期限付きの終わり
「温泉黄金郷が、PVP領域になるって!? ど、どどどどうすんのよぉ!?」
「落ち着け♡」
大慌ての先輩の口を塞ぐと、彼女は、周囲をキョロキョロと見回した。
「ふぁ、ファイナル・エンドなのよ、ココ……! な、なにが絆の力よ、わざわざPVP領域に指定するなんて殺し合えって言ってるようなものじゃない……! 飢え死に寸前の集団に、一人分の食料を投げ込むようなものよ……!」
「あぁ、なるほど」
ボクは、納得が言って頷いた。
「聖罰騎士団は、運営が呼んだのか」
「はぁ!? なにそれ、どういうこと!? あのPK集団を運営が呼んだぁ!? なんで!? どうしてっ!? というか、なんでそうなるの!? アイツらは、ミナト目当てでやって来たんじゃないのっ!?」
掴みかかってきた先輩の頭を撫でながら、ボクは、思考をそのまま口にする。
「だったら、今までに、ボクは一度くらいは襲われてるでしょ♡
大っぴらにVtuberとして活動してて、殺せる機会なんて幾らでもあったんだ。ボク目当てのわけがない」
このゲームをプレイしていて、奴らの影も形も視たことがなかった。ボクを狙っているなら、少なくとも、一度くらいは接触して然るべきだろう。
「先輩が口にしてる通り、奴らの目的は“PK”だよ。プレイヤーを殺すこと。みんなと一緒に、ワールドボスを仲良く倒すなんて、道徳の授業に参加するわけがない。
奴らは事前に、運営から、温泉黄金郷がPVP領域に変わるって聞かされてたんだ」
「ちょ、ちょっと待ってよ!! それは、飛躍し過ぎてない!? アイツらのPKには、自治活動っていうお題目があるのよ!! だったら、イベントを統治しようと思うのは自然なんじゃないの!?」
「都合が良すぎるもん♡」
「は?」
指を唇に当てて、ボクは苦笑した。
「運営からのアナウンスが流れた瞬間に、まるで躾けられた犬みたいにアイツらは退散したでしょ?
猟犬は、狩り時を知ってるからこそ、退けるんだよ。獲物から血が滴ってれば、いつでも、追いかけて食い殺せる。肉の幻に食いつく程、アイツらは愚かじゃない」
顔面を白くした先輩は、目を白黒させながら、震えている唇を開いた。
「り、理解が追いつかないんだけど……そんなことして、運営になんのメリットがあるのよ? アイツらの異常さは視てたでしょ? イベントを無茶苦茶にされたら、せっかくの稼ぎ時を逃すことになるのよ?」
「…………」
――プレイヤーは、閉ざされた世界で、運営とGMに踊らされている
ボクは、ファイナル・エンドの開発者『アラン・スミシー』が、テレビで語っていた言葉を思い出す。
――湊、この世界はね、正しい人間が正しく救われるようには作られていないの
朧げな記憶の微笑みに、アラン・スミシーの蒼色の瞳が重なる。
――この世界は、クソゲーだ
「……嫌いな人間だ」
「え?」
ボクは、鼻で笑って、正面から先輩を殴りつける。
「ひぃん!!」
『NO DAMEGE』の文字列が、空中に表示される。確認を終えたボクは、ぽかんと口を開けて、こちらを見上げる先輩に微笑みかけた。
「とりあえず、まだ、PVP領域にはなってないみたいだね♡」
「手っ取り早いからって、あたしで確かめるのやめてよ!! 泣くわよ!! 簡単に泣くからね!! もう、泣いてるから!!」
「まぁ、とりあえず、ボクらがすべきことはふたつ♡」
笑って、ボクは、指を二本立てる。
「ひとつ、ワールドボスを撃退してイベントを成功させる♡
ふたつ、同時接続者数10万人を達成してVtuberとして成功する♡」
「…………」
「先輩、逃走するな♡ コレは、現実だぞ♡ ファイナル・エンドという名の現実だ♡」
涙目の先輩は、足元の温泉を蹴りつけて、駄々をこねる子供のようにこちらを睨みつける。そんなカワイイ態度をとられても、ボクはなにもできない。
「たぶん、ワールドボス登場と同時に、温泉黄金郷がPVP領域に変わるんだろうから……今のうちに、打てる手は打っておかないとね♡ イベントの準備、なにもできてないし♡」
「覚悟を決めるしかないか……開始時刻については、告知されてなかったわよね?
いつ何時、世界が終わるかもわからないんだから、今すぐにでも動きましょ――」
目の前が、真っ赤に染まる。
「きゃあっ♡」
「ちょっと!? え、なにっ!?」
プロらしく、カワイイ声を上げたボクに対して、先輩は甲高い悲鳴を上げる。
なにか、柔らかいモノに抱きつかれた。十中八九、先輩だったが、目の前が赤いのでなにも視えない。
「ば、バグ!? なにこれ、バグ!? ミナト!? これ、ミナト!? ミナトなの、これ!? コレもミナト!?」
「こら♡ どこ触ってんだ♡」
パニックを起こしている先輩に、全身を弄られていると――ブォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――鼓膜を打ち震わせるサイレン音。あまりの大音量に、身が跳ねて、背筋に鳥肌が立った。
「ちょ、ちょ、ちょっ!? な、なにがどうなってこうなってぇ!? こ、こわいんだけどぉ!? ミナトぉ!? ミナトミナトミナトぉおおおおお!?」
「的確に、マズいところを弄るな♡ わざとやってんのか♡ 絵面がやべーことになってるだろうが♡」
急に――音が止む。
訪れた静寂が、沈黙で耳を鳴らした。ひりつくような緊張感が、肌の表面に痺れを生み出して、視界が狭まっていく感覚を覚える。
赤色の画面が、ゆっくりと薄れていって……赤黒い文字が、染み出すようにして、眼前に浮かんだ。
Because I could not stop for Death――
He kindly stopped for me――
The Carriage held but just Ourselves――
And Immortality.
「なにが起こっ――」
影。
巨大な影が、すっぽりと、ボクたちを覆っている。
空を仰ぎ見ると、そこには、巨大な構造物が鎮座していた。温泉黄金郷を覆い尽くさんばかりの巨体が、緩慢に身体を揺らしながら、領域を舐め取るようにして進んでいく。
極大の人形。
鬼の面をつけた、無機質な巨躯。顔面に位置する箇所の周囲で、天狗、犬と狐、牛に狸のお面がくるくると回転している。あたかも、気分によって、顔を張り替えるようにして、六つの面が回り続けていた。
巨躯の像は、六つの腕をもっていた。
老婆、老翁、男性、女性、少女、少年……対角線上にある“手”は、その姿かたちで、年齢と性別を表している。六手は、仏像のように印相を結んでおり、老婆と老翁で転法輪印、男性は施無畏印、女性は与願印、少年と少女の手で禅定印を結んでいた。
巨大な像は、空を支配するかのように、宙空で留まって座禅を組んでいる。
数瞬の沈黙の後、巨像の胸の中心から、降魔印の形をした赤子の手が生え出てくる。
厳かに。
人差し指が、地面を、真っ直ぐに指して――音が消える。
奔流。
天から堕ちる光の奔流が、領域を埋め尽くして、なにもかもが消え失せた。両目が焼かれて、悲鳴を上げようとした喉が焦げ付く。真っ白な景色の只中で、五感が失せていって、徐々に意識が戻ってくる。
ぼんやりとした視界の中に、ポップ体の文字が踊った。
『ワールドボスが出現したよ! みんなで倒してね!』
「……おいおい」
座り込んで、壁に背を預けているボクは、消し飛んだ温泉街を前にして苦笑した。
「クソゲーかよ」