第30話 同じ
フレンカが家を出て行ってから三日が経っていた。
居場所はわからない。自分の家があるはずなので、そこにいる可能性が高いだろう。だが、ミルカはその場所を知らない。
こんなところでもフレンカのことを何も知らない自分に気づかされ、ミルカは何度も落ち込んだりしていた。依然として、フレンカを連れ戻すきっかけは得られていない。
今は、ミルカとネリルの二人で昼食を食べ終えて一息をついたところだった。フレンカと違って拙い料理の腕が胃袋をも苦しめる。
「んーちょっと味が濃かったか」
「私は好きですよ? たまにはこういうジャンクなものも」
不揃いな大きさの野菜は火の通り方もバラバラで、味付けも目分量。決して不味くて食べられないというほどではないが、フレンカのそれと比べてしまうと劣勢は明らかだった。
思えば、もともとはこんな食事ばかりだった。ミルカが一人だったときの話だ。
そこまで食にこだわりのなかったミルカは、最低限問題なく食べられて適当な栄養さえ取れていればそれでよかった。
だが、フレンカが家に来るようになって少しずつ変わっていった。彼女の作る料理はどれも頬が落ちるほど美味しくて、栄養バランスも考えられていた。家に住むようになってからは毎食がそうなった。
そう考えると元に戻っただけとも言えるのだが、どうやら身体はこれではもう満足してくれないようである。
「何から何まで頼りきりだったな。俺ももっと料理できるようになるよ」
「そうですね。私も手伝います。お世話になってばかりなので」
フレンカに頼らなくても生きていけるようになる、果たしてこれはフレンカのためになるのだろうか。ミルカを幸せにするために献身してきた彼女の手段を奪うことは、彼女をさらに追い詰めることにはならないだろうか。
……いや、そうじゃない。フレンカは言っていた。みんなを幸せにしようなんて考えなくて良いと。母の言葉に捕らわれる必要なんてないと。それで不幸になる必要なんてないと。同じことを言ってやればいい。
ミルカを幸せにする必要なんてない。その上で、一緒にいて欲しいと伝えるのだ。
「……片付けるか」
「あ、今日は私がやりますよ。これもその一環です」
「そうか? じゃあ今日は──」
ミルカの言葉をかき消すように、突如、バタンと大きな音を立てて玄関の扉が開かれた。
ネリルはびっくりして持っていた皿を思わず落としそうになってしまうが、なんとか持ちこたえた。
「フレンカ!?」
この家に尋ねてくる人間なんて限られている。淡い希望を抱いて玄関を振り返るが、その希望はいとも簡単に崩れ去った。
「……どちらさまでしょうか?」
そこに立っていたのは、頭まですっぽりフードを被った人だった。顔は見えない。
「……やっとだ」
「はい?」
やっとだ、と言ったのか? だが、しわがれた声の印象にかき消されて内容が飲み込めない。体格と声があまりにもミスマッチすぎる。
「あ……」
何かを思い出したかのようにネリルが声を漏らす。そして、次第にネリルの身体が震えていくのがミルカの目にもわかった。
「ネリル、見覚えがあるのか?」
「この前、クラさんが助けてくれたときに……」
思い返そうとしてみるが、ミルカには覚えがない。
「何の用だって顔だな」
その男は靴を脱ぐこともなく家の中に入ってくる。その異様な光景に、ミルカは止めることを忘れてしまう。
少年が一歩入るごとに、ミルカとネリルは一歩後ろへと下がる。安易に近づいてはいけないと、身体が危険信号を発信していた。いつの間にかネリルはミルカのすぐ後ろにピタッとしがみついて震えている。
「久しぶりだな、ネリル」
「な、なんで私のことを知ってるんですか」
「あ? わからねえか? それもそうか、声もこんなジジイみたいになっちまったしな」
キッキッキと、男は笑う。その様は、まるでどこかの魔女のようだ。
「じゃあ、これならどうだ?」
そう言って、男は深々と被っていたフードを取っ払った。その顔が光の下にさらされ、二人の目にも飛び込んでくる。
第一印象は、なんだこれ、だった。
フードの下に隠れていたのはしわくちゃの顔だった。だが、老人かといわれるとそれも違う。なんというか、少年の顔がそのまましわしわになった感じだったのだ。それはある意味、声と体躯のアンバランスさをそのまま顔面に詰め込んだとも言えた。
「……?」
後ろのネリルも、最初はよくわからないようだった。
「あ」
だが、じーっと顔を見続けていて何かに気がついた。
「ああ……ああああ……」
ネリルはぺたんと地面に座り込む。震えはどんどん大きくなっていた。
「気がついたみたいだな!」
「ル、ルインさん……なんでここに……」
ルイン。その名前には聞き覚えがあった。確か、村に引き取られたときに同じ家に住んでいた男の子の名前だったはず。ネリルをはめた張本人だ。
「死んだと思ってたか? 残念だったな、俺だけ生き残ったんだよ。お前が村を去ってから、あの悪夢は止んだ。俺は確信を深めたよ。やっぱりお前が犯人だった。だが、既に遅かった。弱りきっていた他の人たちは、悪夢がなくなっても助からなかった。手遅れだったんだ。だが、俺だけは違った! 俺だけは生き伸びた! こんな声と見た目にはなっちまったがな!!」
充血してギラついた目がネリルを捉えて放さない。その意識は、感情は一心にネリルへと向いていた。
「そして俺は誓ったんだ! 絶対にお前を殺して、復讐してやろうってなあ!!」
そう言うやいなや、ルインは懐から二本のナイフを取り出して両手に持った。
「きゃっ!!」
「おい、なんのつもりだ」
怯えるネリルを庇うようにミルカは前に立つ。
「言っただろ? ネリルを殺すんだよ!」
「やめろ!」
「やめろだ? そんなことあんたに言う権利があるのかミルカさんよお!」
「……どういう意味だ」
「あんたのことも調べたぜ。夢を自由に見せられるんだって? なんだいネリルと同類じゃねえか。やっぱりゴミはゴミのところに集まるんだな。あんたはいったい今まで何人殺してきたんだ?」
「それは……」
ルインがミルカの能力をどこまで正確に把握しているのかはわからない。もしかすると、自由に悪夢を見せられると思っているかもしれない。
それでもミルカが人殺しだという事実は変わらない。
「今まで殺してきた人の数なんて覚えてねえってか? ほんと最低だよお前らは。やめろだって? 人殺しのお前らに俺を止める権利なんてあるのかよ!!」
ナイフを構えたルインはじりじりと距離を詰めてくる。ミルカは後ずさるが、後ろにはもうネリルと壁しかなくなっていた。
「とはいえあんたに恨みはねえ。ネリルを差し出すなら危害は加えねえでやるよ。だが、邪魔するならまずはお前からだ。どうする?」
「……ネリルは俺が守る」
「そうかよ」
ルインが両手に持ったナイフを構えた。このまま突進されたら為す術もない。
「じゃあ死ね──」
「うわああああああああああああああああ!!!」
一瞬、何が起こったのか最初ミルカは理解できなかった。
ナイフを構えて襲い掛かってこようとしていたルインが、目の前でゴスっという鈍い音とともに倒れたのだ。
そしてその理由は……フレンカだった。
開けっぱなしの玄関からフレンカが叫びながら走ってきて、手に持っていたビンで思いっきりルインの後頭部を殴ったのだ。
「て、てめえ……なにしや──がっ」
ゴスっと、二度目の殴打がルインを襲う。
「や、やめ──」
三度目。四度目。最初はピクピクしていたルインの身体も、ビンが振り下ろされるごとに反応がなくなり最終的には動かなくなった。
だが、それでもフレンカはやめない。ぶつぶつと呟きながら一心不乱にルインの頭を殴っていた。
「わたしがたすけなきゃわたしがたすけなきゃわたしがたすけなきゃ」
「フレンカ」
ミルカはフレンカに呼びかける。しかし聞こえていないのか、フレンカの行動は止まらない。
「わたしがたすけるわたしがまもるわたしが──」
「フレンカ!!」
ハッと、雷に打たれたかのようにフレンカの動きが止まる。ゴトッと、手に持っていたビンが床へと落ちた。
「……ミルカ?」
まるでそこにいることに今気づいたかのように、フレンカはゆっくりと首を回してミルカの方を向いた。そして、次に自分の下に転がっているルインの身体に視線が向く。
「きゃあ!!」
驚いて尻餅をつくフレンカ。床に転がる血がべったりついたビン、頭から血を流した男、自分に飛んだ返り血を見比べる。
そして何かを理解したかのように、ガタガタと震えだした。
「あ……ああ……わた、わた、私……」
「フレンカ」
「わた、私、帰ってきたら中から悲鳴が聞こえて、それで、中を、のぞ、覗いたらナイフを持った人がいて、わたし、なんとかしなきゃって、二人を助けなきゃって、それで、持ってたビンで、頭が真っ白になっちゃって、どうにかしなきゃって、気づけば身体が動いてて」
「フレンカ!」
自身の身体を抱くように震えるフレンカ。ミルカの声が届かない。その視線は宙を漂っている。
「どうしようミルカ……私……人を殺しちゃった……っ」
ボロボロの顔で縋るようにミルカを見つめるフレンカに、ミルカはゆっくりと歩み寄る。そして、優しく抱きしめた。
「大丈夫だ」
「で、でも、でもっ!」
「これで俺と同じだな」
「……………………同じ?」
震えが少しずつ引いていくのが、抱きしめた腕の中で感じられた。張り詰めていた空気が少しずつ和らいでいく。
「ああ、お前はこれで俺と同じ人殺しだ」
「同じ……ミルカと同じ……」
その言葉の意味を、ゆっくり噛み砕くかのように反芻する。
あの日フレンカは言っていた。ミルカと同じが良いと。
ミルカ自身も思ったことがある。どうして自分はみんなと同じじゃないのかと。
どうして自分だけがこんな能力を持っているのだろう。これが無ければ、他の人たちと同じように普通の生活をおくれたのではないかと。
だからこそ、フレンカにはこちら側に来てほしくないと思っていた。
ミルカを想うフレンカがミルカと同じであることを望んだように、ミルカはフレンカを想うからこそこんな辛い思いをして欲しくはなかった。
だけど、それはもう叶わない。
それならば後は、一蓮托生だ。
「……そっか。これで私、ミルカと同じなんだ……そっか……そっか……」
何かが解けたかのように、子供のようにフレンカは泣きじゃくりだす。それをあやすようにポンポンと優しく背中を叩いてやる。顔をこすりつけてくるものだから、服が涙と鼻水でべちゃべちゃだ。
「わ、私も同じです!」
脅威が去って同じく震えが止まったネリルが傍に寄ってきた。
「フレンカさんだけじゃないです。フレンカさんとミルカさんだけでもないです。私だって同じです!」
「……ああ、全くその通りだ」
ミルカたち三人は同じ道に足を踏み入れた。普通なら決して通ってはならない道を、それでも選んでしまったのだ。もう引き返すことはできない。
「ほんと最低で……最悪な似たもの通しだよ俺らは」




