省みる過去に価値はない
無事に、城街領域に入ったボクは、周囲の人々に声をかける。
「豚? 豚なんて視てないわよ?」
「いや、だから、豚じゃなくて豚浪士ってプレイヤー。腰元まで金色の髪が伸びてて、紅色の瞳、黒衣を着てる」
「あぁ、人を探してるのね」
気の毒そうに、女性プレイヤーは頬に手を当てる。
「急にこんなことになったものねぇ……貴女みたいに、友人や家族とはぐれちゃったプレイヤーが、城街領域にやって来るのをよく視るわ。
申し訳ないけど、それだけの特徴ではなんとも言えないわ。金色の髪に紅色の瞳のアバターなんて、そこらに幾らでもいるでしょ?」
確かに、彼女の言う通りだった。
ボクらが話している間にも、金色の髪に紅色の瞳を持ったアバターが横を素通りしてく。もちろん、顔貌のパーツが微妙に異なるので、豚浪士でないことは直ぐにわかったが……捜索には、難儀しそうだ。
「人探しをするにしても、今は時節が悪いわね」
「なんで?」
彼女は、遠目に聳える白皙の城を指した。
闇夜に渦を巻いている遺城は、以前のご立派だった姿からかけ離れ、崩れかけの古城を思わせた。赤と紫の雲が城壁に絡んでいて、その造形は歪んでおり、銀幕は千千に破れている。
幽体の馬身を持つ軍馬に跨って、空を駆ける首なし騎士たちは、長剣を振り回しながら不気味な城を守護していた。
「霊王よ」
「いや、まぁ、知ってるよ。やべーNPCなんでしょ、その霊王ってのは。城街領域のことを王国だとか僭称して、プレイヤーの入出国を制限してるとかさ」
そう言えば、温泉黄金郷からの入国には検問があったのに、ぐるっと一回りして来たらあっさりと入れたな……なんでだろ?
「は? NPC?」
一瞬、思考に沈んだボクの耳に、驚きの情報が飛び込んでくる。
「霊王はPCよ。つまり、プレイヤーの誰か」
「……は?」
思わず、ボクは顔を上げる。
「いや、ごめん、ちょっと意味がわから不。なに、なんで、なにがどうして、プレイヤーが霊王なんて名乗って息巻いてんの。今現在、デスゲームの真っ只中で、世界が少年漫画に出てくるようなヒーローを待ち望んでる状況だよ。
誰も、黒衣着込んだ挙げ句、プレイヤーネームの周りを十字架で埋めて、親のクレカで手に入れた課金装備を自慢する層の到来は望んでねーよ」
「8章32節って、ギルド知ってる?」
――うん、『8章32節』って言うギルドの人たちが、天地氷結界を丸ごと迷路にしちゃったの
聞き覚えのあるギルド名に、ボクは硬直する。
「元々、ファイナル・エンド内で、好き勝手やってたギルドなんだけど……今回のデスゲーム化で、更に調子にノリ始めちゃってね。
天地氷結界と城街領域を大改造して、悪趣味な迷路とハロウィンタウンに変えちゃったってわけ」
「いや、それは」
「皆、わかってる」
ため息を吐いて、彼女はボクの言葉を止める。
「この短期間で、ゲーム内データを弄るような領域改変が出来るわけがない。
最初から、8章32節は運営側の人間だったってことよね」
「おいおい、運営さんはよ、いつから仕込んでたんだよ♡ じっくりコトコト、煮込み続けた愛情たっぷりのビーフシチューかよ♡」
「そういう事情もあって、この数日で、運営への憎悪は上がり続けてる。運営側の手先が、プレイヤー内に潜んでるんじゃないかって、同士討ちが始まってるって噂。
当然、その矛先は」
親切な女性プレイヤーは、ボクの胸に人差し指を突きつける。
「運営の手先と称される公式Vtuberにも向いてる」
「…………」
「全員が全員、そうじゃないわよ。貴女には熱心なファンが付いてるし、彼らは、貴女のことを微塵も疑ってないでしょうね。
でも、そうじゃないプレイヤーもたくさんいる。最近の貴女の配信は、運営の仕込みのひとつで、どんな手段を講じてでも止めさせるべきだって、おっかない思想をもった人たちがウヨウヨしてるから」
名前も知らない彼女は、真剣な目でボクを見据える。
「貴女のこと、救世の聖女なんて呼ぶ人もいる。
でも、その聖女様が最終的にどうなったかは……貴女も知ってるでしょ?」
「さてね♡」
ボクの微笑を視て、彼女は苦笑を漏らした。
「悪いことは言わない。今直ぐ、あの子のことは忘れて、現実世界に帰りなさい。一度、暴走を始めた民衆はコントロールが効かない。個人と集団は異なる。どれだけ善人面した聖人でも、善の在り方が異なれば、猛り狂った正義と共に狂気を為す。
聖人や聖女ってのはね、ことごとく、無能な民衆に殺されてるのよ」
「おいおい、ただの一プレイヤーにしては、ぺらぺらぺらぺら、バラエティ番組真っ青な弁舌振るうじゃねーか♡ 一山いくらのモブにしては、あまりにも、しゃべりすぎるし感情籠もり過ぎてんだよ♡」
ボクは、己の勘に従って、見知らぬ彼女を睨めつける。
「お前、誰だ」
彼女の口元にモザイクがかかって、見覚えのある笑みが覗いた。
「さてね」
そして、目の前から、彼女は掻き消える。
「悪かったね、7回も鳴らして」
耳元に、そっと、ささやきを残して。
「あの時、出てくれなければ良かったのにと思ってるよ」