現実《クソゲー》
「……時間ですね」
タオの言葉に、レアは顔を上げる。
デジタルゲームフェスタへの出発時刻。
昨夜から、シャルは姿を消したままだった。ボクらは、どこかで、まだシャルは帰ってくると思っていた。でも、時間は冷酷にも進み続けていて、ルーカスパパが州警察に電話した時点でタイムリミットを示していた。
「わたしは――」
「いや、ボクが残る」
立ち上がろうとしたレアの肩に、ボクは手を置いた。
「任せて、見つける。そもそも、昨日、ボクがあの子を置いてけぼりにした。あんな深夜に、あの子ひとりにして、ひとりで帰ってきたクズはボクだ。絶対にボクが見つける。だから、レアは、デジタルゲームフェスタに行って。
シャルが戻ってきた時、レアが行かなかったなんて言ったら怒られる」
「……わかった」
レアは頷いて、ボクの手首を掴む。
「腕時計」
「え?」
「シャルは、腕時計を着けてる筈だ。子供の頃、わたしがプレゼントした。授賞式とか発表会とか、大事な場面の前日から、シャルは必ずソレを身に着ける」
悔しそうに、レアは微笑を浮かべる。
「あの子が、6歳の時にプレゼントした12ドルの腕時計……玩具みたいな安物で、オシャレなあの子には似つかわしくないオンボロだ。それでも、あの子は、今でも着けてくれてる。大事に、してくれてるんだ」
「あぁ、大丈夫」
ボクは、レアの頭に手を置いた。
「ボクが見つける」
「頼んだ……頼む……きっと、心細い筈なんだ……頼む……」
名残惜しそうに、何度もこちらを振り返りながら、レアは自動運転車に乗り込んだ。タオとレアを乗せた車が発進したのを見送り、朝から捜索に出ているオリビアママに連絡を入れ、ルーカスパパと一緒にシャルを探す。
「ミナト、手分けしよう。埒が明かない」
「わかった。道すがら、人に聞きながら探してみる」
シャルの写真データが入った端末を片手に、走り回って、周囲の人々に聞き込みを始める。でも、誰も、シャルの姿を視ていない。当たり前と言えば当たり前だ。あの子がいなくなったのは、深夜で、大抵の人は寝ていたのだから。
焦燥が募る。嫌な予感に拍車がかかった。
赤と黄に色づいた大樹が、木の葉を落としながら、秋の終わりを告げていた。木枯らしに掻き立てられるようにして、ボクは、汗だくで駆け回る。
「シャルッ!! シャル、どこだっ!? シャルッ!!」
喉が痛い。
叫びすぎて、擦り切れているのか、血の味が口中に広がった。足裏に叩き込み続けたアスファルトの硬さが、じんじんと広がって、痛みとなって伝わってくる。張り詰めた太ももが上がらなくなって、息が上がり、視界が霞んでくる。
「シャルッ!! シャル、どこにいる!? 出てきてくれ、シャル!! シャル!!」
時間だけが過ぎる。
朝日が天に上って、夕暮れが世界を支配し、闇が辺りに満ちる。
雨が、降り出していた。
ついさっき、それに気がついた。いつの間にか、ボクはずぶ濡れになっていて、呼気が真っ白になっていた。両手の指が凍りついたかのように動かなくて、全身に押し広がる絶望感が、視界を真っ黒に塗りつぶしたみたいに思えた。
「シャル……シャル、どこ……シャル……シャル……」
――はい、コレで、ミナトくんの負けぇ~!!
「シャル……どこにいるの……シャル……」
――数カ月後くらいに、一緒に思い出してさ、笑い合うのが良いんだよ!
「どこに……どこにいるんだ……」
――でも、ミナトくんは、ミナトくんを笑顔にする才能がないよね
「シャル……」
――わたしが、笑顔にしてあげる!
ふらついて、ボクは、誰かにぶつかる。
男だった。
彼は、ボクの顔を視て、呆気にとられた表情を浮かべ――それから、ニンマリと、気色の悪い笑顔を浮かべた。
黄ばんだ歯はところどころ抜けていて、なにか、おぞましい臭いがする。
どこかで、視た顔だ。
彼は、ケラケラ笑いながら、泥だらけの足跡を残して消える。
視たことがある。
どこかで、どこかで、あの男を視たことがあ――ショッピングセンター――シャルの晒した足を視ていた男だ。
思い出した時には、男は消えていた。
豪雨の只中で、消えつつある茶色の足跡。それは、真っ直ぐに、小高い丘に広がる鬱蒼とした森へと繋がっていた。パン屑に釣られた鳥みたいにして、アホ面のボクは、ふらふらとその足跡を辿る。
暗い。
森の中は、闇に包まれていて、歩くだけでも難しかった。ぬかるんだ地面に、何度も足をとられ、幾度も転びながら、泥だらけになったボクはシャルを探し続ける。
「シャル……どこだ、シャル……」
徐々に、目が慣れてくる。
それでも、雨の白い線に覆われた視界は見づらかった。頭の中は、シャルのことで一杯で、自分がなんのために歩いているかわからなくなる。
ただ、もう一度だけ、あの子の笑った顔が視たかっ――転ぶ。
「ゔっ」
思い切り、顔を打った。勢いよく、泥が、口の中に入ってくる。
なにかに、躓いたのだ。恐らく、折れた枝かなにか、それがボクの足に引っかかって足を取られた。
杖くらいには、なるかもしれない。
そう思って、ボクは、その枝を探そうとして――足――真っ白な足が、ボクの眼の前にあった。
「…………足?」
間の抜けた声が、口から漏れ出る。
四つん這いになったボクの手が、なにかを掴んでいた。泥中から引っ張り上げると、それは、玩具みたいな腕時計だった。ベルトの塗装は剥げ落ちていて、安物であることが丸わかりだった。
呆けていたボクは、顔を上げる。
足があった。
泥で塗れた素足が、棒きれみたいに落ちている。
まるで、モノみたいだった。ゼラチンで出来たゼリーみたいな感じで、そこには、肌色の女の子の足が伸びている。
ボクは、その足を辿る。
小さな女の子の裸体が、仰向けに倒れていた。首には、赤黒い両手の痕があって、その先にはうつろな瞳があった。光を失った両目は、開かれたまま閉じ方を知らなくて、雨粒を飲み続けていた。
一瞬、雷光がたなびいた。
見覚えのある綺麗な顔が、ボクの視界に焼き付いた。下手くそなフラッシュを焚いて、世界は、ボクに現実をむざむざと見せつける。
どこからどう視ても。
その女の子は――シャルだった。
「………………はぁ?」
間の抜けた声が、どこかから聞こえた。
それが、自分の声だと言うことに、1分後に気がついた。シャルの全身には、様々な痕と跡が付いていて、彼女がなにをされたのかがわかった。一気に昂ぶった感情が、ボクの脳の中でエラーを起こして、座り込んだまま嘔吐する。
ボクは、彼女を見つめたまま、ブツブツとつぶやいた。
「虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ虚構だ」
そうだ、コレは、虚構だ。
製作者は、きっと、悪趣味なクソ野郎に違いない。こんなもの作って、なにがしたいんだろうか。訴えてやる。ボクは、心神喪失状態だぞ。倫理委員会に訴え出れば、一発で、発禁に出来――
「シャル……?」
ハッと、顔を上げる。
傘を差したレアが、ボクとシャルを見下ろしていた。
瞬時に、脳が沸き立って、すべきことをしろと、ボクにがなり立てる。
「視るなァあ!! 視るな、レアぁ!! 視るな、視るなぁあ!! やめろ、視るなぁああああああああああ!!」
勢いよく立ち上がったボクは、全身全霊の力を籠めて、レアの両目を押さえようとする。だが、ソレ以上の力で、レアはボクの手を引き剥がした。突き飛ばされたボクは、大木で頭を打って、全身から力が抜け落ちる。
「どうしたんだ、シャル……こんなところで……風邪を引いてしまうだろ……デジタルゲームフェスタもサボってダメじゃないか……いつも、表彰台に立つのは、お前の役割だろう……なんでもかんでも、お姉ちゃんに任せちゃダメじゃないか……まったく、なんで、こんなところで……」
雷が鳴って、レアは、にんまりと笑った。
「ふふ、ふ、ふふ……」
激痛。
前髪を濡らした血液、眼の前が、赤く染まる。
赤色の視界の中で、レアは、シャルの頭を撫でながら笑っていた。
「ふ、ふふふ、うふっ、うふふ……」
常軌を逸した。
その笑みには、情動が入り混じって、真っ黒になったキャンパスを思わせた。レア・クロフォードが、笑う度に、彼女が壊れる音がした。どこまでもどこまでも続いていく不気味な笑い声は、降りしきる雨の中で黒ずんでいく。
そして、彼女は、歪んだ笑顔でささやいた。
「この現実が……」
そのささやき声を聞いて、ボクは、静かに気を失った。