#011:特務隊長と姫君
夕飯を注文して、宿の食堂の目立たない場所に座る。上機嫌なシエラが、まず最初に話を切り出した。
「ふたりは、何か手がかりを見つけた?」
俺と小唄は、ちょっと気まずそうに首を振る。さして気にしていない感じで、シエラは「なら私から」と微笑んだ。
「ちょっと危ない情報屋に掛け合ってみたら、領主が特務に命令した内容が解ったのよ。小唄くん、地図はある?」
どうやらシエラは俺達なんかより、この街に詳しいらしい。なんだか一瞬とんでもないことを聞いた気がすると思いながら、小唄を見る。どうやら小唄はすでに食べ始めていたらしく、海老フライを口に加えたなんとも間抜けな状態でポケットから地図を出した。
「ここが今の場所、レダノ公国。で、特務が向かった先は……ここらしいわ」
ちょん、とシエラが指差した場所を、俺達は見つめる。街道らしき線で繋がれた、レダノともうひとつ違う街とのど真ん中。
「ラーン公国との国境よ。ここに――というか、ラーン公国の近くに混沌石があるらしいの」
シエラの話では、ラーン公国とレダノ公国は友好関係にあり、レダノは数週間前からラーンとの交流が断たれていることを重く見ていたそうだ。他にも周辺国家――世界樹の麓だとか、近隣から孤立しかけてはいたらしい。
「ま、あんまり混沌石を放置すると困るんでしょうね。この国は海がないから、貯水池を近くに作っているの。表向きは平穏無事に見えるけど、いつ混沌石が転移してきてもおかしくないわよ」
確かに、世界は俺達がのんびりしている間にも混沌石に分断されて行っている。たまに、セイムルーダが『霊力の反応が消えた』なんて呟くから解るんだが。
混沌石については、今のところ情報がかなり少ない。セイムルーダも自力で調べられたのは、俺達に説明したことだけが全てらしい。一体どこから生まれるのか、どんな基準で転移し出すのか、そんなところは残念ながらわからない。
地球――セイムルーダがそう呼んだ俺達の世界も、今まさにこんな危機に見舞われているんだろうか。想像がつくようでつかない。けど、セイムルーダは俺達を元の時間のあの場所に戻すって、約束してくれた。今考えるべきは、この世界の混沌石を必要分ぶち壊すこと。そしたら、俺達は帰るんだ。
「で、このあたりにはかなり大規模な水脈……というか湖があるの。運河も通ってるわ。けど、混沌石があるとしたら今頃ラーン公国は悲惨な状態かも知れないわ。この運河と湖以外、水の供給は海水のみ……とてもじゃないけど、飲み水すら賄えない」
違う地方から来たという俺達のために、シエラはいろいろ説明してくれる。なかなか深刻そうな状況に思えて小唄を見れば、奴は暢気にサラダをぱくついている。気が抜ける。
「倭、食わないのか?」
「話の最中に食えるお前がすごいよ。なんかイメージ違うぞ」
ジト目で見れば、小唄は「だって喋り疲れた」なんて言う。ようは、情報収集を任せっきりにしたのをぼやきたいらしい。回りくどいやつ。
「……で、そこに行くんだよな?なんか、出る……って噂はなかったのか?」
食べるのをやめて、小唄はシエラに訊ねる。小唄にしてみれば、怪物とやりあうのはできる限り避けたいらしいが。
「いる、かどうかは解らないわ。でも特務は十数人で向かったって聞いたから、覚悟はしておくべきよね」
溜息を吐いて、シエラはようやく料理に手をつける。それに倣うように、俺も目の前の食事に手をつけた。
遠くまで続く街道の真ん中、足元に崩れ落ちた向日葵みたいな魔物を最後に戦闘を終わらせる。混沌石とは関係なく、このあたりは原生の魔物が多いらしい。
「なかなか剣裁きが板についてきたわね」
短剣を鞘に収め、シエラがあたりを見渡す。敵がいないのを確認して溜息を吐くと、俺も剣をしまった。
さりげなくマンガなんかで読んだ握り方や構え方は、半分以上は役に立たなかったんだけど、全く役に立ってないわけでもない。普段から筋トレだけは欠かしてなかっただけに、剣を振り回すのはさほど苦でもなかった。
「こんだけ敵がわらわら出てきたら、そりゃあな」
肩をすくめ、ふと隣の小唄を見る。相変わらず後方から魔法で支援している小唄も、最近は体力を回復したり傷を塞いでくれたり、なかなかサポートが充実している。が、未だに技名を言うのが恥ずかしいのか「倭〜大丈夫か!」だとか、「シエラがんば!」だとかで魔法を発動する。いくら呪文がなんでも構わないからって、いちいち気が抜けるんだが。
それでも小唄のサポートはありがたいから、文句は言わない。というか、言えない。
「怪我してないか?大丈夫?」
「大丈夫」
それにしたって、小唄は朝から様子がおかしい。事あるごとに俺にべったり張り付いて、やれ疲れてないかとかやれ怪我はないかとか。一時間に一回なんてレベルじゃなくて、敵がでた後は必ずだ。シエラが話題を変えたりしてくれても、さすがにそろそろ振る話題もない。
「ほんとに大丈夫か?無理するなよな」
「だから、大丈夫だし、まだ余裕だよ。治療が必要ならすぐ言う」
ややうんざりしながら、それでも文句は言わない。小唄は小唄なりに不安も沢山あるんだろうから、ちょっとくらいなら我慢……
「でもやっぱ心配だよ」
我慢……できるかなー。
一体小唄は何がそんなに心配なんだろう。俺はぴんぴんしてるし、逆に混沌石が近づいてきたシエラのほうが辛いんじゃないかとすら思えるのに。
「ふたりとも、夫婦漫才はもういいから前を見て」
呆れた口調で、シエラ。夫婦漫才ってなんだよと突っ込もうとしたが、シエラの指す方角を見て俺は絶句した。
街道のど真ん中に、でっかいクレーターがあった。
正確にはそれはクレーターじゃなくて、湖だった場所らしい。街道に繋がる位置にはそのまま木造の通路が対岸まで伸びているが、所々崩れ落ちていて、とても安心して渡れそうもない。
「相変わらず出鱈目に霊力吸い上げてんな……」
小唄が呆れたような声で呟いた。余りに広大なクレーターは、もとの湖がかなり大きいことを示していた。その基準で行けば、小唄の感想もけして大袈裟じゃない。この広大な場所に東京ドーム何軒収まるんだろう。
「混沌石自体はたいした大きさじゃないのにね」
肩をすくめ、シエラはそっと崩れかけた歩道に足を踏み出す。軽く踏みしめて歩けるかを確認すると、大丈夫と呟いた。
慎重に、木造の足場を歩く。絶対いつか崩れそうなんだが……
『――近いですわ。きっとこの湖の中です』
唐突にセイムルーダの声が頭に響く。彼女が近いと言うなら確かなんだろうが――見渡す限り、なにも見当たらない。
「……どこだ?」
「……倭くん?」
辺りを見回す俺に、シエラが不思議そうにしたあと「あるのね?」と問いかける。無言で頷いて、俺は小唄のほうを見る。
「……やっぱ、下におりなきゃダメ?」
引きつった笑顔で、小唄。物わかりは良いが、腰が引けているのが情けない。
「降りれる場所を探そう」
「わかったわ」
俺の提案はあっさり受け入れられた。どうにか安全に下りる場所を探すがなかなか見当たらない。結局、崩れかけた場所の柱を下りる。
ささくれた木が手のひらに刺さって、なかなか痛いのを我慢する。降りきって土を踏みしめたが、湖の底にいるとは思えないくらいぱさぱさだ。
「本当に、どこに――」
何もない場所に、溜息を吐く。もしかするとまだまだ遠いのかも知れない。たまにはセイムルーダも間違ったり――
『西ですわ』
しなかったらしい。はっきりと方角を言われ、俺はペンダントに浮かんだ矢印のほうを向いた。
「――あっちだ」
よくよく見ると、西らしい方角はその一角に小さな山みたいな場所がある。水が戻れば、一番上くらいは島みたいに残るかも知れないそこには、あつらえたような洞穴があった。
「狭そうだな……けど」
『その奥から、混沌石の気配を感じますわ』
やはり間違いはないらしい。小唄に目をやれば、溜息を吐いて両手を前にかざした。
「明かりよ」
なかなか様になってきた言霊が、煌々とした明かりを小唄の手の中に生み出す。それを片手の上に浮かせたまま、小唄は中の様子を伺った。
「……入れないことは無さそうだ」
心底嫌そうに、小唄が呟いた。
まだ湿気を帯びているらしい洞穴は、良くは解らないがぴりぴりとした空気に包まれていた。敵がいると考えれば納得いくのに、何故か気配らしきものはない。
洞穴は中に入ればなかなか広く、地中へ深く続いていた。この中に水が入っていたと思えば、まだ漂う湿気も理解できなくはない。
「……だいぶ、近いのかしら?少しきついわね」
最後尾で歩くシエラの言葉に、俺と小唄は慌てて振り向く。護符をつけているとはいえ、シエラは混沌石の影響を受けている。彼女の霊力は今もゆっくりと吸い取られているわけで……。
「無理するなよ、シエラ」
小唄が気を使って手を差し出す。大丈夫とそれを断り、シエラはふと俺たちを不思議そうに見た。
「――前から気になってんだけれど、ふたりは影響を受けてないのかしら?」
「……」
返答に、詰まる。小唄も同様らしく、隣を見たら視線が合ってしまった。どうしよう――そう思っていると、話を振ったシエラ本人がきょろきょろとあたりを見回した。
「――声がするわ」
どうやら、シエラにとってはそちらのほうが気にかかるらしい。進んでいくと、分かれ道にさしかかった。
「あっちかしら」
暫し迷いながら、洞穴を進む。狭くなっていく道の終わりは、唐突だった。
視界が開ける。ドームのようなその一角は、人間が百数人余裕で入りそうな広さを有していた。一部には鍾乳石なんかも出来ており、かなり昔からこの空間は存在していたようだ。
「……誰かいる」
その場所のど真ん中で、対峙する人影がふたつ。この場所に立っていられるのはそのふたりだけらしい、周囲には兵士のような人間たちが数人、倒れ伏していた。
「もしかしなくても、あれって――ておい、シエラ!?」
ふたつの人影に走り寄るシエラを追いかける。どうにも様子がおかしいと思っていると――。
「――アセレア!」
切羽詰まった叫び。シエラの叫んだ名前は、確かに聞き覚えがあった。そして――
「シェーラ!?何故こんな場所に――」
こちらに背を向けていた、青い髪の青年が振り返る。女と言われても違和感がない、整った顔立ちの美男子だ。あれが間違いなく特務隊長――なんだろう、が。
「シェーラ……って、言ったよな?シエラのこと……」
俺と同時に思わず立ち止まった小唄が、唖然とした様子で確認する。
確かに言った。あの美形は、シエラを「シェーラ」と呼んだ。少なくとも今の状況でその名前が示すのは――レダノ公国のシェーラ姫しかいない。
「危険です、逃げて下さい。――混沌石に当てられて動けなくなります」
当然シエラが護符を持っていることを知らない彼――アセレアは、シエラを制止する。けれど、目の前にいる相手への警戒も怠っていない。
「――ふん、やはりお前は女に入れあげて国を捨てたか。ルノーの仲間達が知ったら一体どんな顔をするやら」
唐突に、アセレアと対峙していた相手が呟く。その手には、藍色に輝く石――
「混沌石……!?」
紛れもなくそれは、混沌石に他ならなかった。けど、あの石を手にして影響を受けていないなんて――
「カーク、私達は騙されていただけです!その石を使って平和を取り戻そうなんて、馬鹿な考えは止めて下さい」
アセレアがカークと呼んだ男は、警告に耳を貸してはいないようだった。猫のような目を細め、混沌石をしまい込む。どうやら、壊す気はないらしいが――
『いけません、あの人は混沌石をどこかへ運ぶつもりですわ!そんな事をしたら――』
セイムルーダの言いたいことは、良く解った。
混沌石を運ぶ――それは、世界中の霊力を石に注ぎ込むことと同じである、と――。