第18話 決意
「ねえ、いったいどういうこと?」
車を走らせるミルカの横から、助手席に座るフレンカが問いを投げてくる。
「俺にもよくわからん」
クラからミルカに連絡が入ったのは今から約三十分ほど前のこと。
内容は、ネリルを家で保護しているから迎えにきて欲しいというものだった。
なぜネリルがクラの家にいるのか、聞こうとしたがその前に電話は切れてしまった。
とりあえずミルカはフレンカと合流し、クラの家へと向かっている。
「とにかく今は、クラさんのところにネリルがいるっていうのが重要だ。急ぐぞ」
「そのクラさんだよ。一体誰なの?」
「だからさっきも言っただろ。俺の客の一人だよ」
「ミルカは基本的にお客さんと関わり合うのを嫌がってたよね? なんでその人だけ付き合いがあるの?」
「クラさんがネリルを助けるヒントをくれたからだよ」
「なんでその人はそんなことができるの? そのときその人はネリルちゃんに会ったこともないはずなんだよね? おかしくない?」
「おかしいよ。わかってる。ノイシュにだって言われた。あの人には気をつけろって」
「だったら!」
「落ち着け」
変哲のない住宅街を抜けて、車はクラの家に到着する。
「今一番大切なことは、ネリルを助けることだろう? そのネリルがクラさんの家にいるっていうんだ。行くしかないだろう」
「違うよ……」
ミルカは車を止めてドアを開ける。
「私にとって一番大事なのはいつだって──」
しかしその声はミルカには届かない。
「ほら、行くぞ」
「……うん」
二人が車を降りると、待っていたかのようにクラが玄関から出てきた。
「お待ちしていました」
「あ、あのときの……」
どうやらミルカの家で一目会ったのを思い出したらしい。
「クラさん、ネリルは?」
「中にいますよ。二人ともこちらへどうぞ」
クラに連れられて家の中に入る。
リビングまで行ってもネリルの姿は見えない。
「クラさん?」
「こちらですよ」
以前は入らなかった部屋の扉を開けて、クラが中へと消える。
後に続くと、そこは寝室のようだった。
「あっ」
そこには、ベッドで横たわるネリルがいた。
「ネリルちゃん!」
フレンカはミルカを押し退けて一目散に枕元へと駆け寄る。
ネリルは安らかに寝息を立てている。
「大丈夫。ただ眠っているだけよ」
「よかった……」
フレンカはホッと胸をなで下ろす。
「クラさん」
ミルカはクラに向き合う。
「そろそろ教えてください。どうしてネリルがここにいるんですか?」
「そうね。でもここだとネリルが起きてしまうわ。リビングに戻りましょう」
もっともな提案だったので、二人は音を立てないように寝室を後にする。
相変わらず、人間のデフォルトみたいな家だ。
「この家は、お一人で住んでいらっしゃるんですか」
ソファに座ったフレンカが尋ねる。
「ええ」
クラが紅茶をすする。
なんとなくフレンカからクラへのトゲを感じる気がする。気のせいだろうか。
「クラさん、そろそろ本題に」
「そうだったわね。とは言っても特別なことは特にないのよ? 町をフラフラ歩いてたらネリルにばったり会ったの。それで話を聞いてみたら家出してきたっていうでしょ? 行くあてもなくて困ってそうだったから、じゃあうちにおいでって言って連れてきたの」
「あの」
フレンカが会話に割り込んでくる。
「失礼ですが、クラさんはネリルちゃんに会ったことがないはずですよね? どうしてネリルちゃんだってわかったんですか?」
「確かに直接は会ったことがなかったわ。でも、ミルカに写真は見せてもらったもの。ね? ミルカ」
「え?」
「ほら、この前ノイシュさんと来たとき。見せてくれたでしょう?」
「見せました……かね?」
正直、覚えていない。
ネリルのことを相談するにあたって、どういう子かを説明するために見せていたとしても確かにおかしくはないのだが。
「ええ、見せてくれたわ」
クラはフレンカへと向き直る。
「だからわかったのよ」
「……そうですか」
フレンカはミルカとの距離を詰めて耳打ちしてくる。
「ねえ、本当に見せたの?」
「すまん、正直覚えてない。でも、流れで見せていてもおかしくはない」
「なんで大事なことを覚えてないの」
「ごめん」
「あらあら、仲が良いのね?」
クラの茶々入れに、二人は姿勢を直す。
「はい、おかげさまでミルカとは仲良くさせてもらってます」
「仲が良いのは良いことよ。それが長く続くといいわね」
「……どういう意味ですか?」
「いえ、本当にお互いを理解できているのかしらと思っただけ」
「私は!」
フレンカが勢いよく立ち上がる。
そのとき、リビングのドアがガチャリと音を立てて開いた。
そこには驚いた表情のネリルが立っていた。
「ミルカさん、フレンカさん、どうしてここに……」
「ごめんなさい。私が呼んじゃった」
クラは立ち上がってネリルの元に行き、座るように促す。
それに従って、ネリルはクラの横に座った。
「大丈夫。あなたが今思っていることを全部打ち明けなさい」
「でも……」
「悪夢は見なかったでしょう?」
ネリルはハッとした表情でクラを見る。
「そういえば……」
「私の言ったとおりだったでしょう? だから大丈夫。私を信じなさい」
「あの……」
今の会話はミルカにとってはどうしても見逃せない内容だった。話を遮って割り込む。
「悪夢を見なかったというのはどういう意味ですか」
「あら、乙女には聞いちゃダメなことがあるのよ?」
クラはイタズラっぽく笑みを浮かべる。
「でも、それが本当ならネリルを治せるって事じゃ──」
「それは違うわ」
クラはピシャリと言ってのける。
「私がやったのは対症療法のようなもの。それに、これを実行できるのは私だけ。さらに、毎回やるようなものでもない」
「だとしても──」
「諦めなさい」
厳しい口調がミルカを刺す。
一体どんな方法を使ったというのだろう。一度だとはいえ、ネリルが悪夢を見ずに済んでいる。
その答えはミルカにとって喉から手が出るほど欲しいものだったが、ここまで言われてしまってはこれ以上追求することはできない。
「ほら、あなたたちにはそんなことよりもいまやるべきことがあるわ」
そう言って、クラは横のネリルの肩を抱く。
当のネリルは、さっきからうつむいたままなにも話さない。
そのままさらに数分が経過しただろうか。
ネリルが顔を上げて口を開いた。
「ミルカさん、フレンカさん、ごめんなさい!」
それは一体何に対する謝罪だったのだろうか。
何も言わず家を出たことか、それとも。
「あたし、怖かったんです。あたしがこの体質をどうやって手に入れたかを説明しようとすれば、どうあがいてもあたしの過去を話さずにはいられません。あたしはお二人のことが好きです。だから、あたしの話を聞いて、二人があたしを見る目が変わるのが怖かった。だから逃げ出しました」
「そんな! 私たちがそんなことでネリルちゃんを見る目が変わったりすることなんかありえないよ! ねえミルカ?」
フレンカの振りに対し、ミルカは力強く頷いた。
「ああ、当たり前だ。俺たちは何があってもネリルの味方だよ」
ネリルはその言葉に涙を浮かべそうになる。
しかしそれを我慢して、意を決したように語り始めた。
「これは私がおじいちゃんとおばあちゃんに出会う前の話です」
そうしてネリルの過去語りが始まった。




