#002:異世界セイムルーダ
神殿の奥は、薄暗いながらも不思議と周囲がしっかり見えるように窓が作られていた。これが映画やゲームなら、まず間違いなくその辺の小部屋からゾンビやらミイラでも出てくるところなんだが。
流石にそんな展開はなく、自分の足音にもビビったりする小唄を引っ張って奥へ歩く。目的地がどこかは解らないが、たまに耳に響くあの「声」が、行き先を示すように動いていく――不思議だが、それに従っていれば扉が閉まっている場所でも難なく通れたりする。たいていの扉は開けてみようとしても鍵らしきものがかかっていて開かないが、そこだけは開くわけで。
頭の中で地図を作りながら、俺は導かれるままに歩いた。
最初は泣きそうな声で弱音を吐いていた小唄も、今ではすっかり静かについてきている。ビビってはいるみたいだが。
「……しかし、でかい神殿だな」
素直な感想をつければ、小唄がそうだねと周りを見る。もうずいぶん歩いた気がするが、内部はかなり広く、地下へと続いているようだった。
階段を下りた回数で考えれば、ここは最初にいた場所から地下5階分くらいはあるはずだ。が、窓の外に海が見えるあたり、段差がある場所にでも建てられているらしい。
「――あ」
唐突に、行き止まりになった。薄暗いが、目の前の壁らしきものがかなり大きな扉と気付く。細かな装飾がかなりゴテゴテと――デコラティブっていうんだか、そんな感じで飾り付けられている。
「マヤもエジプトも違うな。どっかで見たような装飾なんだけど」
小唄が装飾に触れながら呟くが、正直俺には古代文明なんてみんな同じに見える。ロマンみたいなもんを感じないことはないが、違いまでは解らない。
「ところで、この扉……他よりかなりでかいし、豪華だよな。もしかして、奥までたどり着いたんじゃないか?」
かなり――間違いなく3階建ての建物より巨大な扉を見上げ、俺は半ば独り言のように呟く。半分は小唄に向けて、半分はあの声の主に向けて。
「――」
開けろ、と声が聞こえる。その声に従って扉を押そうとすると、小唄が慌てて俺の腕を掴んだ。
「待ってよ、ほんとに開けるの?」
「他にやることもないだろ?」
怯えているのか泣きそうな小唄に、俺は溜息を吐いて扉から手を離す。
「こんまま引き返しても何も変わらないだろうし、もしかしたらさっきから話しかけてるやつがいるかもしれない」
「そうだけど……」
後込みする小唄を理解できないわけはないが、俺は純粋に扉の奥に興味があった。それで何もなかったとしても、他に何か手掛かりくらいは見つかるのではないかと。
まだ何かぶつぶつ呟く小唄を後目に、俺は扉を思い切り押した。
が――
「……重っ」
よくよく考えれば、扉は石と金属でできている。さらにかなりの高さがあるそれが重いのも、なかなか開かないのも、そりゃあ当たり前の話だ。
「倭の怪力でも開かないの?」
怪力ってなんだよ、怪力って。そりゃあ今時の高校生なんかよりかなり鍛えてはいるけど、所詮は高校生。こんなもんだろう常識的に。
「お前は俺を何だと……」
溜息を吐いて、俺は思い切り扉を蹴りたくる。重い扉はそれでもびくともしない。
ふと、こんな扉を作った奴らは押して開けたりなんてしていただろうか?そんな疑問がよぎる。昔の日本の城でも、でかい城門の横に小さい扉があった気がする。
「なぁ小唄、あっち調べてみてくれ。俺はそっち。他にドアとかあるかもしれない」
「あ、そうか。こんなん簡単に開くわけないもんね」
俺の言いたいことを理解したのか、小唄は頷いて扉の横に走り寄る。俺もその反対側に向かい、案の定存在した小さな扉を発見した。
「あっちにはなんにも――」
すぐに、小唄が戻ってくる。そして目の前のドアを見ておぉと声を上げた。
人間の平均身長より高く作られた程度の扉は、俺なら難なく蹴り破れそうだった。巨大な扉の装飾を模しているのか、扉には細やかなディテールで彫刻が施してある。
「全体像は女の子の装飾なんだね」
小唄が言うとおり、扉には翼の生えた少女が掘られていた。イメージというやつか、女神だとか聖女みたいな印象を持つ彫刻は、ここがどこか解ってさえいれば見惚れていたんだろう。
が、俺はあの声の主のことが知りたかったし、ここはどこなのか、俺たちが元の場所に帰れるのか知りたかった。すべてとは言わなくても、この先で重要なことが解るような気がする。
意を決して、俺はその扉を押す。意外なほど軽い扉が、きしんだ音をたてて奥へ開いた。
内部の光景に、俺たちは思わず感嘆の声を上げた。
まず目に付いたのは、一番奥にあるステンドグラス。緑系統の色合いを意識して作られたそれは、完成まで相当な時間が掛かったんだろうと思う。
涼しげなガラスの向こうからさす光のせいで、まるで森の中に居るみたいな錯覚を覚えた。
「……礼拝堂……かな?」
小唄の呟きに、俺はなるほどと周囲を見渡し納得する。広い空間の下の方――つまり地面は、沢山の椅子が整列し、真ん中に絨毯が敷いてある。風化しかけたそれにも、綺麗な刺繍の名残があった。礼拝堂という認識は正しいのかもしれない、一番奥にはステンドグラスを避けるように、ピアノが配置されその手前には祭壇があった。
「……あの祭壇の像、入り口の女の子じゃない?」
小唄の指差す場所を見れば、確かに祭壇に飾られた崩れかけの像は入り口の扉の少女そのものだった。さながら、森の中に立つ女神でも意識しているのか、ステンドグラスから射し込む光が木漏れ日みたいに像に色をつけていた。
「――」
また、微かなあの声が耳に響く。どこから声がしているのか解らないそれは、確かに――
「――よく、いらしてくださいました」
その言葉を復唱する前に、目の前の石像から声が響いた。
「――ぇえっ、石像が……っ!」
「……あんたか?さっきからの声は」
ビビりまくる小唄を後目に、俺は目の前の石像に向かって一歩足を踏み出した。背中に小唄が張り付いてくるのが邪魔だ。
「――ええ、わたくしです。今まで何度も何度も、異界のものに呼びかけました。けれど、ここまで来て下さったのはあなた方だけでした……」
寂しそうな声音に、俺はこの声の主が一体何人の人間を呼び続けたのかが気になった。そして、そのあと彼女の言う「異界」という言葉が耳につく。
質問をしようと身を乗り出すと、急に目の前の石像が光り出す。背後から情けない悲鳴が聞こえた。小唄だ。
光はそのまま石像に重なるように広がり、まるで服を着るように色をつけていく。たとえるなら、壁に映された映像を立体的にしたような感じだった。
「驚かせてごめんなさい、……あの、大丈夫……ですか?」
まだあどけない少女が、困った様子で俺――というか背後の小唄に訊ねた。当の小唄は、ぷるぷる震えながら背中に張り付いている。
「こいつは無視して良い。どうせ聞いてはいるから」
「……」
何か言いたげな少女の視線は、あえて無視する。今は小唄よりも目の前のこいつに質問しなければならない。ここはどこなんだとか俺たちはどうなってるんだとか、アンタは誰だとか。
「……わたくしは、この世界――セイムルーダの世界樹です。貴方の聞きたいことも含めて、今の状況をお話します」
少女はそう言って、先程までとは違う真剣な表情で語り出した。
異世界セイムルーダ――
俺たちの目の前に現れた少女は、その世界の中心である世界樹の聖霊、つまりはセイムルーダそのものだと名乗った。
彼女が言うには、セイムルーダの世界樹は現在かなりのスピードで衰えていて、その要因のひとつに「霊力を食らう石」があると明かした。
藍色に輝くというその石は、無差別に転移を繰り返して霊力を食らい、増殖するらしい。
その石をどうにかして破壊し尽くすため、セイムルーダは異界から力ある人間を呼び寄せ、この祭壇まで導こうとしたらしい。その結果、ようやく釣れたのは平凡な高校生の俺たちで。
「ご迷惑は承知の上でした。ですが、どうしても異界の方に力を借りなければならなかったんです」
申し訳なさそうに呟くセイムルーダに、俺はどう返すべきか悩んだ。が、確認しなければならないことは解っていた。
「……正直、あんたが本当にそのセイムルーダって奴なのかも怪しいと、俺は思ってる。……それから、俺はまだ重要なことを聞いてない」
目の前の石像を見上げながら呟けば、セイムルーダはなんでしょうか?と、気持ち首を傾げるような声音で返事をした。
「――俺達は元の世界に戻れるのか?ここに来る直前の時間に戻ることは?」
「……」
セイムルーダは少し沈黙する。何となく嫌な予感がよぎる。
「単純な話になりますが、このまま、あなた方を元の世界に戻すのは簡単です。ですが、時間を細かく決めてお返しするとなりますと、わたくしの今の霊力ではとても……」
ひどく申し訳なさそうに、彼女は俯いた(ように見えた)。確かにテレビドラマとかで見るタイムスリップものの話なんかも、大抵特殊な技術や燃料みたいに俺達一般人には手のでない技術で実現していたりする。あれはちゃんと真理を突いていたに違いない。
「なら、あんたのその霊力ってやつが何とかならないと、あの時間には戻れないのか」
「そうなってしまいます……本当に申し訳ありません」
うーん、戻れるには戻れるとは言え、なかなか困ったことになった。
前にも言ったが俺はこれでも無遅刻無欠席、授業中は超優良生徒……のつもりだ。
というのも、俺が通っている高校では、それなりの成績で皆勤を貫けば次の年の学費が半分以上免除される。担任の話では、俺はそこそこ基準は満たしてるって話だ。
無理して俺を高校まで進ませてくれた姉貴のために、俺は意地でも皆勤を貫かなきゃならない。やることなすことめちゃくちゃな姉貴だけど、俺は今まで姉貴を恨んだことはない。それどころか、親なしでマトモに育ててくれたことに感謝しているんだ。
だから、せめてもの恩返しのつもりでこうして皆勤を貫いている。そのためには、ここに来る前のあの時間に戻らないと、困るんだ。
そこまで考えて、俺はセイムルーダを見上げる。石像に投影された少女は、じっとこちらを見つめていた。
「……その、霊力をどうにかする石を破壊すりゃいいのか?」
「や、倭?もしかして、やるつもりなのか……?」
俺のセリフに、今まで黙っていた小唄が慌てた様子で口を開いた。こういう時だけしっかりしてやがる。
「こんな事で皆勤おじゃんにするのは、悔しいからな。――ちゃんと戻れるならどっちも同じだろ?」
さすがに、俺が皆勤を貫く理由を知らないはずがない小唄には、反論は全くできなかったらしい。とはいえ、こいつを俺の我が儘につきあわせるつもりはなかった。
「なぁ、こいつはすぐに返してやってくれるか?あの時間に戻りたいのは、俺だけなんだ」
「……。それなら、貴方の言うとおりに致しましょう。いつでも、お返しします」
俺とセイムルーダの会話に、小唄は「え!?」とか「ちょッ」とか言って、慌てだす。まぁ、一人で帰れなんて言えばこいつのこと、不安にもなるんだろうな。
「――少なくとも俺は、皆勤の保証が立たない限り帰れないから」
改めて考えれば、なかなかあり得ない理由かもしれない。が、俺にとっては生活と恩返しを兼ねた死活問題なんだ。
「……倭、俺……」
「……悪いな、我が儘言ってさ。たぶん戻ってくるから、先行っててくれよ」
できるだけ、笑顔を作ったつもりだった。が、正直ほんとは心細い。元の世界でならきっとこんな事はないんだろうが、ここはまだどんな場所かも解らない未開の地。仕方ないとは言え、唯一の親友さえいないのは心細かった。
「……それでは、彼をお返しします」
少し申し訳なさそうなセイムルーダの声が背後から聞こえる。その瞬間、小唄の体が光り始めた。
ああ、これでしばらく顔すらみれないか。手を振ろうとすると、小唄は軽く目を見開いた。
「――待って!」
切羽詰まった声が、耳に響いた。