VSコンピュータソフトウェア倫理機構
一週間が経って、理解する。
アラン・スミシーたちは、演技なんてしていない。
ボクは、今、アメリカ合衆国バーモント州ウィンタム群グラフトンという村にいる。村全体が童話みたいな森に覆われており、川音がどこからか聞こえてきて、レンガ調の家々が立ち並ぶ場所だ。
アラン・スミシー……いや、ココでは、レア・クロフォード。彼女は、グラフトンの豊かな自然に囲まれて日々を過ごしている。
レアは、ミドルスクール、つまり中学校に通っている中学生だ。バーモント州の法律では、義務教育は16歳までらしく、サクストンズ・リヴァーにあるアカデミーまで、自動運転車で通うことを義務付けられている。
クロフォード一家は、四人家族だ。
優しさに溢れているオリビア・クロフォード夫人、SF小説が好きなルーカス・クロフォード夫君、長女のレア・クロフォードに、ボクのアバターと同じ顔をした次女のシャーロット・クロフォード。
そして、この四人家族に“引き取られた”という設定の五人目がいる。
白亜湊……即ち、ボクである。
なんだ、このおままごとはと思っていたものの、レアにもシャーロット(愛称はシャル)にも、ボクを騙そうとしているような雰囲気はない。と言うか、演技をしているような素振りすらないのだ。
まるで、この世界が、現実であるかのように。
そんなわけがない。
ボクは、ファイナル・エンドと言うクソゲーにログインしたままで、決着を着けるため、ログアウトすることを諦めたのだ。
もしかしたら、あの大騒ぎの中で、意図しないログアウトが行われたのかもしれないとも考えた。だとしても、日本から約10,000 kmも離れているバーモント州まで、どうやって一瞬で到達したと言うのだろうか。
「ミナトちゃんのお母さんは、昔、私の家にホームステイしてたのよ。懐かしいわぁ。親友の息子さんを預かることになるなんて思わなかった」
有り得ない。あの女性から、そんな話、聞いたことがない。
そうは思っていても、目の前に映る光景は現実としか思えない。
高度な技術で創られた仮想は、現実と区別が付かない。ラグもバグもジャギーもない。人々の振る舞いも、ゲーム上のものとは思えない。
――虚構と現実の線引が上手く出来ていない
うっすらと、悪寒が、背筋を這いずり回る。
――人々は不完全な現実を捨てて、虚構に楽園を求めるようになる
とっくの昔に、人間は、到達してはいけない場所にまで辿り着いてたんじゃないか?
「人間の網膜が認識出来る画素数の限界は、5億7600万画素程度と言われている。だが、実際には、人には視野の中心2度程度の範囲しか視えていない。その範囲内であれば、認識数は700±100万画素程度でしかないが、眼球振盪によって多様な角度から光景を捉え、脳が瞬時に処理を行い視覚情報を合成している。
大昔の8Kテレビが3300万画素、脳の処理にスパイスを効かせれば、あたかも現実のようにゲーム世界を見せるのは意外と簡単だ」
中学生のレアは、すらすらとそう答えると、訝しむようにボクを視た。
「どうした、急に、VRMMOの解像度の話なんて」
今、ボクがいるのは、恐らく、3年前のアメリカ合衆国バーモント州ウィンタム群グラフトンだ。彼女の説明する技術体系からしても、間違いないと言えるし、ニュース番組で流れていた日本も絡む出来事も3年前のものと一致していた。
いや、違う。冷静に言い直そう。
ボクは、今、3年前のアメリカ合衆国バーモント州ウィンタム群グラフトンを再現したゲームの世界にいる。ファイナル・エンド内にいるのは確実だ。そうだ、確実なんだから、ココを現実だなんて思ってはいけない。
だとしても、意図がわからない。
グラフトンを再現して、アラン・スミシーはなにがしたい? レア・クロフォードという少女は、3年前のアラン・スミシー? 3年前と言うことは、シャーロット・クロフォードは、丁度、ボクと出逢った後のタイミングになる(クロフォード家に、ボクが引き取られているという設定からしても)。
わからない。なにもわからない。
わかるのは、ココでのボクは、クロフォード家に引き取られていて、Vtuberとしてもデビューしていない。日本に葵を残し、アメリカ合衆国まで来て、美人姉妹と同棲中ってことになる。
ボクは、洗面所の鏡に映る自分を見つめる。
「…………」
久々に、女装していない己の姿を視た。そう言えば、ボク、男の子だったんだっけ。日常生活からしても、女の子のフリに慣れきっていて忘れていた。男の声の出し方も、忘れてるかもしれない。
シャワーの音が聞こえる。
シャルが、今、シャワーを浴びているのだ。洗面所横にある風呂場、磨りガラス越しに彼女の影が視えていた。
「…………」
これから、どうするべきか。
レアを脅したところで、どうにもならないことは理解した。そもそも、本当に、彼女はなにも知らないのだ。あたかも、3年前にタイムスリップしたみたいに。
ボクは、ため息を吐いて――磨りガラスのドアが開いた。
「あ、ミナトくん、いたの?」
ボクは、振り返って――全部、丸見えのシャルを凝視し、ぎょっとする。
「タオルとって~、タオル~!」
「…………」
「タ・オ・ル! タオルだってば! タ~オ~ル!!」
「なんで」
ボクは、彼女の裸身を見つめたまま叫ぶ。
「なんで、モザイクかかってないの!? ソフ倫どうしたぁ、大丈夫かぁ!? 全部、丸見えだが!? 良いのか!? アメリカ合衆国は、こういうの厳しいんじゃねーの!? 今日は、ソフ倫の人たち休みなの!?」
「……なに言ってんの?」
ボクは、恐る恐る、彼女の胸に触れる。
「はい、アウトォオオオオオオオオオオオオオオオ!! いやぁあああああああああああああああああああ!! 普通に触れるし、柔らかいんですけどぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!? 運営さん、アダルトセイフティかかってませんよぉおおおおおおおおお!? 誰かぁああああああああああああああああああああああ!! たすけて、お巡りさぁああああああああああああああああああああああああああああああああん!!」
「お巡りさん呼びたいのは、こっちなんだけど」
ガラッと、音を立てて引き戸が開いて、レアがひょっこりと顔を出した。
ボクとシャルは、同時に、レアの方を向いた。シャルの胸に手を重ねているボクは、真顔で彼女を見つめる。
導かれるようにして、ボクたちは見つめ合う。
ゆるやかに流れる優しい時間……微笑んだボクは、彼女にささやいた。
「違う。ソフ倫が休みなんだ、ボクは悪くない」
時が、止まって。
「よし、殺す」
笑顔のレアは、オートマチック銃の照準をボクの額に合わせた。