侵略される聖域、侵略されない聖域
急降下する白球。
遺城の城壁が弾け飛んで、甲高い悲鳴が上がった。仮装したプレイヤーたちは、空を指差し、口々になにかを叫んでいる。首なし騎士たちは、空を駆け回り、迎撃するが、尽く撃ち落とされていた。
赤色の文字表示――戦争開始。
左目に映る警告表示は、都市領域の保護が失われたことを示していた。つまり、プレイヤーは無敵状態ではない。攻撃に当たればダメージを受けて、HPを失えば死ぬことになる。
降り注ぐ白色の砲弾。
鳥類の翼を思わせる人工翼を広げて、弧を描きながら飛んでくる。
――都市国家の三つの領域は、砲弾雨が降って破壊し尽くされたから、ぐるっと回ってくるのは無理じゃねーの?
コレが砲弾雨か。
右目を押さえて、壁に背を預けていたボクは空を見上げる。
蒼森峠、三畳聖域、海底囚獄……砲弾雨によって破壊され、背景が剥がされた壊れた領域と同じだ。
アラン・スミシーの侵略は、既に始まっていた。
蚕食されるようにして、唯一の安全領域、聖域である都市領域が破壊されていく。いずれ、都市領域は壊され、プレイヤーたちは終着点を目指さざるを得なくなる。
――君の答えを、終着点で待つ
そこには、彼女がいる筈だった。
「……まったく」
ボクは、ずるずると、壁に背中を擦りつけながら座り込む。
「考える時間もくれねーのか」
悲鳴と断末魔を聞きながら、ボクは、己の手のひらを見つめる。
眼底から流れ落ちた血液が、赤黒く固まって、粘着質な固形になっていた。それを指先で弄くりながら、ぼーっと、時間が流れていくのを感じる。
――笑おうよ
「……笑えねーよ」
ボクの眼の前で、誰かが、白光に貫かれ蒼色の粒子になって掻き消える。倒れ伏した人たちが、ヒーラーを呼びながら死んでいった。戦いに挑んでいるプレイヤーたちは、自分が勝てると信じたまま消え失せる。
ゴミに塗れたボクは、ぼうっと、それを眺め続ける。
――白亜湊、君にとっての現実とはなんだ?
なんだろうな、現実って。
ズキズキと痛む右の眼窩、左の視界が歪んでいって、幼い頃の幼馴染が……葵が映った。
彼女は、コントローラーを右へ左へぶん回しながら、RPGをやっていた。僕は、彼女の操作を眺めながら、下手くそだなぁと思っている。あの女性は、ダイニングテーブルに頬杖を突いて楽しそうに見守っていた。
『湊』
ついに、堪忍袋の尾が切れた葵が、コントローラーを差し出してくる。
『やって』
『へたくそ』
『うるさい』
『ホントのことだよ。へたくそ』
『へたって言う人の方がへたく――』
『ほーら、ふたりとも、喧嘩しないの! 仲良くしなさい仲良く! 湊! いちいち、葵ちゃんに酷いこと言うな!』
僕は、唇を尖らせて、葵からコントローラーを受け取る。
彼女がプレイしていたRPG、勇者の名前は『ミナト』だった。魔法使いは『アオイ』で、僧侶は『ハルカ』だった。残った戦士には、死んだ僕の父親の名前が付けられていて、人の母親と父親を勝手に僧侶と戦士にするなよと思った。
『なんで、いつも、主人公の名前、僕にするんだよ?』
『だって、そんな感じなんだもん』
『なんだよ、そんな感じって』
『湊は、人気者だから』
確かに、僕は、引っ込み思案の葵よりかは友達がたくさんいた。
ゲームは好きだが、外で友達と遊ぶのも同じくらい好きだ。誰かと協力しながら遊ぶのが好きだし、仲間と共に喜びを分かち合えるスポーツも好んでいた。
『いいから、やって』
『攻撃する度に、コントローラー振るヤツに命令されたくねぇなぁ……』
ボクが、魔物を倒す度に、画面にかじりついている葵が歓声を上げる。僧侶が活躍する度に、あの女性は『どうだ、お母さんの強さは!』と自慢気にする。戦士が暴れ回る度に、葵もあの女性も、顔を見合わせて笑う。
そんな反応が嬉しくて、ボクは、テクニカルなプレイに走る。
『ね、湊!』
笑顔の葵は、ボクを見つめる。
『いつか、一緒に、こんな風に冒険出来たら良いね!』
『いや、コレ、ゲームだろ……ボク、こんなに強くねーし、誰も彼も助けねーし、こんな風になんでもなかんでも上手くいかねーよ……』
『現実にすればいいじゃん!』
彼女は、言っていた。
『湊なら出来るよ! 湊、面白いし! 皆のこと、いつも、笑わせてるじゃん!』
あの頃の葵は、なぜか、ボクを神聖視していた。
僕のやることなすことに意味があって、正しいことだと信じ込んでいた。
『いや、こんな、魔王に支配されてる世界で笑わせるって……そもそも、勇者だって、笑えねーだろこんなもん……』
『笑おうよ』
葵の顔が、いつの間にか、シャルの笑顔に変わっている。
『ミナトくんなら出来るよ』
『無理だよ』
『出来るよ』
『出来ねーよ、こんなクソゲー』
僕は、コントローラーを投げ捨てる。シャルは、コントローラーを拾い上げて、ボクに突きつける。
『大丈夫、ミナトくんならクリア出来る。クソゲーだろうが神ゲーだろうが、ゲームは楽しむものでしょ。ミナトくん、ゲーム、大好きじゃん。ゲームって、楽しむためにするものだよ。辛い目に遭うためのものじゃない』
『でも、こんなクソゲー、プレイしてどうするんだよ……なにが楽しくて、こんなもんプレイしないといけないんだよ……もう、嫌だよ……最後には、どうせ、ゲームオーバーになるんだから……』
『ゲームオーバーじゃない』
シャルの手が、僕の手にコントローラーを握らせる。
『ゲームクリアだよ』
『…………』
『きっと、ミナトくんなら楽しめるよ。わたしの分まで。ずっと、見守ってるから。大丈夫。見守ってるから』
『でも、ボクは』
いつの間にか、ボクは、白亜湊からミナトに変わっている。
ボクと同じ姿をした彼女は、微笑を浮かべた。
『ずっと、ミナトくんの傍にいる』
『…………』
『だから、がんばれ……がんばれ、ミナトくん……』
彼女が、遠ざかる。
「――ん!」
誰かの声が聞こえた。
『ほら、目を覚まして』
「――ん! ミナトお姉ちゃん!!」
『大人気Vtuberに――なるんでしょ』
「ミナトお姉ちゃんッ!!」
気がつく。
ぼやける左の視界に、純白の修道服と首から下げている逆さ十字が視えた。
こちらを不安気に見下ろす少女は、ボクの頬に手を触れて顔を歪めた。
「え……と言うか、ミナトお姉ちゃんだよね……なんで、右の目……それに、なんだか雰囲気が……本当に……ミナトお姉ちゃん……?」
ボクは、微笑み、白目を向いてダブルピースする。
「かっぷんか~♡」
「あ、なんだ、ミナトお姉ちゃんだ」