酸素供給・永久機関
目の前に聳える黄金御殿の内部は、ものの見事に水中に沈んでいた。
「潜っていくしかないわね……ミナトは、ファイナル・エンドの水中仕様はわかる?」
「ろくでもねーってことだけはわかる♡」
説明書を呼び出した先輩は、ボクの前にウィンドウを広げる。
ファイナル・エンドの水中仕様が、動画上で説明されていくが、特色のない内容で驚いた。そこらのゲームでも、採用されていそうなくらいだ。
「まず、視覚上に表示される青色のゲージが酸素ゲージね。このゲージがなくなるまでの間は、水中に潜っていられるから。
一回、潜ってみて」
息を大きく吸ってから、水中へと潜ってみる。
右上の視覚上に、確かに、青色のゲージが表示されてい――一瞬で、ゲージがなくなってボクは死んだ。
「…………」
「…………」
クロールで泳いできたボクは、先輩と合流を果たす。
「じゃあ、次に――」
「先輩、待って。待って、先輩。クソゲーに向き合おう」
「潜ったら、秒で死ぬクソゲーになにを向き合おうって言うのよォ!? この世界では、毎朝、人間が顔を洗う度に死んでるのォ!? トップニュースで『本日の洗顔死者数は600人を超えました』とか連日報道されてるのォ!? 教えてェ!?」
「う、うん……ごめんなさい……」
勢いに負けて、なぜか謝罪したボクは、説明書を読み直す。
「なるほど……酸素ゲージの総量は、耐久によって決まるみたい。戦士から素人に戻ったボクの耐久は『0』だから、酸素ゲージもあってないようなものってことだね♡ クソが♡」
「どうする? 戦士に転職してくる?」
「そうなった場合、ボクは、水底へと無限に落下することになる♡」
頭を抱えた先輩を浮き輪ごと回転させて、弄びながらボクは考える。
「……酸素供給しながら、泳ぐしかないかなぁ」
息を吸った先輩は、ぽちゃんと音を立てて水の中へと消えていく。戻ってきた彼女は、顔に貼り付いた髪を掻き上げながら言う。
「ダメ。酸素供給ポイント、御殿内部にはそれなりにしかない」
酸素供給ポイント……水底から生成される球形をした酸素のことである。プレイヤーは、そこに頭を突っ込んで、息を吸うことで酸素ゲージを回復できる。まぁ、どのゲームでも、よくある仕様だ。
「…………」
後ろから先輩に抱きついて、温泉に浮きながら説明書をめくる。
「……先輩って、酸素ゲージ量はどれくらい?」
「あたしの職業は『侍』だから、耐久はそんなにないけど……まぁ、普通のプレイヤーの二人分はあるんじゃない?」
「なら、簡単だ」
ボクは、先輩に微笑みかける。
「ふたりで、キスしながら潜れば良いんだよ」
硬直していた先輩は、急に顔を真っ赤にして――
「はぁ!?」
大声で叫んだ。
「ど、どどどどどういう意味!? なにがどうなって、あんたとキスしないといけないのよ!? わ、わわわわわけわかんないんだけど!?」
「だから、酸素供給だって」
ボクは、説明書を指で突きながら教える。
「ファイナル・エンドも、他のVRMMOと比べて例に漏れず、現実と同じように鼻口を用いた呼吸で酸素ゲージを回復するでしょ? プレイヤーの口から、酸素が漏れると、酸素ゲージが消失するとも書いてあるし。
漫画とかゲームで、よくあるみたいに、口と口で酸素を供給すれば良いじゃん……たぶん、このゲームの仕様で言えば、プレイヤー同士の口と口で供給し合えば、酸素供給の永久機関が完成すると思うよ?」
「ど、どっから、そんな発想出てくんのよ……!」
ボクは、自分の頭を人差し指で小突きながら微笑む。
微笑を浮かべたまま、ボクは、先輩に身を寄せた。
「というわけで、ちゅーしよ♡」
先輩の顔を両手で固定して、ゆっくりと唇を近づけると――片手で、顔面を押し止められる。
「だ、ダメッ!!」
「なんで?」
「な、なんでって……」
目を背けた先輩は、頬を染めたままつぶやく。
「あ、あんたとあたしは、そういう関係じゃないでしょ……?」
「そういう関係だったら良いの?♡」
「は、はぁ!? あ、あんた、一回、冷静になりなさいよ!!」
ボクは、彼女の肩に手を置いたまま嘆息を吐いた。
「あのね、先輩、コレはゲームだよゲーム。唇の感触が気になるなら、設定から触感の調節返却を切れば良いし、現実のボクも先輩も、本当にキスしてるわけじゃないんだから深刻に考える必要ないって。
攻略にかこつけた百合営業にもなるし、お互いにWin-Winじゃん?」
「あ、あんたはそうだろうけど……」
力なく、ボクの両肩を押して、距離を取ろうとする先輩は俯く。
「やっぱり……あたしは、こういうの……やだ……」
様子を見てから察して、ボクは、先輩から距離をとった。
「ごめん、ボク、マンチキンだから。ロールプレイに重きを置く人たちの気持ちって、いまいち、わかんないんだよね」
「いや、そういう意味じゃなくて……あのね、ミナト、あたし……」
「いいよいいよ、だいじょうぶ♡ オーケー、無理強いはしない♡ 別の手も、ないことはないし♡」
頭の中にあった『別の手』を、先輩の耳元でささやくと、彼女は思い切り顔を歪めた。
「ミナト……あんた……」
「ファンたちを泣かせてやるぜ♡」
ため息を吐いた先輩は、無言で潜水を開始した。