かつて、オルレアンの少女は神の声を聞いた
「声は出すな」
聞き覚えのある声が、耳元から聞こえる。
「悟られる」
薄暗い街の中、錫杖をもった影が徘徊していた。
彼らは、列を為して、金輪を鳴らしながら歩いている。膨大な数の隊列は、ぼそぼそと念仏を垂れ流していた。
夜の温泉街に響き渡る唱え言葉は、幾重にも反響して、ボクの耳に届いてくる。
「……おいコラ」
ボクは、手を振りほどく。
「お触りはNGだ♡」
「緊急時には赦される。
心肺蘇生法を知ってるか?」
手を離した団長は、いつもの無表情で、ボクに向き直る。
「なんだよ、また口説きに来たのか? 嫌だね、余裕のない女ってのは。性事情垂れ流してる深夜ラジオみてーないやらしさだよ」
「助けられた自覚もないとは恐れ入った」
「助けられた覚えはねーからな♡ あの変な影たちは『ハッピーハロウィーン♡』なんて言いながら、子供たちにお菓子配り歩いてる浮かれバカかもしれねーだろ♡」
「破邪六相だ」
破邪六相……この世界がこうなる前、つまりゲームが“現実化”する前段階で、ボクたちが戦っていたワールドボスだ。大規模イベントで実装された存在、金と時間を丹念に振りかけられたレイドボス。
「カウントダウンが終わってから、街にアレが徘徊し始めた」
「カウントダウン……?」
「卿は、憶えていないか? 破邪六相出現時にアナウンスされていただろう?」
――破邪六相は、静かに祈り始めた……破滅願いのカウントダウン!
思い出す。
そう言えば、そんなシステムメッセージが流れて『24:00:00』という表示が出てきた。確かに、アレは、24時間のカウントダウンを示していた。
「おいおい、嘘だろ……?」
ボクは、冷や汗を垂れ流す。
「あぁ」
団長は、静かに断言する。
「私たちは、ワールドボスの討伐に失敗した」
「おいおい、フザケてんじゃねーぞ……クソゲーが……まさか、あのカウントダウン……」
ボクは、引き攣った笑みを浮かべる。
「最初から、この事態を想定した上での制限時間だったのか……? ゲームで死んだら現実でも死にますなんて言われた後で……運営が設定した時間内に、あの無茶苦茶なボスを倒せって……?」
とんでもない理不尽に、喉から乾いた笑い声が漏れる。
「フザけんなよ、クソゲーが……」
――湊、この世界はね、正しい人間が正しく救われるようには作られていないの
粘りついている声が、ボクの耳朶を打った。
運営の嘲笑う声が聞こえてくる。幼い頃に視聴した人類の歴史を示した映像が、凄まじい勢いで早回しされていく。
誰も、なにも悪いことをしていないのに、唐突に現れた理不尽に殺されていく。さっきまで、笑っていた人たちが、駆逐されていく。
剣で、銃で、ミサイルで、原子爆弾で。
幼心に、その恐ろしい映像は、不可解なものとして映った。
『おかあさん、なんで?』
僕は、つぶやく。
『なんで、こんなことになるの?』
隣に座っていた母は、テレビ画面に釘付けになっている僕にささやく。
『湊、この世界はね』
痩せ細った母は、悲しそうに笑う。
『正しい人間が正しく救われるようには作られていないの』
僕は、あの時、なにを考えてい――肩を揺さぶられて、正気を取り戻す。
「どうした、大丈夫か?」
「…………」
湊に戻っていた僕は、ミナトとしてボクを取り戻す。
――この世界は、クソゲーだ
「……るか」
「なに?」
「認められるか」
ボクは、顔を上げる。
「認められるか、こんな世界」
団長の両目が、ゆっくりと見開いていく。ボクの顔を見つめているその双眼が、色を伴っていった。
彼女は、ボクの顔になにを見出したのか――
「あぁ、そうだな」
美しく笑った。
「あの影は、ボクの世界に目障りだ。
ブチのめしてやりてーんだけど、なんか情報もってたりする?♡」
「恐悦至極ながら、ブチのめすのは不可能だ」
団長は、苦笑してつぶやく。
「あの影には、ありとあらゆる攻撃が通じない。所謂、無敵状態。初日の犠牲者の大半は、あの影に殺された。
人間が街を出ようとすると、影たちが自動発生する。破邪六相は消えたが、我々は、あの影たちによって閉じ込められている」
「つまり?」
彼女は、正面から、ボクを見つめる。
「あの影は、倒せない」
ボクは、笑う。
真っ向から、理不尽を笑ってやった。
「なんだ、その程度か♡」
応じるように、団長は笑う。
この女性は、笑うと美人になる。キャラクターメイク失敗してるなとか思ったが、どうやら、それはボクの間違いだったらしい。
「助力は?」
「不要♡ そこらで寝てろ♡」
「だが――」
「要らねーんだよ♡」
ボクは、通りへと踏み出した。
「旗を振る少女は、ひとりしかいないだろ?」
見せてやるよ、理不尽。
「正しい人間が、正しく救われる姿をなァ♡」
気に食わないテメーごと、理不尽を捻じ伏せてやる。