#009:世界と絆
『目が覚めたのですね』
ほんのわずか気遣うような声音で、セイムルーダが話しかけた。俺は辺りを見回して、ベッドの脇にあるペンダントを手に取る。
「俺、どうしてたんだ?」
ペンダントに向かって問いかける。端から見れば変な奴に見えるだろうが、ペンダントの琥珀の向こうには彼女がいる。
『混沌石を砕いたあと、倒れてしまったのですわ。……二日ほど眠っておりました』
二日――
それで、小唄がベッドの横なんかで寝ていたわけか。相変わらずの心配性だ。
『小唄さんは貴方が倒れてからずっと、治癒の言霊を使って下さったり、ここまで運んでくれたのですよ』
小唄にしては頑張ってくれたらしい。たしかに、あるはずの体の痛みは殆どないし、調子も悪くない。俺は突っ伏したままの小唄を見つめ、ほんの少し金色の髪に触れた。
「……サンキュ。でも、こんなところで寝たら風邪引くぞ」
苦笑して、俺は軽く小唄を揺する。俺はもう平気なんだから、せめてベッドで寝て欲しい。
「ん……」
が、予想以上に小唄は目覚めが悪い。毎回学校を遅刻しかけているのはこの目覚めの悪さが原因なんだろうか。
『ご一緒に寝られてはどうですか?』
「……は?」
唐突に、セイムルーダが意味の解らないことを囁く。
家族ならともかく、友人とふたりで寝るというのには抵抗がないわけ無い。しかも、よりによって小唄だ。
「一緒にって……」
『わたくし、何か変なことを言いましたか?』
きょとん、という擬音がぴったりくる声音で、セイムルーダは不思議そうに呟く。そういえばあんまり意識はしていないが、こいつは人間じゃなくて聖霊だ。俺達の感覚とはすこしどころかかなりずれた部分がある。
これもそのひとつか……思いながら、俺は小唄から手を離す。
「普通、人間は友達と一緒に寝るって事を恥ずかしがるもんだ」
『……そんなものなのですか?』
ベッドの脇にペンダントを置いて、俺は小さく頷く。それから、両腕で小唄を抱きかかえた。この部屋が一人用ってことは、小唄にも部屋はあるはずだ。けど、そこまで連れていくよりはここで寝かせたほうがラクだろう。
『恥ずかしいのでは?』
「……風邪引かれるより、いいよ。ところで、シエラはどうしたんだ?」
ベッドの半分に小唄を寝かせ、俺はまたペンダントを手に取る。それから、不意に気になったことを聞いてみた。
『シエラさんは隣の部屋を借りていますわ。すぐに別れることも出来たようですが、倭さんが心配らしく、目覚めるまではと行動を共にしていました』
つまりはここは、レダノって国の宿屋かどこかのようだ。世界樹の麓なら、木の根っこ位飛び出してるはずだし。
「……シエラには迷惑かけたな。あとで謝らないと」
溜息を吐き、俺はそっと小唄の隣に寝転ぶ。気を使わなくても起きないだろうが、だからって遠慮なしも良くない。
『眠られますの?』
「……ああ。まだ外も暗いし」
窓の外を見ながら、俺はふと、空に当たり前のように浮かんだ三つの月を見る。この世界には、月が沢山あるんだろうか。
「……あれ、全部月なのか?」
『はい、中央の月はルノー、左右の小さな月はそれぞれメラとミラ。人間の間では様々な伝承がありますが、事実のみを述べると、ルノーが惑星でメラとミラが衛星なのです』
いきなり宇宙的な話になったな、などと思いながら、俺はふと、月にしては色があるなと思う。なんとなく地球を彷彿とするルノーの星は、色鮮やかな緑と青だ。
「ルノーにも人はいるのか?」
『あら、よく気付かれましたわね。ルノーはわたくしの妹なのですわ』
……。
何だか寝しなに聞くような話ではなくなってきたぞ。
「……解るように説明を」
『あら、ごめんなさい。……ルノーはここ数千年で生まれた、若い惑星なのですわ』
俺が説明を求めれば、セイムルーダは俺にも解る言葉を選んで話し始めた。
セイムルーダの月、ルノー。
その世界樹の聖霊ルノーは、およそ四千年前に誕生した。
セイムルーダとその父エンリス――太陽らしい――は、自らの霊力をメラとミラの衛星とし、ルノーをふたつの月で照らしたという。
そのため、ルノーには朝や昼間が存在せず、人々は常に月明かりの下で暮らしているらしい。
『ルノーの住人たちは、ここセイムルーダの住人とはやや異なります。まず、耳が長く、個人により形状は異なりますが尻尾を有しておりますわ。それ以外は、貴方達と変わることはありません』
ようは、ここよりもさらにファンタジー寄りな惑星らしい。だが、彼女がその住人の外見を知っているのはどう言うことだろう。
『わたくし達は、それぞれと繋がっております。わたくしがルノーに顔を出すことも、エンリスに顔を出すことも、容易だったのです』
「だった?」
最後の言葉が引っかかる。わざわざ過去形にするのは、今は出来ない理由があるのか。
『混沌石です。わたくしは大量の霊力をあの石に奪われ、急いでエンリスとルノーから繋がりを断ったのです。
混沌石は、どのような世界にも関係なく現れます。……とりわけ、その世界と近しい関係にある場所、同じ霊力の流れを共有するふたつの世界には必ず出現するでしょう』
だから、エンリスとルノーから霊力の流れ――繋がりを断った。その説明を続けるセイムルーダの声は、なんだか酷く悲しげだ。
「――俺達の世界は、どういう関係なんだ?」
悪いと思いながらも、俺は以前から気になっていたことを訊ねる。なぜ、セイムルーダは俺達の住む世界から、わざわざただの人間を呼び出したのだろうか。
『それは、貴方達の世界――地球が、わたくし達とは全く異なる性質の惑星だったからです。他にもそのような惑星は無数にありますが、とりわけ、地球の力は強かったのですわ』
つまり、俺達は漫画やゲームでよくある別次元とかの世界ではなく、惑星間を移動した、ってことなんだろうか。
「だいたいわかったけど、なんで俺達だったんだ?」
俺はそう質問しようとして、間隣から一足先に全く同じ質問が飛んだことに気付く。
「――小唄!?いつから起きて……」
「普通、人間は友達と〜、のあたりかな」
ちょっと待て。つまりなんだ?俺がわざわざベッドに寝かせてやってるときもこいつは狸寝入りだったのか?
「いやー、起きるタイミングが……って、こらこら倭くんそんな怖い顔しなーい」
あはは、なんて笑いながらごまかそうとする小唄に、俺は呆れて言葉も出ない。
『……お二人を選んだのは、絆の強さですわ』
タイミングを見計らったつもりなのか、セイムルーダがくすくす笑いながら呟く。俺と小唄は顔を見合わせて、何度か瞬きを繰り返す。
「絆……?」
『……はい。何度も地球の側をさまよいながら、わたくしは絆がより深い者たちを、世界樹の神殿へ呼び寄せていました。そして、わたくしの呼びかけに応じてあの聖堂までたどり着いたのは、貴方達ふたりだけだったのです』
つまり、俺達は自分から巻き込まれに来てしまったわけだ。そのあたりは今更考えても仕方がないが、呼びかけに応じなかった連中はなんだったんだろう。
「絆なぁ。見えるものな訳?」
『いえ、けして見えるものではありませんわ。絆というものは、感じるからこその繋がりですもの』
小唄の軽い疑問に、セイムルーダはどこか嬉しそうに語る。
「倭と俺の絆……か。はは、でも確かにそんな大層なもの、無きゃ困るっつーかあって当然だよな」
やたらに確信したような口調で、小唄は俺の肩を叩く。同意を求めているんだろう。
「……そうだな。でも小唄の場合、そこに腐れ縁とかも含まれてそうだよなー」
わざと意地の悪い笑みを浮かべてそう言えば、小唄は「ひっでー」とけたけた笑う。こういう、言わなくても互いを理解する事も絆がもたらすものなんだろうか。
「さて、絆も深まったとこで、朝まで寝ようか」
にこにこしながら、小唄が提案する。欠伸をかみ殺しているのを見ると、まだ寝たりないんだろう。
「そうだな……寝ようか」
俺もまだ疲れがあるのか、横になればすぐに眠れる自信はある。頷いて、横になれば小唄も隣に――
――待て。
「ちょい待て。何でお前が同じベッドで寝ようとすんだ」
がば、と起き上がり、俺は寝ころびかけた小唄の肩を掴む。すると、小唄はえーと声を上げた。
「一日くらい良いっしょ。へるもんじゃなし」
「主に寝る場所が減る」
じっとりと、半眼で小唄を見つめる。何を考えてるかたまに解らない奴ではあるが、これほど訳の分からないことは滅多にない。
「……こーすりゃ狭くても平気だ」
にこり。爽やかすぎる笑みに気を取られた瞬間、体がぐいと引っ張られた。
一瞬何があったか解らず、ややあって小唄に抱きしめられた事に気付く。――これは一体どういう事だ。
「おい……っ!?」
「倭ってけっこうあったけーな」
俺の苦情なんて無かったかのように、小唄は耳元でぼそぼそと囁く。少しくすぐったいのを堪え、俺は突き飛ばさないよう手加減して小唄を引き剥がした。
「――悪ふざけは……」
「悪ふざけなんかしてない」
ほんの少し怒気を交えて食ってかかれば、小唄は動じることなく俺の言葉を遮った。一瞬、沈黙がその場を支配する。
「俺は、真剣だよ」
灰色の目が俺を映す。射抜かれるように見つめられて、俺は一瞬背筋にひんやりしたものを感じる。
こんなのは、見たことがない。
不意に、小唄の手が俺の頬に触れた。一瞬びくっとして見上げると、すぐそこに、小唄の顔――。
「……小唄?」
不安になって後退れば、小唄の表情が瞬時に変わる。それはもう、あの射抜くような目じゃなくていつもの小唄だ。
「――ごめん」
口を開けば、いつもの小唄らしい声音で謝罪が飛ぶ。すぐに手が離されて、小唄は俺に背を向けた。
「……小唄、今の――」
「忘れてくれ」
先程の不可解な行動について聞けば、小唄は背を向けたまま堅い声で呟く。こうなったら、たぶん向こうがその気になるまでは話さない。
「……小唄」
俺は少し寂しくなって、ほんの少し聞こえるくらいの声で呟いた。小唄がほんの少しこちらを見る。
「……寝ようか」
軽く袖を引っ張ると、小唄は少し複雑そうに俺を見た。それでもすぐに頷いて、小唄はそっと横になる。
それに倣うように俺も横になる。ちらりと隣を見ると、小唄と目があった。
「おやすみ」
「ああ。おやすみ」
くしゃりと、頭を撫でられる。これは嫌いじゃないというか、なんとなく心地が良い。俺が寝るまで起きているつもりなのか、小唄は子供でもあやすように俺の頭を撫でる。
気がつけば、そのうちに眠ってしまっていた。
* * * * * *
「へぇ、塾とか行ってんだな」
小唄の持っている鞄、そこについている有名進学塾のロゴを見て、俺は感心する。周囲には塾なんて通っている子供は居ないし、みんな夕方まで走り回って遊ぶのが普通だった。
「遊んだりしないのか?」
「あ……、えっと」
たぶん、普通の子供の質問なんだが、小唄は答えられないようだった。俺は少し困りながら、ふと思い立って小唄の手を握る。
「今日は塾、終わりなんだろ?」
「え?うん、帰るところだったんだ」
用事の有無を確認すれば、時間はまだある。ポケットの小銭をこっそり確認した後、俺は小唄の手を引いて歩き出した。
「ちょっとでいいから、遊ぼーぜ。ついて来いよ」
「えっ、あ――うんっ」
慌てて頷く小唄を連れて、俺は得意げに微笑んだ。
例えるなら、小唄にとってそれは冒険みたいな物だったかも知れない。駄菓子屋でアイスを買い、溶けないうちに近場の廃ビルの階段を上がる。
少し息が上がった小唄が、まだそこまで壊れていないビル内を見渡す。端にある椅子を引っ張り出すと、俺は窓の外を指差した。
「俺の秘密基地。ほら、こっからだと夕日がきれいに見えるんだぜ」
俺が示した先を見て、小唄は歓声を上げる。
それが、小唄にとって初めての「遊び」だった。
* * * * * *