第十三話
それはまさに、視界全てが砕け散るような凄まじい光景。
アズレルが不自然に群がる鳥達に気付いた次の瞬間。
この空の世界を白と青に隔てる雲平線が大きく乱れ、大気そのものが押し上げられるような上昇気流が発生。
まるで地鳴りのような鳴動が天に響き、ぶ厚い雲が割れ、巨大な島が――いや、島のように見える大地をその背で育む〝巨大な白クジラ〟が、羽ばたく無数の鳥と共に抜けるような青空の下に姿を現わしたのだ。
「ぬおおおおおおおおお!? な、なんだあのクジラは!? あまりにもデカすぎる!! というか本当にクジラなのか!?」
「ひゃー! 私もアークホエールをこの目で見るのは、子供の頃にお父様に連れてきてもらった時以来ですー!」
「はわわ……! こ、こんなに大きな生き物が本当にいるなんて……!」
「ふーん? たしかに少しは大きいかもしれないけどー、あんなのんびりしたクジラより、ボクの方が早いし強いもんねー!」
現れた超巨大クジラ、アークホエールの圧倒的威容に、ルカ達は一斉に驚きの声を上げる。
その全長は5kmを越え、背中には長年の飛行で堆積した砂埃が厚い層となって大地を形成。
そこに風で運ばれた植物の種子が芽吹いて根を張り、雲海への降下と浮上を繰り返す寒暖差が大量の水を集め、それは川や小高い丘、森や湖といった地形になっている。
アークホエールの年齢は推定五千歳を越えると言われ、今やその背には通常の陸地とは異なる、完全に独自の動植物が生きる生態系が繁栄。
さらに周囲の空域には、共に旅をする様々な飛行生物の群れすら引き連れていた。
「あ、あまりにもデカすぎて固まってしまったが……クジラさえ見つけてしまえば後は簡単なはずだ! さあフェリックスよ、早速そのホエールトリュフとやらをゲットするのだ!」
「そ、そうですね! でも、大きすぎてどこから探したらいいのか……」
「本当なら、ぱぱーっと降下して地道に探したいところですけど……」
目の前に現れたアークホエールの巨体に圧倒されながらも、ルカ達はその背に広がる広大な緑地の上空に接近。
早速、目当てのキノコがありそうな場所を探そうとするが――。
「っ!? 気をつけろ! このクジラ、また沈むつもりのようだ!!」
「ええええっ!? まだどこを探すかも決めてませんよ!?」
ルカの叫びと同時。
時間にして数分の間雲海から浮上したアークホエールは、広大な青空に独特の澄んだ鳴き声を残し、再び潜空してしまったのだ。
「なん……だと……? 本当にちょっとだけ出てきて、一瞬で沈んでしまったんだが!?」
「なるほどー…‥つまり、これが難易度〝赤〟の理由というわけですね」
「じゃ、じゃあもしかして……僕が依頼されたキノコは、あのクジラさんが雲の上にいる、ほんの少しの間に採らないとだめってことですか?」
「あははー! なんかそれっぽいねー、おもしろそー!」
「恐らくですけど……きっとこの依頼はアークホエールについても、ホエールトリュフについても詳しいことが前提なのだと思います。そしてその上で、アークホエールが浮上している一瞬の間に、フェザーシップの降下と離脱をこなす操縦技術も求められる……上級依頼のお手本みたいなやつですっ!」
「そ、そんなあああっ!? 知識はともかく、新米の僕にそんな操縦技術なんて……っ」
突きつけられた高難易度依頼の現実に、フェリックスは思わず弱音を漏らす。
「ちなみにですけど……私なら、何度か接近してキノコの位置さえ特定すれば、問題無く採取できると思います。ルカもいけますよね?」
「もちろんだ! そもそも、俺とアズレルにはフェザーシップのように複雑な操作手順はないからな。ただ行って帰ってくるだけで終わりだ!」
「そーそー。やっぱり変な機械なんかより、断然ボクだよねー!」
「お二人なら、簡単に……」
「はい……なので、もしフェリックスさんがお望みなら、代わりに私とルカでホエールトリュフを採ってきても構いません。だけど……」
「これはフェリックスの大切な初仕事だ。安易に俺やリゼットの力で解決していいはずがない……となれば、やはりこの依頼は断わった方がいいのでは……」
「っ……! 待って下さい!!」
フェリックスの気持ちを汲みつつも、仕事である以上危険なことはできない。
そう判断した二人が、依頼の破棄を提案しようとしたその時。
フェリックスは大きな声を上げ、決意に満ちた瞳で二人に訴えた。
「待って下さい! その前に少しだけ……調べたいことがあるんです!」
――――――
――――
――
「えーっと……これって、何を作ってるんです?」
「お料理ですっ」
初めてアークホエールと遭遇した次の日。
ルカ達はアークホエールとホエールトリュフの情報を集めるため、一度レジェールまで戻っていた。
「さっき、調べた本で見たんです。普通のクジラと同じで、アークホエールも普段は〝空に漂う香りで餌を探してる〟って。だからこの餌を空にまいておけば、あのクジラさんが雲の上にいる時間も少しは延ばせるんじゃないかと思って……」
「それでお料理なんですね! でもクジラ用のお料理なんて、フェリックスさんに作れるんですか?」
「作れます。これでも僕、昔は〝オルランド同盟〟の軍隊で料理人をやってて……オルランドだと、航海中に出会った野生動物への対処も料理人の仕事だったりするんですよ」
「ええっ!? そうだったんですか!?」
ここは〝レジェール青空飛行組合〟、通称ギルドの作業場だ。
全ての陸地が雲の上に浮かぶこの世界においても、空を飛ぶ際に最低限守らなくてはならない決まり事がいくつもある。
そのため全ての空を飛ぶ者は、飛行ルールの遵守や技術をギルドのような組織で学び、またギルドの許可を得て様々な仕事を受けることができる仕組みになっていた。
「僕の実家は、オルランドでも人気のレストランなんです。僕も小さな頃からお料理を作るのが大好きで……でも、最近のオルランドはヴァルツォーク連合に負け続きなので、僕も無理矢理軍隊に……」
「そうだったんですね……」
すでに街の陽はとっぷりと暮れ、辺りにはかぐわしいというよりも、むせかえるような肉と骨……そして煮詰められた濃厚な果物の匂いが充満している。
ギルドに所属していないルカにはホエールトリュフの生態調査を任せ、正規のギルドメンバーであるフェリックスとリゼットは、この作業場でアークホエールに使うための撒き餌作りに励んでいた。
「でもそれなら、どうしてフェリックスさんは軍もお料理もやめて、わざわざレジェールで飛行士になろうと思ったんです?」
「それは……」
目の前で火にかけられ、ぶくぶくと煮立つ大鍋を見つめるフェリックスの横顔は真剣そのもの。
その表情は、普段飛行士として見せる頼りない新米のものではなく、れっきとしたプロの料理人のものだった。
「もう一度だけ……どうしてもルカさんに会いたかったんです。会って直接、ありがとうって……あの時、死のうとしてた僕を助けてくれて、ありがとうございましたって……そう、言いたかったんです……」