第十四話
「よーし……! 行ってきます、ルカさん!」
「うむ! 気をつけてな、フェリックス!」
「てきとーにねー!」
「危なくなったら、すぐに助けにいきますからっ!」
翌日。
半日かけてアークホエールの航路上へと舞い戻ったルカとリゼットは、フェリックスが考案した撒き餌作戦を固唾を呑んで見守っていた。
「むぅ……本当にフェリックスだけで大丈夫だろうか……」
「心配ですけど、何かあれば私達もいます。フェリックスさんの初依頼、最後まで見守ってあげましょう!」
「だが、なぜフェリックスはこの依頼にここまでこだわるのだろう。いくら初仕事とはいえ……」
「それは……」
結局、フェリックスは最後までルカとリゼットに協力を求めなかった。
フェリックスがルカに頼んだのは、最初に言った〝心細いからついてきてほしい〟というただそれだけだった。
「きっと、ルカに自分が一人前になった姿を見て欲しいんだと思います……昨日聞きましたよ? フェリックスさんは、ルカに憧れてレジェールの飛行士になったんだーって」
「それは俺も知っているぞ! 俺がまだ竜騎士になって間もない頃、〝戦争を止める手紙を戦場に届けた〟ことがあったのだ。なんでも、フェリックスはその場にいたらしくてな!」
「ルカは命の恩人なんだーって……私が放っておいたら、ずっとお話ししてそうな勢いでした。ふふ、まさかフェリックスさんも〝私と一緒だった〟なんて……なんだか親近感ですっ」
昨晩のことですっかり打ち解けたのか、リゼットは親近感を宿した眼差しで、遠ざかっていく水色のフェザーシップを見送る。
そしてそれと時を同じくして、潜空するアークホエールの位置を示す鳥の群れにフェリックスの機体が接近。
するとフェリックスは、そこでいくつものピンク色の小さな風船――彼が昨晩アークホエール用に作った、『とり肉と骨と、雲海中に浮遊する新鮮な果物をミックスして煮詰めた撒き餌』を空へと放り投げていく。
「頼む……うまくいってくれ!」
「本当にあんなのでクジラが釣れるのかなー? って、きたー!?」
フェリックスの風船投下からわずかに遅れ、雲を割り、空を震わせてアークホエールの巨体が青空の下に出現。
無数の鳥たちがギャアギャアと声を上げ、砕けた白雲が津波のように周囲の大気を押し出していく。
「やった……! なら次は――!!」
フェリックスの撒き餌に釣られたアークホエールは、そのまま普段とは異なる不規則な動きで雲海上を遊泳する。
その姿を上空から視認したフェリックスは、青空に大きな弧を描いて旋回。
速度を上げてアークホエールの後頭部にある〝湖のような地形〟へと向かった。
「クジラさんの泳ぎに合わせて減速……! 機首はやや上……エンジンは回したまま……!」
これまで飛行士として学んだことを一つ一つ確認し、直前でリゼットに言われた助言も素直に吸収して、フェリックスは見事巨大クジラの頭部へと降下。
フェザーシップを宙に浮かせたまま〝固定用の重り〟を地面にドサッと落とすと、ぴょんとクジラの背に飛び降りる。
そもそも、フェザーシップの飛行原理の秘密は、エンジンの中に収められた〝浮遊石〟にある。
浮遊石はそのままでも宙に浮く性質を持つため、フェザーシップは接地することなく目標の場所に降下することができる。
「次はキノコ! ルカさんが調べてくれた通りなら、キノコが生えてる場所は……!」
降り立った場所は、アークホエールの頭部にある鼻孔――つまり人間でいう鼻の部分。
豊かな水をたたえた巨大クジラの鼻孔周囲には、通常の陸地では決して見られない結晶化した植物や、自発的に輝く鉱石。
さらには水辺で生活する奇妙な見た目の生物なども存在し、そこがいかに特異な環境かを一目でフェリックスに伝えていた。
「あった! ホエールトリュフ!」
クジラの背に降下してすぐ、フェリックスは事前の調査通りに水辺に生える〝透明なキノコ〟――ホエールトリュフを発見。
用意した肩掛け鞄から袋を取り出すと、急ぎつつも丁寧に、一本一本ホエールトリュフを採取していく。
「これでよしっと……あとはここから離れれば!」
袋一杯とはいかないまでも、フェリックスは十分なキノコを採取。
辺りの水をばしゃばしゃと踏みならしながら、ふわふわと滞空したままの愛機へと急いで飛び乗る。
「エンジン、よし! 水、よし! 次はエアロッドで空気を送って――!」
操縦席に座り、目の前の計器類を確認。
エンジンの回転数を上げるため、足元にあるレバーをギコギコと押し引きしてエンジン内部に大気を送り込む。
すると機首のプロペラがゆっくりと回転を始め、けたたましいエンジン音と共に、機体後方の排気口から白い水蒸気が一斉に吐き出される。
そしてそれを合図に、フェリックスを乗せたフェザーシップは前進を開始した。
「や、やった……やりましたっ! ちゃんと僕一人で……ルカさんの前でできました――!」
『ギャッギャッギャッ!!』
「え……っ?」
だがその時だった。
キノコを採取し、後はフェザーシップで離脱するだけ。
そう思い安堵したフェリックスの視界を、大きな黒い影が覆った。
『ギャッギャ!』
「か、カームクロウ!? どうして、いつのまに!?」
今にも飛び立とうとしたフェリックスを阻んだもの。
それはアークホエールと共に空を旅する巨大な鳥――カームクロウの群れだった。
カームクロウは暴獣というわけではないが、縄張り意識が強く、フェリックスを外敵と思って攻撃してきたのだ。
「だ、だめだ……もう――!」
自身の悲惨な未来が脳裏をよぎり、操縦桿を握る腕も恐怖と絶望が心を縛りつけようとする。だが――。
「違う……! 僕はもう、諦めない――!」
だがフェリックスは諦めなかった。
操縦桿を握り直し、エンジンを全開に。
行く手を阻むカームクロウの翼を無理矢理に押しのけ、プロペラに舞い散る羽を巻き込んで強引に突入したのだ。
「僕の命は、ルカさんが助けてくれたんですっ! それなのに、簡単に諦めたりしたら――!」
『ギョエーーッ!?』
それは普段の気弱な彼からは想像もできないほどの気迫。
その勢いにカームクロウの群れは慌てて蹴散らされ、大混乱に陥る。
しかし気迫だけでカームクロウの群れをなぎ倒すことはできない。
やがてフェリックスの機体は推力を失い、プロペラと翼が悲鳴を上げる。
「ここまでなの……っ? ごめんなさい、ルカさん……っ」
『がおーーーーーー! たーべーちゃーうーぞー!!』
「ひゃわーーっ!?」
だが、もはや絶体絶命かと思われたその時。
最悪の結末に身構えて怯えるフェリックスの耳を、まるで雷鳴のような〝竜の咆哮〟が貫いていった――。
――――――
――――
――
「はふー、まさに間一髪って感じでしたっ!」
「うぇーーん! ルカさーーーーん! 怖かったですよぉぉおおおーーーー!!」
「うむうむ、本当に何事もなくて良かった! 俺も無事にフェリックスの初仕事を見届けられて、心の底からほっとしている!」
「見た見たー? ボクの声にびっくりしたカラスの顔ー! あー、面白かったー!」
夕暮れの雲海。
無事にホエールトリュフを採取することに成功したフェリックス。
しかし今の彼は滝のような勢いでどばどばと涙を流し、ふらふらと心許ない軌道で赤く染まった雲海の上を飛んでいた。
「あんなに頑張ったのに、最後の最後でルカさんとアズレルさんに助けてもらっちゃいました……うぅ、ルカさんに一人前になった僕を見てもらいたかったですぅ……」
あの最後の瞬間。
フェリックスの前方を塞いだカームクロウの群れは、はるか彼方から放たれたアズレルの咆哮――竜の威嚇一発で、散り散りに逃げ出してしまった。
結果として二人の手は借りないという約束は守れなかったが、フェリックスは無事にレジェールへの帰途につくことができた。
「たしかに今回は残念でしたけど……フェリックスさんのお誘いなら、ルカはいつでも大歓迎だと思いますよ? つまりフェリックスさんが一人前になるまで、これからもルカを誘い放題ってことじゃないですか!」
「もしまたルカに会いに来るなら、次からはちゃんとボクのお肉を持ってきてねー! そうじゃないとかじっちゃうよー?」
「うむ! 誇り高き竜騎士である俺は、決して逃げも隠れもしない! もちろん、友達の頼みを断わったりもしないのだ! 今回は本当によく頑張ったな、フェリックス!!」
「る、ルカさん……っ! みなさんも……ありがとうございますぅぅっ!!」
水色のフェザーシップが空に描く、頼りない風の軌跡。
しかしその軌跡はたしかに彼が憧れる竜騎士の傍へと、曲がりくねりながらも少しずつ、少しずつ近付いていくのだった――。
Next Side flight
――
あの日のフェリックス