M
「昨日、人を殺しちゃった」
高校二年生の米々沢は、幼馴染である南雲静流に一週間後の三方原鮎美の殺害を告白される。理解できない。米々沢が質問すると、静流は自分はタイムリーパーで、連続殺人が起こらない未来を模索するため昨晩に戻ってきたと主張する。そんな馬鹿な。悪い冗談を言っていると思った米々沢が困惑しながらも考えをまとめていた時、担任の教師が屋上から飛び降りたとの話が飛び込んできた。
「もしかしてこの時間軸も駄目なの……?」
そう言って教室から出ていく静流。彼女を追わずに教室に残った米々沢は、静流から『M』とだけ書かれたメッセージを受け取る。
そのメッセージの意味するところは? 日々発生する殺人事件。静流の言う連続殺人を米々沢は、止められるのか? もし、静流と鮎美の二人のうちどちらかしか助けることが出来ない。そんな選択を突きつけられた時に米々沢が取る行動とは……。
「昨日、人を殺しちゃった」
午後の授業開始十分前。冬の寒さが少しだけ緩んだ高校の教室。南雲静流は前髪をかきあげた。落ち着いた明るい声。無邪気さがある笑顔。テストで満点でも取ったかのよう。だが、中身は爆弾発言。他人に聞かれれば奇異の眼差しを受けるに違いない。とは言え、それは聞こえたらの話。幸いなことに、半分以上は席を外している。残っているクラスメイトも仲の良い友達同士で会話しているか、自分の趣味に没頭しているかで静流の声は届いていない。
「それが本当なら、言うべきは俺じゃなくって警察だな」
自分の席に座っていた米々沢希は、読んでいた本を置いた。静流が空いていた前の席に座るのを見て、興味がなさそうに答える。
「希くん、幼馴染に対してちょっと冷たくない? 担任がモホロビチッチ不連続面のことをモホ面って連呼するときみたいに寒気がするよ」
静流は両手で自分の肩を抱く。寒そうなジェスチャーをしているのは、今が一月だからか。
「いや、俺は生きているから温かい。マントルなみにな」
「もしかしてジョーク? だったら余計に笑えないよ」
静流はニコリと微笑む。とっておきの笑顔。普通の男性が頼まれたら嫌と断ることが出来ない魅了の魔法がかけられている。しかし、その笑顔を見慣れている希には通用しない。
「人を殺したって方が笑えないな」
「そう。面白くない酷い話だよ。今から説明する話は」
静流は笑みを消して、視線を鋭くする。こんな顔をするときの静流は意味不明なことを言う。小さい頃には、宇宙人が家に来て動物のように扱われたとか、未来人が現れて一緒にお風呂に入ったとか、摩訶不思議な体験をよく話していた。そして、何度か他人が驚くくらい未来に起きる出来事を的中させた。
大きくなるうちにいつの間にか話さなくなっていたそんな話題。どうして高校生になった今になって話すのだろうか。希は訝しがりながら静流の眉毛が歪むのを見る。
「私は三方原鮎美さん。彼女のことを殺しちゃったの」
静流はそれまでの口調と異なり声を低くする。そして、俯きながら右手で目を拭う。
「ちょっと待てよ南雲。知り合いの名前を出すのは非常識だろ。しかも、被害者としてなんて。冗談にしては悪質だ」
希は目を細めて眉を吊り上げる。この話は昔聞いた宇宙人とか未来人とかが出てくるお話っぽさがない。しかも知人が出てくるなんて。これ以上は聞く気はない。そう言わんばかりに席を立とうとすると、静流はすかさず「待って。お願いだから最後まで聞いて」と懇願してくる。
希は顔を上げて直視してくる静流の目を見る。その中にある本心を見極めようとする。けれども、静流の心は遠く見えてこない。ただ、感じられる真剣さだけを認めて、立ち上がるのを止めて座り直す。そこまで言うならば、適当なことを言うのは許さない。静流のことを睨みつけながら話の続きを待つ。
「この話は希くんにしかできない。希くんが三方原さんのことを好きだってことは知っている。だからこそ、最後まで聞いて欲しいの」
希は静流のすがるような態度を見て深呼吸をする。落ち着け。さっきの殺すは比喩かなにかだろう。冷静さを意識しながら静流の言葉に反論していく。
「残念ながら今の話は二つほど間違っている」
「何が?」
「一つは、俺は三方原のことを好きではない」
「そう? 三方原さんが聞いたら落ち込んじゃうよ」
「もう一つは、今朝、三方原の姿を見ている。だから、彼女は殺されてはいない」
希の言葉に静流は小さく頷いた。
「じゃあ、私も希くんに反論するね。一つ目は、三方原さんのこと好きではない。と言ったけど、嫌いとは言わなかった。だから、実は大好きってことかもしれない」
「好きではないから大好きって、ちょっと無理があるって。そもそも、俺は人に対して好きとか嫌いとか、人間的な欠陥なのかな? 人に対して強い感情を持てないタイプなんだ。もし、三方原のことを好きと言うなら、南雲のことも好きと言える」
「告白ありがと。って、好きの意味にも色々あるもんね。ま、それでも嬉しいけどね。私は希くんのことが好きだから」
静流は少しだけ笑顔に変わる。うつむいていた顔を上げて真っ直ぐな視線を希にぶつけてくる。傍から見れば恋する乙女に見えるだろう。
「じゃあ、二つ目の方の反論。私は今日から一週間後に三方原さんを殺したの。だから、彼女はまだ生きている」
「待て、それは意味がわからない。昨日の南雲が一週間後の三方原を殺した? 無茶苦茶じゃないか」
「うん。確かに、論理的にはありえないかな。私が能力者じゃなければね」
「能力者?」
希は怪訝そうな表情で静流を見た。
「ええ。私はタイムリーパーなの。彼女を殺した時点で今朝に戻ってきたの。これから起こる惨劇を止めるために、ね。自分でもおかしなことを言っている。そんなことはわかってる。でも、一人で解決できないって散々試してみてわかった。誰も死なない未来を取り戻すためには、協力者が必要。そして、私が信頼できる人間は希くんしかいない」
「明日から人がたくさん死ぬことになっているのか」
「そうね。今日から毎日一人ずつ殺されるの。それを阻止するために私は戻ってきたの」
「三方原が連続殺人犯になるとでも? だから殺したって? ありえないだろ」
「彼女が連続殺人犯かは私にはわからない。でも、一つだけわかっている。この殺人は一番初めの殺人がきっかけで連鎖的に発生する。だから、その殺人を阻止すれば全てが平和裏に終わるはず。それで、そのきっかけは……」
静流の話は、教室の扉が勢いよく開けられた音にかき消された。そのまま、扉が壊れて外れてしまうのでは、という勢いに希も静流も反射的に顔を向ける。すると、同時に一人の女子高生が教室に飛び込んできた。
「や、やばいよ。せ、せ、先生が屋上から飛び降りたんだって。ベランダから見えるって」
彼女はクラスメイト全員に聞こえるような大きな声で言うと、希らの背後にあるベランダへの入口に向かって駆け寄ってくる。すると、呼び寄せられるかのように他のクラスメイトも彼女と一緒にベランダへと近づいてくる。
「しまった。ミスった? 前の時間軸と事件の発生タイミングが違う。何で? ありえない。このタイミングってわかってたらこの話は朝にしたのに、もしかしてこの時間軸も駄目なの……?」
静流は悔しそうに言うと立ち上がった。希との話を中断して、クラスメイトの流れとは逆に、教室の外に向かって走り出す。
「何処へ行くんだ?」
希も慌てて立ち上がり、静流の後を追おうとする。けれども、他のクラスメイトの流れに身動きが取れない。無理やり押しのけてまで、静流を追いかけようとはしない。まずは、ベランダから状況を確認したほうが良い。そう判断して、流れに任せるように他のクラスメイトと一緒にベランダへと出た。
「もしかして、あれかな?」
希は一人のクラスメイトが指し示す方向を見た。人だかりが出来ていて、何が起こったかわからない。ただ、そこでは何かが起こっていることだけは感じ取れる。現場に行ったほうが状況が理解できるだろう。そう思い直した希はベランダから教室に戻ろうとした。と、その時、不意にズボンのポケットから振動を感じた。
もしかして、下に到着した静流からの電話じゃないか。そう思ってスマホを取り出したが、電話ではない。メッセージが到着していた。
『M』
送られてきていたメッセージはその一文字だけだった。
「何が言いたい」
希は呟きながら静流に電話をかける。けれども、静流は電話にはでない。メッセージを送ったのだから手にスマホを持っているはず。それなのに、頑なに通話を拒否しているように思える。仕方なく希はメッセージで、『Mって?』とだけ送る。
「M。これがこの事件に関連しているのか。南雲は始めの殺人がきっかけで連続殺人が起こると言っていた。ミステリー? モンスター? ミザリー? マンデイ? いや、英語であるとは限らない。犯人のイニシャルとかか? とすると、三方原がM……って南雲もMだな。つか、俺も米々沢だからMか……」
希は周りの喧騒など気にせず自分の席に戻った。多分、この様子では午後の授業など始まらない。だとすれば、推理をする時間は十分にある。今なら連続殺人を止めることが出来るかもしれない。
希はスマホに表示されているMの文字を眺めながら、腕を組んで思考の世界に没頭する。少しずつぼんやりと概要が見えてきそうになったその時、突如、ベランダから複数の悲鳴が飛び込んできた。