そして、時は流れ続ける
そして、時は流れ続ける。
「違うな。たぶん、パラメータの設定値が間違っている」
『でも、そこは根幹だよ。下手に弄れば、出展に間に合わない』
「プレイヤーが入れる領域を制限したら? バグ潰してる時間ないし、規模を縮小するしかないんじゃない」
気がつけば、デジタルゲームフェスタは一週間後に迫っていた。
この段階で、大きめのバグが見つかって、しかもソレはゲーム進行に影響を及ぼすことがわかった。連日、アレだけデバッグ作業に追われていたのに、まだゲームは不完全で、至る所に罠が仕込まれているようだ。
この段階までくると、さすがに、冗談も言えなくなってくる。
あのクラウドでさえも、寝癖だらけの頭を抱えて、神妙な顔つきをしていた。レアの目の下には、色濃い隈が出来ている。シャルはダサいシャツを着回して、ブツブツと独り言をつぶやいていた。
「いやぁ、良いですねぇ」
そんな光景を前にして、タオは嬉しそうにワイングラスを揺らす。
「この素敵な地獄を視ながら、酒を呑むために出資してるようなもんですよ。たまらん。もっと、人間性を失いながらゲームを作って欲しい」
「このクズが♡」
ボクとタオだけは、地獄のデスマーチを眺めながら、のほほんと過ごすことを許されていた。
たまに、雑用に呼び出されるくらいで、ボクが主管していた計画管理なんて、この段階では跡形もなく消え失せている。
ただ、デバッグくらいは出来るので、ボクもプロトタイプをプレイすることがあった。
『どう、ミナトくん?』
「…………」
虚構の中で虚構に入る。
奇妙な感覚だった。夢の中で夢を視ているかのような。水に触れた時に、冷たいのか温かいのか、一瞬、わからなくなったみたいな感覚。
要は、脳が混乱している。
なんの変哲もない目の前の森が、妙に恐ろしいモノに視えた。
『ミナトくん?』
「ん? あぁ、聞こえてるよ」
見覚えのあるチュートリアルエリア。
そこには、標準的な敵モブことゴブリンが生息している。この数の調整が必要なので、ボクは、何度もゴブリンたちと戦闘させられていた。
どの場面で、何体のゴブリンが、どれくらいの強さで、どうやってプレイヤーの前に現れるか。流れるチュートリアルビデオの長さは適切か、スキルの発動方法に戸惑うことはないか、脳の反応とアバターの動作は紐付けられているか。
コレが、いずれ、あの13連撃ゴブリンになるとは思えない丁寧な調整だった。
「ミナトくん、お疲れ様」
あの廊下での出来事はなんだったのか、シャルは、何事もなかったかのように接してくる。
ヘッドセットを外して、ボクは、彼女が渡してきたレモネードで喉を潤す。
「今は、こんな小規模なものだけどさ」
シャルは、笑って言った。
「いずれ、お姉ちゃんと一緒に、ファイナル・エンド内に地球を丸々一個作るつもりなんだ。現実世界をコピーするの。GPV(気象予測モデル)情報を持ってきて、天候を再現するだけでも現実感が出るんだよ」
彼女の笑顔には、未来が宿っていた。
たぶん、この子は、自分の未来には幸福しか待っていないと思っている。だからこそ、ボクは別れを切り出せていなかった。少なくとも、制作の佳境で打ち明けるようなことではない。
そして、時は流れ続ける。
ついに、明日、デジタルゲームフェスタを迎えるというタイミングで――
「終わったぁ~!!」
シャルの口から、大きな歓声が上がった。
「やれやれ」
久しぶりに、レアは顔をほころばせる。
「終わったな」
『…………』
「クラウド、終わりだ、終わり。もう死んだフリしなくて良いぞ」
『よぉし!! オツカレェ!!』
体力の限界を迎えて、ゲーミングチェアの上で丸まっていたクラウドは、笑いながら元気に動き回る。
ここ数日、画面に写真でも貼り付けているんじゃないかと思うくらいに、微動だにしなかったので、急激な躍動にシャルがビビっていた。
「では、皆様」
顔を赤くしたタオが、ワイングラスを持ち上げる。
「打ち上げでもしますかぁ~!!」
なにもしてないヤツが、ようやくなにかをした。
設置されたバーベキューセット、自立テーブルには肉と野菜がこんもり盛られ、各種飲み物がクーラーボックスで冷やされている。赤や金のモールが柵の上を踊り、古臭い電飾が七色に光って、宙に浮いているドローンからは往年の名曲が垂れ流されていた。
ボクらを庭に招き入れたタオは、準備も費用も受け持って、この打ち上げ会場を用意したらしい。
オリビアママは、鼻歌交じりに、肉を焼き始めていた。薄暗闇の中でダース・○イダーの仮装をしたルーカスパパは、無言でライト○イバーを構えている。
彼は、ボクに向かって片手を突き出した。
「I am your father」
「黙れ♡」
シャワーを浴びてきたシャルとレアが合流し、二階に置き去りにされたクラウドの絶叫が闇夜に響き渡った。
さすがはポンドの国、アメリカの生鮮食品コーナーでは、薄切り肉は売ってはいけないという法律でもあるのか、とんでもなく分厚いステーキ肉がじゅうじゅうと焼かれていた。
デスマーチから解放された反動なのか、シャルもレアも、今までにないくらいにはしゃいでいた。具体例で言えば、ライト○イバーで実の父とチャンバラをして、二対一でボコボコに殴っていた。
「I am your father!! I am your father!!」
最後らへんには、名台詞が命乞いになっていた。
暮れてゆく空に、笑い声が響き渡る。
ボクは、温かな電飾の光に包まれて、満面の笑みを浮かべ、おしゃべりに興じるクロフォード家を見つめる。
その光と光景には、見覚えがある。
――ハッピーバースデー、湊!
短冊やら餅やらをぶら下げたクリスマスツリーを幻視する。そこには、同じように安物の電飾が巻き付けられていた。
宴もたけなわ。
ようやく、ストレス発散を終えた姉妹が静かになる。
珍しく、レアが無防備に眠りこけていた。タオは、30分前くらいから大口開けて爆睡しており、喉にビールを流し込むと、とんでもない勢いで咽てからまた眠るので面白かった。
すっかり、日も落ちて、周囲に静寂が訪れる。
聞こえてくるのは、木の葉の擦れる音とクラウドの慟哭くらいで、閑静な住宅街に相応しかった。オリビアママが、ルーカスパパごとバーベキューセットを片付けている最中、シャルから声をかけられる。
「ミナトくん」
「ん?」
「ちょっとだけ」
ミネラルウォーターを片手に、シャルは静かに微笑む。
「お話し、良い?」
ボクは、黙って頷いた。