吸血鬼《ヴァンパイア》はなみだにひかれて
朱雀高校では何人かのモンスターが普通の生徒達の中に紛れてひっそりと学園生活を送っている。
ここは【モンスター協定】の結ばれている学校で、地上を追いやられたモンスターの留学を密かに受け入れている。
血助は人間社会が大好きな吸血鬼で学校生活を大いに楽しんでいたが、そこへ虹咲七海那が転校してきた事により状況が一変する。
彼女は退魔師組合から「邪悪な魔物が潜む学校がある」という情報を受けて派遣された退魔師で、血助にとっては天敵のような存在。
血助と七海那はお互い気になる存在となったが、血助は彼女が退魔師であると知っていて、自分の正体は絶対に明かせない。
一方、七海那は血助を魔物じゃないかと疑っているが、そうであってもらいたくないと内心では思っていて複雑な心境
これは互いに正体を探り、探られる。人間と吸血鬼の緊迫したステルス学園ラブコメ
血助は手加減をしながら全速力で駆けていた。
17歳の平均的人間男子の身体能力を計算しながら、やりすぎないように、かつ遅刻をしないように。
自宅から朱雀高校までは約2キロ。
血助が本気で走ればほんの5秒ほどで到着出来る程度の距離だ。
やろうと思えば出来ることをあえてやらず、力を抑えてかつ『全力で走っているふう』を装うのはなかなか至難の業でストレスだった。
それならそれで、そもそも遅刻ギリギリまで寝てるなよ――と思う人もいるかもしれない。
けどしょうがないじゃないか。
昔から吸血鬼は太陽に弱いものなんだから。
「なんで人間っていつもこんなに早起きなの!?」
朝食のトマトジュースなんて飲めやしない。ベッドから立ち、そのまま着替えて玄関ダッシュ。無駄な動きは一切なし。最短最速で走っているけど高校男子の出せる平均速度じゃギリギリ遅刻をしてしまいそうなペースだった。
「くっ! しょうがない。ほんの少しだけ早く走ろう。人間の常識で許せる範囲内の……ウサイン・ボルトくらいのレベルで!」
そう言って血助は苦渋の決断を下し、足の回転速度を少しだけあげた。
目の前の角を曲がればもうすぐ学校だ。切れの良い直角カーブで視界一面が切り変わり、そこにはお馴染みの朱雀高校の校舎と校門の景色が見える。
と、そのときだった。
「うわっ!」
「きゃっ!」
血助は角を曲がった先にいた女の子の存在に気がつかなかった。背中を向けていた彼女にぶつかり、思いっきり跳ね飛ばしてしまったのだ。
「あ、あの。ごめん。怪我はない?」
「さわらないで!」
「!?」
小柄な女子は血助の差し出す手を払いのけると一人で立ち上がった。セミロングの黒髪がさらりと揺れる。整った顔立ちにきりっとした目元。背丈のわりには落ち着いた雰囲気だ。大和撫子という言葉が似合いそうな、凛とした女の子だった。
彼女の足取りはおぼつかないが、手助けをするのもためらうほどにその視線は厳しく血助に向けられている。
「私に近寄らないで。あっちにいって」
「えっと、本当にごめん。悪気はなかったんだけど……」
「いいから近寄らないで。あなた。いったい何者?」
たしかに今回の件は全面的に血助が悪い。怒鳴られても仕方がないとは思う。とはいえ、これはちょっと反応が激しすぎやしないか?
血助はさすがに少しむっとして、
「おいおい。何者ってなにさ? てか俺謝ったじゃん。そんなに責めなくてもいいじゃんか」
「ストップ! 待って。こっちに来ないで。ねえ、あなた本当に何者なの? 他の人の目はごまかせても私の目はごまかせないんだから」
「え?」
「あなた、人間じゃないよね?」
「
血助の顔が固まった。
「……い、いま、何て?」
「あなた、人間じゃないでしょ?」
血助は言葉を失った。いきなりこんな展開になるとは思わなかった。たしかに血助は生粋の吸血鬼だが、いままでそれを見破る人間なんてどこにもいなかった。
この女こそいったい何者なんだ?
「おい。お前ら!」
そのとき、聞き覚えのある声がこちらに投げられた。振り向いてみると、そこには生活指導の軒浪先生が腕を組んでこちらを睨みつけている。
「そこで何してる? もうすぐチャイムだぞ!」
「あ。はい!」
大和撫子少女のほうをちらりと見て、すぐに視線をそらす。墓穴を掘ってしまいそうで、あまりこの場に長居したくはなかった。冷たい視線を背中に受けながら、血助はウサイン・ボルトをはるかに凌駕する速力で学校へと駆け込んでいく。
「いやいや。ちょっと待ってよ。あの女本当に何者なんだ!」
せっかく人間の世界に馴染んで暮らしていたのに!
血助は校舎に入って少女の視界の届かない階段の踊り場で立ち止まると、木製の手すりに寄りかかってがっくりと膝をついた。
「そもそもあんな子、うちの学校にいたか? ここは【モンスター協定】の結ばれた学校だぞ?」
モンスター協定。
それは人間とモンスターが共存するために定められた非公式の決まりごと。主に地上を追いやられたモンスター達が人間界に平和的に溶け込むためのガイドラインのようなものである。
ちなみに朱雀高校は吸血鬼をはじめとする人型モンスターの留学を受け入れていて、人間界での生活を陰ながら支援する、世界でもごく僅かにしか存在しない貴重なモンスター保護施設のうちの1つだった。
「あんなのが学校にいたんじゃ、おちおちと学園生活も送れないじゃないか。ちくしょう。これはどういうことなんだ。あとで校長に事情を聞きに行ってやる……」
そして血助は、さっきまでゴミを見るような目つきでこっちを睨みつけていた大和撫子少女の凛とした表情を思い出した。
黒い艷やかなセミロングの髪にきゅっとつり上がった目元。
背は小さいのに大人びた不思議な雰囲気の女の子。
血助の心の中で、その整った顔立ちは、立派な額縁つきでキラキラと眩しく光り輝いていた。
胸の奥がずきんと痛む。
「くそう。俺としたことがあんな小娘に!」
血助は歯ぎしりをしながら、階段の手すりを力任せにバキッと握りつぶした。
※※※
「今日は転校初日。気を引き締めていかないと!」
朝、自宅のマンションにて、身だしなみを整えた虹崎七海那は姿見の前で自分の頬をパンパンと叩いて気合を入れた。
緊張の中でも顔がほころんでいるのは、今朝の占いアプリで「今日は素敵な出会い有り」と言われていたからだった。
「素敵な出会いってなんだろう。お友達が出来るのかな。あんまり友達は作らない方がいいっておばあちゃんに言われてるけど」
うっとりと両頬に手を当てたまま、七海那は妄想の海へとダイビングしかけたが、すんでのところで思いとどまって首をぷるぷると横に振った。
「いやいや。落ちつけ私。私は崇高な任務のために転校してきたのよ」
邪悪な魔物が潜んでいる学校がある――と、信頼できるスジからの情報を入手した。七海那はその魔物を退治するために派遣された退魔師なのだ。
「魔物と戦うのにお友達なんて言ってられないよね。はあ、気を引き締めてがんばろ」
制服に袖を通しかばんを持って家を出る。担任の先生に転校初日は少し遅れて来るようにと言われていたので、始業の鐘が鳴るぎりぎりの時間を目指して歩いていく。
そんなときだった。
「うわっ!」
「きゃっ!」
学校の門がもう目前といったところで、いきなりドンと背中を押されて、七海那は前のめりに地面にこけた。無様な転びっぷりだったが、受け身はとれたので問題はない。
いや。そんなことよりも――。
なに。この強い怖気はっ!?
「あ、あの。ごめん。怪我はない?」
かけられた声に振り向くと、そこには凄まじい怖気を放つ男がいた。
トゲトゲとした茶髪にかなりの長身で、見た目はわりと爽やかなのに、身にまとう邪悪な怖気は今まで七海那が退治したどんな魔物よりも強力なものだった。
なに、このひと……。
あっけにとられた七海那に向かって、怖気の怪物が心配そうに手を伸ばしてくる。
「あ、あの……」
「さわらないでっ!」
「!?」
七海那は反射的に男の手を払いのけた。生半可な相手でないのは明らかだった。ここは人通りの激しい場所。下手に動けば死人が出る。
とりあえず、距離をとろうか。
「私に近寄らないで。あっちにいって」
「えっと、本当にごめん。悪気はなかったんだけど……」
「いいから近寄らないで。あなた。いったい何者?」
そして七海那は男に核心の言葉を投げつける。
「あなた、人間じゃないでしょ?」
「……」
七海那の言葉に男は「何いってんだコイツ?」みたいな顔をして黙りこんだ。七海那は少し不安になって頭をかいた。
あ、あれ? この人、魔物じゃないのかな?
けどこの怖気は……。
「おい。お前ら!」
そのとき、学校の校門に立っていた生徒指導の先生らしき人がこちらに声をかけてきた。
「そこで何してる? もうすぐチャイムだぞ!」
「あ。はい!」
先生の声を合図に、男が七海那から逃げるようにして学校へ駆け込んでいった。
七海那は「あっ!」と男を追いかけようとしたが、校門をくぐり抜けた彼の体から怖気がすっかり消えていることに気づいて驚いた。
「あれ? 怖気がなくなってる……」
いったいどういうこと? あの人、魔物じゃなかったってこと? え。私の勘違い?
まさか。あんな派手な怖気を見間違えるなんて――。
「腑に落ちない」
七海那は軽く唇を尖らせる。怖気がなくなったことで気が抜けたせいか、今朝の占いの言葉がぼんやりと頭に浮かんできた。
「今日は素敵な出会い有り――か。これが?」
さっきの男子。たしかに爽やかで優しそうだったし、見た目も好みじゃないとは言い切れないけれど――。
と、そこまで考えて、七海那は急に我に返り、ここまでの自分の言動を振り返った。
「あれ? もしかして私、さっきの人にものすごく失礼なこと言ったんじゃ……?」
初対面でいきなり「何者」呼ばわりをして。
もし彼が本当に「ただの人間」だとしたら?
だんだん頭が冷静になってくるにつれて七海那は恥ずかしさと申し訳なさのあまり、頬がかっと熱くなるのを感じた。
「あああ……さっきの人に謝らなきゃ! いますぐに!」