#003:旅立ち
「待って――俺も残る」
震えながら、いつもよりも頼りない声で小唄が言う。やせ我慢だな、とはわかっていた。
「……無理すんなよ、お前極度のビビりだろ?」
セイムルーダが気を効かせているのか、さっきまで小唄を覆っていた光は消えていた。ちゃんと話し合えって事か。
「……確かに俺は、お前みたいに度胸もないし、いつもビビってばっかだけどさ」
まだ震えながら、小唄は俺をしっかり見つめる。そして、制服の袖を掴まれた。
見なければ良かったのかも知れないが、灰色の目はすごく真剣に俺を見る。そこで俺はしまったなと独りごちた。
小唄がこんな目をすると、どうあっても引かない。結局、俺の我が儘にこいつを付き合わせなければならなくなる。今回ばかりは、素直に先に帰って欲しかったんだけど。
「いまここで帰ったら、絶対後悔するじゃん。俺、お前ほど度胸ないしビビりだけど、後悔するのは絶対嫌だ」
困った、本気で困った。こんな事を言い出されたらますます帰しにくいじゃないか。実は狙ってるだろこいつ。
「……こいつが帰れって言っても、俺は絶対帰らないからな。そこんとこ、よろしく頼むぜ」
なんて言おうか悩んでいると、小唄は沈黙していたセイムルーダに向かってとんでもない宣言をしやがる。先手必勝ってわけか、相変わらずの頭の切れ方だ。
「……そうまで言われますと、わたくしだけの判断ではお返しできませんね」
そら来た。彼女がそう言うのを解ってて、小唄はああ言ったんだ。セイムルーダとしては協力者が増えるほうが嬉しいはずだし、何よりああ言われて本人の意思を無視する奴は、なかなかいない。
「じゃあ、決まりだ。俺も倭と一緒に理科室に帰る!」
「帰るのが理科室ってなんかやな感じだな」
結局、俺は諦めてセイムルーダのほうを振り返る。彼女はというと、苦笑しながらそっと目を伏せていた。
「お二人とも、わたくしの霊力が必要分まで戻ったらお返しします。……それまでで構わないので、協力していただけますか?」
「というか、協力するしかないんだろ?」
あくまで腰の低いセイムルーダに、俺は肩をすくめた。そうですねと呟いた彼女――正確には石像の胸元から、装飾として埋め込まれていた宝石がひとりでに外れて浮き上がる。色からして、琥珀だろうか。
それは水みたいに二つに分かれ、それぞれが俺と小唄の目の前にやってくる。くるくると宝石の周囲に光が渦巻いて、やがて俺の目の前の宝石は小さなペンダントになった。
「すっげー」
小唄が感嘆の声を上げる。ペンダントを手にしてみれば、それは確かに質感があって、チェーンの部分もしっかりと金属でできていた。
「その石にそれぞれ、わたくしの力を宿しました。遠くにいても、わたくしの力を使ったり、会話することができますわ」
「――連絡手段って奴か。まぁ、確かに俺たちはここの世界の事を知らなすぎるしな」
セイムルーダにしか出来ないこともこの先山ほどあるんだろう。ゲームで言うならイベントアイテムみたいなもんだな。とか思っていると、背後で小唄がごそごそしている。
「ねーねー倭、これ似合う?」
遠足的なノリでニコニコ笑いながら俺の前に回り込む小唄に、呆れないはずはない。が、仕方なく小唄を見上げると、両耳に琥珀のピアス。
「お前のはピアスなのか?」
「うん。倭のはペンダントなんだな」
互いにもらったアイテムが違う事に、二人で首を傾げる。何か意味でもあるんだろうか?
「お二人の印象で形状を決めたので、大した意味はありません。……若干、効果が異なりますけれど」
効果――?
何のことだろうと考えていれば、セイムルーダは一息おいて説明を始める。
「倭さんは、力に関する能力が高いようだったので、力を増幅するペンダントを。対して、小唄さんは知力に秀でているようなので、霊力を増幅する耳飾りを授けました」
にこやかに解説するのはいいが、それってつまりは――
「戦うかもしんねぇ、ってことか?」
全く知らない世界で、知らない奴をぶん殴れと言うんだろうか。俺達の目的は、石とやらをぶっ壊すだけじゃあなかったか。
「外の世界には、霊力を喰らわれ暴走した獣や、魔獣が闊歩しています。さすがに何も備えがないのは無謀というものですわ」
……盲点だ。確かに、霊力だの聖霊だの言うような世界に、いわゆるモンスターとかが居ないはずは確かにない。だから困ってるんだろうし、適当に旅して石破壊してりゃいいなんてこたぁないわな。俺が甘かった、サーセン。
「ねぇねぇルーダさん、霊力を増幅ってことは、俺は魔法みたいなもん使えるって事?」
「その素質は確実にあります。……そうですね、試しに何もない場所に向けて手をかざしてみて下さい」
俺が悩んでる間に、なぜか小唄はセイムルーダと仲良くやっている。と、その小唄の手から小さな火球が飛び出した。
…………。
「……小唄、今のなんだ?」
火球は途中で情けなくかき消えたが、明らかにそれはライターどころの炎ではない。それに、小唄の手から飛び出してきた――
「それは初級の魔法、ファイアボールです。危ないので森や屋内で連発したらいけませんよ」
今それを小唄にやらせたのは誰だよ。そんなことを思ったが、口に出す前に小唄の悲鳴みたいな声が耳を貫いた。
「すっげー!魔法だよ魔法!なぁなぁ見たか?俺魔法使いだぜ!」
キャッキャキャッキャしながら飛び跳ねて喜ぶ小唄に、もはや俺はなんにも言えない。さっきまでのあのビビりようはなんだったんだか……
「今のは、言霊を使用しなかったために威力のないものでしたが、発動にあわせて言霊を発すればより強力なものになります」
「マジか、なんか本格的だな」
ウキウキしながら説明を聞く小唄に、俺は呆れるしかなかった。
制服の上に、神殿の奥で見つけた古びたマントを羽織る。正直滑稽な姿な気がするが、制服のまんま人里にでるのはマズいというセイムルーダの意見を採用した。金が手に入ったら、真っ先に服を買わなきゃならないみたいだ。
とはいえ、こっそりとセイムルーダが教えてくれた小さな部屋から、いくつかの宝石やら調度品が見つかった。まずはそれを売れって事らしい。
「しかし、いいのかよ?なんかどれも大事そうな代物だけど」
『もとは人間の方々が奉納していたものですわ。わたくしには価値のないものです』
ペンダント越しにセイムルーダの話を聞きながら、ザックに詰めた宝石類を見る。古びたボロボロのザックも、マントと一緒に見つかったものだ。
『昔は、他の部屋にもかなりの量がありましたわ。今は盗掘などで殆どを持ち去られて、この部屋しか残っていません』
「うーん、なんかそう言われると、俺達も盗賊みたいだよな」
尤もなことを小唄が言う。確かに、資金源にしたいとはいえ俺達も似たようなもんだ。
「つーか、服は良いとして、せめて外を歩く間だけでも武器が欲しいな」
『祭事用ですが、そこにありますわよ』
ダメ元で呟いたはずの俺の要望に、セイムルーダはペンダントを浮かせて部屋の隅のロッカーのような棚を示した。開けてみれば確かに、剣みたいなもんが置いてあった。
「いくつかあるな……なんだ?これ」
手前の剣に引っ掛けられた腕輪のようなものを取ると、ザックに何かを詰めていた小唄が近寄ってきた。
『術師の方が杖の代わりに使う腕輪ですわ。これは小唄さん向きですわね』
「ラッキー!杖ぶん回すのもアリだけど、動きやすいほうがいいよな」
解説を聞くやいなや、小唄は俺から腕輪を受け取って腕にはめる。正直、制服にその金ぴかの腕輪は似合わなすぎる。
といっても、俺のほうも剣くらいしか選択はない。仕方なく、ゴテゴテ装飾がついた剣の中から比較的シンプルめな銀の剣を選んだ。シンプルといえどこいつもなかなか派手だけどな。
「……そういやさ、倭は魔法駄目なのか?」
鞘に付いていたベルトで剣を腰に固定すると、不意に小唄が疑問の声を上げる。確かに、言われてみれば気になる。
『出来ないことはないですが、威力は期待できませんわ。でも、傷を癒すくらいは出来るはずです』
どうやら、俺には素質がないらしい。正直予想はしていたが、それでもちょっとは使えるというのは驚きだ。
「まぁ期待はしてなかったけどな……。んで、持って行くのはこのくらいで構わねーか」
さすがに、ザックに詰め込んだ宝石やら装飾品はなかなかに重い。この世界でこういう宝飾品がどれだけの相場か解らないだけに、とりあえずは持てるだけを詰め込んだ。
俺の様子を見て、小唄もザックを背負う。なんとか、準備は出来たみたいだった。
外に出ると、もう空は茜色に染まっていた。夕方か――そう思いながら腕時計を見ると、学校なんかとっくに終わってる時間。今頃担任やらクラスメートが(主に小唄を)心配しているかと思うと、なんだか申し訳なくなる。
そんな事今考えたって仕方ない。俺の、いや、俺と小唄の目的は、霊力喰らいの石を探すことだ。確か別名は、混沌石だったような。
まだそいつがどんなもんかも解らないし、実は壊し方も知らない。その辺はまさか無計画なんて事はないだろうし、俺達にでも破壊できる代物なんだろう、たぶん。……正直なんか心配すぎて聞くに聞けないんだがな。
んなことを考えていれば、俺と小唄の目の前に黒い塊が踊り出した。――俺達よりもかなり背の低いそれは、ひと目で獣のようなもんだと理解できた。が――
「なん、だ?これ……」
小唄が隣で何とも言えない感想を呟く。そりゃそうだ、煙みたいな――だが煙よりどす黒い何かが体中から噴き出して、そいつを覆っている。たとえるならどす黒いオーラだ。
『あれは、最近数を増やしだしたシャドウウルフです。正直、剣では厳しい相手ですわ』
ペンダントから声が聞こえる。親切に攻略法まで教えてくれたのはいいが、いきなり俺はいらない子扱いか。
「つまり俺は時間稼ぎしろってさ」
肩をすくめて呟けば、小唄はなんか真っ青になっている。やっぱこいつアテになんねえ……
「……剣で倒す方法はないのか?」
『そ、そうですわね……』
俺の質問に、セイムルーダが困った様子で何か考え出す。が、その前に真っ黒い塊が飛びかかってきた。
「うぉわ!?」
慌てて剣を抜いて、口のような部分を刀身で受け止める。チラッと背後を見ると、小唄がおろおろしている。結局俺しか戦えなさそうだ。
「――ちっ」
舌打ちをして、俺は剣に噛みついた黒い狼を振り払おうと剣を振り回す。剣は厳しいってのは確からしい、見ていると剣に噛みついた状態はかなり痛そうなんだが、振り回してもビクともしない。
『言霊を――剣に自分の霊力を集中してください』
ペンダントからセイムルーダが囁くが、つまりそれは何をすりゃいいんだ。よくこの手の魔法とかは精神集中がどうの、て言われてるが。
『霊力の込められた一撃なら剣でも痛みを与えられ……』
「わかったけど、言霊って何を言うんだよ!?」
魔法の原理に関しては小唄しか聞いてない。そもそも、使うことがないと思ってたんだから――
「――な、なんでもいいんだ、かけ声でも、適当な単語でもっ」
まだ青い顔で小唄が叫ぶ。まぁ奴にしては堪えてるほうだ。尤も、今魔法なんかぶっ放されたら俺が巻き添えを食うんだが。
「――とりあえず邪魔なんだよ、てめーは!」
しつこいくらい剣に噛みついたままスッポンみたいに離れない(寧ろ振り回されて離せないのかもしれない)化け物に、俺は剣に集中して叫ぶ。と――
ふわ、という音が正しいかも知れない。
急に剣にかけられた重みが消え、俺の横をふたつの何かが飛んでいった。
背後の小唄が悲鳴を上げ、次いでどさりと何かが落ちる。振り向けば、真っ黒い獣が真っ二つになって、腰を抜かした小唄の前に落ちていた。
「……今ので良かったのか」
『……ええ。……大丈夫ですか?』
セイムルーダが何を心配しているかは、すぐに理解した。が、俺にはそれに答える余裕は全くなかった。