ベール被りの魔女は今日も泣く
──はるか太古の昔から続いた聖魔戦争が終わりを告げてから、百年の時が流れた。
人間と魔物が共存する世界で未だ諍いを起こすのは、魔法を使う魔術師と、その魔術師を異端とする僧侶だけだった。
「ベール被りの魔女、あんたには聖魔戦争終結時の災厄を引き起こしたとの疑いがかかっている」
険しい山の麓、古びた家に住む魔術師の少女は今日も涙を流す。
「──私はそんなこと、していません」
魔術師の朝は遅い。
日差しが射し込む部屋の中。温かい毛布に包まれながら身動ぎする。けれどすぐに呼吸のしずらさを覚えて、毛布から顔を出してまず私がすることといえば、このまま二度寝をしようか迷うことだった。
「きょう……は、さたぬすの日、だから……寝ても………いい、はず」
寝ぼけ眼で涎を垂らしながら呟く。毛布に包まれ、身体中を巡る温もりに身を委ねそのまま瞼を閉じ───
「なわけないっ……!!」
途端に顔が青ざめる。そして勢いよく毛布を放り投げた。
(そうだ、安息日なんて関係ない。だって)
ベッドから転げ落ちるようにして、洗面所に駆け込んだ。鏡に映るのは、寝癖のひどい金髪と翡翠色の瞳、それから涎の垂らした跡が残る口元だった。こんなみっともない姿を見られると思うと、冷や汗が出てくる。
私はすぐさまヘアブラシを掴んで洗面所から飛び出した。よくよく見れば部屋中ゴミだらけで足の踏み場がなかった。なんとか床に散らばっている紙を慎重に避けながら台所へ向かう。
ふらつく足取りで簡素な台所に置いてある茶葉の入った缶を開ける。が、中に入っているのは茶葉の欠片のみ。
(茶葉もない、用意もできてない、しかもゴミまみれ!!)
とりあえず空の缶を置いて元の場所へと戻り、引き出しを勢いよく開ける。その拍子に古びた杖がカラカラと音を立てるが、かまわず私はその杖を乱雑に掴んで、床に向かってその棒を突き出した。
「再生!」
私の声に呼応するように、杖の先から雫が流れ落ち、床に染み込む。すると途端に床に散らばっていた紙が舞い上がり、元あった場所へと踊るように戻っていく。まるでそれは時間が巻き戻っているようで、私を中心に部屋が片付いていく。
次に、部屋の片隅に積み上げられたゴミ袋へ向かって杖を突き出す。
「破壊!」
先程と同じく、杖から雫が滴る。今度はゴミ袋全体に振りかけるように軽く斜めに振り上げると、雫が降りかかったゴミ袋が瞬く間に分解され、匂いも色もない光の粒へと変化する。
(あああ待って待って着替えなきゃ!!)
ヘアブラシで乱暴に寝癖をとかしながら、タンスからまともな服を引っ張りあげる。寝巻きに足を引っ掛け、転びそうになりながらも辛うじて綺麗なスカートに足を通した。
「ほんっとに魔法って不便……!!」
杖がなくちゃ発動しない魔法に文句を言いながら、ローブに袖を通す。顔を洗い、歯を磨き、ある程度寝癖が落ち着いた髪を撫でて、
「ふぅ……あっ、あとは」
姿見の前で全身を隈無くチェックし、最後の一つを忘れていたことに気づく。ドレッサーに置いてあった黒いべールを手に取ろうとして、
────ドン、ドン、ドン。
「っひゃあっ!! は、はい、今開けます開けます!!」
扉を強くノックする音に慌てて反応しながら、べールを被り、カーテンを開く。待たせたら何て言われるか、それを想像するだけで手が震える。
「解除……!!」
震える手をそのままに、握った杖から零れ落ちる雫を扉に振りかける。すると黄色に輝く扉が勢いよく開かれた。
「ひ…………」
思わずそこに立っていた人物を見て、小さく悲鳴を漏らす。鋭い眼光と、広い肩幅。そして十字を刺繍したカソックから分かるのはそう、
「そ、そそ、僧侶さんが、な、何の用事で……!?」
──魔術師の宿敵、僧侶。魔物との戦いの後、互いの力の性質上敵対することになった存在。
幼い頃から祖母にそう教えられ、僧侶を見たら逃げるように言われてきた。しかし故郷を去り、山から下りて一人暮らしをし始めた途端にこれだ。
昨日の時点で「明日も来る」と言われた時から嫌な予感はしていたがまさか………
「用事……だと?」
「ひぃっ!!」
──ムリムリムリムリムリムリ!! 顔面怖すぎ、僧侶怖い、っていうか逃げ場がない!!
震える足腰に、思わず涙が出そうになる。あまりの恐怖に両手を胸の前で交差させ、ギュッと握りしめた。
「あ、あなたは、わ、私を殺しに、来たんですか……!?」
「殺しに……?」
「ひぃっ」
ギン、と僧侶は元々鋭い目尻をさらに釣り上げ睨みつけてきた。その眼光に圧倒され、また悲鳴が漏れる。
「べール被りの魔女、あんたには聖魔戦争終結時の災厄を引き起こしたとの疑いがかかっている」
(え? 聖魔戦争終結時? 災厄?)
起きたばかりで上手く回らない頭をフル回転させて、言われた言葉を反芻する。
そして同時に、その災厄の犯人であるという疑いを向けられたことにショックを受けた。
──は、犯人って、どうなるの?
頭に過ぎるのは惨い処刑と、醜い余生。そうでなくともまっとうな人生は送れないだろう。
(そんなの嫌だ……!)
さっきまでは我慢していたが、とうに限界だった。強面の僧侶に犯罪者扱いされ、自分の残りの人生がめちゃくちゃになってしまうと想像したところで、液体が頬を伝った。
「わっ、わ、わたっ」
しゃくりあげそうになるが、それでも言わなきゃいけない。
「私はっ」
揺らめく視界の中、ぐっ、と手のひらに力を込めた。
「──私は、そんなことしていませんっ!!」
ベール被りの魔女は、今日も泣く。
◆
扉の向こうで、ドタバタと音を立て魔法が放たれる。こんなにも魔法を乱用し、慌ただしい朝──否、昼を迎える魔術師は見たことがない。
昨日は突然の訪問で泣かせてしまった。それが何故かは分からないが、おそらく事前に言って欲しかったのだろう。だから昨日、「明日も来る」と言った。
なのに、この始末だ。
「はー………」
これだから魔術師は困る。僧侶との文化はもちろん活動時間まで異なるのだから。
俺は短く刈り上げた後頭部を搔く。どうにももどかしい。
これから再び会うのは百年前の厄災を引き起こし聖魔戦争を終結させた。と思われる人物だ。昨日会った限りではそこら辺にいる農家の娘と変わらなかったが、毛布を被っていたため顔は覚えていない。魔術師といえば皆が長命で、死に際まで老けることのないのが特徴だ。若い娘だろうが、百年前の厄災を起こした可能性は十分にある。
「……まだか」
ノックをしてから返事があったのは聞こえたが、一向に開かない。鍵がかかっている。この鍵も魔法で作られたものなのかと、改めてベール被りの魔女とやらの凄まじさを再認識した。
しかしドアノブを握った途端、扉が黄色に光る。そしてその勢いそのままに扉を開く。
「ひ…………」
思わず目の前に現れた少女を見て、目を細めた。輝くような金髪と薄い肩。そして漆黒のローブ、手もとに握られた杖から分かるのは、
「そ、そそ、僧侶さんが、な、何の用事で……!?」
──僧侶の宿敵、魔術師。魔物との戦いの後、互いの力の性質上敵対することになった存在。
孤児になった俺に僧侶の力を教えてくれた恩人からそう教わり、魔術師を見たら追いかけろと言われてきた。しかし、こうして僧侶となり魔術師と相対するのは初めてだった。
それよりも、彼女の言葉に違和感を覚える。
「用事……だと?」
「ひぃっ」
昨日、訪問のことについて事前に伝えていたのにも関わらず、「用事はなんですか」ときたか。思わず睨みつけ呆れる。
───これが、聖魔戦争を終結させた英雄の姿か。と。
長年続いた人間と魔物の戦争──聖魔戦争は、お互いの領地の境目で起こった災厄をきっかけに和平を結ぶ形で終結した。嵐を巻き起こし、地盤を揺るがし、噴火の雨を降らし、血で汚れた大地を作り直し、緑の大地へと変貌させた人物。
ここ最近になってその人物がベールを被った魔術師ではないかとの疑惑があがり、さらに当時出来上がった火山の麓に住んでいることが分かった。
聖なるものを示すベールをわざわざ被る魔術師などそうそう居ない。
だからこそ──
「べール被りの魔女、あんたには聖魔戦争終結時の災厄を引き起こしたとの疑いがかかっている」
ここで認めてくれれば彼女が、人類にとっても魔物にとっても英雄になるのだ。
「わっ、わ、わたっ」
そうすれば各国から勲章が授与され、報酬が出され、さらには不自由ない暮らしが約束される。
「私はっ」
百年後になって今更かと思われるかもしれないが、その分まで含めて十分な恩賞が与えられるだろう。涙が出るのもわけは無い。
「──私は、そんなことしていませんっ!!」
──は?
驚きのあまり声が出なかった俺の前で、初めて出会ったときのように──
ベール被りの魔女は今日も泣く。