現実と虚構、境目の約束
「シャルは」
ボクは、顔を歪めながら問いかける。
「シャルは……もう、死んでるんだな?」
「肉体はそうだ」
眉一つ動かさず、アランはつぶやく。
「君が居た過去の世界は、わたしが創り上げた戒めの世界だ。現実を忘れないように。原動力として残しておいた。わたしの過去の投影。実際には、君が、存在しなかったということを除けばそのままだ」
「この世界にいるシャルは?」
「過去を視てきたのならわかっているだろう。シャルの情報は、RASの中に取り込んであった」
「なら、シャルは、もう――」
「君は、あの男を殺そうとしていたな」
どこからか、悲鳴が聞こえてくる。
城街領域の裏路地、ゴミの臭いに包まれたボクは、ゴミ袋を背にしてアランを見上げる。レア・クロフォードから、感情を抜き取って、皮で包んだような彼女は、ただそこに立っている。
「白亜湊、君にとっての現実とはなんだ?」
「…………」
「虚構とはなんだ?」
「…………」
無言のボクに、アランは苦笑を見せつける。
「君が視てきたのは、ただの虚構だよ。現実でそうあったかなんて、どこにも確証はない。ただ、外部から取り入れた情報をもって、君の脳がそうであると錯覚したに過ぎない。
あの場に居たわたしも、シャルも、クラウドも、タオも、そしてあの男も、ただのNPCだ。プログラム通りに動く人形だ。だと言うのに、君は、シャルの死に怒り嘆き泣いて、あの男を殺そうとした」
髪を掴まれて、頭を持ち上げられる。激痛で顔をしかめて、じっと、こちらを蒼い目で見下ろす。
「アレは、君にとっての現実だったんじゃないのか?」
「……違う」
「なにが違う。虚構の登場人物が死んで泣くのと、現実の親類が死んで泣くのと、なにが異なると言うんだ。同じ反応、同じ感情だろ。現実と言うのは、ただの錯覚の塊なんだ。君と言う主観が、ただ、そこに現実が在ると勘違いしているに過ぎない。
今、君が視ている虚構の世界は、なにをもって現実ではないと定義している」
「…………」
「白亜湊、我々の現実は、決して混じることはないんだよ」
爛々と光る目で、アランは、冷めた口調でささやく。
「我々にとっての現実は己のみなんだ。他人もこの世界も虚構で、取り入れた情報を解釈し、現実のように錯覚しているだけだ。
わたしも君も」
彼女は、つめたく、いてつき、ささやいた。
「己にとっての現実を配信しているんだ。誰かにとっての虚構を。互いに触れ合うことも出来ないのに、画面を通して、どこかの誰かに訴えかけているんだ。わたしはココにいる、わたしはココにいるんだと」
せせら笑いの中で、口舌が振るわれる。
「お前は、自分のことを大人気Vtuberだと言っていたな」
「…………」
「お似合いだよ。誰も救えなかったお前には。誰かに視て欲しいんだろ。救って欲しいんだろ。自分はココに居ると。虚構の姿をもって、現実を求めている。有りもしない希望に縋って、シャルの肉体を象った人形で、画面の向こう側にいるお友達に泣き声を上げ続けているんだ。
たすけて! たすけて! たすけて!」
「……お前に」
自分が思う以上に、弱々しい声音が、喉から漏れ出た。
「お前に……なにがわかる……?」
「理解らない。理解るわけもない。触れ合うことも出来ない誰かに、救いを求めるなんて、それこそ神に祈るようなものだ。いい加減、気付け。我々は、孤独なんだ。誰かの現実は、自分にとっての虚構なんだ」
「矛盾してるだろ……なら、シャルのことはどうなる……!」
「だからだよ」
作り笑いを浮かべて、アランは、ボクの頬を両手で掴んだ。思い切り、引き寄せられて、蒼色の瞳に吸い込まれる。
「だから、わたしが創るんだ……人と人の現実が重なり合う世界を……自分の現実と誰かの虚構が重なる世界を……最後の境界を破る境目をわたしが創るんだ……」
「お前は……なにを言って……」
「この世界は……ファイナル・エンドは、シャルの視た夢を基盤にしている……そして、彼女は、今も夢を見続けている……あの子にとっての現実を……誰もが、同時に目にしているんだ……白亜湊……我々は、今、シャルの現実と重なっているんだ……虚構じゃないんだよ……我々とシャルは、同じ現実を視ているのだから、あの子にとっての不都合は絶対に起こり得ない……なぜなら、それは、シャルと同じ現実を視ている我々にとっても不都合なことだからだ……」
狂っている。
違う、レアは、狂わされたんだ――現実によって。
強烈な衝撃と共に、ボクは、蒼色の海に落ちる。彼女の蒼い瞳。その奥に潜んでいる深い海は、底がなくて、どこまでも落ち続ける。他者の意志を必要ともせず、ただ、その昏い蒼は待ち受けて引きずり込む。
「コレは、手始めだ……まずは、この人数で始める……徐々に数を増やしていき、全員の現実を混ぜ込む……そうして、世界全体がひとつになる……個になるんだ……誰もがシャルの夢を視て、彼もがシャルの世界となる……もう、二度と、シャルが苦しむことも悲しむこともない……世界の虚構は消えてなくなり、正しい人間が正しく救われる世界になる……わかるだろ、白亜湊、お前なら……」
ボクは、目を見開く。
――湊、この世界はね、正しい人間が正しく救われるようには作られていないの
微笑んだアランは、ボクの目元に、そっと指をやって――思い切り、突っ込んだ。
「ぎぃっ!?」
脳髄が痺れるような激痛。
続いて、悲鳴が喉から迸り、なにかが千切れる音が聞こえた。右の視界が暗くなって、アランの手の内に見覚えのある玉が視える。それを弄びながら、彼女は、微笑を浮かべた。
「悪いな、君は、シャルに似すぎていて困るんだ」
ゴミ箱に、ボクの目玉が放り捨てられ、痛みで呻き声を上げる。
「もう、シャルから聞いているとは思うが、君は、わたしの計画にとって必要不可欠な存在だ。
シャルは、肉体を失っているから、自前の演算器……脳をもっていない。脳がなければ、この夢の世界そのもの、場にアクセス出来ないんだ。それはとても困る。書き換えが出来ないからな。今、シャルは、情報を提供することしか出来ないが、いずれ、この世界を自在に書き換えられる存在になってもらう。
シャルと同じ夢を視ていた君の脳ならば、この夢の世界のGMとしての役割を果たすのに適している筈だ」
「…………」
「抗っても無駄だ。いずれ、君の脳は回収する。だが、出来れば、君には味方でいて欲しい。妹の良き友人であって欲しいんだ」
「…………」
「君の答えを、終着点で待つ」
微笑んで――
「君なら、きっと、わたしと同じ答えを出すよ」
アランは、静かに消えた。