スク水、ロダン風味
「…………」
顔面蒼白の先輩が、頼りない足取りで戻ってくる。
「……このゲームは、おかしい」
「知ってた速報~♡」
ボクは、先輩がスク水を着て登場した時のコメントログを抜き出してきて、先輩の前に広げる。
『スク水は夏の季語、日本の風物詩、俺らの生まれてきた意味』
『画面が塩素まみれになった』
『スク水を着るために、生まれてきてんじゃねーぞ!!』
『は? 勝手に、俺のママにならないでくれる?』
『たすかりすぎて天に召された』
『オーギュスト・ロダン作と言われても頷ける造形』
『蝉が鳴いてる……(遺言)』
『僕、これ知ってる! ルーブル美術館に展示されてた!』
どんよりとした眼で、異常を捉えた先輩はささやく。
「……コイツらも、おかしい」
「異常×異常のサンドウィッチや~♡」
死んだ目の先輩は、復活待ち状態で、ぷかぷかと温泉に浮いている大量の死体を見つめる。
「ココ、都市領域よね……?」
「ファイナル・エンドと頭につけば、そこは地獄に化すとは有名な談でして……」
Tシャツの裾を縛って、おへそを見せながら、死体掃除をしている係員たちと目が合う。
「んべーっ!」
思い切り、あっかんべーをされてしまった。
「ていうか、ミナト、あんたってすごいのね」
「なにが?」
無防備に身体をくっつけてきて、髪を掻き上げた先輩は、手にもっている画面を見せてくる。
「ほら! 同時接続数! ランキングに載ってるわよ! あんたのチャンネル登録者数も、10万人突破してるし! 投げ銭だって、とんでもないことになってるわよ!」
先輩の言う通り、いつの間にか、チャンネル登録者数は10万人を突破していた。同時接続数も、ボクたちが黒マグロに乗って更衣室に突っ込んだ瞬間に3万人を超えていて、まとめサイトなどでも取り上げられている。
元々、AYAKAちゃんの例の配信以降、徐々にチャンネル登録者数は増えていた。今回の公式Vtuber所属発表もあり、バズ・マーケティングで一気に人気が上昇したのだろう。
「…………」
AYAKAちゃんのチャンネル登録者数も、増加傾向にある。以前のような誹謗中傷や嫌がらせの低評価は、何事もなかったかのように消え失せている。恐らく、クラウドたち運営による炎上対策によるものだ。
「結局のところ、個人はなにもできなかった……あの時と同じで……なにも……」
「ん? なにか言った?」
「なんでもなーい♡ ミナトちゃんが大人気で嬉しいよーって言ったの♡」
笑いかけると、先輩は、じっとこちらを見上げてくる。
真っ赤な髪の隙間から、無垢な両目が覗いている。桜色の唇が、なにかを言いたげに震えていて、その度に逡巡が繰り返されているようだった。
意を決したかのように、先輩は微笑した。
「あたしとあんたは、相棒なんだからね」
純粋さを宿した瞳が、真摯にボクを見つめる。
「あたしには、あんたの外側しか理解することはできない……でも、話を聞くくらいならできるわよ……だから、相談、してね?」
「…………」
「ね?」
観念したボクが頷くと、先輩は、無邪気な笑みをたたえて頭を撫でてくる。
「よしよし、えらいえら~い!」
その感触に――かつてを思い出す。
――えらくなくていいよ……湊は……えらくなくていいから……
思わず、僕は、その手を振り払っていた。
「…………あ」
驚愕で目を見開いている先輩、慌てて、僕はボクとしてミナトに舞い戻る。
「ご、ごっめぇ~ん♡ ボク、頭を撫でられるのはNGなんで~♡ というか、女の子に気安くタッチしたらダメでしょぉ~♡」
訝しむ先輩から離れて、ボクは、手元にウィンドウを広げる。
「というか、そういう先輩のチャンネル登録者数は何百万人になってんだ~? 大人気Vtuber様のお手並み拝――」
唐突に、横から衝撃。
吹っ飛んだボクは、水飛沫を上げながら倒れる。ボクのことを突き飛ばした先輩は、青白い顔で、こちらを見下ろしていた。
「そ、そんなキレなくても……?」
「あ……そ、その……ご、ごめ……ただ、ちょっと、は、恥ずかしくて! そ、そう! 恥ずかしいのよ、そういうの! チャンネル登録者数を見せるとか、じゅ、準備が必要じゃない? こ、心の! だ、だから、そ、そういうのやめて」
先輩の言う通り、チャンネル登録者数を隠そうとする人はそれなりにいる。登録者数が減少傾向にあったり、炎上中だったり、比べられるようなことをして欲しくなかったり……理由は、様々だ。
こちらに背を向けた先輩は、十指を細かく動かして――ボクの前に、先輩のチャンネルを広げる。
「……はい」
先輩のチャンネル登録者数は75万人……万単位で増えなければ、表示に反映されない筈なので、どうやら登録者数は大して増えていないようだ。
万単位で増え続けているボクと比べれば、人気の上昇が緩やかだと言えるので、後輩に対して、チャンネル登録者数を隠そうとするのも頷ける。
というか、ボク側の配慮が足りていなかった。
「み、ミナト、あ、あたし、実はね」
「いやいや、良いんですよ。配慮が足らず、申し訳ありませんでした」
「え? う、うん」
素直に謝罪すると、先輩は、息を吐いてからウィンドウを閉じる。
「で、とりあえず、これからどうします?」
「ミナトは、今回の大規模イベントの詳細って……知ってるわけないわよね」
「いぇーい♡」
横ピースで答えると、先輩はため息を吐く。
「それなら、まずは、この領域を俯瞰できる場所で作戦会議ね」
「っていうと?」
先輩は、真っ直ぐに、黄金色に輝く御殿を指差す。
「上るわよ、黄金御殿に」
嫌な予感に身震いしつつ、ボクは、先輩を浮き輪に乗せてバタ足で漕ぎ出した。