初耳なのですが…、本当ですか?
アニー・クラベリック侯爵令嬢次女
ヴァルレイ・スターレンズ公爵子息長男
石原眞子/マルティ・スターレンズ
ミーラ/侯爵家の使用人→アニーのメイドに
ぬるっと進みます。
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はじめまして。
いきなりですが、私の自己紹介を行います。
私は、クラベリック侯爵の次女のアニーと申します。
お父様は大変厳しい方ですが、それでも誤ったことをしでかさなければ怖くありません。
その証拠に学園に通っていた頃は良い成績を収めていれば怒られることはありませんでしたし、現在も不必要なものを購入しなければ怒られることはありません。
お義母様は厳しい方ですが、頭を下げて謝罪すればそれ以上怒られることはありません。
その証拠にベッドメイキングされたお布団に一筋の皺が寄っていた時があったのですが、深く頭を下げて謝罪すると許してくれました。
お義姉様は厳しい方ですが、心が広い為怖くありません。
その証拠に合わない味付けをしてしまった料理があっても、私が頭を下げる前に許してくれることもあるのです。
そんな私は家族の中で一番立場が下の為、侯爵家で雇っているメイドや執事、使用人達と共に家のことを任されていました。
朝は陽が昇る前に起きて水を汲み、朝食の下ごしらえをするべくお野菜を洗ったり皮をむいたりしておきます。
また小麦粉を捏ねてパン作りのお手伝いを行います。
勿論私一人で行っているわけではありません。侯爵家にはシェフがいますので。
ですが家族の舌に合わない料理になってしまった場合は、侯爵家の次女として調理場に立っている私の責任なのです。
責任者として当然のことです。
今日の朝食もシェフが最終仕上げをした料理を確認した後は、洗い場に向かいます。
侯爵家の次女として汚れが少しでもついたお洋服やタオル、シーツを家族に使わせるわけにはいきません。
使用人たちと共に冷たい水に手を入れて、力を込めて汚れを落としていきます。
すすぎと洗濯掛けは使用人たちにお任せして、次はメイドたちの元に行きます。
家族を起こす前に、今日の洋服やアクセサリーを選びます。また顔を洗う為のぬるま湯も用意します。
次に向かうのは掃除をお願いしている使用人たちのもとです。
あ、勿論お父様やお義母様、お義姉様を起こすのは私ではなく、家族にそれぞれついている専属のメイドです。
メイドたちが起こすタイミングが遅れてしまったら、湯が冷めて私が冷たくなった湯を浴びることになってしまいますが…。
今日は呼び出しもないので問題なく起こせたのでしょう。よかったです。
いけません。掃除でした。
家族が使用する食堂にゴミが落ちていないことを確認し、家族が使うテーブルに汚れが付着していないことを確認した後、私は家族が来る前に“空間を洗浄して”食堂を後にします。
家族が食事をとる間ゴミがあると不衛生ですからね。
家族が食事をとっている間にできる限り、邸の掃除を終わらせます。
そうしていると支度を終わらせたお父様がお仕事に出掛け、続けてお義母様とお義姉様は出掛けていきます。
私はここでやっと一区切りができますが、でも休んではいられません。
お義母様とお義姉様が戻ってこられる前に邸の管理を行わなければならないのです。
シェフが焼いてくれたパンを頬張りながら、帳簿に目を通しつつ、執事に話を伺います。
必要な物をリストアップしていき、執事に手渡した後はお父様の書斎に向かいます。
机の上に散らばっている書物を手にし、内容の確認を行います。
さすがはお父様です。記入ミスが昨日に比べて1つ少ないです。
邸の帳簿はともかく、領の書類に関しては当主の筆跡でなければいけないことが殆どの為、私は“お父様の文字を消す”為、書物に手をかざします。
手をかざされている書面からミスしている部分の文字が浮かび上がります。
私は浮かび上がった文字をお父様の字で正しい数字に直し再び書物に戻しました。
書斎には誰もいない為見られることはありません。
そもそもこれは亡きお母様に言いつけられていたことなのです。
決してお母様以外誰にもこの力のことを言ってはいけないと。
楽をしたいのならばできます。この力で掃除も洗濯も料理も、誰の手も借りずに、時間をかけずに、私の力であっという間に終わらせることができます。
ですが、この力は決して言ってはいけないことだと教えられた私は、最低限のことしか使っていません。
掃除ではなく空間の洗浄、天気が悪い日半乾きだった洗濯物たちへの蒸発、そういった些細なことならばバレずに使うことができるからです。
またこの力を使わずメイドや使用人たちと一緒に行うことで、皆と絆が深まった気がするのです。
だから、これからもこの力をなるべく使わずに行きたいと思います。
そんな毎日を送っているとある日お父様から呼び出しを受けました。
「お前にはスターレンズ公爵家の令息と婚約を結んでもらう」
驚きました。本当に。
スターレンズ公爵家の令息様といえば、学生の頃の記憶でしかありませんが、美しく輝く金髪に青空のような碧眼を持つ美男子で、美貌だけではなく文武両道な姿はまさに非の打ち所がない男性と有名なお方。
毎日のようにキャーキャー言われて、結婚したい男として有名でした。
そんなお方ならば、長女であるお義姉様と婚約を結ぶべきだと思いますが…。
ですが何故次女の私なのか、詳しいことも説明されないまま私は婚約者として公爵家に向かうことになりました。
たまに町へと出掛けて使用人たちと買い出しに出ることはありますが、その場合は基本は徒歩になります。
なのでかなり久しぶりに侯爵家の馬車に乗りました。徒歩とは違いとても楽ですね。
私の隣には少ない荷物を手にして、いつも一緒に洗濯をしている使用人のミーラが座っています。
家族の中で一番立場が下の私には専属のメイドはいません。
ですが侯爵家のメンツの為一人で向かうことも出来なかった私に、お父様はミーラをつけてくださいました。
本当にありがたいことです。
ミーラは使用人として侯爵家に仕えていた為、いきなりの抜擢に馬車の中からもそわそわと落ち着きがないようです。
「ミーラ、落ち着いて」
「おおおお、落ち着いてといわれてもももも」
「大丈夫。大丈夫よ。私がいるでしょう?」
落ち着かないミーラを安心させるように手をぎゅっと両手で包み込み、少し私の気を送ります。
乱れていたミーラの魂に私の気が作用して、ミーラも少し落ち着きを取り戻してくれました。
「お嬢様……、ありがとうございます!私一生懸命頑張りますね!」
「ありがとう。これからもよろしくね」
そうして着いた先は大豪邸でした。
侯爵家もそれなりに大きな屋敷を持っていますが、公爵家はさすがというかなんというか。
学園を思い出すような規模の大きさの屋敷です。
正直どれほどの人件費がかかっているのか……。
ごくりと生唾を飲み込んで、ミーラと共に公爵家の門をくぐると執事と思われる方が出迎えてくださいました。
次女の私にも頭を下げてくださる執事に、私も淑女マナーで学んだカーテシーを披露します。
すると執事の目尻が柔らかくなった気がしました。
認めてくれたのならば嬉しいです。
ですがスターレンズ公爵令息様はどこにいらっしゃるのでしょうか?
私は今回婚約者として伺ったのですが、普通ならば出迎えをすると思うのですが…
さりげなく周りに目を向けただけだったのですが執事の方は察してしまい、申し訳なさそうに頭を下げられました。
「申し訳ございません。坊ちゃまは外せない用がありお嬢様をお出迎えすることが難しい為、私が参りました」
「あ、頭をお上げください!
公爵家となれば私が想像できないほどにお忙しい身、婚約者の身分とはいえ私への気遣いは無用です。
公爵令息様にもそうお伝えください」
そう告げると執事は驚いた表情をした後、ゆっくりと首を振りました。
「いえ。お嬢様は今は婚約者でありますが、いずれはこの邸の奥様となられる身。
坊ちゃまには私から言っておきますので、ご心配なされず」
「は、はぁ…」
「また公爵家についてはこの私、セバスチャンがお教えしておきますので、今後ともよろしくお願いいたします」
「畏まりました。至らぬ部分が多いとは思いますが、よろしくお願いします」
そう会話をしながら私とミーラはセバスチャンに、邸の中を案内していただきました。
ある程度案内を終えた後、これから私が使用する一室へと落ち着きました
荷物を下ろし、寛いでくださいと去って行くセバスチャンに礼を告げると柔らかい笑みを浮かべてくれました。
「ふぅー、なんだかドキドキしました」
やっと落ち着けるーとピンっと伸ばしていた背筋を丸めてミーラは言いました。
侯爵家とは違う大豪邸ならば無理もないでしょう。
私もここを掃除するのなら手が回らなく、目が回ってしまうだろうと、違う意味でドキドキしたのだから。
とはいっても、公爵家へはまだ籍も入れていない身。
私がここですることは、セバスチャンから公爵家について教わることの方が先のようですね。
「ふふ。そうね。これからはここで暮らすのだから粗相のないようにしなくちゃね」
それにしても寛ぐとはいったい何をすればいいのでしょうね。
ミーラと共に荷解きをしようにも、「ここは侯爵家ではないのです!!」と手伝わせてくれないし。と部屋の中央で棒立ちの私は部屋を見渡します。
と扉のすぐそばにある大きな本棚が目に入りました。
(扉の陰になって見えなかったのね)
そういえば今迄は読む時間がなくてできなかったけれど、私の趣味は読書なのです。
本なら何でも読むけど、その中で一番好きなジャンルは現実には起こりそうにないファンタジー系。
学生の頃は伝説の剣を手にした勇者の話や、世界中の魔法書を集める話等よく読んでいたことを思い出します。
私はわくわくし始めて、本棚に並ばれている本たちに手を伸ばしました。
■
コンコンと扉をノックする音に意識を戻された私は扉に目を向けると、ミーラが対応してくれていました。
ミーラがぱたりと扉を閉じるのを待ってから、用件を伺います。
「もうすぐ食事の時間だと教えていただきました。またこちらの服をお召しになるようにとのことです」
さあ着替えましょう!と意気込むミーラに、ふふっと笑いながら私は服を着替えて食堂に向いました。
「そういえばお嬢様は何の本を読んでいたんですか?」
「気になる?」
そう意地悪するとミーラは気になりますう!と目をよりキラキラさせます。
ミーラもそうだけど、侯爵家で働いてくれる人たちは皆いい人なのです。
私の手際が悪くて確認が遅くなってしまった時でも、怒ることは決してせず、いつもにこやかに許してくれるのです。
「読んだことがなかったのだけれど、違う世界からやってきた女性と公爵様の恋愛小説よ」
「あ!同じのかはわからないですが、私もそういう内容の小説読んだことありますよ!いきなり見知らぬ世界にやってきた女性に公爵様が一目惚れして…」
「待って!まだ序盤なの!ネタバレ禁止よ!」
少し聞こえたけれど、公爵様が一目惚れして女性を公爵邸に匿って面倒を見る展開までは読んでいるからセーフね。
「えー!語り合いたいのにー!」
声を上げるミーラに私は嬉しくなりました。
だって学生の頃は本を読んだだけで、本の感想を語り合ってくれるような友達はいなかったから。
「ふふ。じゃあ早く読まないとね」
あまり騒がしくしないようにしながら食堂までの道を歩きます。
食堂につくとまだ令息様はいらっしゃっていないようでしたが、令息様のお母様、つまり公爵夫人が食堂で待っていました。
私はミーラには入り口付近で待機してもらいつつ、案内された席へ歩を進めます。
「お待たせしてしまい申し訳ございません。アニー・クラベリックと申します」
「来てくれてありがとうね。…でもごめんなさい。ヴァルは急遽王城に呼ばれて少し遅くなってるの。
私達だけで先に頂きましょう?」
申し訳なさそうにしつつ、公爵夫人はセバスチャンに食事を運ぶよう指示を出しました。
カートに運ばれてきた料理に生唾をのみながらも、久しぶりの一人ではない食事に私は心躍らせます。
(公爵夫人もいい人そうで良かったわ)
そうして運ばれてきた食事を頂いていくと、すぐに困ったことになりました。
(どうしましょう!もう満腹になってしまったわ!)
サラダとスープを平らげただけなのに、これから運ばれてくる料理に手を付けないなんてシェフの方に申し訳がないわ!
それに令息様がいらっしゃる前に席を立ってしまうのも……
ぐるぐると目をまわして考えます。
確かにいつも自分の手際の悪さで仕事に追われることになった私には食事の時間も十分に取れず、パン一つで毎食を済ませていた私は学生の頃は食べれていた量が食べられなくなっていました。
それほどに胃が小さくなってしまったのでしょう。
だから…
(お腹が苦しいけれど……、令息様がいらっしゃるまでゆっくり、非常にゆっく~~~り食べて、来たら挨拶して戻りましょう!)
シェフには悪いけれど、これしかないわ。
さすがに次々と胃の中が消化していくような魔法はないんだもの。
食べ過ぎによる胃痛をなくすことはできるけれど、胃の中を空っぽにすることはできないのだから。
「…あ、アニー嬢、待たせてすまなかった」
ちまちまと食べ進めつつ、令息様を非常に心待ちにする私にやっと天の訪れが舞い降りました。
「本当よ!」と声を上げる夫人の傍ら、私は挨拶をするために食事の手を止めて立ち上がります。
(それにしても立つと胃が伸びるのかしらね、少し楽になったわ)
「初めましてヴァルレイ・スターレンズ様。私はアニー・クラベリックと申します」
「あ、ああ…。わ、私のことはヴァルでいい」
「ありがとうございます。それではヴァル様とお呼びさせていただきます」
口元に手を当ててどこか忙しない様子のヴァル様の後ろに黒髪の女性が控えていた。
「わ私も君のことをア「あの…後ろの方は?」…あ、ああ」
喋るタイミングが被ってしまいましたが、ヴァル様は気にすることもなく後ろにいた女性を紹介してくれました。
「こちらは石原眞子改めマルティ・スターレンズ。先月異世界と呼ばれるここの世界とは違う世界から来た人間だ。
後ろ盾もない為公爵家で預かることになった。あ、アニー……嬢も仲よくしてもらえると助かる」
異世界。
女性。
公爵家で預かる。
なんともタイムリーで非現実な話です。
え、ということはもしかして、…ヴァル様はあの小説のように彼女に一目惚れをした?だから公爵家で預かると?
そしたら婚約者として来た私はどうなるの?
とそこで初めて理解しました。
(だからお義姉様じゃなくて、私が選ばれたのね!)
確かに心優しいお義姉様なら、例え相手が公爵家の方でどんなに美形でも相手がいる男性の元に嫁ぐなんて可哀想だもの。
私の方が先に結婚することになるけれど、時期を急ぐあまりに幸せにならなければ意味がないわ。
そして、お父様もこの事実を私に告げるのが渋った理由がわかりました!
(理解しました!お父様!お飾り妻でも私は大丈夫です!)
「アニー…嬢?」
「ああ!申し訳ございません!マルティ様とお呼びしたほうがよろしいでしょうか?」
「あ、マルティでも眞子でも好きに呼んでください」
「ではマルティ様と…」
別の小説の話だけれど、こういった展開の場合基本元の世界に帰れない場合が多いのです。
強くなって魔王と倒した勇者でも元の世界に帰れず、でも国を救った英雄として王女様と結婚した話なんか王道中の王道です。
だから私が眞子様ではなくマルティ様と呼んだのは、これからこの世界で彼女は生きていくから。
彼女の本来の名前をお飾りなる身の私が呼ぶより、愛し合うヴァル様が呼んだほうがいいと判断した結果です。
だから
「よろしくお願いしますね」
にこりと笑って、敵じゃないアピールも欠かせません。
彼女の隣にいるヴァル様にも誤解されないように最初が肝心なのですから。
■
それから私は満腹を理由に(嘘ではなく事実)先に失礼して食堂を後にしました。
(ふぅ…席を立つことを許してもらえてよかったです。
あのままではお腹がはち切れそうでしたから)
それにしても何故か挙動不審なヴァル様に、何故か顔が青ざめている夫人に後ろ髪を引かれる気持ちになりましたが、これ以上食すことはできないし、第一二人の間を悪くするようなことはできません。
それにしても…、
食堂に着くまではあんなに機嫌がよさそうだったミーラもぷんぷんと怒っている様子に私は苦笑します。
「信じられません!婚約者として迎えたのに、他の女性を紹介するだなんて!しかも仲良くだなんて!
お嬢様を何だと思ってるんでしょうか!」
「まぁまぁ落ち着いてミーラ。私はちょっと引っ掛かってた部分もあったから理由がわかって寧ろほっとしてるの」
「引っ掛かってる部分…?どんなことか聞いてもいいです?」
「まず長女のお義姉様にじゃなくて、次女の私に縁談が来た理由よ。
お父様はしきりに話したがらなそうだったけれど、相手がいる男性との縁談が理由ならお父様が話さなかったのもわかるわ」
「えー、私はあの人じゃなくてお嬢様に縁談がくるのは当然のことだと思うんですが…。それにあの侯爵様がそんなこと考えますかね?」
「それに相手が公爵家ならお父様の立場からお断りするのも難しいわ」
「まぁ、それは確かに…公爵家の方が身分が上ですからね。そこら辺はさすがに私でもわかります…」
「それに数いる令嬢の中から私を選んだ理由もね。
私はヴァル様とは一つ違いなのだけれど、学生の頃結構成績もよかったからよく生徒会委員に選ばれていたの。
あ、生徒会というのはね各学年から先生達が指名するのだけれども、成績優秀者からしかえらばないのよ。
生徒会活動で学業がおろそかになっては困るからね。
だからヴァル様とも生徒会で何度か接点があったから、例えお飾りの妻になったとしても使える人を選びたいと思ったのではないかしら?」
「いや、確かにお嬢様は優秀すぎる人ですけど、普通に考えてとてつもなくかわいいだけじゃなくて、他の令嬢たちと比べてめちゃくちゃ性格がいいからじゃないですか?」
「それにあてがわれたあのお部屋、素晴らしい数の本が並べられてたことも。
しかも何の偶然か、学園にはなかった本たちばかり!これは【俺たちに構わないで、ここで時間をつぶしてくれ】ということでしょう!」
「いや!普通にお嬢様の趣味を把握したからこその選別なのでは?!……あれ、そう考えたら色々おかしい…?」
「ミーラ?どうしたの?」
突然悩みだすミーラに私はどうしたのかと尋ねましたが、結局ミーラからなにも教えてもらえませんでした。
「とにかく!ちゃんとはっきりわかるまで私お嬢様の行く場所どこでもついていきますから!
お嬢様も安心していつも通りいてください!」
「?わかったわ」
結局ミーラが何を考えているのかよくわからなかったけど、ヴァル様の偽の婚約者として招かれた以上、2人の間を邪魔するようなことはしないことを胸に誓いこの日は眠りにつきました。
■
そして次の日。
いつもの時間に目が覚めた私は、いつもと違う部屋に驚きつつすぐさま状況を把握しました。
「そうか…公爵家に来てたんだ…」
となるといつもの習慣化された行動は出来ません。
掃除も、朝食準備も、洗濯も、帳簿の確認も。
邸の管理をしていればあっという間に時間は過ぎていってましたが、何もしないとなると時間の進みがとても遅く感じられます。
「…あ。」
そうだ、昨日読み途中の小説を読んでしまいましょう。
あまりにもタイムリーで衝撃的な展開に、多少なりともショックを受けた私は昨日あのまま続きを読めずに寝てしまったのです。
一晩休み、頭も気持ちも整理がついた今なら何の問題もなく読める気がして。
早速、しおりを挟んでおいた頁から読み進めました。
◇
「ど、どうしましょう…!?」
いえ、どうもしなくてもいいかもしれません。
だってここは小説の世界じゃなくて、現実の世界なのだから。
でも現実に起こりえないファンタジーな内容が今、目の前に起こっています。
となると、この小説に書かれた内容が絶対に起こらない保証なんてまったくないのも事実なのです。
小説に書かれた内容は、異世界から来た女性に、居合わせた公爵家の独身男性が一目惚れをして、そのまま女性を邸へと招き入れる。
だが男性は親が決めた婚約者がいた。
男性は婚約者のことを好意的に見てはいなかったのだが、婚約者の女性は違った。
婚約者は男性のことが好きで好きでたまらないほどに愛していた。
邸へと連れてきた女性に、微笑みながらも笑顔で接する婚約者。
だけどそれは男性の前でのみだった。
女性が一人になるとあらゆる手段で女性を虐め、遂には殺人未遂にまで達してしまう。
だが婚約者から女性を救ったのは、婚約者が愛する男性だった。
男性は自分の婚約者を蔑んだ目で見下し、断罪する。
婚約者は叫んだ。「貴方のことを愛しているのに!」と。
殺人まで至ってはいないが、狂気に狂った元婚約者の女性は処刑を余儀なくされた。
裁判所でギロチンで首を切られそうになる瞬間、愛する男を最後にと元婚約者は目を向けた。
そして男性の隣に立つ女性が目に入る。
女性は笑っていた。安堵からではなく、とても楽しそうに笑っていたのだ。
元婚約者は、女性の表情にぞっとする。
そして悟った。ハメられたのだと。
バン!
「こ、これは小説…小説よ…
第一私はヴァン様のことなんとも思っていないし、マルティ様にも危害を加えようとも思っていないわ…!」
恋愛小説と思って読んでいたものがまさかのサスペンスというかホラーというか、思っていたジャンルと全く違うが、異世界の女性、公爵家の男性、婚約者の私、というキーワードが何とも絶妙に当てはまり怖くなって体がぶるりと震えあがりました。
よっぽどの恐怖心がうまれたのか、冷や汗もかいていました。
「大丈夫、大丈夫。仲良くやっていけば、なにも問題なんてないわ」
ぶつぶつと呟きつつ、心を落ち着かせていると、トントンとノックする音が部屋の中に響きます。
ホラー小説なんて読んでないのに、ただのノック音が部屋に響き渡っただけでドキドキと緊張感が高まりました。
「お嬢様~、起きてますか?」
ひょこっと扉から顔を覗かせたミーラに、強張っていた体から力が一気に抜けていくようでした。
「ミーラ……」
「あ、起きてましたね!…ん?小説読んでたんですか?」
「ええ、続きが気になってね」
「ん~、今日はお嬢様には寝ててほしかったのですが…だってお嬢様、侯爵家でも働きづめで全然寝れてないんですもん」
「そんなことはないわよ。毎日3時間ちゃんと寝てたわ」
「それ全然大丈夫じゃないですよ~」
そうかしらと首を傾げていると、ほどよく温められた湯を差し出されて、私はありがたく使わせてもらいます。
そして軽く身支度をしていると、トントンとミーラの時よりは力強いノックが響きます。
ミーラも一緒にいるので、先程の恐怖心は生まれませんでした。
一人じゃないというのはとても心強いものですね。
ミーラにお願いして出てもらうと、ミーラと共に入ってきたのはヴァル様でした。
「え、ヴぁ…ヴァル様?お、おはようございます」
「あ、ああ、おはよう。それより朝食にい、一緒に行かないか?」
想定外なことを言われた私は思わずミーラの顔を伺ってしまいます。
すると彼女は大きく頷く。
(これは受け入れろということかしら…?)
そういえば昨日ミーラに普通にすることと、彼女は私の傍にいつでもいると言われていたことを思い出します。
サスペンスなのかホラーなのかよくわからない小説を鵜呑みにせずに行動したほうが、この公爵家で生きていける可能性が高く感じると第六感が告げた気がしました。
「ありがとうございます。お誘いいただきとても嬉しいですわ」
そう言うとヴァル様はホッと胸を撫で下ろして、私に背を向けて肘と体の隙間を少し広げました。
どうやらエスコートしてくれるようで、私はマルティ様に悪いとは思ったが、ヴァル様の厚意を無視するわけにもいかずに彼の腕にそっと手を添えました。
ミーラが後ろについてきてくれることを確認し、ヴァル様と共に部屋を出る。
「き、昨日はよく眠れたか?」
「はい、とても過ごしやすいお部屋をご用意頂けたお陰でいつもより快適に過ごすことができました」
「そうか、それは良かった。
……昨日のことなのだが、その、すまなかった」
「?というのは?」
「マルティのことだ。いくら君が素晴らしい人だろうが配慮に欠けていた。
君のことを考えたら早めに伝えたほうがいいと思ったのだが…、すまなかった」
(配慮に欠けたというのは、婚約者として赴いた初日に伝えてしまって悪かったということかしら?
だったら私のことを考えて早めに告げたというのは、少しでも私がヴァル様に心動かされる前に行動したということよね)
「そのことでしたら問題ありません。寧ろ早々に教えていただきありがとうございます」
「…君は本当に…」
「?どうしました?」
「いや……、手続き上婚約期間が必要とはいえ…君みたいな人を妻として迎え入れられることを嬉しく思っているんだ」
「………」
少し頬が上気し、潤んだ目にじっと見つめられながらそんなことを告げられると、誰だって心臓がどきどきと高鳴ると思います。
甘いフェイスってこういう表情を言うのかしらと思わず考えてしまうほどに、黄色い声を上げていた女性たちの気持ちがわかった気がしました。
ドキドキと高鳴る心臓が止む気配もなく、私はじっと見つめてくるヴァル様から目を逸らすために下に目線を向けます。
「わ、私は自身の身の振り方は十分にわかっております。なので、ヴァル様の手を煩わせることのないよう十分に注意します」
「アニー……令嬢それはいったい…?」
「で、ですからそのように気を使った言葉は私には…」
無用ですと告げる前に、テンションの高い声が私達を出迎えました。
「ヴァル!アニーちゃん!おはよう!」
「お、おはようございます。公爵夫人」
「…母上、おはようございます」
ニコニコと微笑みながら、私とヴァル様をじっくりと眺め頷く公爵夫人。
「その様子ならどうやら誤解は解けたようね。ホッとしたわぁ~」
と胸を撫で下ろしていたが、いったい誤解とはなんだろうと首を傾げる。
「おはようございます、皆さん」
ヴァル様に添えていた手を離したところで、マルティ様もメイドに連れられて食堂に訪れました。
今の見られていなかったかしらとドキドキしたけれど、表情も変わらないマルティ様の様子にほっとします。
「マルティ様、おはようございます」
「あ、アニー様おはようございます…あの、どうか私のことは呼び捨てでお願いできませんか?
私の世界では様付けは一般的ではなくて…」
「わかりました。では、マルティ。どうか私のこともアニーと呼んでください」
「はい!ありがとうございます!アニー!」
花が咲くような笑顔ってこのようなことを言うのでしょうか。
パアと笑顔になるマルティ様が眩しいです。
そして少しでも疑ってしまった自分に嫌気がさしました。
そうでなくとも彼女はたった一人で誰も知り合いもいない世界に落ちてきてしまったのだから、優しく接して彼女が悲しまないようにするべきだったのに。
小説のどろどろした泥沼展開が起こらないように回避しようだなんて、彼女に対してとても失礼な思考でしたわ。
■sideミーラ
うちのお嬢様は不憫で、可哀想な人なのです。
父親には冷たくされ、母には使用人のように扱われ、姉には存在ごと無視されています。
朝とも言えないまだ薄暗い時間から働かされ、本来ならば夫人が行うべき邸の管理も、当主が行うべき領地の管理もお嬢様が行われているらしいです。
らしいというのは限られた人しか記入できない書面があるからです。
でも絶対お嬢様が行っていますよ!
だって税?とか私よくわからないですが、とにかく王都から申告確認が来た時、本来なら当主が対応するべきことをお嬢様が対応していらしたから。
それにしてもあの時のお嬢様はとてもかっこよかったわ。
かわいらしい見た目なのに、仕事の時はふわふわした銀髪の柔らかそうな髪の毛を結びあげて、堂々とする態度で指示を出していくのです。
王都の人の対応にも、困っていた執事にお嬢様がどこからともなく現れて、すぐに当主の書斎に案内して…、そこからは私はみていませんが、とてもかっこよかったのです。
他の使用人たちも私みたいに薄ピンクの瞳で指示を受けたときには悶えたくなりましょう。可愛すぎて。
しかもあのかわいらしいお顔でにこやかに一緒に仕事してくれるのも、もう天使です。
というかお嬢様がすることではないのに、「遅くなったわ」とかいってしょんぼりするところなんてもう床の上ゴロゴロしたくなるほどかわいいのです。
まぁそんな感じで。
仕事も出来るお嬢様はそれだけではなく性格もすごくいいの。
冷たい水に手を付けて洗濯をする使用人たちのことを気遣って、ハンドクリームを配布してくれたり、普段は貴族様くらいしか使えないトリートメントを自作したのか私達使用人にも卸してくれたり。
とにかくお嬢様の支持率は侯爵家に仕える私たちの中では断トツにトップクラス。
それほどに素晴らしい私達のお嬢様があの家から、いいえ。
あの家族から逃れられることができたことだけは、私達使用人としては本当に胸を撫で下ろす案件でした。
まぁお嬢様がいなくなったあの家が機能しているのかはわからないですが……。
お嬢様についていくことが許された私には、侯爵家のことなど情報も入ってこないのでわかりません。
それにしてもあの令息はいったいどういうつもりなのでしょうか?
お嬢様と婚約したかと思ったら、別の女性を連れてきてお嬢様に紹介したり…。
今流行りの小説のような展開がお嬢様を待っていたら、今すぐ私がお嬢様を連れ出して駆け落ちのごとく逃げ出すことも考えているのですが、どうやらあの男はそうではないようなんです。
お嬢様を見て顔を赤らませてポーとしたり、お嬢様の名前を軽々しく呼んでみたり、お嬢様が笑みを向けただけで照れてたように口元を隠す姿はまさしく恋する男子のような。。。
だからこそ、私がお嬢様の専属メイドとしてあの男が何を考えているのか見定めなければいけないのです!
‥・・・あ、お嬢様がかわいい…。
見たこともないお嬢様の様子に、私は床に這いつくばりたくなるほど悶えました。
■side公爵夫人
私の息子は、小さい頃からとても優秀でした。
顔は私と夫に似て美しくなるのは当たり前だけれども、中身も愛情をたっぷりと注いだお陰でひねくれることもなくスクスクと育ったわ。
どこから知識をもらってくるのかわからなかったけれども、かわいらしいうさぎのぬいぐるみを渡すと、「これは幼女向けのプレゼントでは?」と言いながらも大切にしてくれるのも可愛いくてね。
特に銀色のうさぎは息子のお気に入りになったのか、すやすやと寝ている息子をこっそり覗きに行ったらぎゅうと抱きしめながら眠っていた。
あれは最高級にかわいかったわ。
そんな息子がスクスクと育つと、周りの女の子もほおっておかなくなってきて、次から次へと縁談の手紙が届くようになった。
愛情掛けた息子にはできれば気に入った女性と一緒になって貰いたい考えを私だけじゃなくて夫も同じく持っているので、お断りしながらも、ある日息子に気になる女性はいないのかと尋ねてみたら…。
なんと!!
かっこよく育ったはずの息子が昔の可愛さそのままに頬を赤らませて「い、いますよ…」と照れているのよ!
これは!と夫と共に詰め寄ると、一人の女の子の名前が出てきたわ。
名前はアニー・クラベリックといって、侯爵家次女。
クラベリック侯爵家は元々一人娘で、男の子が生まれる前に夫人が亡くなられてしまった。
その後再婚をして、今の夫人の連れ子が今の長女になった筈。
結構頻繁に長女が侯爵夫人と共にお茶会やら夜会やら出掛けているから、婿養子を探しているのでしょう。
そういうことなら、次女のアニーちゃんに縁談を申し込みましょう!
とその前にアニーちゃんのことを調べることはしたけれど、全然問題なく。
成績も優秀で、性格も問題無しという女性であることがわかった為、私達は急いで縁談申し込みの手紙を送ったわ。
公爵家からの縁談を断るような家はそうそうないしね!
でもそれからは返事が全くなく、ついに半年が過ぎた頃やっと了承の返事が来たのよ。
まぁきっと愛娘の為に、色々とうちの息子のことを調べたのだろうと思って半年くらいどうってことないわと、息子にokの返事が来たと告げると早々にアニーちゃんの為に部屋作りに勤しむじゃない!
アニーちゃんの趣味は読書ということもあって、学園にはなさそうな本を調べ上げて、部屋に大きめの本棚を設置し、尚且つ彼女専用の図書室も作り上げた。
他に彼女の好きなものはないのかと聞いても、無反応だったけれど…。
あれ、もしかしてアニーちゃんと息子ってそんな接点ないのでは?と思ったけれど、私達の自慢の息子が相手なら落ちない女の子はいないよねと、家に連れて来たら全力で落としなさいと告げ、そして彼女が来る当日。
わくわくしながら息子と待っていると、急遽息子は王子殿下に呼び出され。
私はというと王妃殿下に呼び出される。
なんでこのタイミングなのよ!と思いながら、息子と共に執事のセバスチャンに後を任せて、アニーちゃんを迎えることも出来ずに邸を離れたのだった。
そしてアニーちゃんを待たせていることから、息子を待たずに先に帰り
やっとのことでアニーちゃんに会えたの。
とてつもなくかわいらしい見た目で、そして昔息子はうさぎのぬいぐるみを大事にしていたことを思い出した。
成程。ストライクゾーンのど真ん中だったのね。
にや~と口元が緩むのを抑えられずに、彼女との食事を楽しんだわ。
じっと見つめていると、かなり細身で華奢すぎる体型をしていることに気が付いた。
出されたサラダとスープを平らげただけでかなりきつそうに見える。
それでも息子が来るまでと思っているのか、それとも私に気を使ってか、ゆっくりと、非常にゆっくりと食していく。
これはアニーちゃんではなく、侯爵家を調べたほうがよさそうね。と目を光らせたとき、息子がやってきた。
よりにもよって、年頃の女性を連れて。
■side 眞子
私は石原眞子。
日本の田舎の町に住んでいる特に目立った特技もない普通の女子高校生です。
ある日突然帰り道ぽっかり穴が開いたらしい場所に私は落ちた。
らしいというのは、その日テストの点数が悪くてあーあって思いながら空を眺めてたから地面に開いた穴なんて気付かなかったの。
そして穴に落ちて気付いたらこの世界にいた。
この世界は別に倒さないといけない魔王とかはいないらしいけど、それでも魔物はいるらしい。
でもちょっかいをわざわざかけたり、なわばりに飛び込んでいかなければ害はないらしい。
それは普通の動物と何ら変わらない感じね。
だから私がなんでここに来たのか、誰も召喚していないしで、皆目が点になってた。
というのも召喚自体やれる者はいないらしい。
昔はかなりいた魔法使いも今は全然いないのが原因だとか。
魔法使いは貴族、平民関係なく存在していて、いつしか平民の魔法使いが多くなったらしい。
立場を脅かされると思った貴族が平民の魔法使いを処刑していくようになって、それで魔法使いの存在が今では全くいないほどになったとか。
なので日本みたいに文明が栄えていて、でも二酸化炭素とか地球に悪い物質を出すような資源は使ってなくて、そこは異世界ファンタジーだなって思った。
なら早く日本に返してよって話になるけど、先ほど言ったように今は魔法使いの存在が絶滅危惧種なみに珍しく、もしかしたら帰れないと言われた。
王城で生活していくと、頭がおかしいおっさんたちが、私なにもできないのに聖女様だなんだと言い始めたらしくて、王子様に別の所に行ってもらうと言われた。
私も何の力も持ってなくても争いの種にならないように言うことを聞かなければいけないと思ったから、素直に受け入れた。
追い出されても困るしね。
それで来てくれた人は何度か会っている、とんでもなくカッコいい人だった。
名前は…カタカナで忘れてしまった。なんかヴぁ…なんとかさんとか言ってた気がするけど、正直一度聞いただけで覚えれないんだよね。
そこまで頭良くないんだ、私。
まあとりあえず凄いイケメンは現実離れしてて、なにこれ漫画?って言う感じだったからなにも胸がときめかなかった。
イケメンも度を越すとただの肖像画みたいになるのね。
それか私が違う世界の人だからいくらイケメンでも好意を抱かないようになってるとか。勝手な予想だけど。
イケメンな皇子の友人は困った顔しつつ、それでも私を引き受けてくれた。
王家でも魔法使いの存在を探して見るけど、それまでの間は公爵家で過ごしてくれとのことらしい。
身分とかよくわからないけど、とりあえず帰るまでお世話になろう。
■side 侯爵家
「なんだこの食事は!」
あの忌々しい女の子供をこの家から追い出せた後日、徐々に悪くなる食事に声を上げた。
私と元妻は政略結婚だった。
私のすることやること何も口出ししないという約束があったから“仕方なく”婿としてクラベリック侯爵にはいったのだが、元々の侯爵の爵位は元妻のものだった。
その為仕事関係は全て元妻に任せ、私は”約束通り”遊び歩いていた。
元妻は私のすることになにも口出しすることはなかった。
愛もない政略結婚だからこそ、元妻との間に問題も起きなかったと思う。
だがそんな“楽しい”日々が過ぎていったとき、元妻がなくなった。
原因不明とのことらしい。
元妻の爵位はそのまま私の物になり、邸も当然私の自由に使えるようになった。
“外で”出来た子供と新しい妻を招き入れて、共に暮らした。
新しい妻のことはそれなりに愛している。
少なからず元妻よりは。
私は面倒だが侯爵当主としての仕事もこなし、少しの息抜きの為に外に出かける。
新しい妻は侯爵の仕事にはちんぷんかんぷんだったが、それでも邸の事は任せられた為、連れてきた娘と共に着飾ってもなにもいわなかった。
新しい妻とその子供が来て暫くした後、元妻の子供が食事の席に姿を見せなくなった。
新しい妻は「学業で忙しいのよ」と言ってはいたが、卒業したはずだと記憶している。
まぁ、それでも私が何も言わなかったのは、元妻に似ている子供の顔をみることがなくなって正直安堵したからだ。
政略結婚したとはいえ、子供も作った関係の私に目を向けることもせず、結局最後まで私に関心を寄せなかったあの女の顔を。
これで二度と思い出すことはないと。
新しい妻も、その子供も、にこやかに過ごしている。
私は“たまの息抜き”ができれば、もう十分満足なのだ。
侯爵家の当主として仕事は沢山あったが、雇っている執事も元妻から引き続き雇用している人材の為、私が“多少”やらなくとも仕事が片付いていることがあった。
その為公爵家からの縁談申し込みに気付くまで時間がかかってしまった。
スターレンズ公爵家長男。ヴァルレイ・スターレンズ。
眉目秀麗で文武両道。若くして既に公爵家後継者として父親から仕事を任されていると噂だ。
そしてもう一つの噂。
最近この国にやってきた、一人の女性を王子殿下と共に囲っている。と。
(そんな男が何故縁談申し込みを…?しかも元妻の子供に…)
新しい妻にも意見を聞くために食事中話を切り出すと、公爵家と縁ができるのは素晴らしいことだと、受け入れましょうと嬉々として言った。
確かにそうだ。公爵家といえば王家の次に力を持つ身分で、受け入れる以外選択肢などない。
我が娘も”長女”として異論はないそうだ。
(まぁあの娘がいなくなったとしてもなにも変わらないか)
と考えて、私は早速了承の返事を送った。
そしてあの元妻との子どもを送り出した数日後のこの食事だ。
「シェフ!なんだこの食事は!?」
肉も魚もなにもない。緑オンリーな食事に私は目じりを吊り上げる。
「…そ、それが…食費が大幅にカットされてしまい…仕入することができなく…」
「食費がカットだと!?執事!どういうことだ!」
「それは奥様に伺ってください。
私としても遺憾なことなのです」
「は!? おい!どういうことだ!?」
「あら?新しいデザインのドレスを仕入れることは悪いことではないでしょう?
貴方だって購入することには承諾してくれたわ」
「だからといって食費を切り崩すやつがいるのか!?」
「新しいドレスは体型を見せるデザインですもの。その為には食事管理も必要ですわよ」
「それに私を巻き込むな!!!
……とにかく、食費はカットするな。贅沢したければ他の予算から考えろ」
その一言に眉をひそめた執事が視界の端に入ったが、妻はにこやかに微笑んだ。
ふぅ、とりあえずこれで大丈夫だろう。
女は金が掛かるというが、私まで巻き込むのは勘弁してもらいたい。
■
平民となんら変わらない服に身を包んだ私は、麦わら帽子を被りながら横を歩くヴァル様を見上げました
公爵家に来て数日後、ヴァル様の休日を初めて迎えた私は特に予定もなく、セバスチャンにいつも通り指導してもらいに行くところでした。
廊下で私の部屋に訪れようとしていたメイドの子に「今日はセバスチャン様は休暇を取ってますので!」という一言と共に洋服を手渡され、ミーラと共に部屋に戻ります。
ミーラは「これもお嬢様の為!」といいながら私の服を着替えさせていきました。
そ、そんな慌てなくても服は自分でも着れますのに…
そしていつの間に腕を磨いたのか、ミーラに軽く化粧を施された頃、ヴァル様がお部屋にやってきました。
「き、今日はなにか予定があるか?」
いきなり服を手渡されたけれど、セバスチャンに指導してもらえなくなった私には特にこれといって予定はないのでその通り伝えました。
「で、では今日は、…わ、私と共に町に出かけないか?」
「え、しかしマル…「お嬢様!」
私がヴァル様と話すときには離れた場所に立っているミーラが私の口を手で覆いました。
一体どうやっていつ移動したのでしょう。素早すぎます。
『お嬢様!ここは受け入れるべきです!』
『え、でもマルティ様に誤解されるのでは…?』
『おそらくそれ自体が誤解の可能性もあるのです!それに令息様が誘っているのはマルティ様ではなくお嬢様ですよ!
断らずに、受け入れてください!』
『え、ええ、わかったわ…』
こそこそとミーラと話した後、ヴァル様に向き直って提案を受け入れました。
「先程は申し訳ございません。
私なんかでよければ是非ヴァル様とご一緒させていただきたいと思います」
「本当か!?では行……、支度はまだかかるか?」
ちらりとミーラを伺くヴァル様に、ミーラはフルフルと首を振ります。
「いえ、先程終わりました。
お嬢様をよろしくお願いします」
「そうか、では行こうか」
「え、あ、はい…」
(ミーラはついてきてくれないの?)とちらりとミーラを見るけれど、ミーラはにこやかに笑うだけでした。
そしてヴァル様と私は、何故か二人きりで町にいます。
(公爵家の長男なのに護衛とかいらないのかしら?)と疑問には思いますが、周りを見ると騎士の方がちらほらと見回りしているので大丈夫、なんでしょう。
それにしても
「凄い人混みですね…」
「アニー……嬢は知らないのか。今日はマライデーなんだ」
マライデーとは、昔平民の魔法使いを狩る貴族の行為を同じ貴族が咎めたことがあった。
止めようとした貴族もかなりの力を持っていたが、抵抗する貴族もそれなりに規模も大きく一触即発。
国の中で内戦が起きようとしていた。
そこで、マライという名の貴族は当時見下していたはずの平民と共に手を組み、愚かな貴族の行動を止めることが出来た。
貴族と平民の差を見直すきっかけにもなったこの日をマライという名の貴族にちなんで、マライデーと呼ばれるようになった。
だけど悲しいことに、貴族に狩られたしまった平民の魔法使いは身を潜め、数が少なかった貴族の魔法使いは今では見かけることもなくなってしまった。
「マライデーなら知っています。ですが、その日がこんなに賑わうのは知りませんでした」
「そうか、なら初めての経験ということだな」
「そうですね」
ヴァル様の言葉に同意すると、徐々にヴァル様の顔が赤くなっていきます。
「…っ」
「ヴァル様?どうかしました?」
「…いや、アニー嬢の初めての体験を私が…と意識したら恥ずかしくなってしまった」
「!」
ああ、もう。
なんでこの人はこんな思わせぶりな言動ばかりするのでしょうか…。
学園に通っていた頃のヴァル様はクールビューティだと聞いていただけに、こんなにかわいらしいとは知りませんでした。
「あの…そんなに深く考えないでいただけますか?
…ご、誤解されてしまいます……」
「誤解?一体誰に?」
「誰に…?」
本当にわかっていないのでしょうか?
困った子犬…いえ、大型犬のような眼差しで私を眺めるヴァル様に私も首を傾げます。
「……すまない。君が婚約者と来てくれて私は今はしゃいでしまっている。
その所為で少し回りが見えていないところがでてきている……かもしれない。
だから、君が考えていることを教えてくれないか?
君との間に少しのわだかまりも生まれて欲しくないんだ」
「はい……」
場所を移動しようと連れていかれた場所は大通りから少し離れたところにある小さな公園でした。
いつもは小さな子供たちで賑わっているような公園は今は、お祭りの影響で人がほとんどいませんでした。
婚約者とはいえ、あって数日の男性の方と密室に二人きりというのもどうかと思いますし。
ヴァル様が気を使ってくれたのでしょう。ありがとうございます。
「それで、君の思っていることを教えて欲しい」
「あの…」
「といっても具体的に何を言っていいのか戸惑うよな…。話をしたいと言ったのは私の方だし…。
わかった。私から話そう」
「は、はい!」
真剣なヴァル様の眼差しに私の背筋がいつも以上にまっすぐ伸びてしまいます。
わわわわわ。どうしましょう。
他の小説にあった“契約結婚”とか切り出されてしまうのでしょうか?
「私は君のことを愛することはない」とかなんとか言われてしまうのでしょうか?
(目の前の真剣なヴァル様の口から直接…)
そこまで考えると、胸にずきりと痛みが走りました。
短い間でしたが、ヴァル様は公爵家に来た私に常に気を使ってくださいました。
後継者として忙しい身であるのに、私を見かけると駆け寄り、短くても言葉を交わしてくださいました。
食事も量が多くていまだに食べきれない私がシェフに申し訳なさそうにしていることに気付き、私が食べきれる量に変えてくださいました。
私が無理をしていないかセバスチャンや、ミーラ、世話をしていただくメイド達にいつも尋ねてくださっていました。
私に掛ける言葉もいつも私のことを考えてくださる、本当に優しい言葉。
私に向けてくださる表情も、冷たさや厳しさはなく、思わずかわいいと思ってしまう表情や、私自身が恥ずかしくなってしまう表情で。
でも私はそれが嫌なのではなくて、
とても嬉しくて
もっと向けてもらいたくて
そんなヴァル様から「愛することはない」と言われてしまう。
ズキズキと胸が痛くて張り裂けそうです。
「あ、アニー…?どうした?」
「私、私…」
涙が頬を伝って、ヴァル様も私がいきなり泣き出してしまうので動揺してしまっています。
ああ、本当に困らせてしまってごめんなさい。
でも、貴方から告げられる前に言わせてください。
「ヴァル様…、私、私ヴァル様のことが好きです…!」
「!」
「私、…は、ヴァル様になにも望みません。安心してください。
ヴァル様に他に想い人がいることは私もわかっています。
ですが、私がヴァル様を好きなことは知っててもらいたくて…こうして想いを告げ「待ってくれ!!」
「?」
「私に君以外の想い人?一体何の話をして…、いやその前に、だ。
アニー嬢。いや、アニー、私は学園で君に出会ったときからずっと君だけを想っていた。
私の想い人は君だ。アニー」
「……」
驚きすぎて言葉も出ないとはこのことでしょうか?
涙もすっかり止まってしまって
「え、ちょっ、ちょっと待ってください!
ヴァル様は私ではなくマルティ様のことがお好きなんですよね?」
「いや違う!私が好きなのは君だ!アニー!
母上も父上も私が好ましいと思っている女性を妻に迎えるように言っていただいている!
だからこそ君への気持ちを正直に話し、君の家にだいぶ前から縁談の申し込みをさせていただいていた!」
「え?だいぶ前…?
私、お父様に告げられてから一月も経っていませんが…」
いえ、その前にそのような手紙見た覚えもありませんでした。
でも私がお父様の書面を確認するようになったのは最近です。
お母さまが亡くなって、新しくきたお義母様やお義姉様に『次女として邸への責任を持つように』と言われるまで、悲しみに暮れていましたから。
お二方の言葉にハッとし、周りに目を向けると、疲れ切った執事や困惑しているメイドや使用人たちがいて、それで邸の管理を行い、またお父様の仕事状況を確認するようになったのです。
だからもし私がなにもしていなかったあの頃に手紙が来ていたら、お父様以外気付いた者はいなかったでしょう。
貴族同士の婚約となると、相手方の人柄や、経済状況などの確認の為調査を依頼することは聞いたことがありますが。
それでも帳簿を見る限り、そういったお金は動いた形跡がありませんでした。
だいぶ前に縁談の申し込みをしたというとここ一カ月の間に来たといわれているマルティ様は婚約の話には無関係となり
そうなるとお父様が何故私に黙っていたのか、その理由がわからなくなります。
相手がいる方だからこそ、その事実を私に話しづらくて言わなかったとばかり思っていたので。
「アニー、聞きなさい。私は君が好きだ」
考え込んでいると顔を両手で包み込むように持ち上げられて、再び告白されました。
好きなヴァル様から至近距離でそのように告げられて、私の顔も熱くなっていきますが、ヴァル様も負けずに赤いです。
「はい…」
もう信じるしかありません。
思い出してみると最初の食堂でマルティ様を紹介された時以外、ヴァル様とマルティ様が一緒にいるところは見ていませんでした。
私もセバスチャンから教育を受けるためにマルティ様とは時間を過ごしていませんでしたので、公爵夫人がマルティ様と主に一緒にいました。
相思相愛ならばもっとお互いとの時間を作ってもいいはずなのに、ヴァル様はいつも私に時間を割いてくれていました。
(誤解していたのは私の方だったのね…)
今日町へと出かける私をにこやかに見送ったミーラを思い出します。
私の考え自体が誤解の可能性があるとミーラも言っていました。
ミーラが優れていて、本当に良かった。
ミーラが私と同じ誤解をずっと持ったままなら、今頃拗れに拗れていたでしょう。
◇
そして帰路の中、手を繋いで公爵邸まで歩いていた私はヴァル様に問いかけます。
「そういえば何故マルティ様をヴァル様が引き受けることになったのでしょうか?」
「ああ、最初は王城で彼女を保護していたのだが、昔存在していた聖女という存在を持ち出してきた者たちがいてな。
彼女が聖女だと喚き、既に婚約者が決まっている殿下に無理やり嫁がせようとしたりで……。
我慢できなくなった殿下が私に魔法使いが見つかるまで保護してほしいと依頼してきたのだ」
「魔法使い……」
「ああ、どのようにして彼女が来たのかはいまだにわかっていないが、別の次元から来た者は魔法使いでないと返すことは出来ないからな。
だが、その魔法使いを探すことに手間取っている状態なんだ」
「………あの、もしヴァル様が秘密にしていただけるのでしたら、私がお手伝いしましょうか?」
「?どういうことだ?」
首を傾げるヴァル様に私はくすりと笑って、素早く周囲に探知魔法をかけます。
半径3キロに誰もいないことを確認してから、人前では躊躇っていた魔法を使わせていただきました。
暗い夜道の光景から、私の部屋に一瞬で移動します。
瞬間移動です。
目を丸くするヴァル様に、「亡き母から誰にも言ってはいけないと言われていましたので、今まで使ってこなかったのです」と告げると状況を飲み込んだ後苦笑された。
「協力してくれるのは助かるが、君への負担は?」
「魔法は己の持つエネルギーから消費されますので、それが対価となります」
「エネルギーというのはもしかして命か?」
「いえ、走るときに体力がいるように、魔法を使うのにも魔力といわれるエネルギーが必要となり、それは命へは影響しません。
魔力がなくなったら、魔力が回復するまで魔法が使えなくなる。それだけです」
「…そうか」
「大丈夫ですよ。私今まで魔法は極力使ってきませんでしたが、今こうして瞬間移動しても魔力が減った感じはしませんでしたので、まだまだ余力はあるかと」
無理はしなくていい。と心配顔で言われましたが、私は逆に嬉しくなりました。
そういえばこんなふうに心配される経験が私あまりなかったと思います。
マルティ様…いえ、眞子様のもとに二人で向かいます。
空は暗く染まりましたが、まだまだ寝る時間には早い時間。
思った通り眞子様は起きていました。
「君が帰る手段が見つかった」
「!本当ですか!?…ああ、よかった、やっと私帰れるのね」
安堵から一筋の涙が流れる姿を見て、胸が痛みます。
もっと早く告げればよかったと。
「マルティ…、いえ、眞子。あなたが帰れるためのお手伝いをさせてください」
「アニー、もしかしてあなたが?」
「はい。今まで黙っていて申し訳ございませんでした…」
「ううん。魔法使いって絶滅危惧種って聞いたもの。名乗り出るのも難しいわよね」
「絶滅きぐ?」
聞きなれない言葉に首を傾げると、眞子様が焦ったように首を振る。
「あ、ううん、なんでもないの」
「ではアニー、よろしく頼む。だが決して無理はするな」
「ありがとうございます。でも大丈夫だと思います」
私は安心させるようにヴァル様に微笑み、そして眞子様に歩み寄ります。
眞子様の手を包み込み、眞子様の額に私の額をくっつけます。
「イメージしてください。あなたが帰りたいと強く願う故郷を」
「はい…」
「……とてもいい故郷なのね。とても温かいイメージが私にも伝わってきます」
「はい…はい…」
ぽたぽたと眞子様の涙が手に流れ落ち、そして私はそんな彼女がちゃんと帰れるように全力をもって魔法を使いました。
白い靄が彼女を包み込みます。
彼女がこれ以上辛い思いをしなくてもいいように。
そう願いを込めて。
握りしめていたぬくもりがなくなって、私は瞑っていた目を開けました。
彼女を覆っていた白い靄も消えています。
私は最後にもう一度目を閉じて、彼女の思い浮かんだ彼女の故郷をイメージしました。
そして見えていきます。
彼女に駆け寄る家族や友達の姿を。
泣き崩れる彼女の姿を。
そして、膝から力が抜け落ちた私をヴァル様が受け止めてくれました。
「大丈夫か?!」
「はい、問題ありません。
それより、マルティ様…いえ、眞子様の帰還を確認しました。送り届けられて、本当に良かった…」
眞子様の無事を確認できた私は思わず微笑んでいました。
「君は本当に……」
「どうしました?」
「いや、君にまた惚れ直してしまった。
愛しているよ、アニー」
「私もヴァル様の事を愛しています」
■■■
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完結済みですので、見てもいいよ!と思ってくださる方は是非みてください~。