ソーニャ・スカトレフ襲来
『ミナトちゃん、妖華ちゃんと戦争するんですかぁ?』
スピーカー越しに聞こえてくる枢々紀ルフスの特徴的な声。
疲れ切っていた僕は、ゲーミングチェアの上でため息を吐いた。
「まーね。平和主義者の僕の火蓋を切るとは、あの女、なかなかに煽り能力が高いよ。
前世は、うちわかな?」
『こっちで、潰しておきますぅ?』
チャンネル登録者数350万人超……御心・ファッキン・妖華にトリプルスコアを付けている彼女は、平然とそんな凶悪なことを宣う。実際、ルフスが妖華の手順を真似れば、彼女を終わらせるのは簡単だろう。
「こらこら♡ 子供の喧嘩に、保護者が出てきちゃダメでしょ♡」
『やぁん♡ 自然にママ扱いは嬉しぃ♡』
「おぎゃあおぎゃあ(今週の生活費、振り込め)」
『やぁん♡ 生まれ落ちた瞬間に、扶養を金銭で求めてくるぅ♡』
いつものファンサービスをしてから、僕は本題に入ることにした。
「ルフスちゃん、ファイナル・エンドでGMに会ったことある?」
『現実で、そのゲームの名前は出さない方が良いですよ』
ゲーム界のヴォルデ○ートか?
『うーん、ルフスはファイナル・エンドをやるとイメージが悪くなるから、プレイしてるわけではないんだけど……なにかあったの?』
「なんか、僕と同じ顔をしたGMがいたんだよね」
唐突に、耳下音響装置から流れていた音が掻き消える。人の気配が消えたというか、存在感が失せたというか、繋がりが断ち切れた感じがした。
「あれ? もしもーし? もしもし?」
回線が切れたのかと思って、僕は慌てて、何度も呼びかける。
『……ミナトちゃんは、そのアバター、どうやって作ったんだっけ?』
「いや、夢で出てきた姿を、そのまま模写しただけだけど……萌豚なら、僕の配信で何度も聞いたことある話でしょ?」
『うんうん、知ってる知ってるぅ! 確認しただけでぇす!
たぶん、自分の姿を見つめ直せとか、そういう反省の機会を与えるために、プレイヤーの姿を真似たんじゃないかなぁ?』
「あーなるほど、確かに、それなら納得がいくわ」
ファイナル・エンドにしては、まともな措置をとってくるなぁとは思いつつ、納得がいって頷いた。
「でも、あのGM、なんか変なことも言っ――」
チャイムの音が響き渡る。
「ごめん、ルフスちゃん、誰か来たから通話切るね」
『はぁ~い♡ また、じゃんじゃん、お金、むしり取ってくださいねぇ♡』
相変わらず、闇が深すぎる彼女との通話を切断する。
階下に下りていき、僕は、画面に移るその姿を視て――
「ぐべぇっ!!」
思わず、汚い声を上げてしまう。
しきりに、前髪を気にしているソーニャ・スカトレフは、あまりに美しい顔立ちを画面に向けていた。
緊張で両手をぎゅっと握り込み、上目遣いでこちらを見つめる彼女は、可愛いとしか言えなかったが……その中身は、魔人だった。
「…………」
僕は、ゆっくりと、画面から離れ――ピンポーン。
「お客さんですから、とっとと出てくれませんか」
二度目のピンポンを鳴らしたのは、麗しの幼馴染だった。いつもの鋭い目つきで、こちらを睨んでいる柚浅葵は、庶民的な買い物袋をぶら下げて、こちらの居留守を見抜ききっていた。
「あ、あの……す、すみません……」
「大丈夫。あの人、人見知りだから。私が鳴らせば、直ぐに出てきますから。
東陽日輪女学院だよね? 初等科?」
「は、はい……そ、そうです……」
「可愛い制服だね」
微笑んだ葵に、俯いたソーニャちゃんは、こくりとうなずきを返す。
そんな心温まる光景を前にして、僕は、裏口から脱出を図ろうとしていたが、三度目のピンポンにビビって画面に向き直る。
「はい、居留守ですが……」
「貴方の名字は、居留守なんて珍しいモノではなくて、白亜の筈ですが。
早く開けてください。重いので」
覚悟を決めた僕は、仕方なく、重い玄関扉を開けた。
「は、は~い、葵ちゃん、いらっしゃ~い!」
「貴方、家の中でも女装してるんですか? 違和感を感じなくなってる自分に、嫌気が差してくるのでやめてください。
ほら、お客さんですよ」
「み、ミナトちゃん!!」
とんでもない大声で、顔を真っ赤にしたソーニャちゃんが叫んだ。目を丸くしている葵の横から、ずいっと身体を前に出して、アピールしてくる。
「せ、戦争の準備をしましょう!! あ、あの女性、ぎ、ギッタンギッタンのボッコンボッコンにしましょうっ!!」
「は? 戦争?」
「い、いやいやいや!! ソーニャちゃん、なぁにを言ってるのかなぁ!? ゲームと現実の区別もつかないガキは、焼却処分されるって法律知ってるよねぇ!? 刑法にも、クソガキ即火炙りって、ちゃぁんと書いてあるよぉ!?」
「貴方、どこの地獄に住んでるんですか?」
僕は、葵の手を引っ張って、廊下の奥にまで連れ込む。
「……あの子、湊の知り合い? いつから、小学生に手を出すような男に変化したんですか、クレイジー・ボーイ」
皮肉気に笑む葵は、髪を掻き上げて、ピアスを付けた耳を露出させる。珍しく、手を握ったままなのに文句を言ってこなかった。
「耳、貸して」
廊下の奥の暗がりで、葵は身を寄せてくる。
嗅ぎ慣れた、シャンプーの良い匂い。イタズラ心に突き動かされて、思わず、僕は彼女の耳に「ふーっ」と息を吹きかける。
「…………ッ!」
「いだいいだいっ!! 的確にスネを蹴るのはやめてください!! 骨が!! 骨が砕け割れる!!」
「次、やったら殺しますよ」
耳を赤くした葵の殺意を恐れて、僕は、きちんと経緯を彼女の耳に吹き込む(多少の改ざんも有り)。
「……意味がわからないんですが」
「だろうね」
「まず、『ぶひぃ!! ぶひぃ!!(素振り)』のくだりですが」
「そこは、100年かけても、葵には理解できない箇所だから諦めて。正直、僕にも理解できない。頭丸ごと、深淵に突っ込んでる人間の所業だよ」
「まぁ、貴方の言うことだから信じますが」
意味がわからないのに、信じるんかーい!! 相変わらず、態度には表れないのに僕にはゲロ甘だな!!
「気持ちはわかりますが、話くらいは聞いてあげたらどうですか? ゲームの話はよくわかりませんが、あの子にも言い分があるだろうし。あんまり、女の子の気持ちを無下にするのはどうかと思う」
「いや、まぁ、ねぇ……」
もじもじと、こちらを窺いながら、玄関に立ち尽くしているソーニャちゃんを見つめる。今日は、なにを用意してきたのか、両手で重そうな旅行かばんを抱えていて、あのまま立ちっぱなしにさせるのも気が咎めた。
「夕飯は、適当にこっちで作っておきますから」
市販のエプロンを身に着けて、髪を縛った葵は平板な口調でつぶやく。
「どうするかは、貴方が選んでください。私は、貴方の意思を尊重するので。追い返したところで、特に思うところはありませんよ」
「葵ちゃ~ん! ずぎぃ~!」
「私は、嫌いです」
泣きつこうとした僕に微笑みかけて、葵はキッチンへと消える。
幼馴染の心の籠もったアドバイスを受けて、僕はソーニャちゃんの元へと向かった。さすがに、追い返したりはしない。葵だって、そのことをわかっているから『貴方が選んでください』なんて言ったんだ。
僕にも、善心はある。
こんな風に、僕の家に尋ねてきちゃった困ったちゃんではあるが、彼女はまだ小さな子供だ。大人である僕が保護するべき存在だ。高嶺の花が手折られないように、丹精込めて、水をやらなければならない。
なるべく、優しく迎え入れてあげよう。
微笑んだ僕は、慈愛を籠めて、ソーニャちゃんに声をかける。
「久しぶりだね、ソーニャちゃん。また、会えて嬉しいよ。
ほら、上がって。まずは、その重い荷物を下ろしてもらってから話を聞くよ」
「あ、あの! ミナトちゃん!! 私、今日は!!」
「うんうん」
「ミナトちゃんの家に、泊まりに来たんで――」
僕は、ソーニャちゃんの背をそっと押して、外に追い出してから鍵をかけた。