チュートリアルのバグ
昨今、人気を集めるファンタジー系VRMMOゲーム『ユア・ユートピア』。
チュートリアルの洞窟の一つにそのモンスターはいた。
種族名を【ヴェノムセンチピード】。プレイヤーに毒の状態異常と回復薬の使用を教えるためだけに生かされ、幾度となく殺され続けるモンスターが。
無意味に殺される日々の果て、奇跡が起きる。偶然に偶然が重なった結果、彼はレベルアップを果たした。
しかし、初心者用のチュートリアルの洞窟にレベル2のモンスターが存在する事は想定されていない。世界から見れば、彼の存在は致命的な不具合だった。故に彼は洞窟の外へと放り出される事となる。
自らの役割から解放された彼の口をついて出た願いは、
「人よりも強くなりたい。もうこれ以上人間に殺されないくらいに強く、強く」
外の世界を知った彼は止まらない。人も同族も倒して、ひたすらに強さを求める怪物が誕生した
【66664人目】
バラバラにされ、光となって消えた肉体が再度この世に産み落とされる。
否応無く行われる肉体の再構築。その回数は6万を超え、彼にとっては慣れたものだった。
生まれ直した彼がまず目にするのは、等間隔で壁に設置されたランプの明かり。
通常は消えているそれは、人間がここに足を踏み入れた際、火が灯される。そして視界の隅に表示されている数字は、ここを訪れた人間の総数を示していて……
ーーチュートリアルが始まる。
プレイヤーが近づくにつれ、明るさを増すランプの火が、暗闇に蠢く彼の身体を照らす。
ただ彼と言っても人間ではなく、まして人型でもない。
縦長の身体に無数の脚を生やし、頭部には強靭な顎を持つ虫。多くの足を器用に動かし地を這う彼の正体はムカデのモンスター。
その種族名を【ヴェノムセンチピード】
ここ、チュートリアルの洞窟において、毒の状態異常及び回復薬のレクチャーの為だけに設置されたモンスターである。
「ーーーー!」
前方に控えていたモンスター達の悲鳴が洞窟内に響き渡る。その後すぐに、大剣を背負った青年が彼の前に現れた。
「ーー眠い、これで何度目だ……ちっ、スマホゲーじゃあるまいし、VRMMOでもリセマラってなんなんだよ。これ以上、部活の連中に差を作くるのは許せねぇから、まぁやるけどよ」
本ゲームにおいてもチュートリアル後のガチャで望みの装備が出るまで、ゲームをやり直す例は少なくない。出遅れたと嘆く青年にとっては、序盤を効率良く進める為にそれを避けては通れなかった。
何度このチュートリアルを行ったか青年は覚えていない。それを正常に数えていたら、苦しんだ回数で諦めてしまいそうだから。
ならば、そういった苦痛の回数を強制的にカウントさせられているモンスターの苦しみは想像を絶するものだろう……。
しかし互いの苦しみが通じ合う事などなく、青年はモンスターを殺そうと近づく。
そして1人と1匹の距離は縮まっていき戦闘が始まった。
大剣と毒牙が数度かち合ったのち、毒牙が青年の腕を掠めた。それと同時に、ヴェノムセンチピードの役目は終わる。
今頃、青年の側では状態異常と回復薬使用のメッセージが表示されてる事だろう。
ーーだが、様子がおかしい。刻一刻と毒で体力は減っているというのに、いつまで経っても青年が回復薬を取り出す様子は無い。
チュートリアルにおける役目を終えた彼も動けない。故に暫しの静寂が続き、青年は力尽きた。
「やべ、マジか。チュートリアルで死んだ」
死亡のメッセージが表示された画面で、ようやく青年は意識を取り戻した。どうやら眠っていたらしい。
「はぁ、また最初からか。くそ、あぁもう今日はやめだ」
チュートリアルでも負けは負け。データに残ってしまう。それは余りに屈辱的。
だがこれ以上続けてもミスが増える事も明らか……、故に青年はゲームを切り上げて洞窟から出て行った。
《経験値を1所得しました》
ふと、誰も居なくなった洞窟でヴェノムセンチピードは経験値所得のアナウンスを耳にした。
*****
【66665人目】
次に現れたのは杖を持った少女。
ランプの明かりがあるとはいえ閉塞的な洞窟の中、加えてモンスターとの戦闘を終えた彼女は、恐怖と不快感で既に満身創痍。
「うえっ、気持ち悪いムカデ……」
どうにか一戦目を突破した彼女は、次に待ち構えていたヴェノムセンチピードと遭遇して、不快感をあらわにする。
「もう、なにこのゲーム。男子ってこうゆうのが好きなの……? うぅ、私こういうの苦手なのよ。虫気持ち悪いし、もうやだ。でもこれもあいつに近づくため……はぁ、やるわ」
流行りのゲームというだけでは手を出さなかった彼女だが、好意を寄せる男子がハマってるとの事で、重い腰を上げたようだ。
しかし彼女はゲームが苦手であった。
向かい合う彼に対して、重たそうに杖を振り回し続け、何ら魔法を使う気配がないことからもそれは明らかだった。
幾度となく戦闘を重ねてきた彼にとって、杖を単なる棒切れとして使う彼女に攻撃を与えるのは、とても容易な事だった。
「きゃあ、気持ちわるい! 感覚リアルすぎよ!!」
ヴェノムセンチピードの攻撃を受けた彼女も毒に侵された。
噛まれた痛み、というよりも現実では考えられない大きさのムカデの身体が、自らの柔肌と接触した不快感からパニックに陥ってしまう。
「やだ、来んなぁ!!」
本来は魔法職の杖なのだが、ゲームに疎い彼女は、本来の用途と異なった使い方での攻撃ばかり行っている。それでは彼を倒せるはずもない。
「え、ゲームオーバー? はぁ、もういいわよ。あいつに手取り足取り教わろ! よく考えたらその作戦の方がいいわ」
散々に文句を言い残し、彼女もヴェノムセンチビードを倒すことなく洞窟から去っていった。
これまでも、稀にではあるがチュートリアルで死ぬ者はいた。しかし二度も続いた事はなく、それ以上などあり得ない……。
ましてレベルが上がる事など想定もされていない。チュートリアルにいるモンスターらのレベルは1と設定されているのだから。
どうせ次の人間に殺される。暗闇の中、彼もそう思っていた。
*****
【66666人目】
次のプレイヤーは髪型をピンクに変えた、どこか派手な雰囲気の女であった。
その女は何やら誰かと話しながら歩みを進めている。一人ずつしか入れないチュートリアルにだ、おかしな話である。
「お〜みんな見てる? 今日は『ユア・ユートピア』ってゲームの実況をしていこーと思います」
どうやら次の人間は実況者らしい。宙に浮いた球体型のカメラに向かって、可愛らしいポーズを取りながら撮影を行なっていた。
ただ、ゲームに慣れてるはずの実況者にしては動きが覚束無く……
「いやぁ、死んじゃう、死んじゃう! 剣当たんないー」
彼女は動かないヴェノムセンチピードに向けて剣を何度も振るうが、当たる気配が全くない。さらに言えば回復薬を使う素振りさえなかった。
「チュートリアルなんだから優しくしてよー!」
毒を治療しない彼女は66664人目と同様、死を迎える。しかしチュートリアルでありながら死ぬ時点で、このゲームは不完全なのかもしれない。
《経験値を1所得しました》
3度目となる経験値所得。当の本人は気にしている様子はないが、もし仮に経験値が溜まってレベルが上がってしまったら……、世界は彼というモンスターをどう扱うのだろうか。
「みんな! アドバイスちょうだい!!」
彼女にとって、データに残ろうがチュートリアルの敗北は嫌ではない。むしろネタになるとまで考えているのだろう。そう動画の方針が決まったのかニヤケ顔を浮かべている。
そして軽い気持ちでチュートリアルに再挑戦した。
「実は虫苦手で、武器越しでも触れたくないの、うぎゃ」「もしかして寝たら回復する? きゃ!」「剣すっぽ抜けたぁ! ひゃあ、しかもあたしに飛んできた、痛いぃ!」「壁に激突ってなんで??」「え、真面目にやって負けたんですけど……」「て、――ああぁ! 毒忘れてたー!」「このムカデ強すぎじゃんよー……」
《経験値を1所得しました》
《経験値を1所得しました》
《経験値を1所得しました》
《経験値を1所得しました》
《経験値を1所得しました》
《経験値を1所得しました》
《経験値を1所得しました》
何度も、何度も彼女は敗北を繰り返した。時にギリギリの攻防戦を繰り広げ、チュートリアルでありながら盛り上がりを見せた場面さえあった。
そんな彼女の所為で、ついにヴェノムセンチピードのレベルアップに必要な経験値を満たしてしまう。
《経験値が溜まりレベルアップしました。ステータスを更新します》
ここに、レベル2のステータスを設定されてないモンスターのレベルが上がるという矛盾が生じた。
設定がないというのは即ち無限の可能性であるとも言える。
ヴェノムセンチピードの全てのパラメータへ数字が無作為に割り当てられていく。
時には記号やアルファベットが現れるなど、度重なる文字化けを繰り返して、ついに完成する。
しかし新たなステータスを確認する前に、ヴェノムセンチピードは洞窟の外へと転移されてしまった。
視界が一瞬で切り替わり、彼は生まれて初めて外の世界を目にする。
「ーーーー」
無限に広がる世界を目にした彼は絶句した。
木々の枝葉の間から月明かりが差し込む森の中、吹き抜ける冷たい風が死ぬばかりだった過去を洗い流すかのように心地よく感じ、
結果、これまでの全てが些事と成り果てた。それほど彼には世界が輝いていて見えたのだ。
そこに何が起こったかを考える余地は少しも無かった。
*****
レベル1のモンスターしかいない空間に、レベル2のモンスターが存在しているという事態にダンジョン側がその不具合バグを弾き飛ばし追放した。ただそれだけ。
否、彼にとって見ればそれは無限に殺され続ける役割からの解放を意味している。
こうして彼……ヴェノムセンチピードは自由の身となった。全ての役割から解放され、言わばこのゲーム世界で最も自由であった。
その彼が望むものは一体なんであろうか……。復讐か最強か、あるいは生存か……それはまだ分からない。
ただひとつ言えるとすれば、この瞬間の彼は過去最高に満ちたりていた事だけは間違いない。