音楽の力
豚浪士の持つ一軒家の中で、ボクたちは、御心・ファッキン・妖華を待ち望む。
住宅領域は、区画で分けられており、第一区から十三区まで設けられている。
第一区からは、遺城がよく視えて、第六区では定期的に催し物が行われるので土地価が高い。時折、ゲーム内のオークションで売りに出されているが、1000万ルクスという法外な値段で落札されていた。
当然、そこまでの大金を用意出来るプレイヤーは少ないので、冒険者協会を結成して冒険の拠点を建てるか、月ごとに金銭を払うシステムの共有居住圏に住んでいるプレイヤーが多い。
「豚浪士、金、もってんねぇ!!」
豚浪士は、人気の第六区に一軒家を建てていた。
屋根も外壁も窓もドアもカスタマイズされており、それぞれに装飾まで施されていた。照明の色は蒼色で、自作絵らしいボクのタペストリーが飾られ、壁にはボクの配信が無限に流され続けている。
「……なんか、この家、臭くなぁい?♡」
「ぶひぃ!! ぶひぃ!!(素振り)」
豚小屋に敬意を払って、ファンサしていると、訓練されたミナト・ファンがコメントで妖華の接近を教えてくれた。
「来ましたね!」
窓から外を覗いた豚浪士の頭に顎を置き、ボクは窓の外を見遣る。
召喚獣を引き連れた妖華は、楽しげに喋りながら、各プレイヤーの建てた家を紹介しているようだった。
彼女の両隣には、見慣れない鎧がふたり。犬と猫を模した兜を身につけて、全身を重厚な鎧で覆ったプレイヤーが彼女を挟んでいる。
「豚目!!」
豚浪士は、一軒家の中にあった星型の望遠鏡を手に取る。ボクの頭を弾き飛ばしながら、引き寄せて覗き込む。
「あの鎧の二人組、我々よりも強いですな……単純なレベル差ではありますが……やはり、都市領域外で襲うのは無理筋……しかし、配信中の妖華には無敵がかかっている……ううむ、厳しい……」
「どれどれ♡」
ボクは、星型望遠鏡を勢いよく回転させ、豚浪士の頭を弾き飛ばす。倒れたところを蹴り上げて、彼女を足台にして望遠鏡を覗き込んだ。
レンズを通して視ると、犬と猫のプレイヤーのレベルが浮かび上がってくる。
犬の方がレベル60、猫の方がレベル65だった。
「ファイナル・エンドって、最高で何レベルまで上がるの?」
「無量大数」
「OK、クソゲー。
消費者庁の通報窓口を教えて」
誰も最大レベルを知らないゲームが、この世に存在していることに恐怖を感じる。
「やはり、妖華と正面から戦うのは無謀のようで……どうします?」
「ミナト・アイ!!」
ボクは、右手と左手を横ピースの形で構えて、人差し指と中指の間から犬猫コンビを両目で捉える。
「クソゲー臭が薄い……あの二人組、正気だね……♡」
「目玉で臭いを嗅ぎ取るのが、クソゲー王たる証」
「やめろ♡ クソゲーという言葉で人は死ぬぞ♡」
ボクは、匍匐前進で豚浪士宅の庭へと這い出る。
彼女の庭には、先程、ボクがガチャで引き当てた『スピーカー(大) R&L』が堂々たる姿で鎮座していた。
その大きさは、異常としか言えない。なにせ、豚浪士の家の4分の1くらいはある。RとLで、一軒家の2分の1サイズだ。家の中に入れるには、壁を破壊しなければならないので、庭に置く他なかった。
スピーカー(大)の後ろに隠れてから、ボクは、豚浪士に策を授ける。
「く、異常者……!」
「あんまり、褒めるなよ♡ その歳で死にたくないだろ♡」
妖華殺しを為すために、ログアウトした豚浪士は姿を消した。
ボクは、スピーカー(大)の後ろに隠れたまま、用意を整えるために一度ログアウトする。現実世界で、ソーニャちゃんからの“プレゼント”を手にして、ファイナル・エンド世界に取り込んでから再接続する。
丁度、妖華は、豚浪士の家の前を通るところだった。
ボクは、妖華に場所を探られないために、切っていた配信をONにして準備を整える。
「は~い! それじゃあ、今日の配信は、ココま――」
「御心・ファッキン・妖華ァ!! ちゃぁん!!(日曜18:30の挨拶)」
ボクは、スピーカー(大)の背後から姿を現す。犬猫コンビが素早く反応して、妖華のことを背後に隠した。
「……久しぶり、ミナトちゃん」
「そんなに警戒しないでよ♡ ボクはね、平和主義者なの♡ ガンジーの名前を100回も音読したことがある♡ 心根が優しいからかな♡ あまりにも優しすぎて、構いすぎた小動物を殺しちゃうタイプ♡」
「散々、私のことを脅しておいて、なに言ってるの? もう、これ以上、嫌がらせはやめてよ!」
被害者面の上手い妖華は、演技派らしく涙さえも滲ませて叫んだ。
ボクは、その笑顔を前にして、目を伏せた。
「本当にごめん……ボク、反省したんだ……自分で自分を叱ってたんだよ……コレも自演って言うのかな……キミみたいに泣きながら配信して、自演でお金稼げば良かった……ボク、優しいから商才ないんだよね……」
妖華の顔が、ハッキリと歪んだ。ボクは、ニヤリと笑う。
「ごめんねぇ♡ 泣かせちゃったぁ?♡ 涙で化粧が剥がれちゃったかなぁ?♡」
「お前……!」
犬猫コンビが、無言で武器を抜いた。どうやら、本人の代わりに暴力をもって、ボクを黙らせるつもりらしい。
「やぁん♡ こわぁい♡ その動き、VRMMO熟練者ぁ?」
二人組は、ジリジリとボクへと迫る。
「良い機会だから、教えてあげるね」
ボクは、ウィンドウを呼び出して――
「ココは、地獄だぞ♡」
音量をMAXにした。
爆発、否、爆音。
スピーカー(大)が跳ねるようにして、大音響を爆裂させる。
音量を一気にMAXにしたことによって、炸裂した音の弾丸。猛烈な勢いで吐き出された音の波は、正面から歩いてきた犬猫へと、明朗で美しく研ぎ澄まされた“音楽”をぶち撒ける。
それは、狂気の楽譜《K.∞》だった。
モーツァルトの音楽にクソを塗りたくり、バッハの音符を破壊し尽くして、ベートーヴェンの崇高なる精神に唾を吐き捨てる……音楽の権威たる各々を、頭を掻きむしりながら、拳銃自殺へと導くに値する“音”であった。
その才能を遺憾なく発揮した作曲者の名は――ソーニャ・スカトレフ。
我が家に置き去りにしていった楽譜の枚数、実に3500枚。
時に人の熱意は、人の心臓を止める。
彼女の生涯をもって作り出したる傑作は、容易に人間の精神を殺した。耳を通して心を破壊し、脳を撹拌して液状化させ、視界に映る世界を反転させる。
彼女の曲を聞けば、誰もが、一瞬で精神旅行する。正しい意味でのドラッグ・ソング、または、サイケデリック・ミュージック。
そう、それは、人間を殺す“芸術”である。
曲名――『ミナトちゃんちゃんこ』。
なぜ、相撲部屋に流れそうな曲名にしたのか、素人がやりがちな題名をシャレにした方がセンスがあると見做されるだろうという錯覚なのか……少なくとも、相撲界は、この曲を八十三番目の決まり手としては認めないだろう。
クソ耐性のあるボクでさえも、封印指定したこの曲を“まともな人間”が聞いて、タダで済むわけがない。
音楽によって、弾け飛んだ犬猫コンビは――
「おぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
「あっ(即死)」
即座に、精神離脱を選んだ。
多少は、クソ耐性のある妖華は、両耳を塞いで芋虫みたいに地面に丸まった。その顔は、苦渋で歪んでいて、ボクはノリノリでスピーカー(大)を操作する。
「リズミカル♡」
ボクは、LとRを片方ずつ無音にする。
「ウェーブ♡」
音量を小から大まで、波のように切り替えて新鮮味を演出する。
「MAD MAX♡」
自分の配信画面を大量に呼び出して、妖華の周囲に展開させて、多方向から音の波を浴びせる。
「ぐっ……うぎっ……!」
ログインし直した豚浪士は、住宅領域の広場から妖華の背後をとって――
「ボールをゴールにシューッ!!」
彼女のことを蹴飛ばした。
NO DAMAGE!!
丸まった状態で、宙を飛んだ御心・ファッキン・妖華は、無防備な状態でスピーカー(大)の前へと飛んできて――ボクは、心優しい彼女を思い出す。
――『素人』は罠職だよ
ゆっくりと、涙がボクの頬をつたう。
――目の前にあるのが、遺城だね
彼女は、ボクに優しくしてくれた。
――ミナトちゃん、コメント、おもしろ~い!
友達になれると思った。
――おすすめ職業は、『戦士』だよ!
もしかしたら、仲良く、コラボ配信していたかもしれない。
涙を流しているボクは、歪んだ顔の妖華と目が合った。彼女は、ボクに助けを求めていて、恐怖で顔面が引き攣っている。
だから、ボクは、ささやく。
「妖華ちゃん……」
「ミナトちゃん……」
安堵した顔つきの彼女と心が通じ合い、ボクは彼女に微笑みかけて――
「それはそれとして」
至近距離から、曲を叩きつける。
「死ねやクソがぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
凄まじい勢いで、錐揉みしながら吹き飛んでいった妖華は、遠い空の彼方で消滅した。