#007:別れと再会
目の前に二つにわかれ落ちた藍色の石が、灰へと色を変えていく。
そのとき俺は、ようやく自分の目から涙が溢れていることに気がついた。
「――倭」
呼ばれるままに顔を上げると、小唄が心配そうに俺を見つめていた。その手が、俺の頬に伝い落ちる涙を拭う。
「小唄……お前も、見たよな」
「……うん」
灰色の目がすこし細められる。短い返事には構わず、俺は言葉を続けた。
「なんで、俺達の世界にもあんなんがあったんだよ。もしかしたら、今、向こうはとんでもない事になってるんじゃないのか?」
「――、倭」
何度か、軽く頬を叩かれる。目を覚ませとか、落ち着けとか言いたいらしい。
「大丈夫だ。戻ったらあれも、ぶっ壊してやればいい。そうだろ」
俺の不安を紛らわすように、小唄は頭を撫でてくる。けど、壊せなかったらどうするんだよ――?
「壊すんだよ。何が何でも」
静かだけど、力強い声。一瞬、目の前にいる小唄が別人に見えた。
「なあ、見ろよ倭。お前があの石壊したから、植物がどんどん息を吹き返してる。――俺達の力でやったんだぜ」
示されるままに顔を上げれば、さっきまで荒れ果てていた渓谷が、俺達を中心に緑に染まっている。
足元に生い茂る草や、所々咲く花。霊力が流れ始めたのか、上流から流れてきた水がすぐ近くに川を作り始めている。
「――」
まるで、毎日撮影したビデオを高速で回しているみたいな光景は、さっきまで混乱していた頭には衝撃的だった。
「う……、ん」
小さく呻く声が聞こえた。振り向けば、倒れていたシエラが起きあがるところだった。額を押さえ、数秒しないで顔を上げた彼女は、やはり驚いたようだった。
「これが、混沌石が吸収していた霊力――?」
周囲を見渡して、シエラはあっと声を上げる。彼女の視線の先には、青い星の花――フェリシアが咲き乱れている。
「これで、薬が沢山作れるわ。あなたたちのお陰ね」
嬉しそうに花の前で微笑むシエラを見て、俺はようやく笑みがこぼれた。
ミルダの街は、最初に来た時から全く様相を変えていた。枯れた大地だったはずの地面は、青々とした芝生で埋め尽くされている。通りでは、元気を取り戻した人たちが嬉しそうに皆で抱き合ったり、泣いて喜んだりしていた。
『混沌石で失われた霊力がすべて戻ったわけではないですわ。けれど、すぐに全てが元に戻るはずです』
セイムルーダが嬉しそうに呟く。たぶん少しは、彼女にも力が戻ったんだろう。
「――とりあえず、今日はもう疲れたわよね?宿も使えそうだし、休みましょ」
シエラの提案には賛成だった。二日も慣れない場所で歩いた上、野宿までしたせいか体中筋肉痛だ。一番はあの竜のせいな気もしないではないが。
宿に入ってそれぞれ部屋を取る。宿泊名簿に名前を書くらしく、どこになんて書けばいいのか解らない。
「どうしたの?」
「あ、いや……」
俺と小唄がまごついていると、先に終わったシエラがこちらをのぞき込む。案の定、小唄がフォローした。
「俺達、この地方の文字は書けないんだ。かなり遠くから来たから」
あははと笑ってごまかす小唄に、シエラはそれ以上追求せずに俺達の名前を書いてくれた。世界樹の麓では店の人が名前を聞いて記入してくれたが、こんな方式の宿もあるなら名前くらい書けないと困るな。
シエラの書いた文字を見ながら、俺は見慣れない記号の羅列を記憶する。明日には忘れてそうだから、後でメモしないと。
なんて思いながらも、俺も小唄も部屋に入った瞬間にベッドに身を投げる。タイミングまで同じなところが、疲れを物語ってる。
『大丈夫ですか?お二人とも』
セイムルーダが心配そうに聞いてくるが、大丈夫とも大丈夫でないとも言えない。とりあえずは明日まで休みたい。
「体中筋肉痛で辛いや」
溜息と乾いた笑いが、隣のベッドから聞こえる。毎日そこそこ鍛えてる俺でも大分きついんだから、小唄なんか辛くて当然だ。
暫くそのまま会話していると、いつの間にか寝てしまっていた。
帰りの馬車は快適だった。というのも、シエラが回収したフェリシアを運ぶために、良い馬車を選んだからだ。ふかふかの椅子はがたがた揺れることなく、馬車自体も車輪がかなり衝撃を緩めるものらしい。
その分、帰りは二倍以上の乗車料で高く掛かったが、これなら文句はない。
「あなたたち、戻ったらどうするの?」
フェリシアの花を保存した箱をしっかり持ちながら、シエラは訊ねる。戻ったらまた、違う場所――次は反対方向だったか、目撃情報を頼りに混沌石を探す。だが、小唄に任せっきりな俺は地名が出てこない。
「次はクラダ草原のほうに行くつもりなんだ」
いつの間にかマーキングとメモが書き込まれた地図を開いて、小唄は次の行き先を示す。他にもまだマーキングされた箇所はあるが、どうやらそこが一番近いようだ。
「レダノの方向ね。また混沌石なの?」
「うん、今の旅の目的だから」
頷いて、小唄は地図をしまう。相変わらず、ごまかし方というか嘘の継続が上手いというか――シエラ自体も俺達に対して必要以上に質問をしないところもあるが。
「――すぐに出発するのかしら」
不意に、ほつりと寂しそうな声がこぼれた。そういえば、シエラは依頼のためにミルダの渓谷まで出向いたんだ。だから、世界樹の麓に着いたらお別れなんだ。
「――特に、街には用がないからな。そのまま行くつもりだけど」
「そう……。なら、仕方ないわね。でも、依頼主にはあなたたちの事も話そうって思うの。ふたりが居たから、この花を持ち帰れたんだもの」
出会ったときと同じ笑顔を浮かべ、シエラは膝に乗せた箱を優しく撫でた。なんだか嬉しくなり、俺も小唄も笑いながら頷いた。
シエラと別れ、俺達は地図を見ながら街道を歩く。基本的に街からそれているクラダ草原行きの馬車は無いらしく、こうして歩くしかない。
野宿確定のため、食料と簡易テントは揃えた。制服はあんまり無茶して破ったりすると困るから、畳んでザックの中。その代わりに着ている服は、もうこの世界の住人と言われてもおかしくない民族的な綿の服。シャツ一枚に上着とマントという俺に対し、小唄はワイシャツに黒いロングコート。マントは邪魔だったらしいが、正直俺にはそっちのほうが動きにくそうだ。
小唄は地図を見ながらひたすら方角を確認する。慣れない世界の地図なんてそう簡単に読めるわけがない。それでも、確実に目的地には近付いているようだ。
『荒れていますわね』
不意に、シエラが居たときに黙り癖がついたらしいセイムルーダが呟いた。彼女が示しているのは、目の前の荒野のことだろう。もしかしたら、ここも昔は豊かな土地だったのかもしれない。
「クラダ草原ってもっと先なのかな。もう着いてて良いはずなんだけど」
困った顔で小唄が頭を掻く。確かに目の前はただの荒野だし、見えるのは乾いた土だけで何もない。遠くにうっすら街が見えるが、見るからに世界樹の麓とは雰囲気が違う。シエラが言っていたレダノって国かも知れない。
『多分、ここがクラダ草原ですわ。……かなり様変わりしていますけれど』
セイムルーダが神妙な声で、だがあっさりと地名を告げた。草ひとつ無いその荒野が、何故こんな姿に――そんな理由は考えるまでもない。
「だだっ広い荒野をしらみ潰しか……長いこと掛かりそうだな」
げんなりしながら、俺は荒野をひと眺めする。道らしきものはなく、本当にしらみ潰しのようだ。
『少なくとも、北の方角ですわね。まだ遠いので余り詳細には解りませんが』
「……北ってどっちだ、小唄」
セイムルーダが位置を絞っても、当然ながら方角なんかわからない。地図を持っている小唄も、何となくでここまで来てしまったせいか自信なさげだ。
「……あ、あっちかな?」
『……もっと右ですわ』
先が思いやられるとばかりに溜息を吐き、セイムルーダはペンダントの表面に方角を示した。さしずめ狂わない方位磁石なんだろうが、そんな便利な機能があるなら早く使って欲しかった。
「こっちか。とりあえず、進めるだけ進もう。獣やら魔獣もいないようだし」
小唄が方角を確認して歩き出すが、何となく嫌な予感がする。元草原とはいえ、このあたりに馬車が全く通らないのはそれなりの理由があるんじゃないだろうか。
「どうしたんだ?倭……って、うわっ!」
歩きだそうとした小唄が、考え込んでいる俺のほうを振り向く。瞬間、その片足が地面に埋まった。
『いけません、すぐにそこから足を離して下さい!』
「え、えっ!?でもどうやって――」
慌てる小唄に、俺はすぐに近寄って地面に少しだけ埋まった奴の足を掴む。バランスが取れなくて抜けいんだろうそれを無理矢理引き上げると、小唄が悲鳴を上げて尻餅をついた。
「何情けない声――」
からかいかけてふと足元を見た瞬間、俺は凍り付く。
小唄の足のつま先、そこに、異様なものが食らいついていた。靴を噛みちぎる勢いでうねうねと動くそれは、まるで口のついた芋虫みたいだ。
「な……、なんだよこれ!?」
「や、倭ぉ〜っ」
泣き声混じりに震える小唄には構っていられない。俺は剣を抜くと、小唄の足に噛みついているそいつを途中から切り裂いた。なんだか粘りけのある赤い血を噴き出し、芋虫(仮)は残りの体を穴に引っ込めた。
「うわわわっ」
慌てて、小唄が残った頭の部分を振り払う。靴に噛み痕はあったが、どうやら貫通はしてないらしい。
『――今のはワームですわ。ああして穴を掘って、巣穴に落ちる獲物を待ちかまえていますの。比較的弱い魔獣ですわ』
どうせ何とかなる位には思っていたんだろう、セイムルーダが冷静に芋虫……じゃなくてワームについて解説する。早く言ってくれ。心臓に悪い。
「ケガないか?」
俺は剣をしまって小唄に手を差し出す。まだ転んだままの小唄が、大丈夫と手を握った。
「ありがとな」
余程驚いたんだろう、小唄は立ち上がった瞬間いきなり抱きついてきた。これ自体はあんまり珍しい事じゃない。
「こら、今みたいのがどこに居るかも解んねーんだから。しゃきっとしろよ、しゃきっと」
ポンポンと背中を叩けば、小唄は小さく頷いて俺から離れる。まだ小唄が俺より背の低かった頃から、この流れは変わらない。
「――あら。仲良いのね、ほんとに」
何とか落ち着いてきた俺達の背後から、聞き覚えのある声が聞こえた――。
振り向けばそこには、数日見慣れた亜麻色。あまりに突然のことで、俺達は互いに顔を見合わせた。
「えーと……シエラ?」
昨日別れたはずの彼女が何故こんな場所にいるのか、俺達にはさっぱりわからない。が、背後に馬を連れているのを見るに、ここまでその馬で来たのは間違いない。
「追いつけて良かったわ。実は、レダノへの安全な通路が封鎖されてるのよ。途中の橋が崩れちゃったらしいけど、開通するまで二週間ですって。信じられないわ」
それでこっちに来たってことは、ここからレダノまで向かう積もり何だろうか。しかし、混沌石があるこの荒野を通り抜けるのは無謀――だから俺達を追ってきた、そういうことらしい。
「これも返してなかったものね。まぁ今外したら困るんだけど」
苦笑しながら、シエラは指を飾るルビーの指輪を見せる。どちらにしてもあれはサイズが彼女用だから、他の奴には使えないんだけど。
「――協力するわ。ここを通り抜けてレダノまで行けば、世界樹の麓より沢山の情報が手に入る。……悪くないでしょ?」
はじめて出会ったときのあの笑顔で右手を差しだし、シエラはウインクする。俺は一瞬小唄のほうを確認してから、その手を握った。
そして、またもや俺達とシエラの不思議パーティーが結成されたのだった。