ボクとキミの戦い
視界が――狭まる。
「はっ……はっ、はっ、はっ……!」
「ミナトくん!! ミナトくんっ!!」
岩陰に隠れて、ボクは短い呼吸を繰り返した。
押さえている脇腹から、赤色の血液が、だくだくと溢れ続けている。頭は熱いのに、そこから下が冷たかった。臓腑の底から湧き上がる恐怖心が、足から根を生やして、その場に釘付けにしている。
「…………」
呼吸を止める。
意を決して、岩陰から飛び出そうとし――
「ココか」
岩石の上半分が、切り飛ばされた。
「……ッ!?」
髪の毛が、数本、宙空を舞った。
咄嗟に、首を曲げたボクは、反転しつつ空中で掴んだ礫を飛ばす。レアは、無造作に、それらを叩き落として笑う。
「どうした、急に。随分と口が重くなったようだが」
視界から、レアが消える。
死角、右側。
ボクの潰された右の目玉、その死角に滑り込んだレアは、スライドした勢いのまま剣閃を放った。
「ぐっ……おっ……!!」
右腕で受ける。
手首から先が、吹っ飛んだ。
経験したことのない激痛、口から悲鳴が迸り、吹き出た鮮血が辺りを赤色に染める。下段から上段、上段から下段。切り上げてからの切り下ろし、無造作に放たれたその二刃、ボクの右股から下が失せる。
「て、テメェ……クソ……」
片足を失くしたボクは、這いずりながら、レアを見上げる。
「ゲーム……上手いじゃねぇか……!」
「当たり前だろ。わたしは、開発者だ。ひととおりのことは出来るし、まだ発見されていないキャラクターコントロールも身に着けてる。着地の瞬間に突進しつつ、視点を左右方向に向ければ、最速で横方向へのスライド移動が可能になる」
目の前で、軽く跳ねたレアが、次の瞬間には視界から消え失せる。
ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ。
音だけが聞こえて、また、レアが目の前に現れた。
「突進中に、ウィンドウを開いて他職業に転職すれば、突進のスキル効果が失せて強烈な停止がかかる。他にも、テクニックはあるぞ。
例えば」
ピ、ピピピピピピピピピピ!!
凄まじい勢いで、ウィンドウを開閉しながら、動けない筈の戦士は、悠々と前方向に歩いた。
「転職と転職キャンセルだ。転職して、戦士じゃない時に歩いている。多少はコツがいるがな、ウィンドウ操作に慣れていればどうとでもなる」
「しょ、職業は固定して『一対一』じゃねーのかよ……」
「誰がそんなことを言った」
苦笑して、レアは、長剣を振りかぶる。
「確かに、戦闘が始まる前に、わたしはわざわざ『戦士に転職しても良いか?』と君に尋ねた。ただ、尋ねただけだ。誰もルールなんて決めていない。戦闘中に転職してはいけないなんて、君とわたしの間で、定義付けは行われたのか?」
「わ、わざと、ボクに意識付けするために……聞きやがったな……め、目の前で、あからさまに戦士なんぞに転職するから……ゆ、油断し――ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
肩に剣先が突き刺さり、ボクは泣き声を上げる。
現実であれば、とっくの昔に、出血多量で死んでいる。血のプールの中で、びちゃびちゃと、跳ね回りながらボクは叫び続けている。脳髄を焦がさんばかりの痛みが、喉がひりついてもなお、絶叫を上げさせていた。
「やめてっ!! お願い、お姉ちゃん、やめてっ!!」
泣きながら、シャルは、大声を張り上げる。
虫の標本のように、地面に縫い付けられたボクを他所に。
満面の笑みで、レアは妹を振り返った。
「わかった。シャル、お前がそこまで言うならやめよう。でも、お姉ちゃんのお願いも聞いて欲しい。この世界をシャルの理想の世界にして欲しいんだ。ミナトの脳を使ってね。そうしてくれるなら、直ぐにでもミナトを解放するよ」
「シャル、聞くなッ!! 最初から、そのつもりだったから、この勝負を呑んだんだっ!! この痛みも血も現実性も!! 全部、シャル、お前を脅すためのも――ぃっ!?」
左指を五本、ぶった切られて、ボクの全身が跳ねる。
わかりやすい残虐表現、コレが、シャルに最も効く。だからこそ、レアは、ボクをなぶり続けている。
「うっ……うぶっ……う、うぅ……!!」
口を押さえたシャルは、号泣しながら首を振る。
レアは、ニコニコと笑いながら、ボクの首に刃先を突き刺した。
ぷつっと、赤い点が滲む。
どろどろと、血が流れ出して、シャルは嗚咽を上げた。
「いや、しかし、良く耐える。驚いたな。死んだ方がマシな痛みの筈だが。特殊な訓練を受けたわけでもないのに、叫ぶくらいで、泣き言ひとつ漏らさないとはね。そういう性癖でもあるんじゃないかと、疑ってしまうくらいだよ」
「お、おねがい……お、おねえちゃあ……や、やめてぇ……なんで……なんで、こうなるのぉ……やめてぇ……!!」
「なら、お姉ちゃんのお願い事を聞いてくれ」
「わ、わかった!! わかったから、もう、ミナトくんを傷つ――」
「言うなァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! シャルゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!」
血反吐を漏らしながら、ボクは、間延びした雄叫びを上げる。
びくり。
身を揺らしたシャルは、血でまみれたボクを見つめる。
「コレはっ!!」
コポコポと、喉から音を立てながら叫ぶ。
「コレは……ボクとキミの戦いだ……ボクは……ボクは、もう、逃げない……だから、キミも逃げるな……! ボクを!!」
真っ赤な視界の中で、シャルは、両手を組んで祈っていた。
「ボクを信じろッ!!」
必死に、ボクは叫ぶ。
「ボクは、絶対に勝つッ!! 必ず!! 必ず、キミの願いを叶えてみせる!! ボクはっ!!」
指のない左手で、ボクは、宙空を掴んだ。
「今度こそ!! 今度……こそ……!!」
涙が溢れて、血と交じる。
透明と赤色の狭間で、ボクは、ささやいた。
「救ってみせる……」
「ミナトくん」
「言え!! ボクは誰だ!? シャル!?」
シャルの目から、ぽろぽろと涙が零れ落ち――ボクは、絶叫する。
「言えッ!!」
彼女は、祈るように両手を組む。
「ボクはッ!!」
お互いに、泣きながら、ボクたちは見つめ合う。
「ボクは、誰だッ!!」
その呼びかけに、応えるように、彼女は微笑み――
「白亜……湊……くん……わたしを……お姉ちゃんを……」
ささやいた。
「救って……くれる人……」
「あぁ」
ボクは、笑った。
「そういうことだよ」
ドッ。
肩甲骨の境目に、長剣が突き刺さり、奥歯を噛み締めて耐える。
ボクの上に乗って、レアは足を組んで笑った。
「まいったな、困るよ。人の妹を勝手に口説くな。
許可制だ。当たり前だろ」
「ッ……ッ……ぐぅ……ッ!」
「さて、そろそろ」
ちらりと、レアは、腕に着けた玩具時計……時が止まったシャルの腕時計に、目線を下ろした。
「天使が堕ちる時間だ」
空から、白い流れ星が落ちた。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
それは、煌めきながら、天の国から逃げるように落ちてくる。
大量に。それこそ、世界を埋め尽くすように。
天使が、堕ちてくる。
「良かったら、賭けでもしないか」
レアは、嘲笑う。
「ファイナル・エンドの全プレイヤーが死ぬまでの時間でも」
彼女を裏切った――現実を。