第二話
あらゆる陸地がぶ厚い雲海の上に浮かぶ世界。
雲の狭間を飛ぶ大陸を朝日がかすめ、濃い朝霧に包まれた石と木で作られた街並みに光をさす。
そしてそんな朝の空。
一機の赤いフェザーシップが、緩やかなエンジンとプロペラの音と共にのどかな草原地帯に降下する。
「おっはよーございまーす! 起きてますかー? 起きてますよねー? 入りますよー?」
「ふぁ~~……まだ眠いよ~~……こんな朝早くからボクを叩き起こすなんて……もしかして、ボクにかじられに来たのかなー?」
「むにゃむにゃ……おはようだな、リゼット……今日はずいぶんと早いな……」
「あ、おはようございます! それと、アズレルさんにはこちらをどうぞ!」
ここは、レジェール王国の中心街から離れた郊外の草原地帯。
そこにある〝変人竜騎士少年ルカ〟の家を訪れたのは、飛行帽から美しい赤髪をなびかせた、どこか高貴な雰囲気を持つ小柄な少女、リゼットだ。
リゼットは愛機である真紅のフェザーシップ――レディスカーレットを、草地の地面すれすれに滞空させてエンジンを切る。
そしてコックピットから飛び出しながら威嚇するアズレルにぶ厚い干し肉をひょいと放り投げ、目をこすりこすり現れたルカの元にとてとてと走り寄った。
「はわーーっ! おいしそうなお肉ーー! かぷ、かぷかぷ! もぐもぐうまー!」
「お仕事です! それも、とびっきりの依頼をもってきました!」
「とびっきりだと?」
「レジェールの一番南の崖に、ミムンの滝っていう観光名所があるのはご存知ですよね? 実は近々、空からその滝をゆっくりと眺めることができる、飛行型ホテルが開業するんです!」
そう言って、リゼットは丁寧に折りたたまれたパンフレットを肩掛け鞄から取り出す。
ルカがその紙をのぞき込むと、「レジェール・ロイヤルスカイホテル」の看板と、ホテルと共に開業する高級レストランの宣伝が描かれていた。
「六隻の飛行船で空飛ぶホテルを実現……誰も見たことのない、夢のような体験をあなたに……む、むちゃくちゃ高そうなんだが……」
「そりゃあもう! このホテルに泊まれるのは、私みたいな王族か貴族か、あとは大金持ちの商人さんくらいじゃないでしょうか」
宿泊費用を想像してげんなりとするルカを横目に、リゼットはもう一枚の紙を広げてみせる。
「ルカに頼みたいお仕事っていうのは、この新しいホテルのお披露目式典の護衛なんです。その式典には他の国からも偉い人が沢山きますし、もしも〝空賊や暴獣〟に襲われたりしたら大変ですから!」
「なるほど……だがその規模の依頼となると、俺とアズレルも他の者とチームを組んで動く必要がありそうだな……」
「ですね」
だがそこで、ルカはなにかに思い当たったのか急に表情を曇らせる。
そしてそれを見たリゼットはなにも言わず、ルカの判断を待つようにその横顔をじっと見つめた。
「わかった……ぜひやらせてくれ。他ならぬリゼットが持ってきてくれた仕事だ。報酬もいいしな!」
「やったー! ありがとうございます!」
少し迷った後、ルカは一つ頷いてリゼットに笑みを向ける。
承諾を受けたリゼットもぴょんと軽く飛び跳ねて喜ぶと、鞄から何枚かの紙とペンを追加で取り出した。
「ではでは! 依頼内容についてはこちらを。ギルドには私から話を通しておきますので、ルカはいつも通り、約束した時間に指定の場所に来てください。その後は、現地で説明があると思います」
「うむ! 竜騎士として、恥じない働きぶりを約束する!」
Second flight
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天空ホテル護衛
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レジェール・ロイヤルスカイホテル。
豊かな水資源と商業で栄えるレジェール王国でも初となる、飛行型高級宿泊施設である。
盛大な見送りを受けて無事離陸に成功したホテルは、そのまま六隻もの大型飛行船に繋がれて雲海の上へと。
半日の飛行を経て、レジェール南端に位置する美しいミムンの滝を眺める空で夜を明かすことになる。
『見ろよあれ。あれが噂の竜騎士だろ……?』
『竜騎士ってのは、本気であの棒一本で空賊や暴獣と戦うつもりなのか?』
『マジかよ。騎士っていうより、蛮族って感じだな……』
『大体、なんでギルドにも入れない奴が、こんな重要な現場に来てるんだよ……』
「ぐぬ……! ぐぬぬ……! ぐぬぬぬ……!」
目的地に向かう飛行船のすぐそば。
周囲を固めるフェザーシップ部隊に混ざって飛ぶルカとアズレルの耳には、無線機を通してある意味予想通りの声が届いていた。
ちなみに、ルカはアズレルの鞍に中古の無線機を無理矢理くくりつけて愛用している。
「ねーねー、ルカー。いつまであんな風に言わせておくつもりなの? ルカがやらないなら、代わりにボクが〝かじって〟きてもいいんだよー?」
「お、落ち着くのだアズレル……! 正直、俺の怒りも爆発寸前だが……ここで奴らをボコボコにしたとしても、誇り高き竜騎士の名を傷つけることにしかならん! あと金にもならん!」
「むー! あーあ、昔の人間はボク達を見ただけで大喜びしてたのになー」
ほとんどの人々は、竜騎士が今もこうして空を飛んでいることを知らない。
そして知っていたとしても、ドラゴンを危険な暴獣と同一視して嫌う者もいれば、時代遅れの役立たずとみなす者もいる。
かつて空に輝いていた竜騎士の栄光は、完全に過去の物になっていた。しかし――。
「わーい! ルカさーん!」
「この声……フェリックスか?」
「おーう、誰かと思えばルカとアズレルじゃねぇか。お前達がギルドの仕事を引き受けるなんて、珍しいこともあるもんだ」
「ユウキさんも一緒か! お久しぶりです!」
竜騎士への心無い偏見にブチ切れ寸前となっていたルカの元に、ふらふらと頼りない軌道で飛ぶ水色のフェザーシップと、切れ味鋭い熟練の腕を見せる紫色のフェザーシップが、軽快なエンジン音を響かせながらやってくる。
水色のフェザーシップには、一纏めにした長い金髪をゴーグル越しになびかせる少女のような少年、フェリックスが。
紫色のフェザーシップには、銀色の短髪を飛行帽から覗かせた眼光鋭い青年、ユウキが笑みを浮かべていた。
「なんだなんだ、今にも暴れ出しそうな面しやがって。また他のフェザーシップ乗りになんか言われたか?」
「えええええええええっ!? 誰ですか〝僕の〟ルカさんにそんなこと言ったのは!? 今すぐボコボコにしてきます!!」
「いいねそれー! 実はボクもそう思ってたところなんだー!」
「ありがとうフェリックス……だが俺なら〝見ての通り〟全然平気だ! こうして馬鹿にされるのも、もはやいつものことだしな……! ふ、ふは……ふははははは!」
「こえーよ! 目が全然笑ってねぇ!!」
現れるなり物騒なことを言うフェリックスを、ルカは怒りに燃える血走った目でなんとかたしなめる。
「ったく……だがたしかに、そんな奴ら気にする必要ねぇかもな。レジェールの空を飛んでる奴なら、みんなお前達がどれだけ頼りになるかはよく知ってる……それがわからねぇのはよそ者か、もしくは危ない橋は渡らねぇ臆病者のどっちかだ。だろ?」
「ゆ、ユウキさん……っ!」
〝圧倒的兄貴オーラ〟を放ちながら語るユウキに、ルカは感動のあまり両目から滝のような涙をだばだばと零した。
「はは! とりあえず、お前がいるなら今回の仕事は楽ができそうだな。よろしく頼むぜ、最後の竜騎士様」
「一緒に頑張りましょうね、ルカさん!」
「ありがとう、二人とも……! よろしく頼む!!」