第13話 悪夢
温泉を堪能したミルカたちは、車で帰り道を走っていた。
「いや~気持ちよかったな~」
ミルカにとっても温泉は久しぶりだった。脱衣所から露天風呂に至るまで完全貸し切り状態で、自分でもビックリするくらいはしゃいでしまった。しまいには露天風呂で泳いでしまう始末だ。
バックミラーで後部座席を見ると、フレンカはぐっすり眠っていた。どうやら彼女もはしゃいだらしい。
隣にいるネリルは、窓からボーッと外を眺めている。
「ネリルも眠かったら寝ていいんだぞ?」
「いえ、大丈夫です」
「そうか」
視線を前に戻す。そのまま無言で運転を続ける。
考えてみると、ネリルと二人だけの空間というのは意外と珍しいかもしれない。
いつもは大体いつもフレンカが側にいた。もちろん今も側にいるのだが、眠っていてはいないのと変わらない。
「温泉はどうだった?」
「楽しかったです。フレンカさんがはしゃぎすぎていて大変でした」
「なんだ、温泉に飛び込みでもしたか?」
「飛び込みそうなところをなんとか阻止しました」
「まじかよ……」
温泉に飛び込むなんて、ミルカでもやらなかったのに。頭には浮かんだわけだがそれを実行に移す勇気はなかった。流石のフレンカといったところか。
「迷惑かけたな」
「いえ、そういうのも楽しいなと思えたので」
微笑むネリルを見て、ミルカは安心した。
思えばこの一週間で、見せる表情が増えた。少しずつ信頼を勝ち取れているのかもしれない。
とはいっても、ミルカの方はまだまだだが。やはりフレンカの方になついているのが否めない。
だからこそ、フレンカを巻き込んで良かったと思える。ミルカ一人ではこんなに仲良くなれなかっただろう。
「他にはどんなことしてたんだ?」
「フレンカさんに襲われました」
ミルカは思わずハンドルから手を離しそうになってしまい慌てて握りなおす。
「お、襲われた?」
「はい、こちょこちょされました。恥ずかしかったです」
「ああ、こちょこちょね」
心の中で胸をなで下ろす。
いや、フレンカが変なことをすると思っていたわけじゃない。そんな奴じゃないことをミルカはよく知っている。
ただ、ちょっとその響きに驚いてしまっただけなのだ。
ふと、ネリルが頭を押さえるのが見えた。
「どうした? 頭が痛いのか?」
「いえ、なんでもありません」
「疲れたのかもな。もう少しでつくから、そしたらゆっくり休め」
「……はい」
それからまたしばらく無言の時間が続く。
こんなにも遠出をしたのは、今の場所に住み始めてから初めてかもしれない。
一人だったら、今日みたいに温泉にわざわざ出かけるなんてことはしなかっただろう。
それもこれも、フレンカとネリルのおかげだ。
彼女たちが来てから家が明るくなった。自分ではわからないが、ミルカ自身もきっと良い影響を受けている。
「生きてるのも悪くないな」
少しセンチな気持ちになって、窓を開けてみる。
ひんやりとした夜風が車の中に入り込んでくる。気持ちがよい。
海が見える。ライトもなく真っ暗な海。まるで闇のよう。
吸い込まれそうになる。バックミラーに映る二人を見ると、ミルカの身体がこの場所へと強くつなぎ止められるような、そんな感覚に陥った。
いつの間にか家が見えるところまで来ていた。
「ネリル、フレンカを起こしてくれるか?」
前を見たままネリルにお願いする。しかし、返答がない。
「ネリル?」
もしかしたら、いつの間にか寝てしまったのかもしれない。
そう思いバックミラーを見ると、顔を赤くし、苦しそうに息を荒げるネリルの姿が目に入った。
「ネリル? どうした? 体調悪いのか?」
ネリルはゆっくりとまぶたを開ける。
「いえ……大丈夫です……心配しないでください……」
「大丈夫なわけないだろ! 辛そうじゃないか!」
「本当に大丈夫ですから……フレンカさんを起こすんでしたよね……任せてください……」
ネリルは弱々しい手つきでフレンカを揺する。
「無理するな! 楽にしとけ! おいフレンカ! 起きろ!」
「ん……んみゅう……ついたの……?」
眠そうな目を擦りながら大きなあくびをするフレンカ。
「もうつく! そんなことよりネリルを見てやってくれ! 体調が悪そうだ!」
フレンカはその言葉に覚醒したのか、閉じかけていた目が大きく開く。
そして横を見て、異変が起きているネリルに気がついた。
「ネリルちゃん? どうしたの!」
「フレンカさん……なんでもないですから……」
「なんでもないわけないでしょ! そんなに汗かいて!」
ネリルの顔には多量の汗が浮かんでいる。症状はどんどん悪化しているように見える。
「ちょっと熱が出ただけですって……大したことないです……」
そのとき、ミルカの脳裏に今朝のネリルの様子が浮かんだ。
いつもに比べてボーッとした様子があった。
「ネリル、お前もしかして朝からちょっと体調悪かったんじゃないか?」
その言葉に、ネリルは視線を逸らすだけで返答しない。
「くそっ、俺がちゃんと気がついていれば」
「そういえば、温泉でもたまに足元がおぼつかなかったかも……私もちゃんと見ていれば」
「反省はあとだ! ついたぞ!」
車を家の前に止める。
ミルカは後部座席のドアを開け、ネリルを抱き上げた。
「フレンカ! 家の鍵を開けてくれ!」
「うん!」
ミルカはフレンカの後に続いて家に入る。
そのままネリルの部屋へと直行し、ベッドへと横たえた。
「今飲み物とか持ってくるからね」
「そうだな。薬はあったかな。とりあえず寝て休め」
そう言って離れようとしたとき、ネリルがミルカの腕を掴んだ。
「ミルカさん……側にいてください……」
ミルカにこんなことを言う程度には疲弊しているのだろう。不安になっているのかもしれない。
「ああ、任せろ。ネリルが寝るまで側にいてやる。もちろんフレンカもだ」
フレンカが横で頷く。
しかし、ネリルは首を横に振った。
「側にいて、あたしが寝ないように見張っていてください」
その言葉は、ミルカにとってあまりにも不可解だった。
「何を言ってるんだ。寝ないと治らないぞ」
「そうだよネリルちゃん。不安ならずっと手を握っててあげるから安心して」
もしここで寝たらまた悪夢を見ることになるはずだ。体調が悪いことでそうなるのを恐れているのだろうか。
「ダメです……今寝たら……コントロールが……せめてもう少し落ち着いてから……」
「? とりあえず俺は飲み物とかタオルとか持ってくる。フレンカ、ついていてやってくれ」
「うん、わかった」
ミルカはネリルの部屋を出た。
そして飲み物や濡れタオルの準備をしながら先ほどのネリルの言葉を考える。
どうしてネリルは寝ないように見張ってくれなんて言ったのか。その真意はなんだ。コントロールとはいったい……。
考えてもわからない。とりあえず用意したものを持って行く。
音をなるべく立てないようにネリルの部屋のドアを開ける。
中を覗くと、ミルカに気づいたフレンカが口に人差し指を当てた。
そしてちょんちょんとネリルを指さす。
あんなことを言っていながらも、どうやらすぐ寝てしまったらしい。依然として苦しそうではあるが、濡れタオルを額に置いてやると少しだけ表情が和らいだ気がした。
「ときどき様子を見に来よう」
フレンカは頷く。飲み物を枕元に置き、二人で部屋を出た。
そしてリビングのテーブルに二人で座る。
「無理させすぎちゃったかな」
フレンカがぽつりと漏らす。
「そんなことないさ」
「ネリルちゃんのためにって思ってたけど、結局ネリルちゃんのためにはなってなかったのかも。今回もこうやって体調悪くしちゃったし」
フレンカはがっくりと肩を落とした。
「確かに今日は結果的にこうなったけど、ネリルのためになってないなんてことは絶対にないさ。車の中で嬉しそうに喋ってたんだ。楽しいって」
「……そっか。よかった」
「それに、俺も気づけなかったからな。同罪だよ」
「私も。気づこうと思えば気づけたはず」
「もっと、ネリルのことを見ないとだな。ネリルのためにやってるんだから」
「うん、そうだね」
フレンカは握り混んだ両手に力を込めた。
「よし、じゃあ俺たちも寝よう。ネリルに次いで俺たちまで体調を崩したら洒落にならない」
「私、ネリルちゃんの濡れタオル交換してくるね」
「ああ、頼んだ」
そうして、ミルカとフレンカも眠りについた。
その夜、ミルカは悪夢を見た。
真っ暗な何も無い空間で、後ろから何かが追いかけてくる夢だった。
姿は見えない。息づかいも聞こえない。ただ、自分以外の何者かの足音が、自分の方に近づいてくる。
逃げても逃げてもピッタリとくっついてくる。そして確実に、その距離は縮んでいった。
得体の知れない恐怖がずっと続いていた。
フレンカも悪夢を見た。ミルカと全く同じ夢だった。
ネリルだけが、その夜悪夢を見なかった。




