誰もは救えず、誰かも救えず
「おいコラ♡ 説明しろや♡」
当然の要求に対して、豚浪士は顔を曇らせる。
「説明しろと言われても、聞くも涙語るも涙、全米で上映すれば映画館が涙で沈む系のお涙頂戴話でして」
「要約して話しなさい、要約して」
豚浪士ことソーニャちゃんは、一生懸命に、己の苦労話を語り始める。敵と戦っていた彼女は、急に痛みを感じ始めて驚愕、プレイミスを連発して死にかけたところで窮地を救ってもらったらしい。
「誰に?」
「私に」
音もなく、ひとりの男キャラが姿を現した。
身の丈を超えるような大剣、金色の髪の毛を掻き上げながら、不敵な笑みを浮かべた“彼女”が片手を挙げる。
「久しぶりだね、ミナトちゃん。
せっかくの警告を無視して、地獄の扉を自ら開けるなんて、己を虐める趣味趣向でももってるのかな?」
「やっぱり、テメーか、クラウド……」
このゲーム世界が、デスゲーム化する前、ボクを『公式Vtuber』として誘った諸悪の根源。運営の手先であり、この城に侵入する前、親切な女性プレイヤーのフリをして『現実世界に帰れ』と警告してきた人物。
「あれ、もしかして、バレてたのかな?」
「わざと、バラしたんだろーが。去り際に『悪かったね、7回も鳴らして』とかホザイてただろ。テメーとの初対面時、チャイムを7回も鳴らして、家に押し入って来たことは忘れてねーからな」
「『黙示録のラッパ吹き』ならぬ『クソゲーのチャイム鳴らし』として、新たな世界の到来を告げてあげたんだよ」
せせら笑いながら、彼女はつぶやく。
「君は選ばれたんだ」
「違うね、お前らが選んだんだ。お前とアラン・スミシーが、正気とは思えないことを目論んで、なにもかもを台無しにしようとしてる」
「おいおい、君が正気の定義を語るかよ。ファイナル・エンドは、とっくの昔に常軌を逸してるが、その最上級はミナトちゃん、君のことだって言うのに」
「お褒めのお言葉、ありがと♡」
ボクは、笑いながら長剣を引き抜く。
「まずは、テメーを殺す♡ 事情なんて、聞きたくもないね♡ とりあえず、殺してから考えるのがミナト流♡」
「対して、まずは、人の話を聞くのがクラウド流だが」
笑顔。
タイミングを外して、ぐんっと、一気に身体を倒した。
クラウドの視線が下がりきらないうちに、一足で飛び込んで、下方から上半身を斬り上げ――間に、飛び込んできた影に剣を止める。
「おいこらぁ……豚ぁ……どういうつもりだぁ……?」
ボクたちの間に立ちはだかった豚浪士は、両腕を広げたまま、ボクを見つめる。その眼差しには『落ち着け』の言葉が潜んでいた。
白けたボクは、舌打ちをしてから、剣を鞘に仕舞う。
「主殿、いまいち、事情が掴めませんが……クラウドを殺すことはご遠慮願いたい」
「説明」
「我が命を救ったのは彼女です」
ボクが顔を上げると、クラウドは苦笑を浮かべる。
「豚浪士……いや、ソーニャちゃん。コイツは、黒幕のひとりだよ。ボクたちをこんな目に合わせたクズ野郎の一員なんだ。最初から仕組まれてた。ボクは、始めからこのクソゲーをプレイすることになってて、公式Vtuberとしてボクを取り入れたのも、コイツらの計画のひとつなんだよ」
「つまり?」
「ソーニャちゃんの命を救ったのも、ソイツの策略のひとつ。こういう場面を想定して、キミを盾にしようとしてる」
玉座の肘掛けに腰掛けて、タオが、つまらなそうにあくびをする。張り詰めた空気の只中で、彼女だけが、ゆるやかに時を過ごしていた。
「主殿――み、ミナトちゃんは、最初から仕組まれてたって言ったよね。なにか知ってるの。なにか関わりがあるんでしょ。教えて」
ボクは、静かに、口を閉じる。
「…………」
「せ、説明して! わ、私! ミナトちゃんの力になりたい! 昔、助けられたから! 今度は、ミナトちゃんの力になりたいの!」
――ボクがいる
かつて、ボクの配信の視聴者数が『7』だった時、ひとりぼっちの彼女の悩みにボクはそう答えた。あの時は、口からでまかせみたいに返答してしまった。でも、あの時の言葉は、彼女にとってかけがえのないものになった。
彼女は、ボクにとって大事な人だ。
一番、辛かった時期に、ボクの配信を視てくれていたファンのひとりだ。ココで、彼女を失うことは考えられない。
だからこそ――
「帰ったら話すよ」
ココでは、話せない。
「なんで」
ソーニャちゃんの後ろで、クラウドはため息を吐く。
「なんで、言えないんですか……私のことを対等に視てないからですか……ただのファンだからですか……」
「違う、複雑なんだ。事情を説明するのに、相応しい時が要る。
時間がないんだよ、ソーニャちゃん。ふたりで帰ろう。君のお父さんもお母さんも心配してる。葵だって待ってる。ね。ほら、一緒に行こう」
「帰る……ふたりで……ログアウト出来るんですか……?」
「そうだよ、だから――」
「ふたりで、って、言いましたよね?」
差し出したボクの手を恐れるかのように、彼女は後ずさりながら首を振る。
「他の人は、どうなるの……?」
「…………」
「ミナトちゃん、私、だって、この世界で出来た友達だっている……怯えてる人もいて……ミナトちゃんのファンだって、たくさんこの世界にいるんですよ……コメント、いっぱい、もらったじゃないですか……」
「ソーニャちゃん、時間がな――」
「見捨てるんですか?」
ボクは、歯噛みする。
――湊、この世界はね、正しい人間が正しく救われるようには作られていないの
この現実を噛みしめるように。
「私は……いやだ……なんで、私だけなんですか……つい、最近、出逢ったばかりで小学生の女の子だからですか……ミナトちゃんは……」
恐れと失意に溢れた視線が、ボクを貫いた。
「救う人間を選ぶんですか?」
「全員は……救えないでしょ……」
頭が、痛い。
ズキズキと、脳内で、誰かが呻いている。病院のベッドが視える。片腕に刺さる点滴針、青白い顔、悲しそうな葵の顔、夢で出逢った彼女、床に散らばったどんぐり、火葬場の煙突から漏れる白煙。
――湊
あの女性の――声が聞こえる。
「『ソーニャちゃん、この世界はね』」
ボクの喉から、あの女性の声が聞こえる。
「『正しい人間が正しく救われるようには作られていないんだよ』」
ソーニャちゃんは、ゆっくりと、両目を見開いて――一瞬の隙を突いて、クラウドは、彼女の顔に粉末を振りかける。
瞬時に、ソーニャちゃんは昏倒する。
「おっと、攻撃しないでくれよ。眠ってるだけだ。とっとと、この娘を抱えて、現実世界に帰ると良い」
長剣を突きつけたボクに対して、クラウドは両手を挙げて答える。
「……なんで、味方をする?」
「大人の理屈が理解出来ない子供の文句を聞くのも飽きてね。
と言うのは、冗談として……ここまでしてやるつもりはなかったが、本当に、コレがラストチャンスだ。次は絶対にない。肝に銘じてくれ」
真剣な表情で、彼女はささやく。
「現実に帰れ。
コレでダメなら、もう、君のファンとして私に出来ることはない。一度、君をこの世界に誘った時点で、私は私の役割を終えている」
「…………」
「ミナトちゃん」
歪んだ笑顔で、クラウドは言った。
「ありがとう。君の配信は楽しかった」
「…………」
「行け。霊王の代理は、他で立てる」
ボクは、ソーニャちゃんを抱える。
現実以上の現実味をもって、彼女の重さと温かさを感じる。眠りこけている彼女の顔は、どこか辛そうに歪んでいて、たちの悪い悪夢に捕まっているかのようだった。
「ミナト・チャン」
去り際に、微笑を浮かべたタオが、こちらに袖を振る。
「また後で。再見」
なにも答えずに、ボクは、城を後にした。