江戸時代、マグロのトロは捨てられていただと(ネット知識)……愚かなる人間どもめ!!
「…………」
「なんで、先輩、直ぐに死んでしまうん?」
ぐずりながら戻ってきた先輩は、手の甲でぐしぐしと目を擦る。
「そもそも、公式Vtuberって、配信中は無敵かかるんじゃなかった?」
「それ、ただの荒らし対策よ……死んでなんぼのゲームで、撮れ高なくすようなマネしてどうすんの……あたしは、わざと死んでるのよわざと……配信を盛り上げるために、先輩として、後輩に指導してるだけだから……」
『ぱねぇっす、先輩(笑)』
『自殺の指導をする先輩とか、この世に存在してていいのか……』
『ファイナル・エンド必須技能:自死』
『死ねば死ぬほど儲かる職業』
『自殺配信して食う飯は美味いか?』
赤い目で、コメント欄を睨みつけていた先輩は「ぅうー……うぅー……!」とまた唸り始める。犬歯が剥き出しになっていて、可愛かった。
コメントにビンタ(なんの意味もない)していた先輩は、急に配信を切ったかと思うと、真面目な顔でボクを見上げる。
「なんすか、神妙な顔して♡」
「あ、あのね、ちゃんと確認してなかったんだけど……」
下唇を噛んでから、先輩は、おずおずと切り出す。
「み、ミナトは、公式Vtuberなんてやりたくないのよね……?」
「たりめぇよ♡」
「だ、だったら、その、ミナトにとっては、大規模イベントの準備なんて必要ないでしょ……なんだか、あたしに付き合わせてるみたいで……わるいなって……ずっと……なんか、たすけてもらってる……感じだし……」
もじもじしている先輩は、身体を揺らしながらつぶやく。
「あ、あのねっ!」
勢いよく、ボクに詰め寄った先輩は、可愛らしい顔をぐっと近づけてくる。
「こ、ココまでで大丈夫よ!!」
気丈に笑った先輩は、腕を組んで踏ん反り返った。
「ま、まぁ~あ! あんたのこと、利用してやろっかなぁって思ってたけどぉ! なんていうか、あたしひとりで十分なのよねぇ~! あたし、大人気Vtuberだしぃ! 先輩力、とんでもないしぃ~! あんたがいなくても、なんとかなるって言うかぁ~!」
ちらちらと、ボクの反応を窺いながら、先輩は赤色の髪を掻き上げる。
「だから、あんた、ココで終わりにしときなさい! 先輩命令よ! だいじょうぶ! あたしひとりで10万人かき集めて、あんたとあたしの実績にしちゃうから! そうすれば、ミナトも人気が出て、公式Vtuberなんてやめられるでしょ!」
「…………」
「ほら、とっとと、ログアウトし――なんで、頭、撫でんのよっ!!」
「本当に、ファイナル・エンド・プレイヤーか……?」
ファイナル・エンドをプレイしている人間とは思えない聖人発言……ドン引きしながら、ボクは先輩の頭を撫でる。
「先輩、ボクのこと嫌いじゃなかったの……?」
「いや、嫌いよ。礼儀もなってないし、なにかと生意気だし、先輩に敬語も使えないなんて信じらんないわ。
でも」
先輩は、後ろ手を組んではにかむ。
「悪い子じゃないでしょ、あんた」
「ママ……」
「あんた、この外見に母性を覚えるってヤバいわよ!?」
ボクは、クソザコナメクジの癖に、絶大なる母性をもつ先輩に感動を覚える。今まで、クソみたいなプレイヤーとばかり会っていたせいか、なぜ、こんな人間がファイナル・エンドに囚われているのかと疑問に思った。
「いや、先輩、安心して欲しい。一応、ボクにも、公式Vtuberを続ける理由はあるから。ちょっと諸々事情があって、運営を利用してやらないといけなくてね。それまでは、ヤツらの犬として、しっぽを振るつもりなので。
それはそれとして、冒険の拠点は燃やす♡」
「『それはそれとして』で、片付けられない凶行よソレ」
嫌々、ボクが、公式Vtuberとして活動していると思っていたのだろう。ホッと、安堵の息を吐いた先輩は、ボクに向かって右手を差し出してくる。
「じゃあ、あたしたち……これからは、相棒ってことね」
微笑んだボクは、その右手を――思い切り、打ち払う。
「ファイナル・エンドに、握手なんて要素は存在しない♡」
「あんた、このゲームになにされたのよ!? ねぇっ!? なにされたら、そこまで歪んじゃうのよ!?
やっぱり、あたし、あんたとは相容れないわ!! 根本的に造りが異なる!!」
「こっちだって願い下げだ♡ 先輩の母性に溺れたら、ボクは、もうこのクソゲーをプレイできなくなる♡ 優しい現実を思わせる貴女が嫌いだ♡」
「戦争で母親を亡くした青年か、あんたは……?」
先輩とは、そもそもの性格が異なる。なぜか、先輩に対して、謎の“ズレ”のようなものを感じていた。
そのため、仲良しこよしとはいかないだろうが、お互いに許容し合うくらいで丁度良いのだろう。ボクも先輩も、公式Vtuberとしての活動を続ける必要があって、一緒にいるだけでもWin-Winなのだから詮索し合う必要はない。
なんで、先輩は、こんなクソゲーの公式Vtuberを続けようとしているのか……知ったら知ったで、面倒事に巻き込まれそうなので聞かないことにした。
「で、先輩」
改めて、先輩と連れ立って、入場口を抜ける。
水着姿のボクたちは、丸岩が敷かれた巨大な温泉湖に入る。足先を温泉に浸して、その温かさの中で棒立ちしていた。
「とりあえず、どうします? 一回、溺れときます?」
「『とりあえず、生』みたいな感覚で、人を殺そうとするんじゃないわよ。
あんた、御殿に頭から突き刺さって窒息死したことある……? あそこまで、恥ずかしくてバカげた死に方を、全国にネット配信したあたしの気持ち考えて発言して……?」
「ざーこ♡」
「よし、殴――ぎゃぁああああああああああああああああ!! ミナトぉおおおおおおおおおおおおおおお!! いやぁああああああああああああああああああああああ!!」
こちらに向かって、跳ね跳んでくるマグロ。視認した瞬間、トラウマ持ちの先輩は、ハイ・ジャンプしてひっしと抱きついてくる。
濡れたスク水が肌に張り付く感触と微妙に低い体温が、心地よい柔らかさと共に現実味をもって伝わってくる。クソゲーの癖に、五感の模倣は、他の神ゲーに負けず劣らずだった。
「マグロォ!! マグロ、いやァ!! マグロォ!!」
「先輩の腹しか視えねぇ♡」
器用にも、正面側の肩車状態で、ボクの顔面に抱き着いている先輩……かろうじて、視界の端に、打ち上げられてピチピチと跳ねているマグロが視え――
「あっ、やべぇ♡」
水面が揺れる。
振動が波となって伝わって、足元の波紋が大きくなってゆく。
遠くに視える黒い波。それは、大量のマグロによって作られた“魚群”だった。
大量のマグロ、マグロ、マグロ、マグロ……純黒の高波となって、凄まじい勢いで、こちらに突っ込んでくる。ビチビチビチビチ、跳ね跳ぶ音が、プロペラ音のように重なって聞こえる。
目を見開いたマグロの群れは、冷徹なまでに血に飢えていた。水面が泡立つほどの速さと質量、水中を掻き回しながらこちらに向かってくる。
「マグロ・ウェーブだぁああああああああああああああああああああ!!
皆、逃げ――」
こちらに泳いできたプレイヤーが、マグロ波に巻き込まれて一瞬で掻き消える。
「まーた、強制死にイベントかよ♡ 都市領域は、安全だなんて誰が言ったんですか♡ 運営の言葉なんて信じるな♡」
さっきまで、温泉湖で楽しく遊んでいたプレイヤーたちは、悲鳴を上げながら逃げ惑っている。彼/彼女らは、必死にこちらに泳いできていたが、たったの数瞬、マグロに呑まれて消えていった。
「ミナトぉおおおおおおおおおおおおおおお!! ミナトぉおおおおおおおおおおおおおおお!! ミナトぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」
ボクは、絶望感を前にして――笑った。