配信型《オンライン》・伊能忠敬
ボクは、『雌豚』、『女郎蜘蛛』、『サンタクロース』の中から『雌豚』を選ぶ。
選んだ瞬間、案内人から、ピンク色のミニブタを手渡される。鼻を引くつかせながら、小さなブタは、物珍しそうにボクを見つめた。
「まぁ、ろくでもねぇヒロインリストが出てきた時点で、こんなオチになるのは目に視えてたわ」
「『待て』とか『進め』とか、簡単な命令なら聞いてくれるから。それに、キスしてあげると増殖する」
「雑なヒロイン要素やめろ♡ キスで増殖させて、ご近所にお配りするのが最近のヒロインなんですか♡」
ボクは、リボンを着けたミニブタを抱き抱えてから歩き始め――一歩、踏み出した途端に、急激な加速が始まる。
「それじゃ、行ってらっしゃ~い!」
「はぁん!?」
滑っている。猛烈な勢いで。
摩擦係数なんてものは存在しないのか、ツルツルの氷面を足が滑っていき、凄まじい勢いで景色が通り過ぎる。顔面に突風が叩きつけられて、息が吸えなくなり、視界に線が走り始める。
そして、音楽が流れ始めた。
『ようこそ、天地氷結界へ! これから、流れる音楽に合わせて、ポーズをとってね!』
ノリノリな電子音楽、氷の壁の中に仕込まれたLEDライトが、七色の光を発してくるくると回転する。
あっという間に、壁が、迫る迫る迫る!!
タンッタンッタンッタンッ!!
拍手の四拍子が聞こえ始めて、天井と壁と床が、ぐんっと縮こまった。
氷の迷路は、人一人が通れるくらいの通路と化して、転調を迎えた音楽は激しさを増していく。壁の中で氷漬けになった人が『腰をくねらせるポーズ』をしているのが視えた。
「いや、意味が――」
「はい、アウトォ!!」
突然、目の前の壁が開いて、メイスを持った案内人にぶん殴られる。
『NO DAMAGE!!』の表示が、眼前に炸裂する。上半身を後ろに折り曲げたボクは、勢い良く膝で滑りながら倒れる。
「…………」
『ざんねん! また、挑戦してね! この負け犬が!!』
「…………」
ボクは、無言で立ち上がる。
自分が滑ってきた道は、既に閉ざされていて、戻ることは出来ないようだった。放り投げていた雌豚は、上手く着地していたのか、ふんふん鼻を鳴らしながらやって来る。
「……クソゲーがよぉ♡」
いつの間にか、狭まっていた氷の迷路は、元通りになっていた。
この程度で、心が折れるボクではない。しきりに、壁の周辺を嗅いでいた雌豚を回収して、ボクは歩き始める。
なんにせよ、ダンジョンに重要なのはマッピングである。
わざわざ、こんなクソみたいな羊皮紙とインクを用意して、地図を描けとまで言っているのだ。この天地氷結界を攻略するためには、マッピングスキルが要求されることは間違いない。
「ふふ」
思わず、ボクは、笑う。
なぜなら、ボクは、地図を描くことには一家言のある地図職人である。描いてきた地図は、数知れない。ゲーム内のミニマップは、味気なく感じて、ついつい己のオリジナルマップを描いてたりもする。
というわけで、ボクは、手慣れた手付きでマップを描き始めた。
長い戦いだった。
ちょっと歩いては、インクにペン先を濡らして、少しずつ壁を描いては満足気に頷いた。たまに、雌豚と戯れてから、一枚の羊皮紙が黒く染まっていくのを見つめる。
氷塊を削るかのような、淡々とした、ちいさな努力が目に視えてくる。それが、たまらなく嬉しい。
ボクは、汗を拭いて笑う。
「よし、ほぼほぼ埋まったな! そろそろ、本格的に攻略を開始するか!」
ついつい夢中になって、48時間くらい時間を費やしてしまった。
でも、後悔はない。だって、楽しかったから。そして、コレは、ボク自身の成長に繋がると確信している。
そう、これから、ボクの努力が実る瞬間がやって来――目の前で、天井と壁がスライドして、迷路が変形していく瞬間を目撃する。
床へと壁が収納され、天井が左右に開いて、あっという間に迷宮は様変わりする。
「…………」
ボクは、静かに、地図を見下ろす。
「…………」
壁が書き込まれている場所から、壁が消え去っていた。
「…………」
48時間の努力が、無為になった瞬間だった。
「…………」
目の前の床から、看板が浮き上がってくる。
看板には、達筆な筆文字が書かれていた。
『今の時代に、手書きでマッピングって(笑) ないでしょ(笑)』
ボクは、笑って、息を吸い込み――
「このクソゲーがぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
正拳突きで、看板を粉砕する。
息を荒げながら、ボクは雌豚の腹に顔を埋めて呼吸する。
「ふぅうううううううううううううううううううううううん!! ふんふんふぅうううううううううううううううううううううううん!!」
無抵抗の雌豚は、ふんふん言いながら、耳をピクピクと動かす。
雌豚を嗅ぐことで、精神の安定を取り戻したボクは、落ち着いて迷宮を観察することにした。
数時間後、その攻略法に気がつく。
ボクは、笑顔で、配信を開始した。
「おい、テメーら、よく聞け♡ やるぞ♡ ボクに無条件協力しろ♡ この迷宮を完全制覇する♡」
『人殺しの笑顔』
『親の顔より視た邪悪』
『ブタにヒロイン力で負ける女』
あいも変わらず、クソみたいなコメントで盛り上がっている。だが、今は、粛清の時ではない。配信を力に、絆をパワーに変じる時である。
「これから、ボクたちは、配信者と視聴者、全員でマッピングする♡」
『は?』
『全視聴者、奴隷化計画』
『インクが切れたら、視聴者の血でマッピングする。
コレ、ミナトの常識ね』
どうやら、ボクの提案は大好評らしい。
早速、ボクは、説明を始める。
「これから、ボクは、別窓を使って同時に配信を開始する。その数は、48。
各配信に別れた視聴者は、全員、各々に割り当てられた迷宮の構造をマッピングしてボクに教えて欲しい」
『別窓の数、えぐいんだが(笑)』
『別窓でやるにしても、カメラはどうすんの? 床やら壁やらには貼り付け出来なかったと思うんだけど』
『氷の中の人間でも、掘り出せばいけんじゃね?』
『公式Vtuberは、たしかに、別窓同時配信出来るようになってるけど……たぶん、48個もカメラを呼び出せないと思うんですが……』
「安心しろ♡ 対策済みじゃ♡」
ボクは、自分の頭の横をとんとんと叩く。
『そもそも、なんで、48個?』
「コレ」
ボクは、血と汗の結晶とも言えるお手製マップを見せつける。
「ボクの作ったマップね。さっき、丸をつけた箇所が壁のある箇所。
暫く観察してて気づいたけど、天井が移動するのは壁のある場所のみ。つまり、迷宮が組み変わる場面をおさえるには、壁のある箇所を注視してれば良い。ココにカメラを置いておけば、常に迷宮の状態を把握出来る」
次いで、ボクは、マップが埋められていない箇所を指す。
「恐らく、ゴールはココ。
マッピングしながら疑問に思ってたんだけど、どこを進んでも壁に阻まれてゴールには辿り着けなかった。可能性として考えられるのは、迷宮の変形には幾つかのパターンがあって、ゴールに到達出来る迷宮はそのうちのひとつしかない」
『なるほど、壁で隠されてたってわけか』
「なので、ボクに残された道はひとつ」
ボクは、ニヤリと笑う。
「配信による視聴者投影型リアルタイムマッピング。
名付けて――」
画面に向かって、ボクは笑顔を向ける。
「配信型・伊能忠敬♡」