雨上がりの空に
ひとつの部屋があった。
こじんまりとした、小さな部屋だ。ピンク色の可愛らしい家具たちが並べられていた。勉強机と椅子、本棚、くまのぬいぐるみにベッドがある。
ベッドの脇には、コルクボードがあって、幾つかの写真が貼られていた。
その写真には、笑顔があふれていた。そこに映る少女たちは、笑ってピースサインを示している。
どこかで、オルゴールが鳴っていた。
ヨハネス・ブラームス――『眠りの精』。
静かに、静かに……子守唄が流れている。
照明にぶら下がるベッドメリー、白色のユニコーンが、音を鳴らしながら廻っている。窓の外から差し込んだ月光が、宵闇を照らしている。
ベッドには、ひとりの少女が腰を下ろしていた。
蒼色の瞳をもつ少女……光学虹彩で、目の色を変えている彼女は、海のような色合いに変化する虹彩をもっていた。
月明かりを浴びて、彼女の眼の色は、青みを帯びた白色に変じる。
項垂れた少女は、オルゴールを抱え込んでいた。
あたかも、赤ん坊を抱きかかえる母親のように。彼女は、小さなオルゴールを大事そうに抱えている。
「…………」
玩具みたいな腕時計……ボロボロで、ベルトの塗装が剥がれているソレを見下ろし、彼女は止まっている時間を確認する。
部屋に置かれているテレビに、ひとりの少女が映った。
『テメーの用意した理不尽ごと、なにもかも流し尽くしてやるよ♡』
映ったミナトを見つめて、少女は微笑を浮かべた。
「楽しそうだな」
ぽつりと、彼女は嬉しそうにつぶやく。
幾度も、幾度も、幾度も……オルゴールを撫でながら、少女は微笑む。
「ねぇ、楽しい……?」
凝縮された感情が、彼女の口端から漏れる。
「だいじょうぶ……だいじょうぶだよ……ぜんぶ、コレで良くなるから……私が……私が救ってみせるから……もう二度と……」
白色の光を浴びて、一粒の涙が輝いた。
「手を……離したりしないよ……」
ささやき声は、空気に溶けて、消え落ちる。
ジジ……と音を立てて、その部屋に波線が立った。次の瞬間、少女の姿は掻き消えて、ベッドの上にはオルゴールが残されている。
ただ、静かに。
子守唄は、流れ続けていた。
ぶっ壊れたエレキギターを持って、ボクは晴天を見上げる。
隠れていたプレイヤーたちは、破邪六相の特殊撃破を悟ったのか、影たちが出現しないことを知って歓声を上げる。暗いニュースばかりだったせいか、喜んでいる彼ら彼女らは、目に涙すらも浮かべていた。
『祝杯だ!!』と叫びながら、足下の温泉を飲んでいる輩もいて、ファイナル・エンドを感じる。
「ミナト卿」
聖罰騎士団を伴って、微笑を浮かべた団長が寄ってくる。
「我が目にも、卿の振った御旗が視えた。
まさか、誠に、単身でやってのけるとは……どうやって、あの影たちを討伐したのだ?」
「ロックンロールで」
「日本語で頼む」
「イカれたメンバーを紹介するぜ!!」
ボクは、背後に控えていたバンドメンバーを親指で指す。
「三味線のやべーヤツ!!」
金魚鉢を被った半裸の男が、右胸に彫った萌キャラを見せびらかしながら、空三味線を披露する。
「和太鼓のやべーヤツ!!」
金魚鉢を被った和服の女が、大量の泡を吐きながら、空和太鼓を披露する。
「尺八のやべーヤツ!!」
金魚鉢を被った巨漢が、ヘッドバンキングしながら、空尺八を披露する。
「そして、このボク、狂気のエレキギター、ミナトだ!! 初ライブで、ギター壊しちまったぜ!! FOO!!」
己を指差して、ボクは、ポーズを決める。
すかさず、三味線、和太鼓、尺八の三人組が寄り添ってきて、中央のボクを目立たせるように格好良くポージングする。
「FOO!! YEAH!! ロックンロール!!」
大声で叫んで、ボクは、壊れたエレキギターを掻き鳴らした。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……ふぅー、ぃぇー」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……いや、日本語で頼む」
配信を視ていたらしい団長に、ボクは、今回行った決死作戦を説明する。話を聞いていた彼女の顔が、徐々に『正気か、コイツ』という顔に変化していったので、なかなかに見応えがあった。
「なるほど、卿の執った作戦はわかった。
その上で、質問がある」
「ん? なによ?」
「……ロックンロール、必要だったか?」
ボクの全身に、電撃が奔る。
勢い良く振り向くと、金魚鉢を被ったメンバーたちは、ボクから目を逸らしている。あたかも、己の存在を否定するかのように。
「いや、ボクにとっては」
ふっと笑って、ボクは、メンバーに向かって親指を立てる。
「必要なライブだったぜ♡」
メンバーたちは、ぶわっと涙を浮かべて、嗚咽を漏らしながら楽器を立てた。ボクもまた、エレキギターを立てて彼らに応える。
そして、彼らは、無言で去っていった。
ボクは、笑顔で手を振って、彼らを見送り……姿が視えなくなったのを確認してから、表情を消した。
「ロックンロールは不要だったけど、あのレベルのやべーヤツを働かせるには必要な措置だった。正直、ロックンロールとか意味がわからん。デスゲームの最中に、金魚鉢被ってエアバンドとか、ファイナル・エンドは脳細胞すらも破壊するのか」
「急に、とつとつと、本音を語り始めたな……」
団長は、ボクに視線を向ける。
「それで、卿はこれからどうする?」
「温泉黄金郷を出るよ。この世界に、身内がひとりいる。その子の安否を確認してから、本格的に終着点を目指す」
「では」
ボクは、微笑を浮かべる。
「旗を振ってやるよ♡ ミナト印のやべー旗をな♡」
「……ありがとう」
「ただ、ボクは、アラン・スミシーをぶん殴りてーだけだ。命の危険を感じるようであれば、直ぐに旗を放り出して逃げるよ。この世界に閉じ込められた人間の命なんて、知ったこっちゃねーし」
「いいさ、それで。
だが、私が思うに――」
確信するかのように、団長は、ボクを見つめた。
「卿は、きっと、この世界の希望になる」
「ならねーよ、そんなうさんくせーもん♡」
ボクは、後ろ手を振って、その場を立ち去ろうとし――周囲の人々が、ボクへと敬意の視線を向けていることに気づいた。
「総員!!」
見計らったかのように、団長の大声が響き渡り、聖罰騎士団は鎧戸を持ち上げた。
「捧げろッ!!」
彼らは、一斉に、胸の前に剣を捧げた。
一糸乱れずに行われた美しい所作、列を為した騎士たちは、ボクへと己の矜持を掲げている。雨上がりの晴天の下で、立ち尽くす民衆たちは、恍惚とした視線をボクへと向ける。
ボクは、団長の狙いに気がつく。
わざわざ、この場に、聖罰騎士団を引き連れてきた意味。
コイツ――本当に、ボクのことを世界の希望に仕立て上げるつもりか。
「……テメー♡」
「ご武運を、ミナト卿」
うっすらと笑みを浮かべて、彼女はボクを見つめる。
その視線に中指を立ててから、ボクは、温泉黄金郷を後にした。
新作短編『絶対に後ろに立ちたいメリーさんVS絶対に後ろに立たれたくない殺し屋』を投稿しました。
作者ページの方にありますので、お暇があれば、ご一読頂ければ幸いです。
よろしくお願いいたします。