親愛なるキミへ
「通話を開始した途端に、盛大な嘔吐音を聞かされるとは思わなかった。
大丈夫?」
「ファイナル・エンドから離れすぎたせいで、クソ耐性が著しく下がっててね……正常な味覚で味わう代物じゃなかったよ」
沈黙。
通話口から聞こえる吐息が途絶えて、また再開する。
「確かに、私の家の外壁は壊れちゃってたけど……本当に大切なモノ……中にあった家具や写真には傷一つなかった……外壁なんて、情報を読み込み直せば、幾らでも復元できる……私に対する誹謗中傷は止んで、代わりに貴女への罵詈雑言ばかり流れるようになった……」
「刺激式爆薬変換の爆発は、対象に設定した目標物にのみ効果を発揮するんだよ。
指定した目標物は、キミの家の外壁と僕だけでした♡」
息を呑んだ妖華は、苦しそうに喘ぎながらささやく。
「なんで、私を救ったの?」
沈黙。
僕は、背もたれに身を預けて、天井を見上げた。
「ファイナル・エンドには、感情情報を読み取って、表情記録に変換する変換器が搭載されてるでしょ?
つまり、あの世界では、感情のままに表情が切り替わるんだよ」
ソーニャちゃんの泣き顔を思い出して、僕は苦笑する。
「あの世界では、感情に対して嘘がつけない。違和感はあったんだ。キミの言葉が全て正しいとは思えなかったし、僕のことを案内してくれたキミは楽しげに視えた。
僕と会った時、キミは、本当に嬉しそうに笑ってたよね」
鼻をつまんだ僕は、必死に灼熱・スプリンクラーを飲み干していく。
「敵視していた僕に会ったキミが、心から笑っていた理由がわからなかった……でも、キミの家を視てわかったよ」
昔々、PCに保存していた“画像”を画面共有で送信する。ソレを視た途端、妖華は、ひゅっと息を吸って黙り込んだ。
ソーニャちゃんに『ボクは、ココにいる』と宣言した配信、その配信にいたのは、たった3人のファンだった。
枢々紀ルフス、ソーニャ・スカトレフ。
「いつも、応援ありがとう♡ 久しぶりだね♡」
そして――
「AYAKAちゃん♡」
AYAKAこと御心・ファッキン・妖華。
僕のPCに仕舞い込まれていた画像は、ファイナル・エンド内に存在する妖華の家の中、鍵付きの部屋に飾られていた“絵”だった。
それは、僕と彼女以外には、誰が描かれているかもわからないような稚拙な絵だった。
でも、コレは、僕が初めてもらった“大切な絵”だ。
忘れるわけがない。忘れられるわけもない。
それには、疑いようもない愛があふれていた。僕みたいな底辺Vtuberの配信に来てくれたファンが、精魂込めて完成させた絵だった。
――投げ銭、投げられなくてごめんなさい
そんなコメントと共に、投稿されたその絵は、僕の魂に刻み込まれて大事に仕舞い込まれていた。妖華の家で、あの絵を視た瞬間に、僕は彼女を救おうと決めた。
彼女のためならば、全てを捨てても構わないと思った。
「ほんとーに、会えて嬉しいよ♡ こんなクソゲーの坩堝にはまって、イカれた配信者しててごめんねぇ♡ 時代に捕まったって言うのかなぁ♡ クソゲー神に見初められちゃったから、女神として君臨する他なかったんだよね♡」
「……で」
「ん?」
「なんでっ!!」
WebカメラがONになる。
地味目な女の子が、泣きながら、カメラ越しに僕へと叫んだ。
「なんで、そんなこと言えるのっ!! わ、私、ミナトちゃんに酷いことしたんだよっ!! お、脅したんだよ!! どうして、責めないの!? 助けるのっ!? なんで、そんな風に笑うのっ!?」
僕は、WebカメラをONにして、ひらひらと彼女に手を振った。
「だって、ボク、ミナトだもん♡」
唖然としたAYAKAちゃんは、無言で涙を流し続ける。
「可愛いファンが、ちょこっと間違えたって許しちゃう♡ ファンじゃないヤツが誤ったら殺しちゃう♡ そんな贔屓目をもってる可愛い女の子が、ミナトちゃんなのだ♡ 無問題♡ 無問題♡」
「そんな……そんな汚い絵……なんで……なんで、いつまでももってるの……下手くそで、才能の欠片もなくて……みんな、バカにしたのに……どうして……貴女は……ミナトちゃんは……」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった彼女は、嗚咽を上げながら顔を上げる。
「おぼえてるのよぉ……!」
「なに言ってるの」
ボクは、彼女に笑いかける。
「忘れるわけなんてない。最高の絵だよ。一生、ボクは、キミの絵を憶えてる。おばあちゃんになって、くたばる時にも、子供や孫にまで自慢しちゃう。こんな素晴らしい絵を描くファンがいたって。
だってね」
画面越し、ボクは、彼女の手に自分の手を重ねた。
「ボクは、キミの絵が大好きだから」
AYAKAちゃんは、堪えきれずに、両手で顔を覆った。
彼女は、泣きながら、何度も「ごめんなさい」と謝り続ける。過去の罪業を濯ぐようにして、彼女の口から言葉が漏れた。
「み、みんな、わ、私の絵、ば、バカにして……そ、そしたら、わ、私の絵を褒めてくれた、み、ミナトちゃんが、う、うそついて、バカに……バカにしてるんじゃないかって……ごめ、ごめんなさぃ……ほ、ほんとうは、わ、私、み、ミナトちゃんみたいに、な、なりたくて……い、いつのまにか、わ、私には、こ、コレしか……な、なくてぇ……ま、まもりたくて……み、ミナトちゃんは、す、すごいから……う、奪われちゃうかもって……こ、公式Vtuberじゃ、な、なくなったら……げ、現実みたいに、み、みんな、私の、ま、周りから、き、消えちゃうんじゃないかって……ご、ごめ、ごめんなさ……ご、ごめ……」
「ボクは許す♡ ボクは許す♡
でも、なんで、初心者戦争の時は、ボクのことを知らないフリをしてたの?」
「あんなの、ミナトちゃんのわけがないって思ってぇ……!」
「可及的速やかに、謝罪させてください♡」
ようやく泣き止んだ彼女に、ボクは別れの言葉を告げる。
「ボクは、コレで引退するよ」
「ダメッ!! そんなのダ――」
「キミには、120万人のファンがいるでしょーが♡」
ボクは、彼女に激励を送る。
「ボクの代わりに、たくさんの人を楽しませるんだぞ♡ でも、ファイナル・エンドはやめろ♡ あんなクソゲーやめたところで、ファンは、きっと、付いてきてくれるから♡ 頼むからやめろ♡ 大切なファンの心が壊れる♡ やめろ♡
本当にやめろ(真顔)」
「う、うん……」
「これからは、AYAKAちゃんの一ファンとして応援してるよ♡」
ボクは、大切なファンの輪郭を指でなぞって――微笑んだ。
「がんばれ、AYAKAちゃん」
「ミナトちゃ――」
通話を切って、彼女の連絡先を着信拒否に設定する。
「がんばれ」
僕は、ウィッグを外して、ミナトに別れを告げる。
「がんばれ、AYAKAちゃん」
天井に放り投げたウィッグが、宙空に蒼色の放物線を描き、役目を終えたかのようにゆっくりと落ちた。
一週間後、僕の元にソーニャちゃんから電話がかかってくる。
「URLを送りました!! 今直ぐ、リンク先に飛んでください!! 早くっ!!」
切羽詰まっている彼女に急かされて、僕は、慌ててリンク先に飛ぶ。
大手動画投稿サイトに飛んで、配信画面が映った。
そこにいたのは――御心・ファッキン・妖華――つまり、AYAKAちゃんだった。
「みんな、やっほー! 元気にしてたー? 最近、全然、配信できてなくてごめんねー! 急に大事なお知らせなんて、配信を始めちゃってびっくりしたよねー?」
嫌な予感がした。
思わず、僕は、腰を浮かせている。
「今日は、みんなに告白することがあります」
真剣な顔のAYAKAちゃんは、ゆっくりとささやいた。
「私、御心・ファッキン・妖華は、ファイナル・エンドというゲームの中で、公式Vtuberという立ち位置を守るために脅迫行為を行いました」
「バカ野郎ッ!!」
僕は、勢いよく立ち上がり、腕輪型端末からAYAKAちゃんに電話をかける。だが、繋がらない。
呼びかけ音はそのままに、焦燥感だけが大きくなっていく。
「以前から、そういった噂が立っていたとは思いますが、実際に私が行った脅迫行為は一件のみです。Vtuberのミナトさんに対して、私は『このゲームをやめないと危害を加える』と将来的に害悪を加える意思を示しました」
僕は、扉に身体を叩きつけて部屋の外に出る。
腕輪型端末からは、彼女の告白配信が流れ続けていた。
「先日、配信中のミナトさんに、ゲーム内の私の家が燃やされるという出来事がありました。でも、被害は一切ありません。彼女は、私を守るために、罪をかぶって悪人のフリをしただけなんです。
繰り返します。被害は一切ありません。全て、彼女が、私を守るためにやったことです」
玄関に辿り着いた僕は、靴に足を突っ込んで玄関扉を押し開ける。
「私は……怖かった。自分に才能があると感じたことはありません。公式Vtuberの座を追われれば、ファンが離れると思っていました。ゲーム内で築き上げたファンとの思い出が、消えると思い込んでいました」
走る。
走る、走る、走る。
喉が引き攣って、脇腹が痛くなっても、僕は必死に走り続ける。
「でも、ようやく、わかったんです」
泣きながら、AYAKAちゃんは微笑んだ。
「あの女性は、私のあんな汚い絵を憶えててくれた」
足がもつれて、転ぶ。顔面を地面に叩きつけて、鼻から血がこぼれ落ちる。大量の血を吹き出しながら、立ち上がって走り始める。
「たったひとりでも……たったひとりでも……私のことを求めてくれる人が……愛してくれる人がいるなら……私は、きっと、がんばれる……人気なんてどうでもいい……私は、あの女性みたいに正しくありたい……笑って、配信を続けたい……」
「湊!?」
僕は、腕を掴まれる。
振り返ると、眉をひそめている葵が立っていた。
汗だくになって、鼻から血を流している僕は、突っ立っている彼女を見つめる。
「どこに行くつもり……?」
「どこに行くつもりって!! それはっ!!」
僕は、叫んで、全身の力が抜け落ちる。
「それは……」
どこかで、配信を続けているAYAKAちゃんは笑っていた。
「久しぶりに、絵を描きました」
綺麗な涙を流しながら、笑い続ける彼女は、そっと画面に一枚の絵を見せた。
それは、上手いとは言い難い絵だった。大多数が苦笑するような線の引き方で、パースもなにもあったものではない。
だが、僕にはわかる。僕にだけはわかる。
へにゃへにゃの線で、描かれたミナトが、満面の笑みで僕を見つめて――込み上げてきた感情が、僕の胸を衝き上げる。
「ミナトちゃん」
泣きながら笑った彼女は、ささやく。
「だいすき」
配信が終了して、大量の誹謗中傷が画面を埋め尽くす。
その中には、彼女の絵が下手くそだとか、汚いだとか、才能がないだとか、散々に言う奴らがたくさんいた。
立ち尽くした僕は、ただ、その画面を見つめ続け――渾身の力で、壁を殴りつける。
拳が割れて、肉が覗いて、ドロドロと血が流れ始める。激痛を覚えている筈なのに、胸に感じている痛みが薄れることはない。
「ちくしょう……!」
顔を伏せた僕は、壁に縋るようにして崩れ落ちる。
「ちく……しょう……」
座り込んだ僕を包み込んで、葵は、ゆっくりと僕の背を叩く。
その温かさの中で――僕は、静かに、呻き続けていた。
この話にて、第ニ章は終了となります。
ここまで読んで頂き、本当にありがとうございました。
次話より第三章となりますが、引き続きお読み頂ければ幸いです。