#006:エンカウント
交代で見張りを立て、夜を過ごす。焚き火に、あらかじめ運んでいた枯れ枝をくべながら外を見た。
こんな風に外で夜を過ごすなんて、数日前には思わなかった。見張りとはいえ、何となく一人で起きるのはさみしいものがある。腕時計を見たら、まだ数時間たったばかりだ。
「――倭」
シエラが起きないように気を使っているのか、潜めた声が俺を呼んだ。意外に早く起きてきた小唄を見上げると、にこりと笑って横に座る。
「眠かったら寝て良いよ。俺、もう十分寝たから」
枯れ木を火にくべながら、小唄は交代を申し出る。が、何となく俺はまだ寝れそうになかった。
「まだ眠くない。……もうしばらくしてから寝るわ」
苦笑いしながら答えると、そっか、と返された。小唄はもう寝るつもりはないらしい。
「……なあ、倭。シエラのことどう思う?」
「えっ?」
唐突な小唄の言葉に、俺は一瞬質問の意図が分からなかった。シエラをどう思っているか、そんなこといきなり聞かれても答えに困る。
「……そうだな……」
俺は少し悩んで、さっきまでのシエラを思い出す。よくよく考えれば、会ってまだほんの少しだけど、ずいぶんと彼女を信用しきっていた。
「――優しくて、明るくて、強い人だよな。さっきの戦闘でも、結構フォローしてくれてたし。しかも美人だよなぁ」
思っていることを片っ端から言い連ねれば、小唄は「やっぱりそうだよなぁ」と苦笑する。その表情がやけに寂しそうで、俺は首を傾げた。
――もしかして、小唄はシエラに気があるのか?
唐突に、そんな事を思う。言動だけ見たらかなり合点がつく。が、なんだかイメージが違う。小唄が会って一日もしない女の人にそうそう心を動かされるなんて、想像が出来なかった。
けど、ここは異世界だ。もしかしたら小唄にとっていろんな変化があったのかも知れない。真っ向否定も、勝手な確定も今は出来ない。
「……そういや、ずっと気になってたんだけど」
なんとなく、その話を続けたくなくて話を変える。とはいえ、これはかなり重要だ。
「シエラさんみたいな人が居るのに、わざわざ、戦い慣れない俺達が混沌石を破壊するのは何でなんだろ?」
その疑問に、小唄も少なからず同意するところがあるらしい。シエラのように戦い慣れた、この世界の住人達は少なくないはずだ。現にシエラ自身、混沌石を破壊するという俺達についてきている。
『シエラさんでは、混沌石を破壊するのは不可能ですわ』
唐突にペンダントからセイムルーダの声が響く。俺達が声を潜めているのを意識してか、彼女の声も小さい。
『混沌石は、この世界の霊力をすべて吸収してしまいます。しかし、あなた方の霊力はこことは異質のものです』
「つまり、俺達は霊力を吸われる心配はないのか?」
小唄が、たぶん予想を交えながら質問する。セイムルーダは小さく『はい』と呟き、不意にペンダントから淡く光を発した。
『とはいえ、シエラさんの戦力は今は貴重です。……すみませんが何か、宝石を出して下さい。彼女用に護符を作りますわ』
以前に言っていたセイムルーダの力というのは、こういうものだったらしい。小唄がちょっと待ってろ、とザックを取りに行く。ちらっとシエラを見ると、ちゃんと寝ているようだった。
程なくして、小唄が宝石を手にやってきた。目立つのを避けるため、結局売りに出していない宝飾品はまだたくさんあった。
『ルビーですわね。なかなか理に叶った選択ですわ』
小唄自身は、シエラのイメージで選んだつもりなのだろう。が、どうやら宝石の種類にもいろいろ奥深いものはあるらしい。
ペンダントから光が溢れ、次いでルビーが輝き出す。強烈にも思える光がなくなった時にはもう、小唄の掌にあったルビーは指輪に形を変えていた。
小作りな造形のそれは、リング部分に質素でも華美でもない装飾がされている。前にも思ったが、金属はどこから出来ているんだろう。
『多少、混沌石の影響を防ぐはずですわ。完全ではありませんから、彼女の霊力は温存すべきです』
「わかった。起きたら渡すよ」
小さく頷いて、小唄は指輪を胸ポケットにしまう。気付けば、焚き火の火は消えかけていた。
空が白み始めた頃、俺達はゆっくり渓谷を歩いていた。
獣や魔獣の数は、かなり多い。こまごまと出てくるだけだからまだいいが、群れで出られたら少し辛い。レベル上げをサボったRPGみたいだな、なんて思う。が、ゲームと違い実際はたいそうな技も何もない。
「――近いと思うわ」
少し顔色が悪いシエラが、ぽつりと呟いた。護符は渡したが、それでも明らかに霊力が削られているんだろう。俺や小唄は、セイムルーダの言うとおり影響されていないようだった。
「大丈夫?」
少し心配になり、シエラの顔を覗き見る。シエラは微笑みながら小さく頷き、これがあるからとルビーの指輪で飾られた手を上げた。
「――ギャオオオォォ!」
突如、地を揺るがすような雄叫びが聞こえる。全員がその雄叫びの方向を見上げれば――
白い、竜がいた。
ドラゴンとか、そんなものを実際に目の当たりにするとは誰が思うだろうか。明らかに人間を数人は丸飲みできそうなそれは、巨大な尾を振り回して周囲の岩を叩き壊す。……当たったらひとたまりもないな。
「すげー……勝てる気しないぞ」
小唄がげんなりした様子で呟く。俺も同感だが、シエラもそうらしい。素数なんか数えだしている。……2が抜けたぞ。
「……避けたほうが得策か?」
『……いえ、寧ろあれが目標のようです』
…………。
俺の呟きに、セイムルーダから衝撃の事実が告げられた。つまり、なんだ。混沌石って生き物なのか?んなまさか。
『あの竜の体内に混沌石がありますわ。暴れているのは、そのせいです』
なんというお先真っ暗感。横を見ると、さすがに小唄が涙目で俺を見る。……今回ばかりはお前がそんな顔しても文句は言われないよ、うん。
「そーかー、混沌石、あいつの腹んなかか……」
隣でまだ素数を数えていたシエラが、目を丸くして俺を見る。そりゃそーですよね。
「あんなの、どうやって相手にするんだよ」
ダメ元でセイムルーダに聞いてみる。少しだけ考え込んだのか、セイムルーダは間をおいて答えた。
『上空から頭を狙えば、多分……。振り回されるでしょうが、隙はできます』
おいおいおい。
そんな超人みたいなことしたら普通振り切られてどっかに落ちて死ぬだろ、あの竜、身長5Mは堅いぞ。
ゲームの世界ならここで魔法使いがドラゴスレイヤー!みたいに大技出して一件落着なんだが、その魔法使いの小唄はカタカタ震えてるし。かといって、逃げることは出来るが、そうしたら俺達の目的もシエラの目的も達成できない。
改めて、現実は厳しいと再認識する。が、流石にこの状況で突っ込むのは得策じゃない。
「……二人ともちょっと、一回引くぞ」
俺は小唄の背中を押しながら、どこか安全な場所はないかとあたりを見る。ちょうど、隠れるには最適の一角が見つかった。そこに全員で逃げ込むと、ようやくシエラが口を開く。
「ほんとにあの中なの?間違いじゃない?」
「それが間違いじゃなくてさ……」
間違いもなにも、セイムルーダが言うならまず確実なんだろう。その辺は小唄に適当に説明させるにしても、だ。
「あれがあるから、今まで探しに行った人間達が帰って来なかったのね」
今にも帰りたい気分で打開策を練っていると、シエラがさらに帰りたくなることを呟く。横目に小唄が青ざめているのが見えた。
「ど、どういうこと?」
「レダノの調査部隊が何度も混沌石の場所を探りに行ったけど、全員行方不明なの。……たぶん全滅したのね」
ますます悪夢だ。そんなにヤバいもの、どうやれっていうんだ。こちとら女一人に高校生ふたり、しかも半熟どころじゃない生卵だ。どうがんばっても勝てる気がしない。
『落ち着いて下さい。あの竜は飛べません。それに、混沌石のせいで貴方達の気配は上手く察知できないはず』
「落ち着けって言われても……」
俺がセイムルーダと話しているとは知らないのか、シエラが一瞬不思議な顔をする。ヤバいと思ってなんでもない、とごまかすと、セイムルーダは止めていた言葉を再開する。
『全員で突っ込むのではなく、分散するのです。誰を狙えばいいか解らなければ、相手も確実にひるみます』
「――挟み撃ちか!」
ようやく、働いていなかった頭がセイムルーダの意図を理解する。思わず口に出せば、シエラと小唄が互いに顔を見合わせた。
「でも、どうやって後ろに回り込む?」
「――振り向いている間に、私が背後に回るわ。走るのは得意なの」
作戦を考え出した俺達に、シエラが背後に回る役を買ってでる。確かに、この中では彼女が一番素早い。
「なら、全員スピードアップだ!」
やっと恐怖から脱したらしい、小唄は俺とシエラの手を握る。と、いきなり身体が軽くなる。どうやら、今の言葉自体が言霊の役割を果たしていたらしい。
「小唄はまだ出て行かないで、シエラが後ろに回ったら援護だ」
「りょーかい」
ぱちん、と互いに手を叩き、気合いを入れる。にわかパーティーが団結した瞬間かもしれない。
飛びだした瞬間、俺はドラゴンに向けて挑発の口笛を吹く。白く翼のない、のっぺりした皮膚には小さな鱗がびっしりと生えているらしい、太陽の光が反射して不思議な色になっていた。
同時に背後から並んでいるシエラが、タイミングを見計らい俺とは反対方向に走り抜ける。早い――
小唄の言霊があるからとはいえ、それでもかなり本気なんだろう。尻尾の上を軽々飛び越え、彼女は簡単にドラゴンの背後に回り込んだ。
その間俺もただ逃げては居なかった。シエラが居ることに今気付かれてはならない。小唄の準備が整うのに、あと十数秒――。
小唄がどこにいるかはあらかじめ知っていたから、あいつが飛び出すタイミングも作らなければならない。そんな事をしていると、シエラがかけ声とともに、竜の尻尾を一部切り落とした。
いきなりの痛みに、ドラゴンは首だけ後ろを振り向く。今だ――
「よし、伏せろ!アイシクルランス!」
なかなか言霊が様になったじゃないか、思いながら俺はしゃがむようにして伏せる。白い竜は、接近してくる冷気に気付くと慌てて振り向いた。
その口を、氷の槍が襲う。鋭い絶叫が渓谷にこだました。
顔部分に氷の槍が突き刺さる姿はずいぶん痛々しいが、そこで同情することはできない。あの竜も、沢山の人を犠牲にしたんだ。
シエラが竜の背中に飛び乗る。その剣が、人間で言うなら首のあたりを突き刺した。おそらく、動きを封じるためだ。
「小唄、もう一度!」
俺はまだ伏せながら叫んだ。それに素早く反応し、小唄が氷の槍をドラゴンの腹に放つ。それが着弾する前に起きあがると、俺はできるだけの速度で走る。
ちょうど氷の槍が命中し、腹から下を凍り付かせた竜に、俺は剣を突き立てた。
重い音を立てて、竜が倒れる。ほっとしたのもつかの間、竜の身体か光り始めた。
「な、なんだ――?」
慌てて剣を引き抜くと、そこから血が噴き出す。竜自体は絶命しているのか、ぴくりとも動かない。
「これは……」
光の中心を見て、シエラが目を見開く。同時に、俺達も――。
藍色に輝く、宝石のような石。それは、あの日この世界に来る直前に見た――
『あれが混沌石です。――倭さん、その剣で破壊してください』
既視感のあるその石は、やはり目的のものだった。嫌な予感が、する。
「――理科室にもあった」
『――』
俺の言葉に、セイムルーダが沈黙する。たぶん、言葉が見つからないのだ。
どさり、何かの倒れる音。見れば、シエラがうつ伏せて倒れていた。限界だったのかも知れない。小唄が慌てて、倒れたシエラに駆け寄った。
「――なんで、なんでなんだよ――!?」
たぶん、そのとき俺は泣いてたんだと思う。それでも、目の前の石を破壊しなければならない。歯を食いしばって石を睨み、銀の剣を振り上げて叩きつけた。