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第28話 私だって私だって

「フレンカー起きなさーい」


 リビングから自分を呼ぶ声を遠くに感じる。

 だんだんと意識が覚醒してくる。


「ん、んんぅ~」


 大きく伸びをしようと腕を頭上へと伸ばす。しかし壁に阻まれ、それは不完全燃焼で終わってしまう。

 ゆっくりとまぶたを持ち上げる。いつもと変わらない真っ白な天井。

 窓から差す日の光が、フレンカの意識を形を固めていく。


「……何時?」


 眠い目を擦りながら、枕元に置いた時計に手を伸ばした。

 時計の針が刺しているのは午前八時すぎ。いつもならもう家を出る時間である。


「やっば!!!」


 本来の順序など無視をして、とりあえず制服に着替える。

 そして、ドタドタと激しい音を立てながら階段を駆け下りた。


「ちょっとお母さん! もっと早く起こしてよ!」

「何度も起こしたわよ~」


 母親はこちらを見ずに返事をする。どうやらキッチンでまだ何か料理を作っているらしい。

 食卓の上にはパンとサラダがすでに並べられている。

 どうするべきか少し考えたフレンカだったが、結局座ることなくパンを右手に掴んだ。


「これだけもらっていくね!」

「あ、ちょっと! それだけでいいの?」

「時間ないからー! 行ってきまーす!」


 母親の言葉を背に、フレンカは玄関から飛び出した。

 時間が無い。軽くアキレス腱を伸ばし、フレンカは駆け出す。走らないと遅刻してしまう。 

 景色が高速で後ろへと流れていく。空気を切る感覚が心地よい。

 信号が目の前で赤に変わる。そこで一旦止まって、大きく息を吸った。

 鼓動が早い。息が少し苦しい。しかし、フレンカはその感覚が嫌いじゃなかった。

 青に変わると同時に、再び速度を上げる。

 いつの間にか、通学路の半分を過ぎていた。遠くに、同じ制服を着た女の子の後ろ姿が見える。

 その背丈、髪型には見覚えがあった。近づいていき、目前に迫ったところで少しスピードを緩める。


「おっはよー!」


 すれ違いざまに、後ろからパンっと左肩を叩いた。


「あ、フレンカ。頑張れー私は諦めー」

「お先~!」


 歩く友人を置き去りに、再び速度を上げた。このペースならなんとか間に合いそうだ。




「おっはようございまーす!」


 勢いよく声を上げて、教室のドアを開ける。教室中の視線が一気にフレンカへと集まった。

 見渡したところ、フレンカが最後のようだ。

 丁度、チャイムが鳴った。


「あっぶなー! ギリギリセーフ!」

「アウトだぞー早く席に着けー」

「あいたっ!」


 直後に教室に入ってきた担任に、軽く頭を叩かれる。


「せんせーセーフでしょ?」

「次からは鳴る前に席についててくれよ。ホームルーム始めるぞー」


 適当にあしらわれてしまったが、大人しく席に着く。

 そこからはいつものような一日が続いた。

 数学がわからず頭が沸騰し、体育ではバスケットボールに精を出し、昼休みには勢いよく弁当を食べ過ぎて喉につまらせたり。

 誰もが経験するような、当たり前の高校生の日常だった。


「ただいまー」

「お帰り。ご飯もう少しかかるからお風呂入っちゃって」

「はーい」


 一旦自室に戻り、制服を脱ぐ。そしてそのままベッドに仰向けに倒れ込んだ。


「あー疲れたー」


 放課後は友人たちと近くのファミレスで話し込んだ。

 たびたびそうやって集まるが、正直言って目新しい話題があるわけでもない。それでも、楽しいと思える。結局、誰と居るかが大切なのだろう。

 風呂がフレンカを呼ぶ音が聞こえる。早く入らないと、また怒られてしまう。

 しかし、身体が言うことを聞いてくれない。

 それとは裏腹に、頭の中は今日一日の思い出でいっぱいだった。

 頭を使って、身体を使って、できることもできないこともいっぱいあって、それでもそれが素晴らしいと思えて、友達と気の置けない関係を築けていて、なんて、なんて普通なんだろう。そして、その普通さの安心感たるや。


 明日はどんなことが起こるのだろう。また、今日と変わらない一日だろうか。それとも、何かすごいことが起こるだろうか。どちらでも構わない。

 意識が遠のいてきた。このままだと寝てしまう。いけない、母親に怒られてしまう。お風呂が冷めてしまう。ご飯も作ってくれているのに。

 起きろ。起きろ。しかし、頭が言うことを聞いてくれない。ダメだ、もう無理かもしれない。

 そしてフレンカの意識は、深く深くへと沈んでいった。


   △


 目が覚めたとき、最初に感じたのは頬に残る湿り気だった。指をそこに持ってきて、初めて自分が泣いていたのだと気がついた。

 ふと、脚に力を入れてみる。だが、棒のように動かない。

 ゆっくりと身体を起こし、ベッドに腰掛ける。


「おはよう。どうだった?」


 フレンカを夢へと誘った本人が、声をかけてくる。ずっとベッドの横で待っていてくれたらしい。

 時計を見ると、最後の記憶からおよそ一時間が経っていた。


「……大丈夫?」


 何も言わないフレンカが心配になったのか、少年は目の前まで来てフレンカの顔を覗き込む。

 それに対して、フレンカは不意に少年の腰に抱きついた。お腹に顔を埋める。


「えっ、あっ、ちょ」


 腰に巻き付けた腕に力を込める。乾いたはずの瞳から再び涙が溢れた。少年の服が湿る。

 しゃくり上げるように泣くフレンカに気がついたのか、少年はさらに慌ててしまう。


「ご、ごめん! 悪い夢でも見せちゃった?! 本当にごめん!」

「…………ありがとう」

「……え?」


 目をつぶり、夢の内容を思い出す。

 歩けた、階段を降りられた、走れた、他の人と同じように、他の人に紛れるように、なんの不自由もなく、普通の女の子として生活ができていた。

 鮮明に思い出せるその情景を、決して忘れないように何度も何度も反芻する。すればするほどそれは明確な形を成し、鮮やかな色をつけてフレンカの胸に刻まれた。


「わ、わたし、自分の脚が良くなった姿を全然想像できなくて……治したいけど、治るとは心のどこかで信じられてなくて……どうせこのままなんだって、本心では諦めてた……」


 少年の腰から離れる。心を落ち着かせるために大きく息を吸った。何か熱いもので体内が満たされていくのを感じる。


「でも、あなたの夢のおかげで自分のなりたい姿がハッキリした! 私もあんな風に生きたいと思えた! だから……だから、ありがとう!」


 今までの人生で一番の笑顔でフレンカは笑う。

 そのとき、少年の瞳からも涙が零れた。


「ふふっ、なんであなたが泣いてるの?」

「あっ、いや、なんでもない。なんでもないから」


 グシグシと、少年は即座に袖で涙を拭う。擦りすぎたのか、少し目元が赤い。


「喜んでもらえて良かった。また見たくなったら言って」

「ううん、それは大丈夫」

「そうなの?」

「うん、私がやるべきなのは夢にすがることじゃない。夢を現実にすることだから。そうしたいと、あなたのおかげで思えたから」

「……そっか」


 少年の表情は、どこか寂しさをにじませていた。それでもすぐに笑顔になり、フレンカの傍を離れる。


「じゃあ僕は帰るよ。また会えるか……はわからないけど、脚が良くなるように祈ってる」


 そういって部屋から出て行こうとする少年を、フレンカは大声で引き留める。


「待って! あなた、名前は!!」


 その声で、一瞬少年の動きが止まる。


「……ミルカ」


 少年はフレンカの方へと首から上だけで振り返る。


「僕はミルカ。君は?」

「私はフレンカ! ねえ! すぐには無理かもしれないけど、絶対絶対脚を治してミルカにもう一度会いに行くから! 絶対だから!」


 フレンカの言葉の後半は、階段を降る音と重なり既にミルカの姿は視界に入っていなかった。

 それでもフレンカは言葉を止めなかった。自分自身に言い聞かせるように、相手へと届けるように。

 階下から、わずかに笑い声が聞こえたような気がした。

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