旅立ちの夜
ボクは、座敷に布団を敷いて、先輩を寝かしつける。
「…………」
崩壊した壁の隙間から、綺麗な満月が覗いていた。
差し込んでいる月光は、眠り込んでいる先輩の顔を照らしている。寝息が殆ど聞こえないせいもあって、あたかも、死んでいるかのようだった。
「で、ミナトお姉ちゃん、本当に協力しないの?」
部屋の隅で、寝転がっていたエレノアに声をかけられる。
「たりのめぇよ♡
ボクには、ボクの帰りを健気に待ってるカワイイ幼馴染がいるの♡ 命をかなぐり捨ててまで、救いたい他人なんて存在しないね♡」
ボクは、苦笑する。
「救出がいつになるんだか知らないけど、それまでのんびりクソゲー観光でもするさ」
「とか言いながら、準備してるじゃん。嘘つき」
温泉饅頭をたらふく詰めた所持品を指して、エレノアはごもっともな指摘をしてくる。ゲーム世界なので、特に食事を摂取しなくても死ななかったが、長旅に備えて物資を補給していた。
「コラコラ♡ 勇み足で勘違いするのはよしてよね、ひとり暴力教団が♡ たったひとりで、世界の暴力指数を高みに導く唯一の存在が気安く口を開くな♡
ただ、知り合いを迎えに行くだけだよ」
「えっ!? もしかして、ミナトお姉ちゃんの奴隷!?」
「否定はしないが、どうして、ボクが迎えに行く対象が奴隷一択なんだよ♡ 普通、そこは恋人とかだろうが♡」
「だって、ミナトお姉ちゃん、そういう顔してるし……」
「誰の顔が奴隷商人だ、殺すぞ♡」
エレノアに、鼻で笑われる。ぶん殴ってやろうかと思ったが、死(真)が目に見えているのでやめておいた。
「エレノアも付いていってあげよっか? タイ語で『ありがとう』が言える案内人として、ミナトお姉ちゃんをサポートしてあげる!」
「タイ語で『ありがとう』が言える案内人の需要を甘く見積もりすぎてるね。お前の世界では、粗大ゴミを雇ったりするのか?
正直、肉盾を置いていくのは辛いんだけど、君には、重要な任務を頼みたいんだよね」
「人のことを肉盾呼ばわりするような畜生の言うことを聞くと思ってんの?」
「先輩のことを頼みたい」
多少は、ボクの真剣さが伝わったのか、彼女は思い悩むように顔を歪めた。寝かしつけられている先輩の方を振り返り、愛らしい声で唸っている。
「うーん、正直、エレノアとしては、ミナトお姉ちゃんに付いていって、エフェンシアの転職教会に戻りたいんだよね……たぶん、協会員の人たち、すんごく心配してると思うし」
ボクは、鼻で笑い返す。
「貴女様は、心配するに値しない膂力の持ち主でしょうが。
ゲーム内の接続は生きてるんだから、チャットで連絡をとればいいんじゃないの?」
「あのね、ミナトお姉ちゃん!」
腰に手を当てて、頬を膨らませたエレノアは、ボクに指を突きつけてくる。こういうアニメキャラっぽい仕草は、先輩によく似ていた。
「プレイヤーはプレイヤー、NPCはNPCとしかチャット出来ないんだよ! 一部のプレイヤーが、NPCに付き纏ったりその逆があったりしたら、他の人たちが困ったりしちゃうでしょ! ユニークNPC独占禁止法なの!」
納得のいく説明だった。
なにせ、ファイナル・エンドはVRMMOである。コンシューマゲームのように、ひとりのプレイヤーのために作られてはいない。誰かひとりがNPCやらイベントやら報酬やらを独り占めしないように、必要措置を講じておくのは当然と言えた。
「まぁ、例外はあるけどね。他プレイヤーとの接触が推奨されている場合だったりすれば、一定範囲内でチャット可能になったりするから」
「ふーん……なら、ボクが、エレノアちゃん協会員に君の無事を伝えるよ。必要だったら、ソイツらをココに連れてきても良いし」
「そこまで言うなら、仕方ないなぁ」
ため息を吐いて、エレノアは先輩を見下ろす。
「くぎゅーとは、家族みたいなものだしね。世界に愛とありがとうを伝えるかっぷんかー使いとしては、放っておくわけにもいかないか」
「どこの誰であろうとも、先輩には指一本触れさせるなよ♡ 先輩をクソの海に沈めるのは、ボクの役目だからな♡」
「まかせなさい! ひかえおろう!」
胸を張って、エレノアは、ボクにグーサインを向けてくる。
「ミナトお姉ちゃんには、サプライズを仕込んでおいたから! せいぜい、藻掻き頑張ると良いよ!」
「テメー、ボクになにしやがった……?」
「ふぁいと、ふぁいと!!」
拙い応援に、ボクは、笑顔を向けようとして……月が隠れたせいか、エレノアは、闇に沈んで表情が見えなくなる。
「ミナトお姉ちゃん」
下半分。
月下で、口元だけを出した彼女は、そっとささやく。
「死なないでね」
「こんなクソゲーで、死んでたまるか♡」
ボクは、彼女たちを残して旅館を出る。
円い月を見上げてから、ボクは、一歩目を踏み出そうとして――急に、手を引かれる。
「…………!」
ぬめる蛇のように、首に手が巻き付いてくる。咄嗟に出した肘鉄を防がれて、手早く、四肢を拘束される。
数秒足らずで、ボクは、暗がりへと引きずり込まれていった。