#2 鬼の少年
悪意に飲み込まれる少女、真城優。
彼女と出会ったことで、異界から来た少年、境一は、過去を思い出さずにはいられなかった。
我々が住む世界『現世』とは違う世界、『常世』からハジメは来た。
常世は特殊な力を持つ存在がいる世界だ。
いわゆる、神や妖怪、こちらの世界とは違った人々が存在する世界だ。
そんな世界で鬼は、『浄化』を生業としていた。
特殊なチカラが日常的な常世では、より悪意が蔓延りやすい。
鬼は元来悪意を喰らう力を持っていたので、人々の悪意を喰らうことで、常世で生きてきた。
そんなある日だった。
ハジメの部下であり、親友である茨木童子が、強大な悪意に飲み込まれたのだ。
このまま、放っておけば、大きな被害が出る。
鬼全体の存亡にも関わる。
苦渋の選択の末、その当時、長であったハジメはカレの悪意をその身に受けた。
しかしーーーーー。
彼はその悪意に飲み込まれた。
自分を見失い、闇を身にまとい、悪意のままに行動する。
悪意のまま世界を破壊し尽くしたという。
何度か、現世にも現れ、悪事の数々を働いた。
数十年後、何かのきっかけで、悪意から開放された彼は、絶望する。
「俺が、何十年も……悪事を働いた?」
ようやく、意識を取り戻し、我に返ったとき、彼はそうつぶやくことしか出来なかった。
常世では鬼の立場は悪く、人々から非難される立場となっていた。
「……俺、はみんなのために……」
世界のため、鬼のため、身を粉にした結果がこれなのだ。
後悔してもしきれないほどに、事象は完結していた。
毎度、戦をし攻められる毎日。
鬼の里に無事たどり着いた時、同胞の多くが死んだと聞かされた。
「俺のせいだ……」
彼は、否定することすら出来ず、ひたすらに事実を突きつけられているのだ。
そして、追い打ちをかけるように、神々に告げられたのだ。
「貴様の死を持って、鬼を助けよ。……意味はわかるな?」
「それで、この世界が、鬼が救われるのなら。俺は喜んで、命を捧げます。」
ハジメは自害を決意する。そうすることでしか、罪を騰なえないから。
「なりません。貴方が、そこまでする必要は無いのです。私たちが、攻められているのは、元々の鬼の評価なのです。だから、遅かれ早かれ、この結末は迎えています。だからーーーーー。」
一人の少女『橋姫』にハジメの決意は止められる。
彼女は、ハジメが暴走し、世界が混乱していた最中、ずっと一族を守り続けた鬼の少女だ。
ハジメが悪意に飲まれても同胞は信じ続けてくれていた。それはきっと、カノジョがハジメの事を想い、訴え続けていたからだろう。
そして、彼は現世に行くことで、『死んだ』ということにしたのだ。
常世と現世の扉は開かれ、常世で居場所を失った彼は、逃げるように現世に来たのだ。
「ここが、現世。悪意に飲まれてた時は、記憶が無いからな。」
ぽつりと呟く。見覚えのない世界への降臨。
つよい雷鳴が響き渡り、召喚された彼は、一件の家を火の海に変える。
「ここに俺を呼んだやつはいないのか。」
意図しない召喚。彼は優によって、召喚されたが、優に召喚の意思はなかった。
そのため、不完全な門からの召喚であった。
「おや、僕と同じ類の存在のようですね。」
特殊な力の波動を感じ、たまたま探索していた少年と少女が、ハジメを取り囲む。
「そうみたいね。……そこの鬼。この世界に来た訳を話しなさい。」
いいながら、美しい少女は、なにか唱え始め、大粒の豪雨を引き起こす。
雷鳴と火事の影響で半壊した家を必要最低限の被害に留めるためだ。
現世に来て、直ぐに、ユリと天野に出くわした、ハジメ。
呟いた言葉は一つだけ。
「まるで、悪役だな。オレは……。」
全身が濡れていく。
勢いよく鳴り響く雷鳴。
豪快な雨の音。
夜には相応しくない不安を煽る音の数々。
まるで、彼を拒絶しているようだった。
ーーーーーー。
「本当にここに住むのか?」
荷物をまとめ、戻ってきた優。
「まあ、ここ大学から近いし。」
「そういうもんか。でもまだ高校あるだろ?」
「ああ。それなら、進路決まった人ってほとんど学校行かないのよ。やることないのよ。……卒業式ぐらいは行くけど。私、友だち居ないし。」
「今どきの若い人は大変なんだな。」
冷たい物言い。ハジメは優に興味があるようでない。
そんな曖昧な態度を続ける。
優は優で、すこしほっとしていた。
優の家は現在半壊しており、修理中。
ようやく、親戚の家を抜け出せたのだ、
もちろん、進路に悩んでた時から数ヶ月過ぎているため、父親も退院したが、帰ってきてすぐ、仕事に追われる毎日。
家も壊れているし、父親も帰ってこない。
結局、青春時代のほとんどを親戚の家で過ごす羽目となった。
嫌味や小言をいわれる毎日。住まわせてもらっている、だけの生活。
自分の分の食事や洗濯は、優がやっていた。
そして、バイト代も払っていた。
言ってしまえば、最悪の環境だ。
そう考えれば、寮に来るのはメリットしかない。
洗濯はしなくてはならいが、それぐらいだ。
毎日、ご飯付き。お風呂は共有だが、部屋にシャワーとトイレ付き。
そして格安。
こんなところ優にとっては天国と言っていい。
父親もはやく親戚のうちから出したい、という想いがあったのだろう。
話は早かった。
ただ、ひとつ優にとって嫌なことといえば、『男の人とひとつ屋根の下』というのが、ネックな部分であった。
「管理人として、境さんも住むんですよね。」
「……境?ああ、俺のことか。そうだよ。なにか問題が?部屋に鍵ついてるし、俺お前のことタイプじゃないけど?」
「あの、ひと言余計なんですけど?……まあ、そうですか。」
正直、言いづらい事だ。
悪意をその身に受けてしまう彼女は、特に男性を苦手としている。
男で話すような関係なのは父親、カイ、同年代では、大坪ヒロという少年のみである。
優は幼い顔立ちに華奢な体つき、無垢な白い肌と、外では大人しめな性格。
それは思いの丈を伝えられないような男性が、好き好むようなタイプだ。
つまりは、何が言いたいかと言うと、男性からの視線、悪意。
性的な目で見ている男性の悪意が、優には集中砲火されるわけだ。
年頃の女の子にとっては気持ち悪い以外の何物でもない。
「あー。そういう事な。なら、教えてやろう。お前のその力は悪意をコントロール出来ない人からの悪意だ。」
なにも言っていないのに、何かを察したハジメは語り出す。
「なにも、言ってないんだけど。」
「見てれば、わかる。男苦手なんだろ?……エッチな目で見られるから?」
苦手なことを言い当て、ニヤつきながら言うハジメ。
イラッときた優は思いっきりビンタをする。
それをハジメは右手で払い除け、手首を掴む。
「察し悪いな。ほら、こんなに近づいても俺の悪意伝わらないだろ?」
「……え?」
ハジメはニコッと微笑み、手を離す。
その不意に見せる笑顔と男の人に手を握られた二つの意味でドキッとする優。
顔が熱いのか、優は顔を隠す。
「そうですね。何も感じません。……悪意コントロールできるんですか?」
「そりゃ、悪意から生まれでる、鬼だからな。」
「それって本当だったんですね。」
「当たり前だろ。お前の悪意喰ってやったろ?ほら、部屋案内してやる。」
「え?いいんですか。住んでも。」
「ああ。お前が嫌じゃなきゃな。」
すこし驚く優。
あれだけ露骨に嫌がっていたハジメが簡単に入居させてくれるとは。
「……ああ。あれは混乱してたから。あんたもあんたで事情ありそうだし。仕事は仕事だし。」
「そうですか……。あ、あの!」
渡り廊下を歩いている途中、急に優が、足を止めさせる。
「ん?」
「私の悪意、食べてくれてありがとうございます。……その、私はよくキャパオーバーしちゃうんで。」
「気にしてない。俺は俺に出来ることをしただけだ。……それよりも、これに懲りたら、ちっとは、悪意について学ぶことだな。そして、コントロールすること。……ほれ、着いたぞ。ここが、お前の部屋だ。」
「……ふふ、境さんって思ったより、面倒見いいんですね。」
「……ふん。」
部屋を案内し、すぐさまその場を後にするハジメ。
そんなツンツンしたハジメの背中に可愛らしさを感じる優。
「よかった。口は悪いけど、悪い人じゃないみたい。……つぁ!?」
ほっとした束の間、胸がはげしく痛むのを感じた優。
「……なに、今の?……まだ、お昼なのに……」
明らかに悪意による胸痛だった。
しばらく苦悶の表情を浮かべていると、少しずつ収まっていく痛み。
切り替えるように部屋に足を踏み入れる優。
「しばらく休みだし。大丈夫だよね。」
ーーーーーー。
「彼女は悪意によるチカラを受けやすい。出来れば、君には彼女がチカラを溜め込む度に悪意を食べてやって欲しい。」
数時間前、カイにハジメは話を受けていた。
「俺にだって、悪意の限界値はある。常世にいた時は、交代制で多くの鬼が、代わる代わる悪意を食べてた。」
「それは、分かるが。こちらとしても、彼女の悪意が、増え続けるのは回避したい。」
「なら、この家まずかったんじゃないか。」
「何故?」
「……みんな勘違いしてるようだが、あいつの力は悪意をその身に受ける力では無い。」
「じゃあ?」
「あいつの力は、悪意を引きつける、呼び起こす、そういう力だ。恐らく異界とこの世界を繋ぐことが出来るのもそのためだろう。」
「……ならば、悪意を溜め込まないようにするしかないな。……なるべく、彼女を幸せにしてやってくれ。」
「……なるべくな。」
ーーーーーー。
「(宮ノ森 海ね。人のことばかりのやつだな。ユリや天野とは根底から違う。……そして真城優ねえ。面倒なやつに呼ばれたもんだ。)」
ご飯支度を進めるハジメ。
美味しいご飯でも食べれば、少しは幸せな気分になるはずだ。
そういった考えで、真面目に料理に励む。
「(ここでの生活ぐらい、いいものにしてやらないとな。)」
優の分析通り、口は悪いが、ハジメという男は非常に優しい男なのである。
『気合い入れすぎじゃねーか?』
不意に悪意のかたまりに声をかけられるハジメ。
黒く濁ったその塊は、ハジメの周りを飛び回り、話しかけてくる。
この塊はハジメが、常世から持ち帰った存在。
魂だけとなった『茨木童子』である。
「別にいいだろ。…もし、あいつが、俺らを呼んだのだとしたら、俺たちに生きる世界をくれたのは、彼女だ。」
「まあなあ。俺たちじゃ、異界の扉は開けられない。『悪意を食べて欲しい』お前にそんなことを願うなんてな。」
「意図したものじゃないけどな。」
『……にしても、作りすぎでは?』
「ああ。気合い入れすぎたな。」
話しながら、黙々と料理を進めていたハジメ。
気がつくと、ホテルのビュッフェ並みに多種多様な、豪勢な食事が並ぶ。
『和食に洋食に中華に。何人前だよ?』
アタマを抱えるハジメ。
「作り始めて気がついたんだ。優は何が好きなのかって。」
『……聞けばいいんじゃないか?』
「……だな。なれないことするものでは無いな。」
『なあ?お前、初めて食べてもらうからってテンション上がってたろ?』
「……うるせ。」
照れながら、図星なハジメは顔を赤らめるのであった。
ーーーーー。
「すまん、休み中に。ご飯できたんだが。少し、作りすぎた。誰か呼んでもらっていいか。」
「え?そんなに、いっぱい作ってくれたんですか!?」
すぐさま料理を見に行こうとする優を止める。
「ちょちょ。まだ見るな。2人ぐらい呼んでくれ。それでたぶん、足りると思うから。」
「えー!みたいですぅ!」
嬉しそうに駄々をこねる優。人に何かをされてことが少い彼女にとって、そして何よりも食事を楽しみにしていた彼女にとってこれほど嬉しいことは無いだろう。
「後で食うんだ、その時見ろ!」
食べる時に、見て欲しいというハジメは、優の嬉しそうな顔を満足そうに見つめつつ、優を止める。
「SNS上げたいじゃないですか!」
「エスエヌ…なんだって?……いいや、とにかくダメだ。いいか、呼ぶまで来るなよ。」
「はーい。」
観念したように、優は返事をする。
どこか照れくさもありつつ、優のこころは数年ぶりに飛び跳ねていた。
ーーーーーー。
『嬢ちゃん、喜んでたじゃねえか。よかったなあ。』
「……ふん。」
満更でもないハジメは、笑みが零れるのを感じていた。
そんな微笑ましい様子を、茨木童子は見つめる。
本当に良かったと。
過去に囚われ、贖罪の意識の最中、巡り会えた運命。
この世界では、罪に囚われることは無い。
優を幸せにする中で、きっと、ハジメも幸せになることが出来る。
そんなふうに、茨木童子は考えていた。
ーーーーー。
「紹介します、私の友人のソラとヒロ君です。」
「よろしくお願いします。『大坪ヒロ』と申します。今日はお招きいただきありがとうございます。」
「かったないなあ。カタカタのカタだよ!ヒロちゃん!あたしは、辰早空!優の親友っす!よろしくぅー!」
「さすが、お前の友だな。癖が強い。」
「そうですかね。」
大坪ヒロ。
短くまとめられた短髪で整った顔立ちをしている。正統派のイケメンと言ったところだろうか。
ハジメが爽やか系のイケメンなら、ヒロはイマドキのナチュラルで可愛らしいイケメンだ。
さすが、優の友だちといったところで、2人とも悪意の力にちょとした特殊な素養が見られる。
「なるほど。」
先程、男が苦手とか言っていた優が、男を連れてきた理由がすぐに分かる。
ヒロは優の悪意を同じ量の悪意で打ち消しており、ソラは優の悪意を、かき消している。
悪意が見える鬼にとっては、3人が並ぶと異様な光景が完成する。
「俺は、境一。ここで管理人をしています。今日は来て下さり、ありがとうございます!」
ニコッと営業スマイルをかます、ハジメに、嫌そうな顔をする優。
「うげ。でたよ、営業スマイル。」
「男が管理人って聞いて、最初は驚きましたよ。クソみたいなやつだったら、ぶっ飛ばそうかと思ってました。」
サラッと怖いことを口にするソラ。ソレに頷くヒロ。
「(怖いな、こいつら。)」
と、ひそかに思うハジメ。
「でも、2人は会ったばかりなのに、随分と仲がよろしいんですね。優が僕以外の男の人と話せるなんて、ちょっと意外です。」
少し不満が混じったような、でもどこか嬉しそうな複雑な感情を向けるヒロ。
彼はどこか、優を好いているような態度が目立つ。
優はまるで気がついていなく、純粋に友達として、接しているようだが。
「……あはは。初対面から色々あったからね。」
苦笑いする優。
そんなふたりの曖昧な距離感を見守るソラ。
この3人は悪意にしても、関係にしても、良きバランスを保っているように見える。
「さ、もう準備は出来ているので、どうぞ、お入りください。」
ーーーーーー。
リビングに案内されると、大きめの長テーブルいっぱいにバラエティ豊かな食事が並ぶ。
「うわあ!!!!すごい!ぜんぶ1人で作ったんですか!!」
「ま、まあな。入居祝いを兼ねて、豪華にしてみた。」
本当は、優の好きなものがわからず、作りすぎてしまっただけだが。
「こりゃ凄いっすね!知ってます?優って、料理が上手な人好きなんですよ?」
ニヤニヤしながら、ソラはそんなことを口にする。
「ちょっと!余計なこと言わないで!」
「まあまあ、2人とも。早く食べましょ?僕お腹すきましたよ。」
豪華な食事の前に3人は、空腹感がピークとなる。
綺麗に盛り付けられたサラダやオシャレなスープ。
香ばしい肉の香り、炊きたてのご飯。
これを目の前にして、冷静な判断がつくものはそうそういないだろう。
「では、これからよろしくな。優。」
「新生活だね!優!」
「大学でも、頑張ってください!」
三者それぞれに、優に想いを伝える。
「みんなありがとう!いただきます!」
優は箸をとり、食事を開始する。
口に運ばれる美味な食の数々。
ふと、今まで頑張ってきた想いが溢れ出る。
それは、涙となって、頬を濡らす。
「あれ、すごく美味しのに、涙が止まらない……」
「そりゃ、そうだよ。優はすごく頑張ってきたんだから。」
ソラは優の辛い経験を知っている。
優しく声をかけ、彼女を労う。
「私、こんなに美味しくて、あったかい食事久しぶり……。本当においしい。」
涙で、顔をぐちゃぐちゃにしながら、それでも満開の笑みで、食事に感謝する優。
家にいても、学校にいても、ろくに安心してご飯を食べることなんて出来なかった優。
いつしか、忙しくすぎる日常の中で、美味しい手作りの料理を忘れていた。
だが、今日、これからは違う。
この寮では、あったかい食事が出て、悪意に苦しむことは少ないだろう。
彼女は心の底から満たされていた。
「今日から、ここがお前の住む家なんだ。好きなだけ、食べればいい。」
女性の涙に不慣れなのかハジメは困ったように頭を抱える。絞り出した当たり前の一言。新生活を迎えた優にそっと声をかける。
「……はい!」
涙しながらも優は嬉しそうにご飯を食べていた。
ハジメは「やれやれ」と口ずさみながらも少し心が満たされている気がしていた。
境一。これは彼の本名ではない。
この世界で、もう一度、始めから、一から生きよう。
そういった意味で、自分を鼓舞するためにつけた名前だ。
そんな、この世界に来た時のことを思い出す。
君を見てると、少しづつだけど、俺は前に進めてる気がする。
自覚はなかったのだろうけど、この世界に呼んでくれて、ありがとう。
そうハジメは心の中でそっと呟くのであった。
ーーーーーー。
食事が終わり、ひと段落着いたところで、ソラとヒロは帰ることになった。
なにやら、ソラは、優とまだ話しているが。
とりあえず、ハジメは玄関でヒロを見送る。
「今日はご馳走様でした。とても美味しかったです。……優のこと、お願いしますね。」
「……君は彼女を支えてやらないのか?」
どこか、悲しそうに目をそらすヒロ。
本当は、自分で守りたい、そんな想いがハジメに伝わってきて、つい聞いてしまう。
「僕は、まだ。自分を見つけられていないから。……でも負けません。」
その決意の瞳は固く、彼にはカレの事情があるのだろうと、理解する。
あまりの強い眼光にすこし気圧されるハジメ。
「お、おう。あんたも色々あんだな。ま、頑張れ。」
「はい!」
ヒロはハジメに背を向けて、去っていく。
ああいう目をする人は見てきた。
きっと、何年も強い気持ちを、想いを、優に向けているのだろうと、ハジメは推察する。
そして、優を守ろうとする人間は周りに大勢いるのだと、改めて思い知らされる。
「(それだけ、思われるってことは、同じように優が、彼らを救ってきた……からなのかもな。)」
同様に優に強い意識を向けるソラを見やる。
ーーーーーー。
「(辰早空。悪意をかき消す力の持ち主。……そして、大坪ヒロ。優と同様の悪意を持ち、コントロールしている男。……敵にはなりたくないものだな。)」
悪意は、通常は内に秘めたり、個々がもつもの。
それを体に宿したり、引き寄せたり、コントロールできるものは、鬼や妖怪を生む危険性がある。
もしくは、霊力といった人智を超えた力を可能にしてしまう。
以前出会った、ユリという少女をハジメは思い出さずにはいられなかった。
凄まじい悪意の塊を背負う彼女は、いとも容易く悪意を霊力に変え、大雨を降らせて見せた。
卓越すれば、悪意にそんな使い道があるのだと、ハジメは恐怖したのを覚えている。
カイだってそうだ。オロチなんていう強大な妖怪をその身に宿している。
並大抵の人間では無いものが、この土地には多くいる。
それはつまり、この土地ではそれだけ昔から悪意やそれにまつわる伝説が起きているということ。
優もそのひとりになりかねない。
可愛い顔をしているが、彼女の能力は、とても危険だ。
「(普通の人間が悪意を溜め込む……。俺みたいにだけは、させてはいけない。…。彼女はようやく幸せを掴んだ。……せめて俺はそんな日常ぐらいは、守ろう。)」
そう強くハジメは決意した。
ーーーーー。
「おやすみなさい!今日は本当にありがとうございます!」
「ああ。喜んでくれて良かったよ。……いつの間にか、ソラは帰ったんだな?」
「あれ、ヒロと一緒にすぐに帰ったじゃないですか!」
「……そうだったか。まあ、喜んでもらえてよかったよ。」
一気に肩の荷がおりたのか、優はハジメに明るく接する。
それもそのはずだ。もう彼女は家で辛い思いをする必要はなくなったのだ。
「私今めっちゃくちゃ楽しいです。やりたいことを見つけて、新生活が始まって…。ワクワクがいっぱいです。」
「そりゃあ良かったよ。………ここにいる時ぐらいは、平和に過ごせるといいな。」
「はい!私、境さん、程じゃないにしても、私みたいに悪意に……心を闇に囚われている人や辛い思いをしている人を助けられるようになりたいと思ってます。」
「いいじゃないか。ならば、大学始まったらしっかり学ばないとな。」
「ふふ、そうですね。」
心地の良い雑談。悪意をコントロールできるハジメとは、普通に話すことが出来る。
親戚の悪意ももう浴びる必要は無い。
これから、新生活が始まるんだ。
そう思った刹那。
「……っ!?」
急に胸を押さえ始めた優。
「どうした?」
膝をつき、苦悶の表情を浮かべる。
「あ、れ。なんで……胸が……っ!!今日は幸せだったのに…!」
どうして、彼女はこうも悪意に苦しまなければならないのか。
気がつくと優の周りに悪意が集まってきている、
「ちっ。悪意を引き寄せたってのか!」
「わた、し。幸せになり……たい。」
「馬鹿野郎!なるんだよ!これからちゃんと!やりたい事見つけたんだろ!諦めんな!……今は俺がいる!」
いいながら、ハジメは優の頭に触れ、意識を集中させる。
「こい!悪意ども!!!オレが喰らってやる!!!」
優の周りに集まっていた大量の悪意を吸い込むハジメ。
「(な、なんだ!この大量の悪意は!)」
黒と紫色のような悪意は絡まりながら怪しい光を放つ。
「ぐわぁあああっ!?」
あまりに大量の悪意に、ハジメは限界を感じ、悪意から弾き返される。
壁側に勢いよく飛ばされるハジメ。
「くっそぉ!!!」
悪意を全て吸い上げることは可能だ。
しかし、ハジメの中で迷いがあった。
また、飲み込まれてしまうのではないか。
我を失うのではないか。
「くっそ!!!馬鹿なこと考えるな!………俺ならやれるはずだ!」
『無茶言うな!オーバーしてる分で限界だ!』
無謀なハジメの挑戦に、勢いよく忠告する茨木童子。
彼の目から見ても相当な悪意の暴走だ。
「……私は、大丈夫ですから。……無理しないで。」
悪意に囚われながら、優はハジメに優しく笑顔を振りまく。
「あぁあああっ!!!」
悪意にどんどん飲まれていく優。
そして。
黒い怪しい光は、優からどんどん漏れだし、異形の者に姿を見変えていく。
迸る稲妻。
「……なっ!?『悪鬼』だと!?」
人の悪意の塊によって目を覚ましたそれは、悪鬼と呼ばれる。
「ばかな!」
どんどん悪意が形をなし、紫色の醜い顔の鬼が生まれていく。
「悪意の塊、悪鬼。そんなものが生まれるほど、優は悪意を溜め込んでたのか。」
いくら上位の鬼であれ、目の前に現れた凶悪な鬼の姿に、焦りを感じるハジメ。
「おいおい、今の俺じゃ、一体が限界だぞ!?」
だが、目の前には5体以上の悪鬼がニヤつきながら、ハジメを見下す。
ついに意識を失った優。
「たしか、悪意は宿主を殺せない。優は安心だ。……だが、こいつらを何とかしなければ、俺は……死ぬ。それに、悪鬼はどこまでも悪意を求める。それこそ、主が息絶えるまで。……やるしかないな。」
1度悪意に囚われたことのあるハジメは、その際に大半の力を失ってしまっている。
全盛期の彼であれば、どうってことの無い相手だが、いまは武が悪すぎる。
そんなことを考えていても仕方ないと、ハジメは構える。
すると、一体の鬼が構えなど一切ない、巨体を活かして体当たりしてくる。
それをひらりとハジメは、交わし、背後にまわり、悪鬼の首を絞める。
「悪いな……この寮借り物なんだわ!ズルさせてもらうっ!」
悪鬼の首を捻り、スキをついて悪鬼のツノをかち割る。
すると悪鬼は消滅し、残りの悪鬼が同時に襲ってくる。
「ちっ!ダメか!」
絶体絶命と思われたが、ハジメの目の前に綺麗な女性が降り立ち、回し蹴りをお見舞する。
ひらりと細長い生脚が見えると、蹴りをくらった悪鬼二体ほどが、消滅する。
白い綺麗な髪をなびかせ、あたかも勝利を確信したかのように服を直す。
すると残りの2体の悪鬼が少女を襲う。
「なに、ぼさっとしてる!危ないぞ!」
ハジメは声を荒らげ、少女に警告する。
だが、そんな必要はないのだ。
「……ユリに触れな。」
少女に悪鬼の手が触れた刹那。
低い男の声が響き、黒髪の少年が現れる。
凄まじい勢いで、少年の拳が、悪鬼の腹を貫く。
残りの一体は恐怖を感じたのか、優に擦り寄り、脅すような仕草を見せる。
「……『滅びろ。』」
白い髪の少女が、そう告げると悪鬼は影となり、消滅する。
一瞬の出来事すぎて流石のハジメも絶句し、尻もちを着く。
「ユリ、天野?お前ら強すぎだろ…」
数秒の間、落ち着いたが、出てきた言葉はそれ一つである。
秒で悪鬼、四体を瞬殺したのは、ハジメの言う通り、ユリと天野である。
そう、訳あって悪鬼殺しを専門とする『琴上 幸理』『天野 真護』である。
そして、この世界『現世』でハジメが最初に出会った人物である。
「さて、境一。説明してもらえる?」
幸理は、ハジメを見下しながら言う。
力のある人間の言葉、今の出来事の後では脅しにしか聞こえない。
「境さんは、悪くないっすよ。」
どこからともなく、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
姿を現したのは、優の親友であるソラであった。
「どういう意味?」
突然現れたソラにも驚くことはなく、ユリは質問する。
その肝の据わった様子、溢れ出る強者の器に観念したのか、ソラは口を開く。
「あたしが優の悪意を増幅させた。……そこにいる境一、いいえ、『酒呑童子』を試すためにね。」
ソラは鋭い眼光をハジメに向ける。
突然起きた事件の数々。
鬼の少年は、やはり、過去に縛られて生きるしかないのだろうか。
悪意を宿す優、過去に囚われるハジメ。
二人は幸せになることは出来るのだろうか。
そして、ソラの目的とは、一体何なのだろうか。
鬼の少年は酷く、悲しげな顔を浮かべていた。
新生活初日。
どうしようもない現実を優とハジメに叩きつけるのであった。