キューピッド・ホームズの事件簿〜あるいはCP厨奮闘記〜
ん? すみませんね。まだ恋咲先輩は部室に来てなくて。恋咲探偵事務所にようこそ。僕は先輩の助手に無理やりされた者です。……猫探し? すみません。ウチ探偵事務所って言っときながら、探偵らしいことはしてないんですよ。先輩曰く「愛」の探偵事務所らしくて。普段の活動は、恋に関する悩みとか依頼を聞いたり、あとは依頼とかなくても先輩の気分で、中々くっつかないじれったい男女を裏からくっつけたりとか。先輩CP厨らしいんですよ。カップリング厨。この学校内にもいくつか推しカップルがいるとか。傍迷惑な話です。
いや僕は別にCP厨じゃないですよ。ある事件の依頼をここに持ってきたら、先輩に気に入られたというか……そんな感じです。
ということで、猫探しは多分恋咲先輩の琴線に触れないかな、と。……その猫で知らない男の子と文通? それはちょっと話が変わって……あ、先輩、おはようございます。もしかして話聞いてました?
僕の机の中にパンツが入っていた。
女性用のレースの下着である。女子高生が着用するにはやや大人びた代物だ。
ショーツと形容したほうが適切か。
「……なんのイタズラだこれは」
昨日誰かが文化祭の準備に使用したのか、やけに綺麗に机が並べられた教室で、僕は一人ごちる。
朝イチで登校したから良かった物の、朝礼の時に気づいて取り出しでもしたら、教室中が阿鼻叫喚となるだろう。
嫌がらせだとしたら、中々性質が悪い。
さて、ただの悪質なイタズラならばゴミ箱にでも捨ててやろうかという所だ。
だが万が一にも忘れ物や落とし物であったとしたら? 僕は比較的善良なる人間であると自負しているのだ。落とし物や忘れ物は、必ず持ち主の元に返すようにしている。
同様、このショーツが忘れ物であったならば──
ひらりと一枚の紙が床に落ちた。まさかこのショーツに挟まっていたのだろうか。
拾い上げて見てみると、少し丸めの筆跡でこう書かれていた。
『忘れ物です。持ち主である私に届けてください。by Ms.Q』
「なんのイタズラだこれは!」
忘れ物にこんなメモをつける持ち主がいてたまるものか。届けてくださいなどずいぶんと厚かましい忘れ物である。そもMs.Qとは誰だ。
紙切れ一枚にツッコミどころがありすぎる。
……だが、まあ、誠に奇怪なイタズラだが、悪質なそれではないことはわかった。ならばわざわざショーツを捨てることはない。
「仕方ない仕方ない」
僕はショーツをポケットにしまう。
ショーツが「忘れ物」なら、持ち主に届けてしかるべきだろう。比較的善良なる一人の人間として。
間違っても情欲に動かされてなどいないからな僕は。
◆
文化部室棟三階、廊下の突き当りにある一室の扉。307と書かれたプレートの下には、「恋咲探偵事務所」とドデカくゴシック体で書かれた張り紙がある。
そう。高校の部活で、探偵事務所などと大層な名乗りを上げているのだ。
僕はやや塗装の剥げた扉をノックする。
「はい。どうぞ」
ハキハキとした女性の声が、扉の奥から聞こえてきた。僕は扉を開け、入室する。
「ようこそ恋咲探偵事務所へ。君は……一年生? どんな事件の依頼かな?」
そこにいたのは、奇怪な格好をした少女だった。
恋咲 穂紫。一つ上の先輩で、この高校の有名人である。
制服の上にインバネスコートを羽織り、やや大きめのディアストーカーハットを被っている。……つまりかの有名なシャーロック・ホームズの格好だ。
「いえ。忘れ物を届けに」
「忘れ物? 君ね、ここは職員室じゃないんだよ? 探偵事務所っていうのはさ、依頼を受ける所なの。常識だろう?」
権力に物言わせて謎部活立ち上げた人に常識を説かれたくない。
実はこの少女、お嬢様なのである。親が多額の寄付金を出しており、教員も頭が上がらないとかなんとか。今年は文化祭の実行委員長になったため、教員達は振り回される事になるだろう。
彼女が立ち上げた謎部活とはもちろん、この「恋咲探偵事務所」である。部員は未だ1名だ。
「昨日今日と水泳の授業があって疲れているんだ。わざわざそんな事には付き合わないよ。もっとラブコメ的な事件じゃないと」
「(ラブコメ……?)いや、その忘れ物が忘れ物でして、職員室に届けにくいというか」
僕はショーツを広げてみせた。
「…………まさか泥棒したんじゃないだろうね」
「違いますよ!」
だから職員室に届けられないんだ!
「で、一緒にこの紙が入ってたんです」
「……ほほう?」
彼女の目がキラリと光る。
「何やらラブコメ的な事件の香りがするね? となると君は、その持ち主、Ms.Qとやらを探して欲しいということかな?」
「ラブコメ的ってのがよく分かりませんが、ええまあ、そんなところです」
「ほむほむ。よし君、このソファに座りたまえ」
相変わらず特徴的な相づちである。
どうやら僕は依頼人と見なされたらしい。なぜか部室にある、革の柔らかいソファに座った。誰が持ち込んだんですかね。
彼女はショーツと紙を手に取り、興味深そうに見つめる。
「うーん。しかし手がかりがこれだけだと少ないね。参考までに、君に心当たりはないかな?」
「僕ですか?」
「そうそう。些細なことでもいいんだ。もしかしたら犯人は君の知り合いかもしれない」
そうですね……と、僕はここに来るまでに考えていたことを連ね始めた。
「まず、これはある種のクイズだと思うんです」
「Ms.Qは、クイズのQだと?」
「ええ。この下着は本来『忘れ物』であるはずがない。となれば、『忘れ物』というのはクイズの設定なんです。『あなたの机に忘れ物の女性の下着があったとします。その持ち主は一体誰でしょう?』という」
「ほむほむ。面白い考えだね」
「下着なんて基本忘れるものじゃありません。なにせ一度脱がなきゃいけませんから。風呂場ならともかく、学校で下着を脱ぐシチュエーションは限られています」
今の時期……夏なら、水泳の授業。
「水着から着替える際に下着を履き忘れる……なんてのは少し不自然ですが、換えの下着があるなら話は別です。もう一度同じ下着を履きたくないってタイプか、あるいはお金持ちのお嬢様ならありえそうな話ですね?」
「ほむ……」
「ではなぜ僕の机に忘れたのか。僕のクラスは昨日水泳がありませんでしたから、残る可能性は放課後、一年三組の教室を使用していた生徒になります」
担任の教師に聞けば、あの教室は昨日の放課後、文化祭実行委員のダンスの練習に使われていたそうだ。
後夜祭で実行委員の女子が男子の演奏に合わせて踊るのである。
「ダンスのためにまた着替えるとき、誤って水泳のときに脱いだ下着を着替えと一緒に取り出してしまったんでしょう。なぜ床でなく僕の机の中なのかは謎ですが、大方男子が入ってきて慌てて着替えを机の中に隠したとか、そんな所ですかね。まあ所詮クイズの設定ですし」
そう……僕は依頼しに来たんじゃない。詰問しに来たんだ。恋咲先輩。
「後夜祭で踊るのは主に実行委員の幹部。昨日水泳の授業があり、お嬢様で、ダンスのために昨日教室を使った人が一人、偶然にも僕の目の前にいます」
「……」
「この下着の持ち主、或いはMs.Qとはあなたですね? 恋咲 穂紫先輩?」
しばらくの沈黙の後、彼女は笑った。
「ふふふっ……中々面白い。でもその推理は、『クイズである』という前提だろう?」
「まあそれはそうですが、クイズなりに自己採点はしたんですよ。恋咲先輩の筆跡は、Ms.Qの手紙の文字と似ている」
「私の筆跡? どこで目にしたのかな。扉の張り紙は印刷したものだし」
「学級日誌ですよ」
どの教室にもある学級日誌。そこには日替わりで日直となる、クラス全員の手書きの日報が載っている。
クイズ的にはちょっとズルっぽいが、答え合わせのようなものだ。
「僕の推理はこんな感じなのですが、どうです?」
「……中々良い推理だったよ。だけど、君の推理には致命的な穴がある。そのショーツが使用済みである、と思い込んでいないかな。残念ながら新品って可能性もあるんだよ?」
あ、それ聞いちゃう?
正直とても言いづらいのだが。
「……が……」
「え?」
「……毛、が……ついてて」
まあその、陰の毛である。
キョトンとした恋咲先輩だったが、次第に顔を赤くしていく。
その反応は答えだと思うんですよ先輩。
というか使用済みショーツを机の中に置いておくのはセーフで、毛がアウトとは。羞恥のラインがバグってませんか。
「私は毛深くない!」
そうは言ってねぇよ!
◆
「コホン。さて、気を取り直して」
彼女はようやく平静を取り戻したようだ。
「君、合格だよ」
「……は?」
「今日から君は私の助手だ!」
「は!?」
あれ? そういう話だっけ?
「その馬鹿なことに熱中できる性格、鈍感キャラとは正反対の推理力、まさに私が求めていた人材だ。君をテストして正解だった」
「待って」
「新人助手の君に教えておこう。この探偵事務所は、ただのそれではない!」
「待て」
「いわば我々は愛の探偵。あらゆるカップルの障壁となる事件を陰ながら解決するのが私達の使命だ!」
「待て!」
愛の探偵とは?
もしかしてこの人バカじゃなかろうか。
なんだ、つまり恋のキューピッドにでもなろうってことか。それもう探偵じゃないだろう。
僕の制止も虚しく、彼女は止まらない。
「ほら、両思いでくっつきそうなのに、すれ違って中々上手くいかないもどかしいカップリングとかあるだろう?」
「はあ」
「そこをこう、ズバッと解決するのだ。後は尊き推しCPをただ眺めるのみ」
彼女は恍惚とした表情になる。……もしかしてこの人ヤバいんじゃないだろうか。
「いやあのですね、愛の探偵だか分かりませんが、僕は助手には──」
コンコン。と扉がノックされる。
「助手、開けたまえ」
「助手じゃないって……」
ため息を付きつつドアを開ければ、金髪を一つ結びにした少女が立っていた。
「ようこそ恋咲探偵事務所へ。事件の依頼かな? それとも恋の悩みがあるとか?」
「は!? べ、別に! 恋とかそういうんじゃないから!」
恋咲先輩の問いかけに、金髪少女は真っ赤になって言う。
……見事に古典的ツンデレ少女であった。
「尊いっ!」
「先輩!?」
ブハッとか言って先輩が倒れた。え、何この人怖……。