RAS
RAS――その特殊な装置は、頭全体を覆うヘッドホンのような見た目をしている。
耳あて部分からは特殊な音域の入睡眠用音楽が流れ、前頭部から後頭部まで覆う曲面部は使用者の脳波を測定している。
前頭葉をすっぽりと呑み込む曲面部は『ニューロ』と呼ばれ、使用者のα波やβ波を変化させることで睡眠段階を『StageREM(レム睡眠)』にまで移行させる。
こうすることで、ユーザーに明晰夢……己の感覚で操れる夢を視させるのだ。
レアが自作したこのRemAssistantSystemは、ファイナル・エンドの根幹となる機構だ。市販のVRヘッドギアを被った遊戯者たちは、このRASを被った母体の夢を共有し、サーバーによって安定させた夢の空間で遊ぶことが出来る。
「ファイナル・エンドのコンセプトは、創作者の頭の中身をそのまま見せることだ。創作者の夢の極限だよ。シャルと言う才能が作り上げた世界を、そのまま、ぼかさずにプレイヤーに伝えるんだ」
「ヒントになったのは、わたしとミナトくんなんだって」
RASをかぶったシャルは、にっこりと笑って言った。
「わたしとミナトくんは、アメリカと日本、約10000kmも離れていたのに夢で繋がっていた。所謂、ユングが提唱した共有夢。2人の人物が同じ夢を視たって事例はたくさんあるんだよ」
『ミナトちゃんとシャルルは、同じ夢を視るどころか夢の中でお喋りまでしていたんだから、特殊事例に入ると思うけどね』
「そこから発想を受けた」
レアは、頷く。
「常に動的な夢の空間だ。シャルの思った世界が、そのまま、現実のように作り上げられる。メタAIを用いた自動生成技術……プロシージャル技術は、ゲーム業界においては、よく用いられる手法だ。
ゲーム全体をプロシージャル化させて、メタAIに細かいオブジェクトの設置やマップ生成、レベルデザインと言った細かい処理を手伝わせる。大本の世界の創造は、シャルが視る夢を具現化させれば良い」
嬉しそうに、レアは両手を広げた。
「この世界でなら、人間は神になれるんだ」
『ハハハ、神か、そいつは良いね』
――世界は、巻き戻る
レア・クロフォードに、アラン・スミシーの影が重なる。彼女の笑みに、彼女の笑みが積み重なり、ボクの前で実在と化したかのように思えた。
「形態形成場」
レアは、楽しそうに続ける。
「共有夢と同じような概念だ。これも参考にした。
本説を提唱したシェルドレイクによれば、我々は、常に場にアクセスしている。人間のもつ知識や経験、思い出や愛、そういったものは全てどこかの場に蓄積されていて、我々は、それらの集合情報を無意識的に共有しているという説だ。
シェルドレイクは言った」
彼女は、笑みを深くしてささやく。
「脳は飽くまでも、それらの集合情報を解する演算器に過ぎない」
『つまり、就活惨敗無双の思い出も、ミナトちゃんが好きだと言う想いも、ラブアンドピースなんて概念も、私の中には存在していない。実は、全て外部に記憶されていて、それを適宜、引っ張り出しているに過ぎない』
「わたし、毎回、ココらへんの話になるとちんぷんかんぷんなんだけど……ミナトくん、わかる?」
「…………」
「ミナトくん?」
「ん? あぁ、わかるよ」
目を丸くするシャルに、ボクは心の中で返した。
この説明を聞くのは、二回目だからな。
「つまり、シェルドレイクの説を根幹にして、場をシャルの夢として定義するってことだろ。
ファイナル・エンドをプレイするプレイヤーたちは、シャルの視ている夢……シェルドレイクが言うところの場から、ゲームデータを引っ張り出してきて、夢の中で遊び回る」
「すごいな」
レアは、目を見開いた。
「一度で理解したのは、ミナト、君で二人目だ」
いや、二度目だ。
「レアが言った通り、シャルは世界の神そのものになる。いや、世界そのものになるんだ。とんでもねーこと考えるよ、本当に」
『で、そのために、シャルの情報を全部吸い取り中ってことだね』
プロトタイプだけあって、外観上はゴツいRASを身に着けたシャルは、重そうに首を動かして苦笑した。
「既に、何度か吸い取った後だ。更新をかけるだけだから、そんなに時間はかからない。シャル以外は、皆、楽にしていいぞ」
『なら、私は、オンゲの16歳以下コミュニティでキッズでも泣かせてくるか……』
「んじゃ、ボクは散歩でも行ってくる」
「えぇ~! わたしのこと、ほっといて、どっか行っちゃうのぉ~!? しねぇ~!! 特にクラウドォ~!!」
「ま、たまには、姉妹水入らずだな」
レアが、優しく、後ろからシャルを抱き締める。『やめてよ、おねえちゃ~ん! あづい~!!』なんて言いながら、シャルは幸せそうに笑っていた。ふたりとも、見目麗しい美少女のせいか、なんとも絵になる光景だった。
ボクは、苦笑をこぼして外に出る。
色々と考えることがあった。なんとなく、見当がついてくる。この世界の正体が、透けて視えてきていた。でも、それは認められなくて、この先、なにが起こってああなるのか知りたくないとも思った。
「…………」
ボクは、感情移入し過ぎている。今すぐにでも、この場から離れて、元の領域に戻れる手段を探すべきだった。
――数カ月後くらいに、一緒に思い出してさ、笑い合うのが良いんだよ!
「……まいったね」
ボクは、ため息を吐いて――クロフォード家の壁を灰皿にして、ぷかぷかと煙草を吸っている少女を見つめる。
「…………」
彼女は、ミニチャイナドレスを着て、その上から白衣を羽織っていた。どこからどう視ても、尋常な格好ではない。不審者である。アメリカのド田舎では、コスプレするのが一般的なのだろうか。
「……なんか、よーですか?」
物珍しいモノを観察していると、ダウナーな声音で問いかけられる。昨日、一族郎党皆殺しにされたみたいな声だった。陰鬱さが低すぎる声から漏れ出ていて、極度の猫背のせいか、人生に絶望しているように思えた。
「いや、なんでもな――」
急に近づいてきた彼女は、ボクの首筋の匂いを嗅いで、くすりと笑ってから――顔に、煙を吹きかけてくる。
「死人の臭いがしますねぇ……」
目を細めた彼女は、ニヤける。
「わかるんですよ」
その特徴的な表情と喋り方に、記憶が重なって――ボクは、思わず、口を開ける。
「なにせ、タオちゃん、鼻が効くので」
「ミナトく~ん!」
上から声が降ってきて、見上げると、シャルが笑顔で手を振っていた。
「その子が、最後のメンバ~!!」
「えっ」
「はろー」
煙草の煙で輪を作りながら、少女は笑った。
「タオちゃんです。よろしこ」
ボクは、彼女が差し出してきた手を……ただ、見下ろしていた。