共通された会話、共通されない謎
「……ログアウト、出来るの?」
「無理だと思ってたけどね」
白色の砲弾に腰掛けて、彼女は微笑を浮かべる。
「もう、わたしは、お姉ちゃんを止めることは諦めた。ありとあらゆる手は打ったけれど、正直言って、あのタイミングで計画を発動するとは思わなかったから。
『大規模イベント』という字面に引きずられて、イベントが終わるまでは始まらないと錯覚させられてたの……お陰様で、わたしは、湊くんを助ける機会を失ってしまった。
いや、実際には、あの時にはもう引き返せなくなってた」
蒼い髪の少女は、微笑を苦笑に切り替える。
「あの時?」
「湊くんがAYAKAの家を燃やした時」
思わず、僕は言葉を失う。
「いや、意味がわかんないんだけど……人の家を燃やしたくらいで、そんな……」
「罪の意識が軽すぎる。
湊くんが、AYAKAの家を燃やした時点で、お姉ちゃんの術中に嵌まっていた。たぶん、最初から、お姉ちゃんの目的は湊くんだったの」
「ただいま、僕、疑問符のオンパレード」
「形態形成場」
「……は?」
ただでさえ、意味のわからない状況に拍車をかけるような言葉を差し込まれる。混乱に次ぐ混乱、僕の頭は限界を迎えつつあった。
「このファイナルエンドに設定されている隠しパラメータのひとつ。起源であり要素。
生物学者のルパート・シェルドレイクが提唱した仮説のことで、人間のもつ知識や経験、思い出や愛は、どこかの場に蓄積されていて、わたしたちは、それらの集合情報を無意識的に共有しているという説。
シェルドレイクによれば、わたしたちは、常に場にアクセスしている。脳は飽くまでも、それらの集合情報を解読する演算器にしか過ぎない」
「要点だけ、言ってくれる?」
「わたしたちのもつ情報は……記憶は、外部に存在していて、全員でそれを共有しているってことかな」
意味がわからないので、僕は首を捻る。
「で、その盛りそばみたいな説がなんだって?」
「ファイナルエンドは、共有夢をゲームシステムに取り入れたって……テレビで言ってたでしょ?」
――なぜ、我々は、いつまでもこんな不完全な世界で暮らしているんでしょうか……ファイナル・エンドは、共有夢をゲームシステムに取り入れました……
朧げな記憶。
僕は、テレビに映っていたアラン・スミシーの言葉を思い出す。
「つまり、このファイナルエンドというゲームは、特定の個人の夢……いえ、場にプレイヤーがアクセスすることで、成り立っていたゲームなの。
そして、その特定の個人って言うのはわたし。皆が皆、わたしの描いている悪夢にアクセスして、遊び続けてたっていうこと」
なんとなく、アラン・スミシーの計画が視えてくる。
このファイナルエンドを基にして、この巨大な悪夢を創り上げた天才が、なぜ、現実味のない創作物に手を染めたのかも。
「わたしと湊くんは、昔、繋がってたことがあるでしょ?」
僕は、こくりと頷く。
「さっきも、説明した通り、場にアクセスした後、その情報を読み取って書き換えるには“脳”という名の演算器が必要。お姉ちゃんの目的は、わたしが自前の脳をもって、場を自在に書き換えられる存在に至らせること。でも、それは、わたしには備わっていない。
わたしの代わりに、誰かが、演算を肩代わりする必要性がある」
その言葉を聞いて――背筋が凍った。
「その誰かが……僕か?」
「ご明察。
一時期、わたしと湊くんは繋がっていた。それはつまり、相性が良いってこと。代わりの脳としてのね」
僕は、自分の姿を省みる。
目の前の少女と瓜二つの姿、Vtuberとしての自分、そしてこの状況へと追い込まれた過程……点と点が繋がって、アラン・スミシーの正体が浮かび上がる。
「まさか、そんな……最初から、そのつもりだったのか……もしかして、AYAKAちゃんは……」
「いえ、たぶん、彼女はなにも知らないと思う。利用されただけかな。湊くんをファイナルエンドから逃さないために」
「だから、僕に警告したのか」
「湊くんは、わたしのこと、ただのコピー扱いしてたけどね」
――入力指定、GMコール
かつて、AYAKAちゃんと敵対していた時に発せられたGMコール。あの時、僕は別の領域へと飛ばされて、目の前の彼女に再会した。
ただ、あの当時は、再会しただなんて思ってなかった。彼女が、ファイナルエンドの世界に……いや、ゲームの世界に存在している筈がなかったから。
――あなたのお母さんとの約束、守れなくて……ごめんなさい……
でも、もう、疑いようがない。
この子は、あの時に、巡り逢った女の子だ。
「キミだって、僕のことを他人扱いしてたじゃん」
「お姉ちゃんに見張られてたの。下手なセリフを吐いたら、直ぐに勘付かれて、二度と接触出来ないようにされてた。あの当時は、アレが精一杯だった」
たぶん、この会話を聞いても、僕と彼女以外には意味が通じない。
既に、僕には、アラン・スミシーの目的もその正体も、このデスゲームの先に辿り着く終着点も視えている。今はわからなくても、いずれ、このゲームにアクセスしているプレイヤーにもわかる筈だ。
あの女性は、禁忌に触れようとしている。
「大体、事情はわかった。
で、どうやって、僕だけを外に逃がすつもり?」
「わたしは、場。このゲーム世界そのものだから、全領域を掌握出来る。幾ら、お姉ちゃんが天才だからと言っても、全ての脆弱性をカバー出来るわけがない。
一瞬だけ、湊くんの脳を借りて場にアクセスしてから、全プレイヤーの脳に逆侵入を仕掛ける。掌握した数万個の脳を用いて100~120msのDos攻撃をかけて、そっちに注意が向いた瞬間に、わたしが作っておいた超簡易的な抜け穴を潜ってもらう。
ゲーム内ログアウトに用いる時間は、人間の神経細胞の反応速度と言われている100~120ms秒。理論上、コレで、ログアウト出来るはず」
「三文字で」
「いける」
僕は、苦笑する。
「オーケー。
で、僕が外に出れば、アラン・スミシーの企みは泡沫に。彼女は反省をして、キミと仲直り、泣きながら抱き合ってハッピーエンドになるの?」
「確かに、根本的な解決にはならない。ならないけど、これ以上、湊くんを巻き込むわけにはいかないし、お姉ちゃんの企みも阻止しないといけない」
傘を閉じて、僕は、両手を振った。
「わかった。僕は、正義の味方じゃない。ココから出られるのなら、アラン・スミシーをぶん殴る予定もキャンセルしてもいい。
ログアウトするよ」
「ありがと――」
「でも、条件がある」
瞬間、彼女の笑顔が曇る。
「ひとり、一緒にログアウトしたい子がいる。ふたりでログアウトしたい」
「それはダ――」
「呑めないなら、僕はログアウトしない。あの子は、僕に惹かれてコレに巻き込まれた。最低でも、あの子の安全は保証する義務がある」
「……わかった、良いよ」
ため息を吐いて、彼女は首を振る。
「なら、その子をココに連れてきて。一週間以内に。わたしの抜け穴を隠しているのは、この領域で、隠蔽可能なのは一週間が限度。
もし、一週間以内に戻らなかったら、湊くんだけを連れ戻してログアウトさせる。その条件が呑めないなら、今、この場で強制的にログアウトさせる」
「おーけー♡」
両手で♡を作って、片足を上げると、彼女は心底嫌そうな顔をした。
「なら、早速、行ってくるわ。お土産は期待しないで。僕、こんな聖人君子面してても、友人家族には金を費やさないタイプ。一方的な利益と愛しか、身体が受け付けないんだよね。悲しいなぁ」
「湊くん」
歩き出した僕の背中に、彼女はささやきかける。
「ごめんね、巻き込んで……」
返答はせずに、僕は、歩を進めた。