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第17話 家出

 ドンドンドンと、部屋のドアを叩く音でミルカは目が覚めた。


「ミルカ! 起きて! 大変なの!」

「んん……どうしたんだ……」


 寝ぼけ眼で時計を見ると、時刻は午前七時前を差している。いつもより早い起床である。


「開けるね!」


 ミルカの許可を待つことなガチャリとドアが開き、焦りの表情を浮かべたフレンカが入ってきた。


「いったいどうしたんだよ」

「ネリルちゃんがいなくなっちゃったの!」

「……は?」


 フレンカの言葉に、眠っていた頭が急速に覚めていく。


「どういうことだ?」

「朝起きたら、これがリビングのテーブルの上に置いてあって……」


 そう言って、フレンカは一枚の紙をミルカに手渡す。そこには、こんな文章が書かれていた。


『ミルカさん、フレンカさん、ごめんなさい。やっぱり勇気は出せませんでした。今までお世話になりました』


 ミルカは勢いよく部屋を飛び出し、ネリルの部屋のドアを開けた。そこにはもちろんネリルの姿はなく、それどころか人っ子一人いなかったかのように整理されていた。


「家にはいないよ。私だってくまなく探したもん」


 追いかけてきたフレンカが、後ろから顔を出した。


「手分けして探すぞ! フレンカはまずおばあさんたちに、そっちに行ってないかどうか聞いてくれ! 見つかったら連絡くれ!」

「うん!」


 いなくなったネリルを探すため、二人は家を飛び出した。


   △


「はあ……これからどうしようかなあ……」


 ミルカの家を出たネリルは町に来ていた。以前、ミルカとフレンカに連れられて服を買いに来たところである。

 この辺りの土地勘なんて全くないネリルは、とりあえず知っている場所を目指した。

 だが、表通りにいては見つかってしまうかもしれない。ということで、今は路地裏の狭い空間に座り込んでいる。


「疲れた……お腹空いたなあ……」


 一度来たことがあるとはいえ、あのときは車だった。歩くにはいささか距離がありすぎた。

 これからどうするか、そんなことは全く考えていなかった。とにかくあの家を出なければいけないと思い、あの書き置きを残したのだ。

 これ以上あの人たちに迷惑をかけるわけにはいかない。私みたいな人間が、側にいてはいけない。私は邪悪な人間だ。


「とりあえず歩こう」


 よいしょと立ち上がり、棒のような脚を動かそうとしたときだった。


「ネリル」


 突然背後から声をかけられ、ネリルは思わず跳び上がってしまう。

 恐る恐る振り向くと、そこには頭までフードを被った人物が立っていた。場所が薄暗いことも相まって顔は見えない。


「……どちらさまですか?」

「僕のことがわからないか?」

「……?」


 顔が見えないのはもちろんだが、その声にも心当たりはなかった。これだけ特徴的な声ならば、話したことがあれば覚えているだろう。

というのも、声が枯れきっているのだ。体格は自分とそこまで変わらないのにもかかわらず、その声はまるで死にかけのおじいさんのよう。


「僕は……お前のせいで……お前のせいで……」


 物騒な言葉を吐きながら、その男は徐々にネリルの方へとにじり寄ってくる。

 ネリルは直感的に危ないと感じた。逃げなければいけない。だが、恐怖からかその脚は思うように動いてくれない。


「僕はずっと考えていたんだ。どうすればよかったのか。これからどうすればいいのか。だが、お前を見つけたときに確信したんだ。僕は……」 


 頭の中で警鐘が鳴っている。逃げろ。逃げろ。だが、その男の存在感から目を離せない。

 そして、男と手が届くか届かないくらいの距離まで縮まってしまったときだった。


「あなたがネリルね?」


 再び背後から、謎の声が投げかけられた。

 ゆっくりと首だけを後ろへと向けると、そこに立っていたのは透き通るほど美しい真っ黒なワンピースを身にまとった綺麗な女性だった。そして、こちらも面識がない。

 前からは得体の知れない危険な少年、後ろには謎の美しい女性、完全に退路を断たれてネリルの頭は許容量を超えてしまったらしい。なんとか声にならない声を絞り出す。


「助けて」

「安心して。私は味方よ? それとあなた」


女性はそう言って男の方を見る。


「ごめんなさい、今は引いてくれないかしら? あなただって、こんな状況じゃ何もできないでしょ?」

「……チッ」


 分が悪いと悟ったのか、目の前の少年はその言葉を受け入れ、身を翻して路地奥の暗闇へと消えていった。 ストンと、地面へと座り込む。目の前に存在していた漠然とした危険が消えたことにより、緊張の糸が切れた。


「あらあら、大丈夫?」

「すみません……ありがとうございました」

「いいのよ……一度あなたと直接話してみたかったの。こんなに良い機会はないわ」


 その言葉に、ネリルは違和感を覚えた。

 そもそも、さっきこの女性は何と言ったか。「あなたがネリルね」と言った。この人は自分のことを知っている?

 ネリルは改めてその女性の顔を見るが、やはり見覚えがない。間違いなく初対面だろう。つまり、この人が一方的に自分のことを知っているということだ。

 それだけじゃない。もし名前を知っているだけならあんな聞き方にはならないはず。顔と名前が一致しているのだ。

 

 記憶にないほど幼い頃に会っている? いや、こんな土地に知り合いなんているはずがない。そもそも、そんな昔の知り合いだったなら成長した今の自分の顔が即座にわかるはずもない。

 考えれば考えるほどわからなくなる。逃げるべきなのか?

 だが、目の前の女性からは先ほどの少年から感じたような危険なオーラは出ていなかった。


「あなたはいったい……」

「私? そうね……私のことはクラとでも呼んでくれたらいいわ」

「クラさん……」 


 名前を聞いても、やはり身に覚えはなかった。


「クラさんは、どうして私のことを知っているんですか?」

「どうして……か……難しい質問ね。正しく言うならば、知っているから知っているということになるのだけれど……わかりやすく言うのならば、あなたのことを聞いていたからかしら?」

「聞いていた? 誰からですか?」

「ミルカよ」


 ミルカの知り合い……それならば、ネリルのことを知っているのにも納得がいく。ミルカとクラはいったいどんな関係なのだろうか。

 今まで、ミルカからフレンカ以外の人の話は聞いたことがなかった。いや、交友関係なんて全てを話すわけではないのでそんなのは当然と言えば当然なのだが、なんとなくショックだった。

 だって、ミルカにはフレンカという存在がいるのだ。自分の目から見てもあの二人はお似合いで、明らかに好き合っていた。その裏で、知らない女性と会っていた? フレンカはそのことを知っているのだろうか。


「あの……ミルカさんとはどういった関係なんですか……?」

「ふふっ、質問の絶えない子ね」

「うっ、すみません……」

「いいの。好奇心は大事よ? 私だって好奇心や欲望に突き動かされて生きているようなものだもの。よくわからない人と話すのは不安よね。そうだ」


 クラはポンと手を叩く。


「よかったら私の家に来ない? 行くところもないんでしょう?」


 この人に着いていってもいいものだろうか。

 しかし行くあてのないネリルにとっては、ミルカの知り合いという少しの安心材料が魅力的に見えた。


「それじゃあ……お願いします」

「よし、じゃあついていらっしゃい」


 これから自分はどうなるんだろう。

 そんなことを考えながら、歩き始めたクラの後ろをネリルは少し間隔を開けてついていった。



 クラの家は何の変哲も無いごく普通の家だった。

 ミルカの家も好きだが、こういう家も悪くない。

 リビングに通されてソファに座って待っていると、クラが紅茶を持って現れた。


「紅茶は飲めるかしら?」

「あ、はい。好きです」


 実際は紅茶を飲んだ経験なんてほぼ無いのだが、条件反射で答える。


「そう、よかった」


 クラは紅茶をテーブルに置いて、ネリルの隣に座った。

 こういうのは普通向かいに座るのだと思っていたので少し面食らう。


「どうぞ」

「いただきます」


 紅茶を手に取り、一口すする。美味しい。

 ミルカの家でよく飲むコーヒーとは違った苦みがあり、香りが鼻から抜けていく。

 横ではクラも紅茶を飲んでいた。


「さて、落ち着ける場所にも来たことだし、さっきの話の続きでもしましょうか。私とミルカがどういう関係か、だったわよね?」

「……はい」


 こんな綺麗な女性がミルカの知り合いにいるなんて知らなかった。

 そりゃあネリルがミルカと知り合ったのは最近なので、ミルカの交友関係など全然知らなくて当然なのだが、フレンカの存在を知っているネリルにとっては彼女が敵なのかどうかは確かめなければいけない。


「私はミルカのお客さんなの」

「お客さんですか?」

「そう。ミルカが人に夢を見せる仕事をしてるのは知ってるわよね?」


 ネリルはこくりと頷く。


「私はそれをどうしても体験してみたくて、ミルカのお世話になった。そしてそのときにあった出来事をきっかけに、ちょっと関係が続いているような状態なの」

「出来事ってなんですか?」

「それは秘密」


 クラは口に指を当ててウィンクをした。

 気にはなるが、こればかりはしょうがない。


「さて、じゃあ次は私から質問。なんで家出してきたの?」

「それは……」


 それを話そうとすると、ネリルの体質のことにまで言及する必要がでてしまう。それはあまり望ましくない。


「安心して。あなたの悪夢のことは知っているわ。ミルカに聞いているの」

「え?」


 どうしてミルカはこの人にそんなことまで話しているのだろうか。


「あら、これだとミルカが人の秘密をペラペラ話すような人みたいになっちゃうわね。実は私、脳科学者なのよ。それでミルカが私に相談してきたの。あなたを治す方法について心当たりはないかって。夢は脳と密接に結びついているから。残念ながら有益な情報は提供できなかったけれど」


 それで理解した。ミルカはネリルを助けるために、知らないところで色々動いていたのだ。

 そう思うと心が温かくなる。


「過去を話すのが怖くなったんです」

「過去?」

「はい。ミルカさんたちはあたしを治すためにどうしてあたしがこんな体質になったのかを調べようとしています。それを知るためにはあたしの過去を話さなければいけません。でも、その過去はあたしにとって知られたくないことで」

「どうして知られたくないの?」

「それは……」


 それをうまく言語化するのは難しかった。

 そもそもネリルの過去は、自身にとっても思い出したくないものだ。

 だからその記憶を呼び起こしたくないから人に話したくないというのもある。

 だがそれ以上に、なんというか、それを聞いてどう思われるのかが怖いのだと思う。

 そもそもネリルの悪夢体質自体が明らかに異質で、人に受け入れられるようなものではない。

 それなのによくしてくれたミルカやフレンカには頭が上がらない。

 だからこそ、そんな人たちがネリルの過去を聞いてネリルを見る目が変わってしまうのが怖い。


「ちょっと失礼するわね」


 そう言ってクラは右手をネリルの頭に乗せた。

 急に何をと思ったが、頭をなでられているみたいで悪い気はしないのでそのまま受け入れる。

 その状態で数分が経っただろうか。クラは手をおろした。


「なるほどね」

「何がなるほどなんですか?」

「ネリルあなた……人を殺したのね?」


ドクンと、心臓が跳ねた。

冷汗がこぼれる。恐ろしくてクラの顔を見ることができない。


「な、なにを言っているんですか」

「確かにこれは知られたくない秘密かもね。あなたが逃げ出すのも理解できるわ」

「やめてください!」


 ネリルは勢い良く立ち上がる。

 この人はどこまで知っているのか。いや、どうして知っているのか。

 クラの表情は、先ほどまでの優しそうなものとはうって変わって不敵な笑みを浮かべていた。

 先ほど頭を触られたときに記憶を読まれた?

 そんなことが可能なのか?


「あなたは一体……」

「私はただのお客さんよ? それに、あなたの味方」

「信用できません」

「本当なのに。あと、あなたはやっぱりミルカたちに全部話してしまった方が良いと思うわ」

「そんなこと……できません」

「大丈夫よ」


 クラが震えるネリルの手を包む。


「ミルカなら大丈夫」

「でも……あれ?」


 急に不自然な眠気が襲ってくる。

 まぶたをなんとか持ち上げようとするが、抵抗できない。


「起きたら全部話してしまいなさい。その方が楽になるわ」


 嫌だ。あの人たちには嫌われたくない。


「今は安心して眠りなさい」


 嫌だ。またあの夢を見るのは嫌だ。


「大丈夫。あなたはこの眠りで悪夢は見ない」


 いったいなにを……。

 しかしその問いが口から出ることはなく、ネリルの意識は底へと吸い込まれていった。

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