第十一話
まだ私が子供だった頃。
私の世界は白と黒と灰。
それに風だけ。
私の世界は褪せていて。
風だけが私の世界だった。
でもあの日。
私が必死になって伸ばした手を、あなたが掴んでくれたから。
青く色づいた空の向こうで、あなたが微笑んでくれたから。
私は空を飛ぶ鳥になって。
あなたは、私の空になった。
Side flight
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翼の理由
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「りゅうきし……ですかー?」
「うん! 大きくなったら、ぼくも母さんみたいなりっぱな竜騎士になるんだ!」
「すごーい!」
レジェールの都からやや離れた郊外。
そこに広がる緑の草原を、まだ四歳か五歳になるかという少年と少女が、楽しそうな笑い声と共に走り回っていた。
「でも竜騎士になるには、『たくさん勉強してがんばらないといけませんよ』って、アズレルがいってた!」
「リゼ、あのドラゴンさんきらーい! すぐリゼに『静かにしなさい』って怒るんだもん!」
「ええっ!? そんなのひどいよ! ぼくが言ってくる!」
「いっちゃだめー! ルカはリゼといっしょにいるの!」
「うわあっ!?」
やがて、疲れも知らずに走り回っていた二人――レジェール王国王女のリゼットと、世界最後の竜騎士の息子ルカは、じゃれ合いながら広大な緑の上にごろごろと転がった。
「リゼ、あのドラゴンさんはきらいだけど……ルカのことはだーいすき!」
「どうしてー?」
「リゼをたすけてくれたから! ルカがいなかったらリゼは死んでたって、お父さまもお母さまもいってたもん!」
リゼットの父である国王ガイガレオンとルカの母ルミナは、いくつもの戦場と冒険を共に駆け抜けた大親友だ。
そのため二人の子供であるルカとリゼットも、物心がつく前からまるで兄妹のように育った。
「土がくずれて、ふわってなって……がんばって手をのばしても、なにもなくて……リゼはもう、雲のしたにあるオバケの国で死んじゃうんだって、すっごくこわかったの……でも、ルカはリゼを助けてくれた……」
その事件は、二人が物心ついてすぐの頃に起こった。
安全とされていた浮遊島での国王一家の散策中。
不意に発生した地盤の崩落にリゼットは巻き込まれ、それを偶然アズレルに乗っていたルカが助けたのだ。そして――。
「でもそれだけじゃないのっ! ルカがリゼの手をぎゅってしてくれてから、赤や青や緑や紫……いーっぱいの色が見えるようになったの! お医者さまでもなおせなかったリゼの目を、ルカがなおしてくれたのっ!」
「でもぼく、そんなことできないよー?」
「できたもん! ルカがリゼにいっぱいの色をくれたんだもんっ!」
どうしてそうなったのかは、ガイガレオンもルミナも。
当事者であるルカもリゼットもわからない。
だが事実として、リゼットはルカに助けられたことで色鮮やかな世界を手に入れた。
そして卵からかえったひな鳥が、初めて見た存在を親と思うように。
リゼットは色づいた世界で初めてその瞳に映した存在……ルカをそれまで以上に追い求めるようになった。
「えへへ……でもそれだけじゃなくて、そのあともずっと……もっともっと……ルカと一緒にいると、どんどんすきになるの! だってルカはとってもやさしくて、かっこよくて……えーっと……ほかにもいっぱいすきー!」
「ぼくも、リゼットのことだいすき!」
それは幼い二人による、子供だからこそ伝えられる無垢でまっすぐな想いと言葉だった。
「でも……もしルカが竜騎士になったら、ルカのお母さまみたいにどこかに飛んでいっちゃうの?」
「うーん、そうかも……」
「そんなのいやー! リゼもいっしょがいい! リゼもお空につれてって!」
「ええーっ!? でもいつもいっしょだと、アズレルがおもいって言うかも……」
「むー……じゃあ、リゼはお父さまみたいにパイロットになる! そうしたら、ルカがどこに飛んでいってもずっといっしょでしょ?」
「わー! ぼくもそれがいいー!」
「リゼとルカが大きくなって、ルカが竜騎士になっても……ルカがお空を飛ぶときは、リゼもぜったいにいっしょだから! 約束ね!」
「うん! 約束っ!」
そうして、互いに空を見上げながら差し出した手を、二人はどちらからともなく握りしめる。
草原をわたる風の音色と太陽の匂い、そして握りしめた手のひらの暖かさを……リゼットは、今もはっきりと覚えている。
この日、二人の間で約束が交わされてから十年以上が過ぎた。
立派に成長した二人の約束は、今も破られてはいない――。
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「――あーおいしかった! 今日は久しぶりにお腹いっぱいになるまで食べたし、いい夢見れそうー!」
「それより、こんな夜遅くに俺達を家まで送ってくれるとは……リゼットだって疲れただろう?」
「いいんですっ。ルカと一緒にいるだけで、疲れなんて吹き飛んじゃいますからっ!」
「むぅ……だが、それではリゼットが一人で帰ることに……」
「むっふっふ……! なら、〝今日も〟ルカのお家に泊めてくださーい! いいですよねっ? ねっ?」
「ぶふぉーっ!?」
激動の遺跡調査からの帰り。
すっかり日が暮れた夜の空を飛びながら、真紅のフェザーシップに乗る飛行士の少女と、青いドラゴンの背に乗る竜騎士の少年は今日も寄り添うように飛ぶ。
眼下には、点々と灯る家々の明かり。
そして愛機のプロペラ音と、夜の風を受けるアズレルの翼の音が穏やかに響く。
リゼットは見慣れたはずのその光景にふうと息をつくと、少しだけ前を飛ぶルカの背に――初めて見た頃よりもずっと大きくなったその背中に、澄んだ眼差しを向けた。
(私、本当に嬉しいんです……だって私は、今もちゃんとあなたの隣にいる……あなたがどんなに遠くへ羽ばたいても……いつだって、ずっと一緒に飛ぶことができるから……)
その翼は、ただ共に飛ぶために。
そしてその願いは、今もたしかに叶っていると。
そう思うだけで、心の奥からルカへの想いが溢れてくる。
しかしリゼットはその想いを〝今はまだ〟、と必死に抑え。
愛機の操縦桿をぎゅっと握り締めるのだった――。
Next Fourth flight
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新米飛行士と空のクジラ