10 舞い上がる
「はーっ……尊い尊い。推しが何気なく下校している姿見れるとか、天国でしかないわ。あ。ヒュー。体操服は洗濯して返すから、今日私が持って帰るねー」
「良いよ。明日も使う実技あるから、僕が持って帰って洗っとく。シンシアが忘れられたら、僕も困るし」
真面目っぽい雰囲気をかもしだしているのに、たまにうっかりする私の性格と知っているヒューは、そう言って私に貸してくれていた体操着の入った袋を手に取った。
「あ。そう? ごめんね。ありがとうー! お礼になにか、奢るから! 今度、何か食べに行こう」
「別に気にしなくて良いよ」
そう言ってヒューは軽く肩を竦めたので、今度何かお礼にお菓子でも持ってくる事にしよう。
そして、一人で帰って行くディミトリの後ろ姿を見て私は「君愛歌」の前日譚のエピソードを、なんとなく思い出していた。
作者はこの壮大なファンタジー世界観を形創るエピソードの数々はメインとなる小説の本筋以外にも多数出版されていて、前日譚や後日談、はたまたIFストーリーを描いた外伝なども存在する。
前日譚でディミトリは確か顔に傷が出来るだけじゃなくて……授業中に、何かの事故が遭って、何人かが怪我をするんだけど、それは仕方のない事故なのに彼のせいにされたことがあった。
それは、彼が顔を怪我する直後だったような……気がする。うーん。それもこれもディミトリ自身が思い返しているような語りだったから時期に詳しい記述がなかった。だから、特定は難しいんだけど。
何もしていないというのに授業での事故の責任を取らされたディミトリは、彼の孤独の深さに拍車を掛けて、もうすぐ現れるアドラシアンの優しさに唯一の安らぎを求めるようになるんだ。
「どうしたの? シンシア。帰らないの?」
「うん。ヒュー……魔法薬担当のエドケリ先生って、確かドニミオリア高等学校の学長の甥だったよね?」
「……そうだけど。何、シンシア。次は年上の教師にでも興味を持ったの?」
私にとってディミトリは特別な推しなんだけど、ヒューにその理由を説明する訳にはいかない。
あまり強い感情を見せることのないヒューは若い私が、ディミトリが持つ外見を見て、ろくに話したこともないのに恋に恋していると思っているらしい。
「別に……そういう訳じゃないけど! ……そっか。だから……」
偶然の事故を何の関係もないディミトリのせいにすることだって、可能だったんだ。エドケリ先生は自分の責任になりたくなかったから、不遇な立場で押し付けやすいディミトリのせいにしたってこと……。
あんなにも人の役に立ちたいと勉強を頑張っているのに、評価して貰えるはずの教師からもそんな扱いをされて。ディミトリはどんなにか、無念だったことだろう。
「だから? どうしたの。シンシア。君が変わっているのは、前からだけど……最近、本当に不思議なことを言うね。あの……倒れた時からおかしいね?」
ヒューは何かあるなら話して欲しいと、そう言いたげだった。けど、普通に考えて前世の記憶があって……なんて、信じてもらえるなんて思えない。
「えへへ。そっかな……ヒュー。私、ディミトリと話せるようになって、すごく舞い上がっているんだよ。きっと」