23 部室棟
「いったい! 何するの! ちょっと、止めてよ!!」
ここまでの展開のもう何もかもが信じられない事態なんだけど、私の長い髪を掴んで引っ張るとスティーブはにやにやとして笑っている。
自分でこんなことを言うのもなんなんだけど、ラザルス家から連れてきたお付きのメイドに念入りに手入れして貰っている、大事な髪なのに……何とか抵抗しようとしたら、ぶちぶちと強い力に耐えきれなかった髪が千切れる嫌な音がした。
「……いや、確かヒューバート博士が、シンシアのこの髪好きだったなと思い出した。俺を恨んで、あの人が闇堕ちしてくれないと困る。主役二人が旅に出る物語が進まないじゃん」
「……ヒューが? そんなの、言われたことないけど! もう、やめて離してよ!!」
長い髪を乱暴に掴まれて、私の足は宙に浮き出してた。頭も痛いけどこのままだと私、アドラシアンとエルヴィンの狂信者に殺されてしまう……。
「当たり前だろ。あの人は、唯一の友人シンシア・ラザルスを喪ってからようやく彼女を異性として好きだったことに気がつくんだ。そして、彼女を生き返らせるために、その世界をも滅ぼすことに決めた」
「もうっ!!! もし世界滅んだら、あんたも……アドラシアンやエルヴィンだって、死んじゃうんだけど!? わかってないんじゃない!!」
私は今日に限ってディミトリにもヒューにも、ここに来ることを言って来なかったことを後悔した。
頭部に感じるあまりの痛みで、気が遠くなりそう。
「滅ばないよ。物語の主人公たちって、そういうものだろ? お前。哀しい過去を持つディミトリを守りたいんなら、一番に離れなきゃいけないのはお前だったんじゃねえの?」
せせら笑うような笑みを見て、私はキッと睨みつけた。
「私の人生に……何の事情も知らないあんたが、偉そうに口を出さないで!」
顔を近づけて来たスティーブのいけすかない顔に、両手で爪を立てて引っ掻いた。どう見ても非力な私がそんなことをすると思ってなかったのか、スティーブは目を閉じて怯んだ様子だった。
一瞬、彼の力が抜けて足先がトンと床に落ち、ここはチャンスだと思った私は思いっきりスティーブ……っていうか、男性の急所を蹴り上げた!
「っ……うぐっ……お前!! 絶対殺す!!」
スティーブから完全に逃れた私は、捨て台詞を聞きつつ引き戸を乱暴に開けて外に出た。
どうにか一触即発な状態からは逃れることが出来たけど、後ろから追いかけて来る足音が聞こえるし、まだまだピンチは去っていない。
どうしようどうしようどうしよう!!!
シンシア・ラザルスは割と頭が良い方で、だからこそあとは家のために結婚するだけの貴族令嬢として異例なのに、学術都市ドミニオリアへと入学出来た。
夕暮れの天文部のある部活棟の中は、人気がない。今はテスト期間中なのもあって、私とスティーブしか居ないのかもしれない。
当たり前だけど、足の長さの関係で私より背の高いスティーブの方が走るのは早い。
火事場の馬鹿力で、お願いだから何か名案を思いついて!! 死ぬかもしれない時だよ!! 今こそ働くべきだと思うの!!
そして、ふと私は前に割と仲の良い放送部の子が、部室棟の中にも放送設備があるといった話をしていたことを思い出した。
まるで吸い寄せられるように廊下の向こうに『放送部』と書かれたプレートが見えて、私は放送部の部室へと入り、引き戸をピシャっと閉めると近くにあった棒で扉を止めると何とか即席のバリケートを築いた。
バンバンと薄い扉を力任せに叩く音が響くけど、もうあいつが何を言ってるかなんて関係ない。
放送設備っぽいもの、どこ? ……机の上にある拡声器みたいなものしか、ないんだけど!?
もうこれは、何だかわからないけどやってみるしかない。
私はボタンらしきものを押すと、スウっと息を大きく吸い込んだ。
「今、私は部室棟でスティーブ・レグナンに殺されようとしていますー!!! 放送部の部室に居ます!! 誰か!! ……ディミトリ!! 助けに来て!!!」
ジジー……と手に持っている拡声器からは電子音のような音がしているけど、高等部の校舎に放送されているのかはここからはわからない。
扉を叩いている音は止まないし、スティーブは見るからに力が強そうだからすぐに破られてしまうかもしれない。
「ディミトリ!! ディミトリ……私が死んでも、わかりやすい詐欺に騙されないで!! 優しくて純粋過ぎて、凄く心配なんだよ!! 人を信じるのは大事だけど、信じ過ぎたら駄目だよ!! やだやだやだ!! 純粋過ぎる推しが心配過ぎて……ディミトリを残して死ぬなんて、絶対にいやー!!!!」
私の悲痛な泣き声がどこかに届いているのか、どうなのか。わからない。こんな小さな……おもちゃのような、拡声器で声が届けられるんだろうか?
「いやだ……いやだっ……死にたくない!! 死にたくないよ!」
前世ここまで生に執着出来たかというと、そうでもなかった。ただ運命を受け入れようと、それだけを考えていた。
けど、今はどんなに恥ずかしくてみっともない思いをしたって、私は生きたいって思える。そうだよ。ディミトリとこの先も、生きていくためなら。
好き勝手わめき散らした私が気がつけばスティーブの声はもう、聞こえなかった。バンバンと脅すように叩いていた音も、消えている。
もしかしたら、扉を破るために何か道具を取りに行ったのかもしれない。
「ううっ……ディミトリっ……」
「シンシア? シンシア! 俺だ」
私は耳を疑った。手に持っていた拡声器も疑っていたんだけど、本当に私の声を少し離れた校舎へと届けてくれたらしい。
「ディミトリ!!」
私はつっかえ棒を外して引き戸を開いて、目の前にいた人の胸に飛び込んだ。
「間に合って良かった。怪我は? 大丈夫か?」
しばし抱き合っていた彼は一旦体を離して、ディミトリは私の体を検分してからほっとしたように微笑んだ。
「ううっ……もう。生きて会えないと思ったー!!」
「うんうん……俺のことを心配してくれて、ありがとう。うん。シンシアは、俺のことをすごく心配してるんだと……よくわかったから」
ディミトリの顔を見上げたら、彼は顔を赤くしてとても恥ずかしそう。それは、確かにそうだった。
ディミトリって周囲から遠巻きにされていてあまり話さないから、良くわからない孤高の人物みたいに思われているのに……私のせいてピュアで世間知らずな騙されやすい性格なのが、皆にバレてしまった……。
「ごめん……でも、すごく心配で……私の下手な嘘にも、すぐ騙されるから」
「あの……ごめん。それは俺もすぐに解けば良かった誤解なんだけど、シンシアが何度か嘘をついて何かを誤魔化したかったのはわかったから、俺も話を合わせようと思っただけだよ」
「そうだったの!?」
私のことをすごく純粋に信じていた、めちゃくちゃ自然な演技だったよ!?
「うん。シンシアが何かを隠しているのは、知ってた。俺のことをおかしいくらい好きなのは、きっと何か……俺には理解できない訳があることはわかってた」
「ディミトリ……ごめんなさい。私、貴方のこと、救いたくて……きっと、信じてもらえないと思うけど」
なんて言えば良い? 前世で好きだった作品の中で、貴方はとても可哀想だったからって? 説明の仕方が全然わからない。
「うん……俺はシンシアの言うことなら、わかりやすい嘘を言われても……それを事実だと思おうと思うくらい……君が好きなんだ。何でも信じるから。何でも言えば良いよ」
「……本当に?」
ディミトリって、そうだった。度重なる不幸で闇堕ちしても、多くの手下にも懐の大きさで慕われるんだった。そういうところも……好きだけど。
私は目の前で恥ずかしそうに微笑んで頷く彼が、どんな理由も超越してしまうくらいに世界で一番に好きなんだ。
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