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変転逆転流転

「ソーニャちゃん……」


 僕の手を握り締めた彼女は、前に出る。


 見据えられたアラン・スミシーは、どこか愉しげに笑みの形を作った。その笑みの深さには、様々な感情が入り混じっている。


 刻一刻と移り変わる、彼女の心情を示すように。


「君を庇っている彼女のキャラクター名は豚浪士トンローシ

 違うか?」

「…………」

「混じってきている。入り混じってるんだ。虚構と現実の線引が上手く出来ていない。いずれ、その線の輪郭は薄れて視えなくなる。近い将来、人々は不完全な現実を捨てて、虚構に楽園を求めるようになる」


 前髪を掻き上げて、アランは笑う。


「わたしの正しさが証明される、そうだろ?」

「貴女の事情は知りませんがっ!!」


 前に踏み出したソーニャちゃんは、大声で叫ぶ。


「人を巻き込まないでください! その正しさは、貴女だけのもので、他の人にとっては間違ってる! それくらい、小学生にだってわかります! 本当に正しいことを為す人は、誰かにとって正しくないことをしません!」

「面白い」


 ぱちぱちと、瞬きをして、アランは言った。


「わかりやすい道徳観念のモデルケースだ。人間の作り出した社会という縮図に、組み込まれるための教育をふんだんに受けている。たぶん、この子の道徳の授業の評価は、花丸だろうな」

「しょ、小学校では、花丸なんてもらいません! 子供扱いしないでくださいっ!

 た、たまに、先生がテスト用紙にくれたりしますけど……」


 最後らへんは、ゴニョゴニョとささやき、きっと、彼女は顔を上げる。


「ともかく、こんなことやめてください! 今なら、まだ間に合います!!」

「時間は連続的なものではなく離散的なものとする……所謂、ループ量子重力理論は、空間も時間も素粒子で出来ていると考えるものだ。

 その理論上におければ、時間なんて概念は存在しない。世界は、紙芝居みたいに、1ページ目の次は2ページ目なんて繋がってはいない。時間という概念は表舞台から消え去り、観測された際に決定される事象同士の関連性のみだ。

 小難しいことを言ってるが、このことから得られる学びは、人間はまだ時間を抽象的な概念としてしか語れないということだ」


 煙に巻いている、と思ったのかもしれない。もしくは、小馬鹿にされているとも。


 ソーニャちゃんの顔には、怒りとも呆れとも思える表情の変遷へんせんが現れていた。


「現代物理学において、時間という題目テーマはあまりにも突拍子がなくて、直接取り組んでいるような科学者なんて殆ど存在していない。名誉教授とか時間を持て余してる若手とか、そういう連中が取り組むようなお題目だ。

 我々は、未だに、時を逆行することも進行することも出来ていない。アインシュタインの相対性理論に従って、因果律に乗っ取り、多種多様なパラドックスに頭を悩ませている。

 つまるところ――」


 腕に着けている玩具みたいな腕時計を指して、アラン・スミシーは笑う。


「間に合わないんだ。もう遅い。時はくつがえらない。時計を止めることは出来ても、時を止めることは出来ない。

 でも、この世界なら」


 トントン、と、彼女は腕時計を人差し指で叩いた。


 瞬間――前に踏み出していたソーニャちゃんは、元の位置に戻っていて、笑っていたアランは無表情に戻っている。そして、僕の位置も微妙に変わっていて、先程、流れた冷や汗がまた同じ場所を流れていった。


「世界は――巻き戻る」


 疲れ果てたかのように、アランは苦笑する。


「昔々、若者向けのSF小説を読んだ。VRMMOを題材にしていた。疑問しかなかった。主人公たちの遊ぶゲームは、どこからどう捉えても、現実世界より優れていたからだ。

 でも、彼らは、飽くまでも、現実からゲームの世界に飛び込む。劣った世界を主として、優れた世界を補としている。矛盾だよ。より優れた世界に移住して来たのが人間の歴史だ。なぜ、劣った世界に縋り付く」

「人間が」


 僕は、彼女に答える。


「人間が、現実を選んだからだ」

「違う、ただ、その愚鈍な頭で停滞を選んでいるからだ。人間は、幾度も同じ過ちを繰り返している。地動説を主張した学者たちを異端審問にかけて殺し、意図的な停滞を招いてきたのは歴史的事実だ。

 お前たちは、真理を前にして恐怖で震えているだけだろう」

「貴女の言う真理を示すためには、大勢の人たちを巻き込んで、犠牲にしても良いって言うんですか!?」


 その叫び声に、彼女は冷たい一瞥いちべつ寄越よこす。


「その『良い』という判断は誰が下すんだ? 神か? 人間か? それとも、君という一個人か?

 別に、答えは聞かなくて良い。回答なんて求めていない。君の脳から求められた模範的道徳感情論は不要だ。

 ただ、ハッキリしているのは」


 両目を虚しく光らせたアランは、そっとささやく。


「わたしは『良い』と言う。そして、君たちは抵抗出来ない。だとしたら、残る選択肢は従うだけだろう」


 その時、僕は、ようやく理解する。


 コイツは。

 この女は。

 この人は。


 放っておいてはいけない。


「だが、ミナト、わたしは君の理解を求めている」


 アランの口元に残された微笑み、その怪しさに怖気が立って、僕は無意識に腰元の長剣へと手を伸ばした。


「だから、今から、その少女を殺す」


 その両目。


 その両の目に、純粋な殺意が宿る。


 そこには、感情を度外視した論理的な思考回路が備わっていて。


 本気だと――わかって――僕は、ソーニャちゃんを思い切り引っ張り込み、尻もちをついた彼女の前に飛び出す。


「ふざけるんじゃねぇ……このゴミ野郎が……ちょっとでも、この子に触れてみろ……なます切りにして、寿司屋の店先に並べるぞ……!」

「わかるよ」


 愛らしく、アランは微笑む。


 現在いまの状況にそぐわないその笑み。瞳の奥には虚無が潜んでいて、視た瞬間に総毛立つ。


「君は、とても、辛い目に遭ってきた……調べたんだ……君にとっての現実は、わたしにとっての虚構だが……つい、感情移入してしまったよ……君が英雄的酩酊(ヒロイズム)に酔わずに、その子だけを救おうとしているのもわかる……同じ過ちを繰り返したくないんだろ……他人に感情移入して、大切な人になってしまったら……また、救えないかもしれないものな……」

「……うるせぇ」

「一番辛い時期に、支えてもらったファンのひとり……君は、感情移入しまいと思っていたのに、その子を大切に思ってしまったんだね……わかるよ……もし、その子が死んでしまったら、君はもう取り返しがつかなくなる……わかるんだ、同じだから……だから、わたしは、君にそうなって欲しい……」

「うるせぇ……うるせぇんだよ……」

「教えてあげよう、ミナト。

 君は、また」


 泣きそうな顔で、アランは笑う。


「救えないんだ」

「うるせぇええええええええええええええっ!! 気安く、僕に触れるんじゃねぇクソ野郎がァアアアアアアアアアアアア!!」

「み、ミナトちゃん」


 激高した僕は、冷水を浴びせられたみたいに血の気が失せる。


 背後にいたソーニャちゃんの顔が、真っ青になっていて、苦しそうにひゅっひゅっと呼吸を繰り返していた。


「く、くるしい……」


 胸を押さえた彼女が、横に倒れる。


 長剣を放り捨てて駆け寄った僕は、両目を見開いたまま、小刻みに震えているソーニャちゃんを見つめる。


 なにも出来ずに見つめる。


 ――自分の笑顔のために生きなさい


 あの時みたいに。


「よせ、たのむ、やめろ……やめてくれ、たのむ……僕が悪かった、降参する……武器も捨てた……たのむ……」

「悪いが」


 アランは、無表情でつぶやく。


「必要なことなんだ」


 ぐにゃりと、視界が歪む。


 ちかちかと、脳裏が明滅した。手足が冷たくなって、思考が吹っ飛ぶ。自分が膝をついて、こうべを垂れていることに今気づく。どこまでも広がっていく暗闇に、己が包まれてる。


 後ろから、聞こえてくる息遣いが小さくなっていく。


「み、ミナトちゃん……」


 考えろ。


 考えろ、考えろ、考えろ。諦めるな。まだ、どうとでもなる(無理だ、諦めろ)。僕なら、どうにか出来る(また救えない)。この子を助ける(お前は無能だ)。考えろ、考えろよ、考えろ!!(なにも出来やしない)


「ミナトちゃん……」


 顔を上げる。


 倒れ伏しているソーニャちゃんは、微笑んで僕を見つめる。


「私、楽しかったんです……ミナトちゃんと遊べて……いつも、お父さんもお母さんもいそがしくて……お友だちも、なかなかできなかったから……ミナトちゃんの配信が、私にとってのたのしみで……」

「ちがうんだ……僕は、あの時……」


 力なく、ふるふると、彼女は首を振る。


「理由なんて、どうでもいいんです……私、ひとりでご飯を食べるのがさみしくて……いやで……いつも、ミナトちゃんの配信を視ながら食べてました……だから、わたし、葵ちゃんとミナトちゃんとご飯を食べれて……たくさんおしゃべりもして……夜、いっしょに眠れて……」


 涙を溜めた目で、彼女は、僕を見つめた。


「たのしかったんです……だから、じゅうぶんなんです……私は、ミナトちゃんのお陰で……だから、今度は、ミナトちゃんの力になりたくて……」


 力なく、ぎゅっと、ソーニャちゃんは僕の指を握る。


「ミナトちゃん……ずるいこと言って、ごめんね……私、ちゃんと、ミナトちゃんが優しい人だって知ってるよ……私をたすけるために、悪い人のフリしてたんだもんね……だから、ね、私、ミナトちゃんのことがだいすきだから……もし、もしね、全世界がミナトちゃんの敵に回ったとしても……」


 そして、笑った。


「私がいるよ」


 ――ボクがいる


 目を見開いて、彼女の呼吸がゆっくりと止まってい――空間が割れた。


「ミナトくんッ!!」


 弾け飛んだ空間、降り注ぐ黒い破片、ボクと瓜二つの姿をした少女。大量の煌めきと共に、空間を破いて降ってきた彼女は、真っ直ぐにボクへと手を伸ばした。


「手をッ!!」


 天を仰いだボクは、その手をしっかりと掴む。


 引っ張り上げられたボクは、ソーニャちゃんと一緒に、彼女が乗っていた黒い獣に乗った。バグデータなのか、モザイク状のそれは、チリチリと音を鳴らしながら、ボクとソーニャちゃんを背に乗せて着地する。


「なんで……」


 呆然と、アラン・スミシーはつぶやく。


「なんで、邪魔をするんだ……お前のためなのに……どうして……」

「わたしは!!」


 顔を歪めた少女は、アランへと声を振り絞る。


「わたしは……一度も、こんなの望んだことないよ……おねえちゃん……もう、やめて……優しい時のおねえちゃんにもどって……おねがいだから……」

「なんで、なんで、そんなことを言うんだ……お前のためなんだよ……そんな顔しないでくれ……笑ってくれ……わたしは、お前の笑顔のためなら……」

「ミナトくん」


 獣から下りた彼女は、ボクらに背を向けて言う。


「行って」


 無言の鍔迫り合い。


 あちこちの背景テクスチャが弾け飛んで、様々な種類のBGMが混じり合いながら音量を上げ下げする。どこからともなく、エネミーが出現しては消失し、大量の木や岩が宙空に浮かんだと思ったら破裂した。


 砕け散って、飛来してくるデータの破片を避けながら、跳ね跳ぶようにしてボクらを乗せた獣は疾走する。


 その先には、ぽっかりと空いた大きな黒い穴があった。


「その穴に入って!!」


 黒い獣の喉から、彼女の声がほとばしる。


「お姉ちゃんをもう抑えられない!! 速く!! そこから、現実に帰って!! わたしたちのことは忘れてッ!!」


 その叫び声は、ゆっくりと、掠れ声へと変わっていく。


「ありがとう、ミナトくん……巻き込んでごめんね……現実で幸せに生きて……」


 声が消える。


 アラン・スミシーの攻撃は、ソーニャちゃんから彼女へと移ったらしい。ソーニャちゃんは、ゆっくりと呼吸しながら立ち上がる。


「ソーニャちゃん、大丈夫なの!?」

「はい……あれ、なんだったんだろ……もう平気です……」


 何事もなかったかのように、元気になったソーニャちゃんは笑った。まるで、無理しているかのように、彼女の頬はぴくぴくと痙攣している。


 この先で、ボクが何を選ぶのか知っているみたいに。


「ミナトちゃん、ここから元の世界に帰れるんですよね……?」


 満面の笑みで、彼女は、ボクに手を差し伸べる。


「行きましょう! 警察に通報して、皆を助けてもらえば大丈夫です! だから、行きましょ!」


 黙り込んだまま、ボクは顔を伏せる。


 ソーニャちゃんの顔が――歪んだ。


「ミナトちゃん……?」

「…………」

「ミナトちゃん……手を……?」


 微笑んで、ボクは言う。


「ソーニャちゃんって、好きな食べ物なんなの?」

「え?」

「好きな食べ物」

「お、お寿司で――えっ」


 そっと、肩を押して、ソーニャちゃんは黒い穴へと落ちていく。


 彼女の顔は、驚愕で強張っていて、対するボクは笑顔で言い放つ。


「じゃあ、ボクが帰ったら、一緒にお寿司屋さんでも行こーね♡ もち、費用は、お金持ちのソーニャちゃん持ちで♡」

「やだ……」


 ソーニャちゃんの口が、大きく開かれる。


「やだぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! ミナトちゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああん!!」


 そして、消えた。


「なんで……」


 ボクと同じ顔をした彼女は、こちらを振り向いて目を見開く。


「なんで、ミナトくん……」

「ココで帰ったら」


 ――私がいるよ


「ボクは、僕でいられない」


 いつまでも逃げることは出来ない。コレは、僕の問題でもある。


 ココで。


 ――ミナト


 ココで、決着ケリを付ける。


「お前は……」


 間の抜けた顔で、アラン・スミシーはこちらを見つめていた。


「お前は……なんなんだ……」

「大人気Vtuber(好意的解釈)でーす♡」


 片足を上げて、両手でハートマークを作った瞬間――世界が弾け飛んだ。


 吹っ――飛ぶ。


 意識さえ消し飛ばすような崩壊、巻き込まれた僕は、為すすべもなく消え失せて――ジリリリリリリ――目覚まし時計が鳴った。


「え?」


 僕の目に映るのは、天井。


 見慣れない天井ではあるが、一般住宅の普遍的な天井だった。


「なに、いつまで寝てるんだ」


 扉が開いて、笑い声と共に、少女が入ってくる。


「いつも、お寝坊さんだな。

 そろそろ出かけるんだから、いい加減、起きなさい」


 制服を着たアラン・スミシーが、笑顔で、こちらを見つめていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 何したらこんな神小説書けるんですかねぇ…
[一言] 豚が助かったので、先生も助かりました♥️ 命拾いしたな♥️…チッ お姉ちゃん過保護すぎるので、妹がなんか辛辣な言葉で倒して欲しいね♥️
[一言] この世界でアラン・スミシーは神だ。五感を操作できるのなら痛みを与えることもできるだろう。HPを強制的にゼロにすることも可能だろう。なんならフィードバックなんて関係なく直接現実に影響を与えるこ…
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