも言った通り、今の君達は昔の人達から見たらずっと平和に暮らしてる……けどボクと同じ始祖クラスのスヴァルトがあの測定装置を通して君達の戦いを見せたから、システムはこの空全部にあんな規模の戦いが広がってるって判断しちゃったんだ!」
「そういうことか……! しかしまさか、アズレルやスヴァルトにそこまでの権限があったとは……」
「ボク達ドラゴンは、ルカのご先祖様達がこの世界を管理するために作ったから……スヴァルトが暴獣を操れたのも、システムを勘違いさせられたのも、そもそもボク達はそれをするのがお仕事だからなんだ」
まるで弾丸のように降り注ぐ豪雨の中。
ルカとアズレル、そしてレディスカーレットに乗るリゼットは、最果ての空めがけて加速するスヴァルトを追って飛ぶ。
すでに先の戦闘でスヴァルトは大きく傷ついていたが、その命すら燃やし尽くすほどのはばたきは、追い縋るルカとアズレルの追撃を全く許さない。
「それで、どうすればこの空を止められるんです!? こうしてスヴァルトさんを追いかけてるってことは、まだなんとかできるってことなんですよねっ!?」
強烈な暴風にあおられつつも、リゼットは巧みな操縦で翼を広げるアズレルの隣に並ぶ。
ゴーグル越しに覗くリゼットの赤い瞳は今もらんらんと輝き、この絶望的状況においても一つの恐れすら宿していなかった。
「ご先祖様に見せるしかない……! この空が終わるよりも前に……〝スヴァルトが見せた絶望〟よりも、〝ボクが信じた希望〟の方がずっとずっと強いってことを……最果ての空を越えて、見せるしかないっ!!」
「ならば、俺達がやることは最初と変わらないと言うことだな……! 望むところだ!!」
「ですね! 私とルカとアズレルさん、それにレディスカーレット……これまで通り、私達みんなで飛ぶだけです!!」
希望の証明。
スヴァルトが墜ちた絶望の闇ではなく。
アズレルが見上げた希望の光を、最果ての空を越えた先に届ける。
そう告げられたルカとリゼットは互いに笑みすら浮かべて頷き合うと、もはや眼前に迫ったぶ厚い大気の壁――最果ての空へと真っ直ぐに飛び込んだ。
「ぐっ――!」
「これが、最果ての空――!」
瞬間、二人の光景は別世界へと変わる。
空から降り注ぐ陽光は完全に遮断され、代わりに視界を照らすのはもはや上も下もなく渦巻く雷の光。
眼下から吹き上げる突風と乱流はこれまで経験してきたどの風よりも強く早く、さらには全方位から叩きつける大粒の雹がルカ達の飛翔を徹底的に阻む。
「私が前に出ます――! 最果ての空が相手だって……ここが空である限り、ルカの道は私の翼で切り拓いてみせます!!」
想像を絶する気流と荒天の地獄。
だがそれでもリゼットはその瞳を閉じず、常人ならば一瞬で大破確実の嵐の全てを掌握。
その世界を灰色に染め、空の道と言われる彼女だけの道を最果ての空に見いだす。
「ならば、リゼットを守るのは俺の役目だ!!」
だがたとえリゼットが全ての風を読めたとしても、荒れ狂う雷撃とフェザーシップすら撃ち抜く雹の豪雨を防げるわけではない。
レディスカーレットが前に出るのと同時、ルカは解放された竜槍を漆黒の乱気流の中で掲げると、周囲に群がる雷光をまたたく間に集約。
さらに自分と前を行くリゼットの周囲に電界のシールドを展開し、どんな時も共に飛び続ける最愛の翼を寄り添うように守護した。
「ふふ……やっぱりそうでした」
「どうしたのだ?」
その時。
空の道を覚醒させ、その赤い翼で暗闇を切り裂いて飛ぶリゼットが笑う。
「子供の頃は、どうして私だけ空の色も、花の色も見えないんだろうって思ってました……みんなに見えてるものが、私にだけ見えないなんて……こんな、灰色の風しか見えない私の目なんていらないって……ずっとそう思ってたんです」
そう言いながら、しかしリゼットは嬉しそうに笑っていた。
一歩間違えれば一瞬で機体ごと大破してもおかしくない。
そうでなくても、もうすぐこの空全てが消えてしまうかもしれない。
そんな時にも関わらず。
飛行帽とゴーグルを身につけた少女は、本当に嬉しそうだった
「でも、そんなことなかった……! 私はこの目のおかげでルカに会えて、ルカのことを好きになって、どんな時もルカと一緒に飛べるようになった。私……それが本当に嬉しいんですっ!」
「リゼット……」
「行きましょう、ルカ! これまでもこれからも……私の空は、ルカのいる空です!!」
「ああ……! 行こうリゼット!!」
たとえこの瞬間、終わりが来てもいい。
その瞬間まで、二人で一緒ならそれでいい。
これまで誰も越える事のなかった恐るべき領域の中。
しかし二人はまるでお互いの手をしっかりと繋いでいるかのように距離を保ち、決して離れず、決してぶつからず、前人未踏の空を真っ直ぐに飛び続ける。そして――。
「――それが、進化した人間の力というわけか。なるほど……お前が惚れ込むのも無理はない」
「スヴァルト……!」
先すら見えない嵐の先。
突き進むルカとリゼットの前。
明滅する雷光に傷ついた翼を広げて飛ぶ黒竜――スヴァルトの影が映った。




