第14話 受け入れない理由
「うぅ……」
ミルカが目を覚ましたのは、いつもより少し早い時間だった。
昨夜はあまり眠れなかった。悪い夢を見たせいだ。
そのせいか、頭がいつもより重い。
幸い熱は無さそうだが、純粋に睡眠不足によるものだろうか。
もう少し寝ようと重い改めてまぶたを閉じてみたが、なかなか寝付けそうにない。
ミルカは諦めて身体を起こした。
「起きるか」
リビングの暗闇に電気をつける。まだ他の二人は起きていないようだ。
ひとまずコーヒーを淹れるために、やかんを火にかけることにした。
それにしても、昨夜の夢はいったい何だったのだろう。
ミルカが悪夢を見たのは記憶に限りでは初めてだった。
それに、夢の内容なんて起きたときには忘れていることがほとんどなのに、昨夜の悪夢は鮮明に覚えている。だからこそ、その内容を思い出しては改めて恐怖にかられる。
後ろから追いかけてきたのはいったいなんだったのか。最後までそれはわからなかった。
そういえば、ネリルの悪夢も追いかけられるという風に言っていなかったか。
だとすると、あれは普段ネリルが見ているものと同じもの? なぜその夢を自分が。
わからないことが多すぎる。
ガチャリと、ドアが開く音聞こえフレンカがリビングへと現れた。
「おはよ~……」
頭を押さえている様子は、あまり体調が良くはなさそうだ。
「おはよう。どうした? 風邪移ったか?」
「ううん、熱とかはなさそうなんだけどね。ちょっと変な夢見ちゃってあんまり眠れなかったんだよね……」
その言葉にミルカはハッとする。
「それってもしかして、暗闇の中で誰かに追われる夢じゃなかったか?」
フレンカは目を見開いて固まった。
「え、なんでわかったの? ミルカってエスパーだっけ?」
「違う」
「じゃあ私の夢を覗いたとか? ミルカってそんなこともできるんだっけ?」
「違う。俺も同じ夢を見たんだ」
フレンカは驚いたようにミルカを見る。
「じゃあ、私たち二人が同時に同じ夢を見たってこと? なんか運命みたいだね」
「そんな風に片付けて良いことじゃないだろ。ほら、コーヒー」
「ありがと~」
ミルカとフレンカはテーブルにつく。
とりあえず、ずずっとお互いに一口啜った。
「ふぅ……それで? 運命じゃないならなに?」
「夢の内容だ。これってネリルが言っていた夢の内容と同じかもしれない」
「そうよね。私もそこが気になっていたの」
「わかってんじゃねえか!」
思わず突っ込んでしまった。じゃあ運命ってなんだったんだ。
「大声出さないの。ネリルちゃんが起きちゃうでしょ?」
フレンカはもう一口コーヒーを飲み、立ち上がった。
「ちょっとネリルちゃんの様子見てくるね」
「ああ、それなら──」
熱は下がったみたいだぞと言いかけたところで、ガチャリ、バタンと大きな音が響き、ネリルがリビングへと駆け出てきた。
「おお、おはようネリル。どうしたそんなに慌てて」
「お二人とも!」
リビングにミルカとフレンカが揃っているのを目に留め、ネリルは言葉を続ける。
「お二人とも、昨晩悪夢を見ませんでしたか?!」
「ちょうどミルカとそれについて話してたの。私とミルカが同じ変な夢を見たみたいで、これって運命じゃないかって」
「そんな話はしていない」
「内容は! 内容はどんなものでしたか?!」
「内容か? なんか暗闇の中で得体の知れない何かに追いかけられ続ける夢だったな」
「あぁ……」
ミルカの返答を聞くと、ネリルはへなへなとその場にへたりこんでしまった。
「やっちゃった……」
フレンカがすぐにかけよる。
「ちょっと、どうしたのネリルちゃん」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
その後いくら話しかけても、ネリルはただただ謝るだけだった。
△
「落ち着いた?」
「はい、すみません」
あれから三十分を経て落ち着いたネリルは、テーブルについてココアを飲んでいた。
「それで、説明してくれるのか?」
「…………はい」
観念したかのように溜息を一つつき、ネリルは口を開く。
「まず、ミルカさんとフレンカさんが昨晩悪夢を見たのは、あたしが原因です」
「……どういうことだ?」
悪夢の内容から考えて、ネリルに関係はあるだろうと思っていた。だが、そもそもの原因がネリルとはどういうことなのか。
「今のあたしは、悪夢の発生源のようなものなんです。あたしの近くにいる人は、悪夢を見てしまいます」
「ちょっと待って」
唐突なネリルの告白に、フレンカは思わず静止をかける。
「でも、昨日までは私たち悪夢なんて見てなかったよ?」
「それはあたしが抑えていたからです」
ネリルはミルカとフレンカを見る。
「あたしが何もしていないと、あたしから悪夢が拡散して近くにいる人が悪夢を見てしまいます。だからあたしは、それを意識的に抑えていました。そうすることで、周囲に人に影響は受けることはなくなります」
「じゃあ昨夜は……」
「はい、体調を崩したことでコントロールができなくなってしまい、抑えることができませんでした。だからミルカさんとフレンカさんに……すみません」
なるほど、それで得心がいった。
ネリルは自分でわかっていたのだ。あの状態で寝ることが何を引き起こすのか。
だから、どんなに体調が悪くても眠らないことにこだわった。ミルカとフレンカを守るために。
結果的には体力が保たずにこういう結果になったわけだが。
そしてもう一つわかったことがある。
「これまでの話では、周りの人が悪夢を見るかどうかという部分にしか話がいっていない。だが、重要なところが抜けているのをネリルもわかっているはずだ」
「どういうこと?」
わかっていないようすのフレンカが首をかしげる。
「悪夢をコントロールした結果どうなるのか、だ。ネリルは昨夜悪夢を見なかったんじゃないか? だからコントロールが失敗したことにすぐ気がついた」
ネリルは目を伏せる。
そうなのだ。ネリルの朝の慌てっぷりは、明らかに確信を持っていた。実際どうだったかは聞くまでわからないはずなのに。
ということは、それを判断する材料をネリルは別に持っていることになる。
「この悪夢というのは凶悪なものなんだろう。それこそ見続けると命を蝕んでしまうような。だからこそネリルも意識的にそれを抑えてきた。だが、行き場を失った悪夢がどこに行くのか。答えは簡単だ。ネリルに戻っていく。つまり……」
ミルカはネリルのことを改めて想う。幼い少女がいったいどうしてこれほどのことをしているのか。できているのか。あまりにも辛すぎる。
「ネリルは周りの人間を悪夢から守るために、自分で悪夢を見続けている。その結果、悪夢によって命が削られているんだ。そしてそれこそがネリルが俺の能力を受け入れない理由であり、ネリルが弱り続ける理由だ」
「そんな……」
フレンカはネリルを何も言わず抱きしめた。
ネリルは身体を預ける。
まだわからないことがある。
ネリルにミルカの能力が効かない理由はわかった。ネリルが能力を受け入れない理由もわかった。
だがあと二つわかっていない。
一つ目は、そもそもなぜネリルはそんな体質になっているのか。
二つ目は、ネリルがどうして自分を犠牲にしてまで周りの人間を守ろうとするのか。
後者については、純粋にネリルの人間性ゆえかもしれない。だが前者はどうだ。
「ネリル、その悪夢をばらまいてしまう体質は生まれつきなのか?」
「……違います」
つまり後天的に獲得してしまったものということになる。その原因はなんなのか。
「話してくれるか?」
「それは…………」
ネリルは黙ってしまう。
ミルカとフレンカは、ネリルが口を開くのを待った。
「……もうちょっとだけ待ってくれませんか? きっとお二人になら、いつか話せるようになると思うんです。でも今はまだ。勇気がでなくて」
「……わかった」
ミルカは頷く。
「じゃあ、ご飯にしよっか」
湿った空気を取り繕うかのようなフレンカの提案が、今はありがたかった。




