現実=クソゲー
「もしかして、もうバレてます?」
枢々紀ルフスは、微笑を浮かべる。
「あの子はどこだ?」
「え~、せっかく、Vtuberを引退して、この素敵な世界にやって来たのに……もうちょっと、おしゃべりしましょ~よ」
蒼森峠、三畳聖域、海底囚獄……白色の砲弾が降り注いで、破壊された都市領域に彼女の姿はなかった。
代わりに、目の前には、大人気Vtuberが存在している。
破損した背景。端から剥げた黒色の破片が、天へと立ち昇って行き、煌めきながら失せていく。崩れ落ちたビル群に囲まれたボクらは、正面から見つめ合って、立ち尽くしていた。
「あの子はどこだ?」
「なんで、ルフスに聞くの?」
「いい加減、フザけるのはやめろ……ボクは、枢々紀ルフスに聞いてるんじゃない」
ボクは、彼女の正体を口にする。
「アラン・スミシーに聞いてるんだ」
「やはり」
彼女は、無言で、髪を掻き上げ――様相が変わる。
瞳の色は虹から蒼に、喪服は制服へと溶けるように変わる。笑みを浮かべていた顔から、表情が消え失せる。
その相貌に刻まれた疲労と憤怒と焦燥と悲哀は、ゲーム内とは思えないくらいに、疲れ果てた少女の肖像として描かれる。
前髪が戻った時、彼女は、テレビで視たアラン・スミシーに変わっていた。
「気づかれていたか」
甘ったるい声音は、低音の掠れ声になっている。
ただ、そこに存在しているだけで、圧倒的な異彩を放っている。画面に映る虚構が、そのまま、眼前に投影されているかのように。
「何時から?」
「あの子から、姉がいるとは聞いてた。このゲームが、彼女のために用意されたもので、ボクの存在が必要不可欠であることも。
そして、ボクをこのゲームに誘ったのは――」
――ミナトちゃん、クソゲー、やりませんか?
「お前だ」
ボクが突きつけた答えに、彼女は、苦笑する。
「当てずっぽうに聞こえるが」
「違う。論理的思考の結実だ。
お前は、最初期からのボクのファンのひとり……のみならず、ボクにとって、一番最初のファン。そして、ボクがVtuberを始めたのは、あの子と繋がらなくなってからだ」
ゆっくりと、地面にソーニャちゃんを下ろす。
「お前は、最初から、この時のためにボクに近づいた。生活費と言って、投げ銭を投じていたのも、冗談でもなんでもない。金銭的欠乏に喘いでいたボクへの支援が目的だった。
脱げだのなんだのホザイてたのは、目くらましだろ。生活費をネタとして、ボクに受け入れさせるための策の一環だ」
腕を組んだアラン・スミシーは、人差し指をぴんっと立てたまま、微動だにせずに微笑んでいる。
「そこまで、執念深く、ボクを見守っていたのは……いや、監視していたのは、この時のため……ここまで、長い時間を費やして執念を燃やし続けられるのは、この狂気を企てたアラン・スミシー、その人以外に有り得ない。
おかしいと思ってたんだ。豚浪士と言い、AYAKAちゃんと言い、クラウドと言い、ボクのファンばかりが、この世界に集められていることが」
ボクは、吐き捨てる。
「最初から、テメーの手のひらの上で、ボクらは踊らされていた。この舞台を用意したのは、お前で、ボクらは無様な舞踏を披露してただけだ」
ゆっくりと、目の前の黒幕は瞬いた。
「お前は、あの子のために、この世界を現実化しようとしている。たったひとりの大事な妹のために、万の命を費やそうとしているんだろ」
「ニュースで、よく流れているだろう?」
唐突に、少女は、ぽつりと言った。
「どこかの誰々が死んだとか、発展途上国では日々何百人も死んでるとか、恵まれない子供たちに救いの手をとか……日常茶飯事に垂れ流されている不幸話、我々の脳内でろくに噛み締められもせず、翌朝にはすっぱりと消えているくらいの情報が」
瞬きひとつせずに、指先を凝視している彼女はささやく。
「アレはね、虚構なんだ」
なにを言ってる――そう言おうとして、結局、ボクは、黙り込んだまま眼前の少女を捉え続ける。
「人道支援、NGOへの寄付、アドボカシー……聞こえは良い。だが、その先に透けて視える光景になにを感じる。画面越しに飢餓に陥っている子供を視たところで、それは、ただの脳で捉えている情報の羅列だ。
丁寧に作り込まれて、本物と見分けのつかない虚構、例えばドラマだとか、そういうモノを視た時と脳の反応は全く同じだ。幼い頃から刷り込まれている道徳観念に従って、感情を出力しているに過ぎない」
「…………」
「現実と虚構の違いはなんだ。ニュースとドラマ、なにが異なる。現地に行こうが画面越しに見ようが、結局のところその差異は、情報量の多寡くらいじゃないのか」
「…………」
「だから、ミナト、我々にとっての現実は己のみなんだ。他人というのは虚構であって、己の目や耳や鼻や肌で感じるから、現実のように錯覚しているだけなんだよ。
そう、だからこそ――わたしは、わたしの力のみで、わたしの妹を救わなければならなかったんだ」
首を傾げて、彼女は笑う。
「誰かが誰かを救うなんて虚構だ。
だから、わたしは、この世界を丸ごと――」
真っ赤な三日月が裂けて、狂気的な笑みを描く。
「妹のための世界にする」
矛盾してる。
お前は、誰かが誰かを救うなんて虚構だと言う。だが、お前は、お前の言うところの虚構――妹を救おうとしている。
なんで、その矛盾に気づかない。
「ファイナル・エンドは、現実世界を基準として創った」
愉しそうに、彼女は続ける。
「わかるか。現実世界の幸福と不幸を平均化して、確率論として落とし込めば、その致死性は君の遊んできたこのゲーム通りになる。プレイヤーが“理不尽”と感じる確率は、現実世界で個人に不幸が起こる可能性と全く同じだ。
ミナト、今まで、君が遊んできたこのゲームは――現実世界と同じなんだよ」
心臓に流れ込む血液が、静かに、ゆっくりと、止まっていった気がした。
あの女性の隣で、テレビを視ていた。
その画面には、現実世界の不幸な出来事が映っていて、それは人類の歴史でもある。戦争、災厄、疫病、殺人、強姦……渦を巻くようにして、ボクを取り巻いていた疑問は、すとんと胸に落ちてくる。
――おかあさん、なんで?
幼い頃の、自分の声が響いた。
――なんで、こんなことになるの?
「この世界は、最初から、正しい人間が正しく救われるようには出来ていないからだ。
だから、わたしが、一から創り変える」
笑いながら、彼女は、ボクへと手を差し伸べる。
「もう、妹のような目に遭う人はいなくなる……あの子は、ようやく幸せになれるんだ……それは、君も望むことだろう……不完全な現実なんて捨ててしまえば良い……幸福だけで満ちる完全な世界で……笑っていられる……」
惹かれる。
ボクが望めば、あの女性も、この世界に来られるかもしれない。
――湊
今度こそ、救えるのかもしれない。
だから。
だから、ボクは、その手をとっ――横から、手を掴まれる。
振り向く。
その先には、満面の笑みを浮かべたソーニャちゃんがいて。
「ミナトちゃんの代わりに、失礼しますが」
彼女は、笑いながら、アラン・スミシーに中指を立てた。
「おととい来やがれ、クソやろぉ♡」
アラン・スミシーの笑顔が――歪んだ。