35~65マイルの感情
「冗談だよ、冗談」
両手を挙げた俺の前で、レアは銃を回転させる。
「ただのモデルガンだ。本物は、父の書斎、鍵付きの引き出しに入ってる。9mmピストル、GLOCK 43、シングルカラム6発」
「脅かすなよ……」
妙に、レア(アラン・スミシー)を敵視しても、無駄だと気づいていたボクは、優しいミナトくんとして笑顔で応える。
「どうせ、また、シャルが無防備に扉を開けたんだろ。ミナト、と言うか、男を犬か猫としか思ってないからなこの子は」
「さすが、この子のお姉ちゃん。ご理解、痛み入るね」
ボクの返しに、レアは苦笑する。
「ところで、ミナト、あまり服がないと言ってたな。母さんが買ってやるから、出かけようと誘ってたぞ。
良い機会だから、おねだりしてみたらどうだ」
「え、なにそれ、有り難い。有り難みが深い。深すぎて抜け出せなくなる。クロフォードママに依存しちゃったらどうしよう」
「まぁ、いいんじゃないか。
母さんも、ミナトのことを気に入っ――」
「おいコラ」
ボクとレアは、割り込んできたシャルを見つめる。
「いい加減、人の胸に手を置きながら喋るのやめてくれるかな?」
「あ、ごめん……慣れてくると、空気と同じだから……気づかなくて……」
「…………」
「い、妹が人殺しの目をしてる……」
尻を蹴られながら、ボクが退出すると、サングラスをかけたルーカス・クロフォード……パパが、待ち構えていた。
「さて」
彼は、格好良く、サングラスを外して白い歯を見せてくる。
「行こうか、ミナト」
「どうした、このおっさん? 加齢臭が脳にまで回ってんのか?」
「わたしにシャルに母さん、女所帯にひとりで肩身が狭かったんだろ。男の子の服を選ぶという得難い経験をしてみたいらしい」
「遠慮せずに乗ってくれ! 僕の愛船にね!」
「父さんは、我が家の自動運転車に『エンタープライズ号』と名前をつけていて、車を船と呼ぶことで宇宙を旅するイマジネーションをしてるんだ」
「ふぅん、君の家のパパ、キモいね」
「まぁな、すごいだろ」
「なんだ、その、パパを自慢する娘風の罵倒は? 目の前で悪口を叩かれるSFオタクの気持ちも考えなさい」
ルーカスパパは、同じオタクとしては、共感を覚える点が多い。同じ同士として仲良くしてあげたいが、あまりにも奇行が多すぎて、味方しようと思えたことがない。
この間、ジョー○・ルーカスのポスターにキスをしていてドン引きした。
「あ、ミナトちゃ~ん!」
さすがは、美少女姉妹の母と言うべきか、若々しいオリビアママがやって来る。
料理を作る時に歌っていたり、嬉しい時にぴょんぴょん跳ねる妙齢の女性だった。そういう動作が、どこぞのSFギークとは違って、いちいち可愛らしい。
「お出かけするわよ~! ママ、張り切って、パパのクレジットカード、限度額まで使い切っちゃうんだからぁ!!」
「急な死刑宣告、やめて!? どうしたんだ、ママ!? 僕は、ただ、幸せな家庭を築きたかっただけなのに!?」
「私に隠れて買った巨大プラモ、何ドルしたんだっけ?」
「…………」
「したんだっけ?」
「ミナト」
サングラスをかけ直したパパは、ボクの肩にぽんっと手を置いた。
「限度額いっぱいまで行く……付いてこれるか……?」
「パパ、かっけぇ……」
「日本人の美的感覚がわからんな」
「え~? まだ、車、乗ってないの~?」
靴下を履きながら、けんけんしているシャルが、髪を揺らしながら現れる。
さすがは、Vtuber『ミナト』のモデルとなった女の子だけあって、わかりやすい美少女だった。金色の長髪は、ウェーブがかかっている。まだ濡れているその金髪は、透明の露に閉じ込められた黄金のようだ。
ほっそりとした全身、くっきりとした目鼻立ち。ニットキャップにカジュアルシャツ、デニムパンツを履いていて、白色の太ももが露出されていた。
「シャル、足を出しすぎだ」
「これくらい、ふつーですふつー。お姉ちゃんが、オシャレしないから、代わりにオシャレしてあげてるんですぅ。
それにぃ」
ニヤニヤしながら、シャルは、ボクに身を寄せてくる。
「ミナトくんは、こっちの方が好きだもんね~?」
「いや、ボクは、さっきの方が好き」
レアとシャルに、同時に頭を殴られる。
「おいおい、なんだ、どうしたんだ? あまり、ミナトを虐めてやるなよ」
「「いや、今のは、正当な暴力」」
視れば視るほどに、シャルは『ミナト』に似ていた。そもそも、彼女をモデルにしているので当然だが、遥か彼方の日本で会っていた時よりも、現実味を帯びているように思えた。
わちゃわちゃしながら、ボクらは、自動運転車に乗り込む。
当然のように、日本車だった。昔からあるブランドだ。ハンドルも運転席もない自動運転車なので、車内は広々としている。ふたりがけのソファー、テーブルとモニター、冷蔵庫まで備わっている。
完全自動運転……米国自動車技術会が定めた基準レベル5を満たしている自動運転車は、日本でも米国でも、タクシーとしてそこら中を走り回っている。
ネットに繋がっている端末があれば、ワンボタンで呼び出せるので、この時代、自動運転車を保有している家庭はあまりない。
自動車を保持していると、税金もかかるし整備も面倒だ。ワンボタン、数分で到着するタクシー(都心なら数十秒)と比べてみれば、わざわざ、置き場所の困る車を保有しておく理由はあまり見当たらない。
「はい、コレで、ミナトくんの負けぇ~!!」
「は? 負けてないが?」
「いや、どう視ても、ミナトの負けだろ。詰んでるぞ、この盤面」
「は~い、ママ特製のレモネード飲む人ぉ~?」
「うん、僕、もらおうかな」
「パパ以外の人でぇ~?」
「ごめんなさい!! 勝手に、巨大プラモ買って、本当に申し訳ない!! 許して頂けないでしょうか!!」
でも、自在に、車内空間をカスタマイズ出来る自家用車は楽しい。
拡張現実鏡をかけて、電子ボードゲームに興じるボクらを他所に、ルーカスパパの土下座とオリビアママの足蹴が繰り広げられている。
――湊、葵ちゃん、サンドイッチ食べる?
昔、母さんと葵とで、出かけた時を思い出す。
この感覚に慣れてはいけないと思いつつも……ボクの“楽しい”と言う感情は、制限速度35~65マイルで運ばれていった。